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2009年5月31日日曜日

アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド




NHKスペシャルで「インドの衝撃」という番組をやっている。過去の放送内容が文藝春秋社からは単行本としての2冊刊行されている。現在のシリーズもまた充実した内容であり、見るだけでもたいへん勉強になる。映像のもつ力といえよう。

 本日31日の放送内容は、今年5月行われた総選挙についてである。結果としては与党である国民会議派の続投となったので、ビジネスマンの私としては安心しているが、選挙権をもつものが7億人もいるという「世界最大の民主主義国家」インド最大のウッタル・プラデーシュ州を舞台に、4つのカーストの下に位置する「ダリット」(dalit:undercaste)を政治的基盤にした大衆社会党と国民会議派との一騎打ちの様子を密着取材した、たいへん興味深い内容であった。

 「ダリット」からは、インドの新仏教運動を興したアンベードカル博士が生まれている。

 放送では博士についてふれているが、新仏教について言及しないのは片手落ちであるといわざるをえない。しかも博士の後継者が日本人の僧侶であることは、日本人なら知っておくべきだ。『男一代菩薩道-インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々木秀嶺-』(小林三旅、今村守之=構成、アスペクト、2008)という本は近年にない熱い内容だ。


 個人的には、インドは1995年にブッダロードとチベット族居住地帯であるラダックを旅したあと、12年ぶりとなる2007年にはビジネス・ミッションに加わって、デリー(再訪)と近郊のグルガオン、南部の高原にあるIT産業の中心都市バンガロールを訪問したが、いまだボンベイ(現ムンバイ)もカルカッタ(現コルコタ)も訪問できていない。

 とくにカルカッタは、明治以来の日本とも密接な関係にあるベンガル地方の中心都市である。タゴールと岡倉天心に始り、中村屋カリーのボース、インド独立戦争のチャンドラ・ボース、経済学者アマルティヤ・センにつながる流れ。ベンガル地方訪問は私にとっては今後の懸案課題として残っている。さて、いつ実現することか?


 さて、カルカッタといえばスラム、スラムといえばマザー・テレサである。マザー・テレサこそ、20世紀後半のインドで「フランチェスコ精神」を貫いた人であったといえる。

 アンベードカル博士の新仏教でも、ヒンドゥー教でも、ビジネス関連でもなく、マザー・テレサを通じてインドをみることも重要だろう。


 数年前に日本で公開された、オリヴィア・ハッセイ主演の映画 『マザー・テレサ』をみれば、マザー・テレサが不退転の意思で人生に臨み、明るく快活で、精神的に実にタフな人であったことがわかる。アッシジのフランチェスコそのものの、無私の精神に貫かれた、本当の意味のリーダーであったことも理解することができる。

 ただフランチェスコと大きく異なるのは、観想生活にひきこもることはせず、死ぬまで第一線で奉仕の人生を貫いたことにある。



 だいぶ前になるが、マザー・テレサのドキュメンタリーのビデオ『Mother Teresa : A Film by Ann and Jeanette Petrie with a Narration by Richard Attenborough』(1986年)を見てたいへん感銘を受けたので、その翌日雑談の際に会社でその話をしたら、どうやら場違いな話をしてしまったようで、その場ではやや敬遠されてしまった、という苦い経験がある。話題によっては話す相手を選ばないといけない、と深く胸に刻み込んだ。

  
 経済成長により都市と農村の格差が拡大し、人口の6割が貧困層になっているというインド。農村に居住するバラモンですら窮乏化しているという現実がある。

 本日の放送では触れられていなかったが、『ITとカースト-インド・成長の秘密と苦悩-』(伊藤洋一、日本経済新聞出版社、2007)によれば、能力主義を貫くIT産業発展のおかげで、少なくともIT産業内部ではカーストの壁も崩れつつあるらしい。

 とはいえ、中間層のあいだではビジネス社会における過度のストレスにさらされ、精神的な貧困も進んでいるということも聞く。『インドの時代-豊かさと苦悩の幕開け-』(中島岳志、新潮社、2006)を読むと、インドは日本化しているのか?という感想ももたざるを得ないほどだ。


 ビジネスを通じた貧困解消には限界があることは、中国をみれば明らかだ。貧富の差が極端に拡大しつつある中国は、いまや社会矛盾のかたまりと化している。

 たとえ、経済発展してもその成果が貧困層に再配分されるメカニズムが十分に機能しないと、とてもサステイナブルな経済発展とはならないであろう。

 世界銀行副総裁を務めた西水美恵子さんの著書、『国をつくるという仕事』(英治出版、2009)では、何よりもリーダーシップの重要性が強調されている。「・・貧困解消への道は、「何をなすべきか」ではなく、「すべきことをどう捉えるか」に始まると。その違いが人と組織を動かし、地域社会を変え、国家や地球さえをも変える力を持つのだと」(P.8)。


 経済的な貧しさならある程度まで解決可能かも知れない。

 しかし、マザー・テレサがいうように、先進国では(インドも一部ではそうなりつつある)、「精神の貧困」が大きな問題として拡大している。経済的な貧困、精神的な貧困、この二つの解決のためにはマザー・テレサのようなプローチも欠かせないのである。

 もちろん、マザー・テレサのように生きることは、大半の人にとっては、もちろん私も含めて、不可能である。だがそういう生き方もあるのだということを、せめて心の中だけにでも留めておきたいのである。

(つづく)

                        

PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を一枚あらたに挿入した。 (2014年8月21日 記す)

PS2 マザー・テレサが列聖される(2016年9月4日)

本日(2016年9月4日)、マザー・テレサがバチカンで公式に列聖された。カトリック世界では最高の「聖者」となったのである。1997年9月5日の死去から、わずか19年というのはスピード展開である。二度の奇跡が当局に公式に認められたためだ。 (2016年9月4日 記す)

マザー・テレザ聖人に: 教皇フランシスコがマザー-テレサ列聖に必要な奇跡を承認(バチカン放送局、2016年4月16日)


<ブログ内関連記事>

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!
・・「天使に会うためなら悪魔とも取引しろ(To get to the Angels, deal with the Devil)」というマザーテレサのプリンシプル。さすがカトリックならでは

書評 『男一代菩薩道-インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺-』(小林三旅、アスペクト、2008)-こんなすごい日本人がこの地球上にいるのだ!

書評 『国をつくるという仕事』(西水美恵子、英治出版、2009)-真のリーダーシップとは何かを教えてくれる本

(2014年8月21日 情報)   




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2009年5月30日土曜日

アッシジのフランチェスコ (3)  リリアーナ・カヴァーニによる




リリアーナ・カヴァーニ監督の『フランチェスコ(Francesco)』(1989年)を先日やっと見ることができた。これで主要なフランチェスコ映画をすべて見たことになる。

 主役のフランチェスコ役がミッキー・ロークというのは、実際のフランチェスコが小柄だったことを知っているので、DVDを見る前も見ている最中もミスキャストではないか、という感じをずっと抱きながら最後まで見たのだが、フランチェスコの生涯を、キアーラも含めた弟子たちが回想するという形をとったこの映画は、かなり鮮烈な印象の強い、宗教性の濃厚な作品であった。

 カヴァーニといえば、ナチス収容所所長と収容されていたユダヤ人少女との倒錯的愛を描いた『愛の嵐』(The Night Porter:1973年)で有名な女流監督である。女性哲学者ルー・サロメとニーチェとの関係を描いた『善悪の彼岸』(1977年)、谷崎潤一郎原作の『卍 The Berlin Affairs』(1985年)チベットの聖者伝『ミラレパ』(1973年)は、私自身すでに見ている。

 ヴィスコンティ監督の弟子であるカヴァーニは、オペラ演出も手掛けており、師と同じくドイツものが多い。同じくヴィスコンティの弟子であるゼッフィレッリもオペラ演出家であるが、ゼッフェレッリの作品のもつほがらかさとは正反対の、耽美的な映像世界を作り出している。

 ゼッフィレッリは、シェイクスピア作品の映画化にみられるように、むしろ英国への親近感のほうが強いと思われる。フィレンツェ出身であることが、そうしているのであろう。『ムッソリーニとお茶を』(1999年)はまさに英国愛にあふれた作品である。

 カヴァーニの『フランチェスコ』は『愛の嵐』と同様、やや陰鬱な影をもった、深みのある映像に終始している。

 キャスティングについては、ミッキー・ローク(あくまでも当時の!)の醸し出すセクシュアルでかつセンシュアルな存在が、聖人といわれているフランチェスコも、実は生身の肉体をもつ一人の男でったことを忘れさせない、という意味だったのか、などと考えている。男と女という実存抜きに人生を、宗教を語ることはできない。

 そんなことを考えていたときに、イタリアの中世史家キアーラ・フルゴーニによる、『アッシジのフランチェスコ-ひとりの人間の生涯-』(三森のぞみ訳、白水社、2004、原著:Vita di un uomo: Francesco d'Assisi, Chiara Frugoni, 1995)の訳者解説をパラパラと読んでいたら、カヴァーニの映画のフランチェスコは、フルゴーニが描いたフランチェスコにかなり近い、といっているのが目にとまった。そこでこの本を通して読んでみたのだが、いままで『ブラザーサン シスタームーン』で頭の中に描いていたフランチェスコとは大いに異なるフランチェスコ像を初めて知ることができた。

 裕福な家庭の出身ながらすべてと訣別し、あらたな道に踏み出すことを決断した一人の青年フランチェスコ。

 人々の無理解と苦難を味わいながらも、自ら信じる道を切り開いていった人間フランチェスコ。
 世の中に認められ、弟子が増えていくにつれて直面した「組織」という問題に悩むフランチェスコ。
 いったん出来上がった組織は教団として制度化する方向へと動き出し、組織のもつ論理で存続発展しようとするために、そこに違和感を感じ、疎外感を感じ、最終的に居場所を見つけられなくなってしまうフランチェスコ。
 自分のいっていることが本当には理解されていないのではないか、という深い絶望の中に生きる一人の人間フランチェスコ。
 集団を離れ、山中にひきこもっての40日間の断食と瞑想、そして自らの肉体に受けた聖痕(stigma)という喜び・・・

 肉体をもつ人間であるからこそ、人間存在につきまとう悩み、苦しみ、希望、絶望、といったもろもろが、普通の人間であるわれわれにも感じることができる・・・

 フランチェスコは一歩踏み出した人である、種をまいた人である。だが決して成功者ではない、むしろ本人の自意識においては失敗者だったのだろう。

 こういう意味で、リリアーナ・カヴァーニとキアーラ・フルゴーニという二人のイタリア人女性が、フランチェスコをきわめて近い視線で見ていることに気づく。

 聖女キアーラ(=聖女クララ)と同じ名前をもつフルゴーニは、フランチェスコに寄り添い、慈しみのまなざしで見守っている。文献資料と図像研究をあわせた歴史記述は説得力がある。ジオットについても新しい見方を教えられた。

 歴史家のキアーラ・フルゴーニはこう書いている。 

福音の教えに従うフランチェスコは男女の扱いには相違を認めなかった。・・(中略)・・ フランチェスコによれば、神は、明白な功または罪をもつひとりの男、あるいは女を創ったのではなく、ただ人間を創ったのであった。男であるか、女であるかは二次的な特徴にすぎなかった。(P133-134)

 ゼッフイレッリ監督は、『ゼッフィレッリ自伝』(創元ライブラリー、1998)の中で、フランチェスコのことを、こういっている。

聖フランチェスコはイタリアでもとくに気難しい聖人として知られている。映画が描いた彼の人生の前半では、彼は自然と調和した素朴で聖なる生活を送ったが、年を取ってからは複雑で重い性格に変わった。老年期には神秘主義に傾き、妥協がなく気難しかった。瞑想に生き、超世俗的な生活を送り、厳しく近寄りがたい存在になったのである。この晩年の聖フランチェスコの精神を思えば、彼は人が来るのを好まなかったのだ。(自伝 P.456-7)。

 同じく男性のデンマークの詩人ヨルゲンセンは1907年に出版したフランチェスコ伝では、vita contemplativa(観想的生) と vita activa(活動的生) の間で揺れ動くフランチェスコを描いている。『アシジの聖フランシスコ』(永野藤夫訳、平凡社ライブラリー、1997)は、戦前の日本でもよく読まれたという。

 思想家の林達夫は久野収を聞き手にした対談集『思想のドラマトゥルギー』(平凡社選書、1974)では、第5章「聖フランチェスコ周辺」で、戦前1915年以降の日本でフランチェスコ・ブーム?があったことを回想して、ヨルゲンセンの本についても触れている。

 それぞれのフランチェスコ理解がある。

 男の実存と、女の実存は、同じ人間であるといっても違いがあるのは当然だ。

 同じ一人の人間をみるまなざしにも、さまざまなものがあっておかしくない。一人一人がフランチェスコに何を重ね合わせて見るのか・・・「自分が見たいものを見る」、「自分が見たいものしか見ない」、それはすべての人にとって否定できない事実である。

 もちろん私も例外でなく。


(つづく)


<朗報!>
ミッキー・ローク, ヘレナ・ボナム=カーター主演のDVD フランチェスコ-ノーカット完全版-、ついに日本版が発売!!(2010年1月22日)



     
<付録> 

書評再録 『アッシジのフランチェスコ』(キアーラ・フルゴーニ、三森のぞみ訳、白水社、2004)-フランチェスコに寄り添い、慈しみのまなざしで見守った、女性中世史家によるフランチェスコ伝


 イタリアの中世史家キアーラ・フルゴーニによる、アッシジのフランチェスコ伝。

 日本ではフランチェスコというと、フランコ・ゼッフェレッリ監督による映画 『ブラザーサン・シスタームーン』で知られているが、この映画はフランチェスコの前半生しか描いていない。

 訳者解説で触れられているが、リリアーナ・カヴァーニ監督による、ミッキー・ローク主演の映画 『フランチェスコ』は、中世史家フルゴーニが描いたフランチェスコにかなり近い、といっているのが目にとまった。

 そこでこの本を通して読んでみたのだが、いままで 『ブラザーサン シスタームーン』 で頭の中に描いていたフランチェスコとは大いに異なるフランチェスコ像を初めて知ることができた。


・裕福な家庭の出身ながらすべてと訣別し、あらたな道に踏み出すことを決断した一人の青年
・人々の無理解と苦難を味わいながらも、自ら信じる道を切り開いていった人間
・世の中に認められ、弟子が増えていくにつれて直面した「組織」という問題に悩む青年
・いったん出来上がった組織は教団として制度化する方向へと動き出し、組織のもつ論理で存続発展しようとするために、そこに違和感を感じ、疎外感を感じ、最終的に居場所を見つけられなくなってしまうひとりの人間
・自分のいっていることが本当には理解されていないのではないか、という深い絶望の中に生きる一人の人間
・集団を離れ、山中にひきこもっての40日間の断食と瞑想、そして自らの肉体に受けた聖痕(stigma)という喜び
・肉体をもつ人間であるからこそ、人間存在につきまとう悩み、苦しみ、希望、絶望、といったもろもろが、普通の人間であるわれわれにも感じることができる・・・


 フランチェスコは一歩踏み出した人である、種をまいた人である。だが決して成功者ではない、むしろ本人の自意識においては失敗者だったのだろう。

 こういう意味で、リリアーナ・カヴァーニとキアーラ・フルゴーニという二人のイタリア人女性が、フランチェスコをきわめて近い視線で見ていることに気づく。

 フランチェスコの生き方に感化されて、世俗の生活を捨てた聖女キアーラ(=聖女クララ)と同じ名前をもった歴史家フルゴーニは、フランチェスコに寄り添い、慈しみのまなざしで見守っている。

 文献資料と図像研究をあわせた歴史記述は説得力がある。画家ジオットについても新しい見方を教えられた。

 映画 『ブラザーサン・シスタームーン』でフランチェスコに興味をもった人はぜひ本書を読んでほしいと思う。

 より深く、フランチェスコを理解できるようになると思う。


(注) amazon に「左党犬」のペンネームで執筆投稿した「レビュー」((2009年7月9日)を再録した。(2014年8月21日 記す)






PS 読みやすくするために改行を行い、あらたに<付録>を付け加えた。 (2014年8月21日 記す)。




<ブログ内関連記事>

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)

アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ
・・リリアーナ・カヴァーニは『ミラレパ』という映画も撮っている

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・『失敗者の自叙伝』を書いているヴォーリズ

(2014年8月21日 情報追加)
       




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2009年5月29日金曜日

アッシジのフランチェスコ (2) Intermesso(間奏曲):「太陽の歌」


             
 聖フランチェスコは自然を賛美し、小鳥たちに説教した、などのエピソードから、教皇ヨハネ・パウロ2世が正式に「環境保護の聖者」として認定したという。カトリック教会もフランチェスコの現代的意義の一つをそこに見出しているようだ。

 フランチェスコ晩年の通称「太陽の歌」(正確には、「被造物の賛歌」 Cantico delle Creature)では、神が創造した被造物(creature)として、太陽も月も、その他水も火も、すべての自然物を兄弟姉妹として同等に扱っている。ゼッフィレッリ監督の『ブラザーサン・シスタームーン』という映画タイトルはこの「太陽の歌」から採られている。

 こころみに Google でイタリア語の Cantico delle Creature と検索してみるとよい。YouTube で「太陽の歌」の映像と音声を聴くことができる。

 一般にダンテがトスカーナ方言をもとにイタリア語文章の基礎を創ったといわれるが、それより以前に聖フランチェスコは教会で正式に使用されたラテン語ではなく、一般民衆向けの説教で使っていたイタリア語で詩作していることは意味が大きい。イタリア語による詩歌集の一番最初にでてくるのが聖フランチェスコの「太陽の歌」であることからもそれがわかる。つまりイタリア人ならみな知っている、ということだ。

 ところで、アッシジのフランチェスコについて書く前に、私のブログでは偶然のことながら、松尾芭蕉の『奥の細道』を取り上げていた

 意図して取り上げたわけではないのだが、芭蕉も「太陽と月」を取り上げていた、なんという偶然か!

 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり・・・」という冒頭の文章は、日本語だと、月日イコール歳月なのでこれまで何も考えていなかったのだが、さきに紹介したSam Hamil による英訳では、「The Moon and Sun are eternal travelers. Even the years wander on.・・・」とあって、「月日」というのは、文字どおりに解釈して、物理的な月と太陽をさしているのか、とあらためて気がつかされた。

 そうか、月日というのは、ブラザーサン・シスタームーンと同じことをさしていっているではないか。順番は逆になっているとはいえ・・・


 イタリア語では太陽は男性名詞、月は女性名詞であり、現代イタリア語ではそれぞれ frate sole, sorella luna (フラーテ・ソーレ、ソレッラ・ルーナ)となる。フランス語も、スペイン語もラテン語系の言語ではみな太陽は男性、月は女性である。

 ちなみにフランチェスコは「死」のことを「姉妹である死」、といっているが、現代イタリア語では sorella morte (ソレッラ・モールテ)と、柔らかく包み込むようなやさしさをもった音であることは、「死」のとらえ方として重要かもしれない。英語で sister death というと、響きがあまりよくない。

 日本語には文法上の性であるジェンダーは存在しないが、記紀神話では太陽神である天照大神(アマテラス・オオミカミ)は女性(!)であるのに対し、ツクヨミといわれる月の神は一般に男性とされているのは面白い。「原始、女性は太陽であった」と宣言した平塚らいてふではないが、発想が正反対である。

 フランチェスコと芭蕉の共通点は、太陽も月も「擬人化」していることだ。フランチェスコは兄弟と姉妹に、芭蕉は旅人(性別不詳)になぞらえている。さらに芭蕉は、月も太陽も「永遠の旅人」、つまり循環する時間の中にあることをいっている。

 しかしながら両者のあいだでは、自然に対する見方がまったく異なることに気がつかされる。

 フランチェスコの歌では、太陽も月もその他自然と同じく、あくまでも神の「被造物」であるのに対し、芭蕉にあっては、太陽も月も自分とは異なる存在であって、しかも人間と同列の存在とはみていない。芭蕉にあっては、そもそも「究極の存在者」をどう想定しているのか不明である・・・

 こんなことを考えていくと、ひとくちにエコロジー、自然環境保護といっても、洋の東西では発想そのものが大きく異なることがわかってくる。

 神なき現在とはいえ、やはり西洋人の思考の深層には神が存在するのであり、つまり「隠れた神」の存在は無視できない。
  
 したがって、エコロジーに対する考え方も実は大きく異なるのではないか、と考えたほうがよさそうだ。


 このブログでもたびたび神社の森の話を書いているが、日本人はあくまでも神(々)が降りてくる「依りしろ」として森を捉えて神社の森を守ってきたのであり、森が神の被造物であるとは捉えてはいない。

 環境保護団体のグリーンピースや、シーシェパードにみられるように、イデオロギーとして過激化しがちなの環境保護とは大きく異なる。

 違和感を感じるのは、ここらへんに原因があるのではないか、という気がしてきた。そもそもシェパード(shepherd)というのは羊飼いのことであり、もともとはキリスト教的色彩の濃厚な比喩であることに注意しておきたい。「海の羊飼い」は、「海の羊であるクジラ」を襲う「日本の捕鯨船という狼」を絶対に許すわけにはいかないのだ、こういうロジックだろうか。

 まあ、結果よければすべてよし、最終的に環境が保護されればいいのではあるが・・・


 とはいえ、「環境保護の聖者」としての聖フランチェスコというのは、なんかあまり好きにはなれないのは考えすぎであろうか?

 何事であれ、現代の視点から、過剰な意味づけをしすぎるのは控えたほうがよいのではないだろうか? 

 かっかせず、ほがらかにいきたいものだ。

(つづく)



<ブログ内関連記事>

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)


PS 読みやすくするために改行を増やした。 (2014年8月21日 記す)






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2009年5月28日木曜日

アッシジのフランチェスコ (1) フランコ・ゼッフィレッリによる



13世紀イタリアが生んだ聖フランチェスコについては、フランコ・ゼッフィレッリ監督の『ブラザーサン・シスタームーン(Brother Sun, Sister Moon)』(1972年)でよく知られている。

 イタリア中部ウンブリア地方のみずみずしく美しい自然、いっさいの所有からの自由を求める「清貧」。

 オペラ演出家でもあるゼッフェレッリの美しい映像は、ドノヴァンのフォーク調の穏やかな旋律の主題歌ともあいまって、見るたびに心を洗われてきた。ラストシーンは何度もDVDで繰り返してみているほどだ。

 映画制作当時のヒッピームーブメントの影響もあり、シンプルライフ志向のさきがけのような映画である。

 「カトリック青春映画」と銘打たれていたこともあるが、聖者伝というよりは青春映画といったほうが適切だろう。同じ監督によるオリヴィア・ハッセイ主演の 『ロミオとジュリエット』 (1968年)とともに忘れがたい青春映画の名作である。


一カ月かけてイタリア半島をつま先の先端まで回る

 1991年にイタリアを北はヴェネツィアから南はシチリアまで一か月かけて鉄道で回った私は、当然のことながらアッシジも訪れている。大学院留学中の夏休みを利用してのはじめてのヨーロッパの旅、Eurail Pass と Youth Hostel 会員証をフルに活用した旅であった。

 ニューヨークから、ロンドン経由ボンベイ行きの格安のエア・インディアを使ってロンドンへ。英国から大陸へはフェリーでフランスのカレーへ。オランダ、ドイツはさっと通り抜け、ウィーンから夜行列車でヴェネツィアへ抜けたところからイタリアの旅が始まる。

 ゲーテではないが、イタリアにすっかり魅了されてしまったのだ。結局イタリア全土を回ることにしたのは成功だったと思う。人生も旅も予定のコースを外れて寄り道を歩くのは楽しいことだ。

 アメリカで購入して持参したガイドブック 『Let's Go Europe』 はアメリカの大学生が取材して作ったもので、たいへん役にたつスグレものであった。その当時の『地球の歩き方』は、とくにイタリア編は、ニューヨークの紀伊国屋書店で立ち読みしたが、観察力の乏しい旅行者の投稿情報を載せすぎで、しかも内容は情緒的な記事が多くて実用性に乏しく、まるで役に立たない代物であった。もっともその当時イタリアは現在ほどの人気はなく、しかも男性でイタリアに関心があるものなどきわめて少なかったのも事実だが。

 また、現在では定番のガイドブック 『Lonely Planet』 も当時はそれほど普及していなかった。その当時はどちらかといって、バックパッカー向けの辺境地帯のガイドブックが中心だったように思う。

 パリのセーヌ川にかかるミラボー橋で 『Let's Go Europe』を読みふけっていたら、アメリカ人の学生から声をかけられたことがあったのを思い出した。同じガイドブックをつかっていることに郷愁を感じたのだろうか?

 当時はよく「アメリカ人か?」とかいわれたものだ。アメリカ人というのは人種概念ではないから、英語をしゃべっていればアジア系だろうがアメリカ人扱いされることもある。

 なお、『Let's Go Europe』 は、amazonをみたら、現在でも改訂版がでているようだ。学生の身分でBudget Travel するなら、いいガイドブックである。日本では入手しにくいだろうが、アメリカの大学 Bookstore なら置いてあるはずだ。もちろん amazon でも購入可能。


■北イタリアではユースホステル会員証に使いでがある

 さて、イタリアの旅はヴェネツィアから始まったのだが、予約なしでヴェネツィアに宿泊するのは現在でもまったく不可能である。そこで、列車で30分ほど西に行ったパドヴァのユースホステルに宿泊することにした。

 パドヴァはヴェネツィア共和国にとって後背地にある知的センターであったことは、塩野七生の読者なら知っているかもしれない。パドヴァ大学には、1453年のコンスタンティノープル陥落でビザンツ帝国の学者が大量に亡命してきており、その後も「それでも地球はまわる」といったガリレイや、血液循環で有名なウィリアム・ハーヴェイなどがおり、また世界でもっとも古い円系劇場型の解剖学教室が残っていて素晴らしい。

 この時はこういった歴史的遺産を見ることができなかったが、2006年に15年ぶりに再訪した際に、パドヴァ大学内部だけでなく、ゲーテが訪れた植物園、ジオットの壁画で有名なスクロヴェーニ礼拝堂も見ることができた。15年目にして懸案事項が解決されたわけである。

 Youth Hostel 会員証は、北イタリアでは非常に使いでがあったことを記しておく。

 イタリアではかなり古くて趣のある建築を買い取ってユースホステルとして利用しているものも少なからずある。パドヴァのユースもそうであった。早朝、霧が立ち込める中、先着順でチェックインを待っていたことを思い出した。円形の筒のようなくすんだ色をした建物であったように記憶している。

 フィレンツェでも、シエナだったか覚えていないが、海岸沿いの小さな町で、壁にフレスコ画が残る御屋敷に泊まれたのも、ユース会員権のおかげであった。


アッシジは世俗的な傾向の強いイタリアのなかでは例外的な存在

 えらく遠回りしてきたが、そろそろアッシジに行かないといけない。

  『Let's Go Europe』には、アッシジは世俗的な傾向の強いイタリアのなかでは例外的で、女の子も男性の視線を気にすることなく安心して過ごせる町だと書かれていたが、まさにそのとおりだった。

 イタリアは全般的に男は男らしさを、女は女らしさを過度に強調して見せる傾向があり、地中海世界というか、ラテン的な特性が全面にでている国である。ファッション雑誌の『LEON』なんか持ち出さなくても周知のとおりだ。

 そんななかにあって、アッシジは、かなり趣の異なる町なのである。

 小高い丘の上にある町で、石畳の坂道が多いのはイタリア共通だが(・・マラリアを避けるために丘の上に町が作られたとあったのを読んだことがある。イタリアのスーパーマケットでは日本の蚊取り線香を売っていた)、有名な「宗教都市」でありながら陰鬱なところのまったくない、修道士も含めほがらかな雰囲気に満ちた町であった。フランチェスコ教会にある、ジオットのフレスコ画ともども強い印象に残っている。

 その後の大地震でフレスコ画も損傷を受けたというニュースを聞いたが、修復は完了したようで安心している。先日も大きな地震があり被害も大きかったようだが、シチリアにストロンボリという活火山もあるイタリアは地震国である。ゼッフィレッリ監督も、撮影中18回も地震に見舞われたのだ!と自伝に書いている

 アッシジ(Assisi)は実際の発音はアッスィージに近いので若干異なるのだが、日本人が日本語でアッシジと発音するとき、音が共通しているので、何かしら薬師寺(やくしじ)を連想させるのも、日本人にはしたしみやすいのかもしれない。


フランコ・ゼッフィレッリ監督の『ブラザーサン・シスタームーン』(1972年)

 『ブラザーサン・シスタームーン』が、時のローマ教皇インノケンティウス3世に布教を認められるシーンをハイライトとして終わるが、これは実はきわめて重要なシーンなのである。

(『ブラザーサン シスタームーン』のシーンから)

「組織」としてのローマカトリック教会を修復するために、その当時の時代状況のなかで異端すれすれであったフランチェスコを、教会内部に抱き込むことで一般信徒たちの離反を防いだ、という組織運営上の大決断であったのだ。

 このことは、中世史家である堀米庸三の名著 『正統と異端-ヨーロッパ精神の底流-』(中公新書、1964)が、教皇とフランチェスコ会見を「一つの世界史的な出会い」(P.181)と表現している。高校時代に読んでから約20数年ぶりに読み返して確認した。この本は残念ながら絶版。(*)

(*) その後、2013年に中公文庫から復刊された。ブログ記事で書評を書いているので、上記のリンク先をご覧いただきたい。 (2014年2月16日 記す)

 音楽については、最初はシンガーソングライターのレナード・コーエンと作業したがしっくりこないのでやめて、最終的にドノヴァンに依頼したと監督は回想している。結果としてこれは成功だったといえよう。

 ユダヤ系カナダ人のコーエンにはイエス・キリストを主題にした曲もあるが、むしろユダヤ神秘主義であるカッバーラー、禅仏教やチベット仏教に傾倒した人なので、曲は作れてもカトリックのゼッフィレッリ監督にしっくりはこなかった、というのもうなづける話だ。

 そもそも低音がウリの歌手だから「青春映画」にはふさわしくないし、フランチェスコの単純さとは異なる精神性を追求している。

 とはいえ、レナード・コーエンは私のもっとも好きな歌手である。いまも彼のCDかけながらこの文章を書いている。

 アッシジのフランチェスコを扱った映画は多数製作されている。イタリア人の映画監督によるものを挙げておく。


 ネオレアリスモの監督ロベルト・ロッセリーニの『神の道化師 フランチェスコ(Francesco, Giulare di Dio)』(1950年、脚本はフェデリコ・フェリーニ)は、ローマでの教皇との会見からアッシジに戻るシーンから始まり、布教のために弟子たちが各地に散っていくシーンで終わる。 

 イタリア人にとってはフランチェスコについて改めて説明する必要がないから、エピソードを集めたオムニバス形式にしたのであろう。

 さらにもう一つ、同じくイタリア人のリリアーナ・カヴァーニ監督の『フランチェスコ(Francesco)』(1989年)であるが、長くなったので、続きは次回としよう。 (つづく)



<参考>

『ゼッフィレッリ自伝』(フランコ・ゼッフィレッリ、木村博江訳、創元ライブラリー、1998)





PS 読みやすくするために改行を増やし、小見出しを加えた。写真を大判にしあらたな写真も挿入した。リンク先も修正を行った。 (2014年2月16日 記す)


<関連サイト>

St Francis Before the Pope 
・映画 『ブラザーサン シスタームーン』(1972年、フランコ・ゼッフェレッリ監督)のラストに近いシーンで、アッシジのフランチェスコがバチカンでインノケンティウス3世に謁見し「抱き込まれる」シーンに注目! 

brother sun sister moon (YouTube)
・・英国のシンガソングライター、ドノヴァンの歌う主題歌 

Donovan - On This Lovely Day [from Franco Zeffirelli's "Brother Sun, Sister Moon"] (1972)
・・ドノヴァンによる挿入歌


<ブログ内関連記事>

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)

書評 『正統と異端-ヨーロッパ精神の底流-』(堀米庸三、中公文庫、2013 初版 1964)-西洋中世史に関心がない人もぜひ読むことをすすめたい現代の古典

書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する

レナード・コーエン(Leonard Cohen)の最新アルバム Old Ideas (2012)を聴き、全作品を聴き直しながら『レナード・コーエン伝』を読む

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!
・・アッシジのフランチェスコの精神を現代に活かす

書評 『修道院の断食-あなたの人生を豊かにする神秘の7日間-』(ベルンハルト・ミュラー著、ペーター・ゼーヴァルト編、島田道子訳、創元社、2011)
・・現代でも清貧と霊性を求めて修道院での断食が行われる

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)
・・いまもむかしも巨大組織バチカン内部は・・・

600年ぶりのローマ法王退位と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である
・・新教皇はフランシスコ一世。「清貧」を旨としたアッシジのフランチェスコの精神を体現することを考えてのことである

映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた
・・映画のなかで、サッチャー首相の就任式で「アッシジのフランチェスコの祈り」を朗読するシーンがある。

(2014年2月16日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)







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2009年5月27日水曜日

行く春や 鳥啼き 魚の目は泪 (芭蕉)


 季節は初夏、すでに春は過ぎ、かつをの美味い季節である。

 そんなとき思い出すのが、芭蕉のこの一句。『奥の細道』の最初から二番目にでてくる俳句である。芭蕉46歳のときの旅だが、現在の年齢でいえばもう60歳を過ぎての旅立ち、と考えていいだろう。

 『奥の細道』冒頭の文章はいまでもソラで暗唱できる。暗唱というのはたいへんよい教育だといえよう。よい日本語の文章のリズムをカラダに沁み込ませることができるから。

 徒然草でも、方丈記でも、平家物語でも、源氏物語も、伊勢物語も、みなもちろんいまでも冒頭の文章は暗唱可能だ。百人一首も高校時代暗記させられたが、いまでは上の句と下の句がただちに結びつかなくなってしまっているのはまことにもって残念だ。正月に歌留多しなくなって久しいから仕方ない、か。

 暗唱は英語でも、それ以外の言語でも同様だ。極端にいえば、トロイを発掘したシュリーマンのように、本をまるごと1冊を暗記してしまうのが、語学上達の秘訣である。『古代への情熱』にその方法で古代ギリシア語含めて数ヶ国語をものにしたことが書かれていたのは、少年時代に読んで強く印象に残っている。とくにロシア語が自分の商売拡大の上で大いに役立ったことが強調されていた。
 
 さて、表題の句がでてくる前振りの文章は以下のとおりだ。

 弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明(ありあけ)にて光おさまれる物から、不二(ふじ)の峰幽(かすか)に みえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。
 むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云(いふ)所にて 船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。
 
  行春や鳥啼魚の目は泪
  (ゆくはるや とりなき うをのめはなみだ)


 是を矢立(やたて)の初(はじめ)として、行道(ゆくみち)なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後(うしろ)かげのみゆる迄はと見送なるべし。


(出典)Japanese Text Initiative および 『芭蕉 おくのほそ道』(萩原恭男校注、岩波文庫、1979)   

(付記)Japanese Text Initiative は、バージニア大学図書館エレクトロニック・テキスト・センターとピッツバーグ大学東アジア図書館が行っている共同事業だ、とウェブサイトにある。アメリカの大学が日本文学のデータベース化をすすめているとはねえー、国文学は専門ではないので知らなかったが、驚きだ)


 陰暦3月27日は、太陽暦5月16日だと岩波文庫本の脚注にあるから、ちょうど今ごろの時分である。芭蕉は深川の芭蕉庵から舟で隅田川を約10kmをさかのぼり、千住まできて陸にあがったらしい。そこで詠んだのがこの句だが、意味は素直に読めば難しくない。英訳を示しておこう。

 Spring passes
 and the birds cry out ---
 tears in the eyes of fishes


(出典)Narrow Road to the Interior, translated by Sam Hamill, Shambala Centaur Edition, 1991

 高校時代、面白い解釈をしたヤツがいたのを思い出す。いわく、芭蕉は「魚の目」が痛くて泣いたのである、と。いわれてみれば面白いが、どうなんだろうかねー? たしかに魚の目は痛いが、これは「トンデモ」解釈としかいいようがないだろうなあ。
 
 これも同じく高校時代だが、日本史の授業で聖徳太子が隋の皇帝に親書を送った、という有名な史実を習ったあとの休み時間のことだ。この親書で聖徳太子は、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや・・・」と書いているのだが、「つつがなきや、っていうのはツツガムシがいないから痒くないということなんだぜ、えーほんとかよー、なんて会話が交わされたのだが、こちらは必ずしも「トンデモ」でもないようだ。とはいえ、そうではないという主張も優勢ではある。

 まあ、民間語源説というのは話のネタとしては面白いが、信憑性については疑問、というケースが多いものだ。
 同じく文学作品の非常識な解釈もまた面白いことは面白いのだが・・・書かれた瞬間から作者の手を離れてしまうのは、けっして文学作品だけではない。難しいねー。
       


<ブログ内関連記事>

庄内平野と出羽三山への旅 (10) 松尾芭蕉にとって出羽三山巡礼は 『奥の細道』 の旅の主目的であった

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・『奥の細道』の旅の意味の一つが出羽三山の山伏修行

書評 『独学の精神』(前田英樹、ちくま新書、2009)
・・「古人の求めたる所を求める」(芭蕉)ことを通じて「独学」する






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2009年5月25日月曜日

『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く』(植島啓司、写真・鈴木理策、集英社新書、2009)で、「熊野」と「屋久島」と対比しながら読んでみる



 宗教学者による「熊野考」

 民俗学が人が神を祀る、という観点からの学問だとすれば、宗教学は神の側から人間へのアプローチを考える、と著者はいう。

 その著者からみれば、岩など自然物そのものが御神体となった神社の多い熊野は、まさにうってつけのフィールドといえるだろう。

 本書は、熊野出身の写真家・鈴木理策氏があらたに撮り下ろした写真とあいまって魅力的な熊野入門書になっている。

 熊野の魅力は、著者による以下のような多面的アプローチで解明されていく。

 熊野の神々は記紀神話からはみでてしまう土着の神々であり、産土(うぶすな)神の性格を濃厚にもったものであり、単体の神社というよりも熊野の神々を総称したものである。この上に神道、仏教、修験道が重層的に重なり合い神仏習合としての聖地となった。

 熊野は別名「こもりく」といわれるが、これは籠り(incubation:宗教学的な用法。もともとは親鳥が雛を育てること。ビジネスの世界では起業の孵化器の意味)と託宣の場であり、岩盤性の切り立った海に面した絶壁は、古代ギリシアのデルフォイに比すことのできるもの。

 火山性の固い岩盤と鉱物資源、豊富な温泉は、死と再生の場でもあり、厳しい自然環境の上に、豊富に降り注ぐ雨が作った豊かな森は、籠りの場として、むしろ母性的な意味合いをもつ。つまり、すべてを受け入れ、そしてあらたに何かが生み出される場所なのだ。


 近年パワースポットという表現がポピュラーになっているが、現代でも日本人は森を前にすると、森の中に入るとなぜか生き返ったように感じる。

 日本国内で熊野に匹敵しうるのは、同じような自然条件にある屋久島くらいだろう。さまざまな神話や物語が堆積している意味で、熊野は屋久島以上に魅力的といえるかもしれない。

 実際、私自身、熊野はすでに1995年と2003年の二回にわたって旅してしており、大雨という自然条件に泣かされたこともあっても、そのことも含めて私は強い印象が思い出となって記憶に刻み込まれている。

 屋久島も同様に、予期せぬ大雪で観光客のまばらな2005年2月に、登山靴にアイゼンつけて雪山を歩き、縄文杉をみにいってきた。屋久島でも熊野と同様、温泉で癒された。

 熊野、屋久島ともに再訪したいと心から念願している。


 日本人にとっての信仰の原点、聖域がこの森であり、とくに海と山が出会う場所である熊野は、きわめつきの魅力をもつのである。熊野は、世界遺産に登録されたことにより、日本人自身が原点に立ち戻るきっかけになることが望まれる。

 著者もいうように、近代日本を襲った数々の宗教弾圧・・・明治維新の際の神仏分離(=廃仏毀釈)、明治末期からの神社合祀令、敗戦後の占領軍による神道指令・・・でズタズタにされた日本人本来の信仰の回復のために。

 本書は導入に折口信夫の「産霊(むすび)の信仰」を使っているが、那智山中に3年間滞在した南方熊楠に一言も触れていない折口信夫には釈超空の名で「海やまのあひだ」という歌集があるので、よりふさわしい人選ではある。

 いかなる理由かは知らないが、南方熊楠抜きの熊野、というのも熊野に対する一つの態度ではある。

 私としては、この両巨人をぶつけてほしかったのだが。



<読書案内> 

植島啓司、鈴木理策=写真、『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く』、集英社新書ヴィジュアル版、2009




青山潤三、『屋久島-樹と水と岩の島を歩く-』、岩波ジュニア新書カラー版、2008




PS タイトルを一部変更し、読みやすくするために改行を増やした。またあらたに<ブログ内関連記事>の項目を加えた。 (2014年4月12日)


<ブログ内関連記事>

書評 『聖地の想像力-なぜ人は聖地をめざすのか-』(植島啓司、集英社新書、2000)

「お籠もり」は何か新しいことを始める前には絶対に必要なプロセスだ-寒い冬にはアタマと魂にチャージ! 竹のしたには龍がいる!

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)

「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に (総目次)

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)-キーワードで読み込む、<学者・折口信夫=歌人・釋迢空>のあらたな全体像

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる

(2014年4月12日 項目新設)



end               

2009年5月24日日曜日

ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2009




ブッダン・サラナン・ガッチャーミ 
ダンマン・サラナン・ガッチャーミ 
サンガン・サラナン・ガッチャーミ 

 (日本語訳)
  私はブッダに帰依いたします
  私は法(ダンマ:真理)に帰依いたします
  私はサンガ(僧の集団)に帰依します

 三宝(=仏法僧)に帰依いたします、これをパーリ語で独特の節回しで三回朗誦する。

 これで仏教徒として最低限の必要条件を満たすこととなる。出家者ではないので、難しいことはまったく必要ない。私のように仏教徒といってもあまり熱心ではない人でも、さすがにこれぐらいはパーリ語で暗唱できる。

 さて、小雨降る中、「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2009」にでかけてきた。代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターカルチャー棟大ホールにて開催、日本テーラヴァーダ仏教協会主催、スリランカ大使館などが共催のイベントである。私にとっては、今回が初めての参加である。

 テーラヴァーダ(Theravada)は大乗仏教(Mahayana)との違いを明確にするための表現で、通常は上座仏教という。スリランカおよび東南アジア各国(ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア)ではこの上座仏教が中心である。ブッダそのもののを重視する立場で、日本やチベットのように祖師信仰という要素はない。
 仏歴2553年(タイだと2552年)、本当は陰暦満月の日なので今年は5月19日が仏誕節(ヴィサカブチャー:釈尊誕生日)だが、上座仏教の国ではない日本では都合のよい日曜日にしたのだろう。
 大ホールの定員780人のかなりが埋まっていたので、よくこれだけ人が集まるものだなあ、と感心した。釈尊誕生日は、上座仏教ではもっとも重要な行事である、とのことだ。

 会場でもらった予定表をもとに本日のプログラムを紹介しておく:

12:45 スライドショー「釈尊の一生とインド仏蹟を訪ねて」
13:00 仏陀おねり&仏讃法要:パーリ文の三帰五戒、パーリ語経典の読経、日本人大乗仏教僧侶(真言宗、臨済宗、・・・)五戒受戒、舎利礼文
13:40 慈悲の瞑想 (パーリ語経典の朗誦、日本語の慈悲の瞑想)
13:50 スリランカ全権大使による挨拶
14:10~15:20 記念講演:パーリ学仏教文化学会会長・文化功労者 前田惠學博士『仏教の開祖 釈尊』
15:40~17:30 記念法話:アルボムッレ・スマナサーラ長老「最優の成功に至る道」および質疑応答
17:40~18:10 比丘サンガによる祝福の読経
18:10  聖糸・聖水の授与

 以下コメントを書いておく。

 スライドショー「釈尊の一生とインド仏蹟を訪ねて」は、Google Earth を使って上空から撮影した画像でたどるブッダロード。私自身の1995年の仏蹟巡礼の旅を思い出して懐かしかった。ブッダガヤでは私も菩提樹の下で瞑想してみたのだが、これについてはまた語ることもあるかも。

 スリランカ駐日全権大使による英語の挨拶は、大使自身が「仏教徒として挨拶する」といわれたが、大使のファーストネームはなんと Manjusri(マンジュシュリ)、すなわち文殊(菩薩)!というのはすごい。三人集まれば文殊の知恵、賢くなってほしいとつけられた命名か? スリランカ人の名前はあまり注意してみたことはなかったが、さすが仏教国である。
 スリランカはやっと内戦が終結したが、本当に平和が到来したといえるのだろうか? 私は内戦のはざまに1999年訪問しているが、もし平和になれば素晴らしい国である。

 前田惠學(えがく)博士は、インド哲学の前田専學(せんがく)博士の兄で、よく間違われるとのこと。私も勘違いしていた。仏教用語について、初期仏教ではなく、原始仏教というべきことと、上座部仏教ではなく上座仏教というべきこと、などを強調されていた。たいへん重要な指摘である。

 アルボムッレ・スマナサーラ長老はスリランカ上座仏教界の長老で、日本には留学時代含めすでに30年滞在、バカの壁の養老猛司との対談でも有名だ。日本語での法話は私は過去2回聴いているが、法事の際の僧侶によるつまらないことの多い(失礼!)法話とは異なり、ブッダその人から説き起こした内容は非常に示唆するところ多く、いつも納得させられている。
 本日の法話は、釈尊誕生日という記念すべき日であることもあり、釈尊の一生について、出家(29歳)⇒さとり(35歳)⇒入滅(80歳)の各ステージについての話だったが、とくに出家については、王子としての身分を捨て、王宮から自らの意思で出たことを、自分で自分の道を選び取った決断の重さについて特に強調されていたことが印象に残る。
 長老は日本語で冗談交えながら熱弁をふるわれ、今回もまたたいへん印象に残るお話であった。とにかく話が論理的である点、これが本来の仏教なのである、と思う。

 祝福の読経は、パーリ語のお経があまりにも長くて正直言って合掌居続けるのは無理、眠くさえなった。我ながらいかんなあー、と思いながらも、聞き慣れてないお経なので、自分にとってはまったくもって「馬の耳に念仏」みたいなものだから仕方ない、と自己正当化する(苦笑)

 最後の聖糸はいわばウィッシュリングで、右手の手首に比丘(お坊さん)自らが祝福しながら、赤白黄の三色の糸をより合わせて縁を結んでくれるもの。これは自然に外れるまでつけたままでないといけないので・・・入浴を繰り返しても通常1か月以上は外れない・・・どうしたものかなあと迷ったのだが、せっかくの機会なので巻いていただくこととした。
 これも何かの縁、いや単なる縁ではなくて、たいへんありがたい仏縁である!
 聖水は祝福されたミニペットボトル入りのもの。ありがたくいただいた。
 
 最後になったが、本日のプログラムにもあった「慈悲の瞑想」を紹介しておきます。出典は日本テーラワーダ仏教協会による日本語版。
 日本語だがパーリ語と同じように独特の節回しをつけて朗誦するのだが、目をつぶりながら比丘たちの朗誦に唱和していると、なんだか心が清らかになるのを感じる。日頃の行いを反省しつつ、そうあるべきなのだ、と心の中で繰り返しつぶやいている自分を発見するのである。


 「慈悲の瞑想

 私は幸せでありますように
 私の悩み苦しみがなくなりますように
 私の願いごとが叶えられますように
 私に悟りの光が現れますように
 私は幸せでありますように(3回)
   ※こころの中で「私は幸せでありますように」と繰り返し念じる。

 私の親しい人々が幸せでありますように
 私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
 私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
 私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
 私の親しい人々が幸せでありますように(3回)
   ※こころの中で「私の親しい人々が幸せでありますように」と繰り返し念じる。

 生きとし生けるものが幸せでありますように
 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
 生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
 生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
 生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
   ※こころの中で「生きとし生けるものが幸せでありますように」と繰り返し念じる。

 私の嫌いな人々も幸せでありますように
 私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
 私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように
 私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

 私を嫌っている人々も幸せでありますように
 私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
 私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように
 私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように

 生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)


 いかがでしたか? 
 ではまた。
 
 合掌

2009年5月23日土曜日

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-




 4月分の国民年金をコンビニで払ってきた。再び厚生年金に戻るまで、しばし・・・。コンビニで納付できるなんて便利になったものだ。前回7年前にはそんなことはなかったので。
 
 「ねんきん」は「ねんきん」でも、これから書く話は「年金」ではなく「粘菌」のほうだ。粘菌とは、植物でも動物でもない、粘菌は粘菌としか分類不可能な生物のことである。変形菌ともいう。

 ここ1週間、これまで購入していながら未読であった南方熊楠(みなかた くまぐす)関連書籍をひたすら読み漁ってきた。

 南方熊楠(1867-1941)とは、柳田國男とともに日本民俗学を創った人であり、折口信夫とならんで日本民俗学の3人として称せられるが、民俗学という狭い分野というよりも、日本人ばなれした地球スケールの学問をした「民間学者」である。日本近代が生み出した「知の巨人」といってよい。

 南方熊楠の学問の中心が「粘菌」の研究にあったから、粘菌生活とダジャレてみたわけだ。働いておらず、しかもまだリタイアには程遠い現在の私の生活は、"年金"生活ではなく、"粘菌"生活というのにふさわしい。働いておらず死んでいるように見えるときは実は生きている、働いていて生きているように見えるときは実はくたびれて死んでいる、という粘菌。 


 南方熊楠漬けの1週間となったきっかけは、歴史家の川勝平太と社会学者の鶴見和子との対談、『「内発的発展」とは何か- 新しい学問に向けて-』(藤原書店、2008)を読んだことであった。

 「内発的発展」とは、かつての日本を含めた開発途上国が、外部からの圧力による他律的なものだけでなく、外圧に触発されて危機感を抱いた個人やコミュニティーが主体となって、内側から発展(develop:発達)することを示した、鶴見和子が提唱した、日本発の社会科学理論である。

 大学時代、よく立ち寄っていた国立の増田書店の棚段に、茶色の装丁の単行本があって何度も立ち読みしたが、結局購入せず、通読しないまま現在に至っていたことを思い出したが、川勝平太との対談を通読することで、かつて大学時代に読んだ鶴見和子の『南方熊楠-地球志向の比較学-』(講談社学術文庫、1981)と「内発的発展論」が結びつくことを知ったのは、うれしい収穫であった。


 これがきっかけとなって(・・・他の本も読んでいたのだが並行して)、鶴見和子の南方熊楠関連の本を読んだら、ついでに全部読みたくなったのだった。

 読んだ順番に列挙すると以下のとおり:

●鶴見和子、『南方熊楠・萃点の思想【未来のパラダイム転換に向けて】』、藤原書店、2001
●鶴見和子、『南方曼陀羅論』、八坂書房、1992  
●松井竜五、『南方熊楠-一切智の夢-』、朝日選書、1991     
●荒俣宏/田中優子/中沢新一/中瀬喜陽、『奇想天外の巨人 南方熊楠』、平凡社、1995
●松井竜五、ワタリウム美術館編、『クマグスの宇宙-南方熊楠の見た宇宙-(とんぼの本)』、新潮社、2007
●松居竜五/岩崎 仁=編、『南方熊楠の森 (CD-ROM付)』、方丈堂出版、2005
●近藤俊文、『天才の誕生-あるいは南方熊楠の人間学-』、岩波書店、1996
●荒俣宏/環栄賢=編、『南方熊楠の図譜』、青弓社、1991
●中沢新一、『森のバロック』、せりか書房、1992

 そしてこれに関連する書籍数冊にも参考書として目をとおす。

●中瀬喜陽/長谷川興蔵編、『南方熊楠アルバム』、八坂書房、1990
●『新文芸読本 南方熊楠』、河出書房新社、1993
●『現代思想 1997・7 特集 南方熊楠』、青土社、1992


 南方熊楠を知ったのは大学1年のときである。柳田国男は高校3年のとき、自分があまりにも日本について知らないことに愕然として、岩波文庫に入ったばかりのものを文庫本で手当たり次第に読み始めた。折口信夫もその当時、中公文庫から文庫版全集がでていたので入手しやすく、大学時代から読み始めていた。

 そのころ平凡社が倒産して再建途上にあったので、大学生協で「がんばれ平凡社フェア30%引き」というのをやっていた。この際に、『南方熊楠全集』の第一巻「十二支考」と東洋文庫数冊を注文して入手したのが、南方熊楠を入手した最初である。大学寮のベッドサイドにおいて、折にふれてページをめくって読み込んでは楽しんでいた。

 大学学部時代の前半は、合気道の稽古を終えたあと毎日大学図書館分館に入り浸り、自分の知的好奇心にまかせて片っぱしから本を見るという、いまから思えば夢のような日々を送っていたのだが、その頃よく図書館のなかで拾い読みしていた澁澤龍彦の文章にこういうものがあった。南方熊楠が私費で英国に遊学していた時代の日記に、大英図書館でやたら自分にからんでくるイギリス人をついに腕力でぶちのめした、という一節である。

 ほぼ同時期に国費で英国留学しながら、下宿にひきこもって毎日泣いていたという情けない夏目漱石とは大違いで、白人と対等にやりあう日本人がいたということは、大変うれしい驚きであり、深く記憶に刻み込まれた。もちろん、腕力だけでなく、現在でも有名な「ネイチャー」という自然科学の雑誌に何度も英語で書いた投稿論文が掲載されており、知力でも対等にやりあっていたのである。

 その南方熊楠が書いた文章はめっぽう面白く、引用は無限広大、文体は過剰で饒舌、講談調ながら、これだけ博識でかつ中身の濃い文章を書けるのは、スケールはだいぶ小さくなるが、現代では小室直樹くらいだろう。


 それはさておき、私自身が米国留学から日本に帰国した1992年頃は、空前の南方熊楠ブームとなっていたようである。出版物が集中していることがわかる。そのころ住んでいた南阿佐ヶ谷駅近くにある書原というユニークな本屋は、自分の趣味にまったく合致した本屋で、かなりの本を買い込む結果となったが、南方熊楠ももちろんそのラインアップにあり、読む時間が確保されないのにもかかわらず、本を買いまくっていたのであった。その残滓が上記の蔵書ということになる。

 この時期には、なんと内田春菊も南方熊楠を漫画にしているくらいである(原作者からの原稿が遅いので、ブチ切れた内田は未完のまま終わらせた、と本人はあとがきに書いているが、残念だ)。ついでにいうと水木しげるの『猫楠-南方熊楠の生涯-』は実に味があっていい。


 この時期に出版されたもっとも中身の濃い南方熊楠論が、中沢新一の『森のバロック』であることは、今回初めて通読してみて納得された(*ただし単行本は絶版、文庫版は大幅に削除されているとのこと)。


 河出文庫の『南方熊楠コレクション全5冊』(現在品切れ状態)の解説が基になっているので、まったく読んでないわけではなかったが、最初から最後まで通読することによって、南方熊楠と全面的に取り組んで、南方熊楠論を書き上げたのは、鶴見和子と中沢新一の二人しかないことを実感した。いずれも著者が対象と共鳴、共振するものが多く、南方熊楠を語ることはそのまま自らを語ることになっているのは面白い。


 鶴見和子は、アメリカで社会学の博士号を取得した、西洋流の学問を完璧に修めた人であり、その点に南方熊楠に同質のものを見出したとすれば、中沢新一の場合はチベット密教の修行を経たうえで、南方熊楠の思考に密教の思考方法を見出したことにあるのだろう。

 あえて単純化していえば、鶴見和子の『南方熊楠-地球志向の比較学-』は市民社会の範疇のもので、それを顕教(exoteric)とすれば、中沢新一のものはより密教(esoteric)的色彩が強い。


 そもそも南方熊楠は西洋的な因果関係論に飽き足らぬものを感じ、幼いころからどっぷりと浸かっていた真言密教の方法で独自の科学論を構想していたのだが、鶴見和子はこれを南方曼陀羅と命名した(・・直接は仏教学者中村元のサジェスチョンによる)。

 中沢新一はこれに対し、華厳哲学と真言密教で表現したとして別の図を南方曼陀羅としている。南方曼陀羅に関しては、私は中沢新一に賛成である。必然性に偶然性の要素を持ち込んだ生成論である。


(南方曼荼羅)

 鶴見和子が「学者」として語っているのに対し、中沢新一は「思想家」として語っているという違いもある。南方熊楠自身の思想なのか、それを発展させた中沢の思想なのか明瞭ではないのがひっかかるところである。個人的には、やたら「私たちは」という語り方をする中沢新一の文体は好きではない。

 南方熊楠の思想を知りたいと思えばまず鶴見和子のものを読むべきだろう。しかしながら、脳内出血で倒れ、半身不随になってから作歌に専念し、論文という形で自己表現するのをやめた鶴見和子は、直観的に生命について感じるようになったらしい。ある意味で、中沢新一がいっているのと近いところにきているような感も受ける。


 日本人の信仰の原型が森にあることは、ことさら森林浴などといわなくても、森にいると何か癒される気がすることからも十分に納得される。森はそれを構成する個々の生命体が、それぞれ自律的に生きていながら共生する関係にあり一つの全体を形成している生命体であること、そして神社の森を聖域化することで日本人は森を守ってきた。

 明治維新以降の日本人は資本主義のもと、徹底的に森を破壊してきたが、ようやく自然環境保護の観点から、またパワースポットという観点から神社の森に注目が集まるようになってきている。日本人はようやく自覚的に原点回帰できるようになってきた、ということっだろうか。

 一度破壊された森は二度とそのままの形では復活はしないが、なにせ高温多湿の日本である、耕作放棄された農地が各地で森と化しつつある、という話をよく聞く。森は生命力そのものであり、日本人はそれに対して癒しだけでなく、同時に懼れも抱いてきたのである。西行法師ではないが、「何ごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」、これが日本人の信仰の原点だ。森そのものが御神体なのである。


 とりとめないことを書いてきたが、そもそも南方熊楠を語るのは。群盲象をなでるに等しい行為である。南方熊楠は人生そのものが破天荒で面白い。伝記を追体験するだけでも十分に楽しめる。

 しかも粘菌学者としてはその当時、日本では昭和天皇と並ぶ存在であったという事実。昭和4年(1929年)に南方熊楠は昭和天皇に粘菌学についてのご進講を行っているが、これは彼の人生におけるハイライトであった。

(粘菌学者としての南方熊楠の名は長く残るであろう)

 南方熊楠は昭和天皇について、「普通の家に生まれていらしたら、大変な学者になられたやろうにと、残念がっていた」といっていた、と娘が回想している。南方熊楠は昭和16年(1941年)に没し、昭和天皇も好きな生物学研究に専念できるような時代状況にはなく、日本の粘菌学は大きく遅れをとるにといとなった、というのはまことに残念であった。

 理科少年であった私は、生物学者としての昭和天皇には少年時代から大いなる尊敬の念を抱いてきただけに、何やら感慨深いものを感じる。

 英国のジェントルマンシップに大いに感化され、戦前はたいへんゴルフに凝っていた昭和天皇は皇居にコースを作らせてよくプレーされていたらしいのだが、ある時きっぱりとゴルフをやめ、皇居内をいっさい人間の手をくわえさせずに、草木がはえるままにされたという話を、だいぶ昔に読売新聞の連載で読んだ記憶がある。これが現在の皇居の森である。南方熊楠とのかかわりはわからないが。

 明治神宮の森ともども、あと100年もすれば、さらに原始の状態に近い森になっていくことだろう。100年後は生きて確かめられないのが残念だが。







<関連サイト>

南方熊楠顕彰会(公式サイト)
・・「南方熊楠邸の保存管理と南方熊楠の学業の成果を顕彰」

南方熊楠顕彰館の概要(公式サイト)




Heather Barnett: What humans can learn from semi-intelligent slime (TED Talks, Filmed Jun 2014 · Posted Jul 2014)
・・粘菌(slime)の知的行動について生物学者がプレゼンテーション(音声英語、日本語字幕あり)

南方熊楠、生誕150周年 日本に実在した「知の妖怪」 (荒俣宏、朝日新聞書評サイト 2017年5月7日)

(2014年9月11日、2017年5月17日 情報追加)





<ブログ内関連記事>

『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く』(植島啓司)-「屋久島」と対比しながら読んでみる
・・南方熊楠の熊野

書評 『聖地の想像力-なぜ人は聖地をめざすのか-』(植島啓司、集英社新書、2000)

書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み

書評 『日本の文脈』(内田樹/中沢新一、角川書店、2012)-「辺境日本」に生きる日本人が「3-11」後に生きる道とは?

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』

書評 『異端力のススメ-破天荒でセクシーな凄いこいつら-』(島地勝彦、光文社文庫、2012)-「常識に染まらず、己の道を行く」怪物たちの生き様
・・南方熊楠と小室直樹が取り上げられている

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)
・・真言宗智山派の成田山新勝寺で断食修行を行ったわたしの手記

経営計画の策定と実行は、「自力」と「他力」という仏教の考えをあてはめるとスムーズにいく

「無計画の計画」?

「植物学者 牧野富太郎の足跡と今(日本の科学者技術者シリーズ第10回)を国立科学博物館」(東京・上野)にいってきた
・・土佐の牧野富太郎もまた植物に魂を奪われた無学歴の「知の巨人」


PS. 読みやすくするために改行を増やし、一部のセンテンスを太ゴチック化、関連資料も整備した。なお内容については、執筆時点の考えの表明であるので、いっさい書き換えは行っていない(2013年10月31日 記す) 

さらに写真を増やしてビジュアル化を図り、必要なリンクを本文中のセンテンスに張った(2014年9月11日 記す)。






(2012年7月3日発売の拙著です)








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2009年5月21日木曜日

スワイン・フルー-パンデミック、すなわち感染症の爆発的拡大における「コトバ狩り」について


 ワイン・ブルーではない。スワイン・フルーです。

 ローマ字で書けば Swine Flu とつづる。Swine Influenza の略、すなわち豚インフルエンザのことである。

 Swine が豚を表す古語であるためか、音声として耳で聞く限り決して悪い響きではない。ちなみに鳥インフルエンザは bird flu という。
 
 ついに昨日(20日)には東京都内でも発症者発生か・・

 墓参りを兼ねて京都で友達と飲もうかな、などと考えていたが無期延期か・・・なんてこと考えること自体すでにナンセンスだな。ニューヨーク帰りの高校生が発病しなかったとしても、京都から新幹線で2時間ちょっと、景気が悪くて人の行き来が減っているとはいえ、時間の問題であったといえる。
 東京都内でもすでにマスクの品切れが始まっている。子供の頃に体験した石油ショック時のトイレットペーパー買占め事件を思い出すねー。
 日本中のどこかにマスクは滞留してるはずなので、全国でチェーン展開しているドラッグストアなら在庫情報はリアルタイムでわかるはず。マスクに対する総需要に対して総供給量は決して不足していないはずである。

 結局これはディストリビューションとロジスティクスの問題なのだ。ノーベル賞受賞の経済学者アマルティア・センが指摘する自然災害発生時における大量飢餓発生の問題とメカニズムは同じだろう。緊急食料援助がなされても、必要とする人々に効果的、効率的に行き届かない・・・
 
 パンデミック、すなわち感染症の爆発的拡大のことについて、時代を大幅に遡って考えてみてみよう。

 歴史学のぜミナールに所属し、ヨーロッパ中世史で卒論書いた私にとって、パンデミックといえばなんといっても「黒死病」である。ペストのことだ。
 黒死病が猛威をふるった時代に発生したユダヤ人虐殺が、ヨーロッパにおけるホロコーストの原型になったことは、歴史に詳しければご存じだろう。

 時代は下るが、英国の小説家ダニエル・デフォー(Daniel Defoe)には、そのものずばりのタイトル 『ペスト』 という小説がある。原題は、The Journal of the Plague Year (1722)、1665年に大流行したロンドンのペストの記録文学である。
 内容はさすが『ロビンソン・クルーソー』の作者だけある。17世紀ロンドンを襲ったペストの被害を、死亡者にかんする統計データをこれでもかこれでもかと出し、かつ即物的に、実に細かく描写した知られざる作品だ。ナマナマしい印象が読後感として残る。平井正穂訳で中公文庫から出ていたので大学時代に読んだのだが、残念ながら現在は在庫切れのままである。パンデミックが「いまここにある危機」なんだから、復刊すればいいのにね。

 また、19世紀米国の文学者エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe :これにあやかって江戸川乱歩というペンネームが考案された)には、『赤死病の仮面』(The Masque of the Red Death)という、実に恐ろしい短編ホラー小説がある。
 赤死病とは、黒死病をもじって創作した架空の伝染病なのだが、E.A. ポーのイマジネーションとリアルな描写力が強く印象に残る作品だ。
 舞台設定は中世ヨーロッパ、パンデミックで死者が大量発生した状況下、浮世の憂さを晴らすため、プリンスが健康な男女の友人多数を、外部から完全にシャットアウトした城砦に集めて引きこもり、連日飲めや歌えのどんちゃん騒ぎを続けていたある日、仮面舞踏会(マスカレード)の最中・・・・。
 短い作品なので、ぜひ文庫本で読んでください。著作権は切れてるので、英語原文ならネットで公開されています。

 最後に「コトバ狩り」について苦言を。

 最近のメディアでは、いつからか特定しにくいが、「豚インフルエンザ」を知らないうちに「新型インフルエンザ」と言い換えていることに、本日ふと気がついた。

 かつて大きな話題になった「狂牛病」も、知らないうちに「BSE」などという何の略語かわからない専門用語にとってかわられてしまっている。発音しにくいし、一般人には何のことかさっぱりわからない。

 ところが、英語圏ではいまだに、mad cow disease といい続けている。読んで字の如く狂牛病である。フラフラになって倒れた牛の映像が、このネーミングのリアリティを担保していたのではなかったのか? 冒頭に書いたように、今回流行しているインフルエンザも同様に Swine Flu(豚インフルエンザ) のままだ。

 「豚インフルエンザ」という表現が消えたのはなぜだ?? 

 豚肉食べてもまったく関係ないのにかかわらず、食肉業界からロビー活動でもあったのか、それともマスコミによる自主規制か? イスラーム圏のエジプトで少数派であるコプト教徒(キリスト教)が飼育する豚が大量処分されたからか? 
 発生源が鳥ではなく豚だった、ということが今回のインフルエンザの重要なポイントなのに・・・本当に怖いのは鳥インフルエンザなのに、すでにパンデミックは今回でおしまいと勘違いしてしまわないのか?
 
 日本は、本当におかしな国になってしまっている。

 作家の筒井康隆が過剰なコトバ狩りに抗議して「断筆宣言」したことなど、もうとうの昔に日本人の記憶から消えているのだろうか。なぜ現実から目をそらすのだ、いや目をそらさせるのだ?

 何か不透明なものを感じるのは私だけなのだろうか?





<付記>

ダニエル・デフォーの『ペスト』が中公文庫から改版として復刊されるようだ。時宜を得た復刊は歓迎だ(2009年7月18日記す)。





<ブログ内関連記事>

大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・

                         
P.S. 2011年11月12日にタイトルを改題して、行替えを行い加筆した。

「TPP」 という 「めくらましコトバ」 にご用心!

(2015年10月2日 情報追加)




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2009年5月20日水曜日

書評 『プーチンと柔道の心』(V・プーチン/ V・シェスタコフ/A・レヴィツキー、山下泰裕/小林和男=編、朝日新聞出版、2009)




やっと日本語版がでたか、そういう思いである。もしプーチンが首相という形で最高権力者として残らなかったら、本書出版企画は流れたことであろう。

 「プーチン大統領(当時)が柔道の本を書いた!」、そういう噂は2002年頃、ニュース配信されていたので覚えている。翻訳してほしいものだ、と思っていたがその件はすっかり忘れていた。

 ロシアの大統領が柔道をたしなんでいる、しかしそれは決して不思議なことではない。
 私は、仕事の関係で1998年に仕事で合計3週間ロシアにいったときにさまざまな話を見聞しているが、ロシアでは柔道、剣道のみならず、合気道、空手も広く愛好されている。ただし、空手は危険だというので、ソ連時代は禁止されていたという話をロシア人の空手愛好家から聞いた。

 日本武道を通じて、日本的な礼儀作法とその精神が、日本人が思っている以上に浸透していると考えるべきだろう。日露関係は相思相愛ではないが、もしかするとロシア側の片思いの関係なのかもしれない。エリツィン大統領時代に来日したキリエンコ首相(当時)は、趣味はアメリカンポップスと剣道、合気道、とのことであった。

 それにしてもプーチン首相(前大統領)という国家の最高指導者が、日本の武道を少年時代から本格的にたしなんできたというのは、実にうれしいことではないか。そしてまた、日本の至宝、「世界の山下」とも非常に親しい、これもまたうれしいことだ。

 本書を読むに当たってはまず、山下泰裕氏による解説、元NHKモスクワ支局長の小林和男氏によるプーチン本人と、柔道の師匠へのインタビューを読むことを奨める。その上で、抄訳された本文を読むと、本書が単なる柔道の実技解説本ではないことが実感されるはずだ。柔道の歴史に始り、道着についての解説、礼に始って礼に終わる心など、本格的な柔道入門書になっているのだ。

 過度の競技スポーツ化により、「勝ちさえすればいい」という堕落が目に余る昨今の国際柔道界であるが、本書のような日本武道の精神面にまで踏み込んだ柔道書で指導されたロシア柔道界は、数少ない希望といえるかもない。

 また、であるからこそ、プーチンという政治家は侮れないのである。柔道を通じての人格陶冶、これは決して古臭い考えでも何でもない。プーチンは「大切なことはすべて柔道から学んだ」と述懐している。私自身、合気道を通じて同様な感想を抱いているので大いに共感できるものがある。

 2003年に行われた小林和男氏によるインタビュー後記にこうある。

「報道官はますます私たちを急かす。それもそのはずだった。私の後には中国の胡錦濤総書記が初めてのロシア公式訪問でプーチン大統領と会談する予定になっていたのだ。中国との首脳会談の時間を押してまで柔道の話を続けるプーチン大統領の柔道への思いは・・(以下略)・・」。

 この文章にすべてが言い尽くされているといえよう。



*この書評は下記のインターネット書店サイトに投稿、すでに掲載済みです。

■bk1掲載:「やっと日本語版がでたか・・」(2009/05/19 掲載)
■amazon 掲載: 「やっと日本語版がでたか・・」(2009/05/20 掲載)

           



              

2009年5月19日火曜日

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ


 「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 恵みの居場所をつくる」(William Merrell Vories as an Architect)という展覧会に足を運んできた。巡回展(2009年4月4日~6月21日)で、東京では汐留のパナソニック電工(旧松下電工)本社のショールームに併設されたミュージアムで開催されている。

 ヴォーリズの建築物は、かなりの数が日本各地に残されており、本拠地であった近江八幡、軽井沢以外にも、大阪では「大丸心斎橋店」、東京ではお茶の水の「山の上ホテル」「明治学院大学の礼拝堂」などが残されている。ミッションスクール、教会堂、個人の洋風住宅なども数多い。

 そもそも建築物はその場所に自分の足で行き、自部の目で見て、そして触ってみないと、さらにいえば、その中に住んだり、利用しないと本当にはその良さはわからないものだが、展覧会という形で写真パネルと解説文を読み、模型を見るだけでも意味のあることだろう。

 今回の展覧会では、一般住宅が復元展示されており、実際に中に入る体験をすることができたのは幸いであった。また何よりも、ネット含め一般書店ではなかなか入手しにくい資料が何点か入手できたことは収穫である。展覧会とはいえ「現場」である。現場にいく意味は大きい。


建築家ヴォリーズは、メンソレータム(現在はメンターム)の創業者でもあったキリスト教伝道者

 もともとウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories:1880-1964)という人は、キリスト教伝道(=ミッション)を志し、琵琶湖東岸の近江八幡という地方都市に単身やってきたアメリカ青年であった。

 コロラド大学在学中、建築家になる夢をかなえるために MIT(=Massachusetts Institute of Technology)に転学するはずだったのだが、トロントで開催された会議で、中国ミッションの困難と苦難に関する講演を聴いている最中、キリストの姿(=ビジョン)を幻視し、キリストから直接語りかけられたという劇的な回心を体験し、キリスト教の海外伝道という自らの使命(=ミッション)に目覚めた結果、建築家になる夢をあきらめ、後ろ盾もなく身一つで英語教師として日本に渡ったのである。自伝である『失敗者の自叙伝』にはそう書かれている(・・この自伝については後述)。

 YMCA運動から出発したヴォーリズは宣教師ではなく、既存の教団という後ろ盾がなかったため、まったくの無一文から自力でキリスト教伝道とビジネスという二つの事業を始めたということが重要だ。

 英語教師を解任されたことが建築設計監督の仕事を始めた直接のきっかけになっているが、その時役にたったのがアマチュアながら続けていた建築学へのかかわりであった。

 そもそもがキリスト教伝道のための活動資金を作るための事業活動であり、知的作業である設計料は正当な報酬としていっさい値引きすることなく要求したという。

 「信仰と商売の両立」を理念として掲げたヴォーリズならではである。日本人でも、内村鑑三が『後世への最大遺物』という講演で、ほぼ同じようなことを主張している。

 家庭用の塗り薬メンソレータム(・・現在の商品名はメンターム)を中軸に大いに繁盛し、後に近江兄弟社となった事業は、税引き後利益の大半をもってさまざまな社会事業(学校、病院その他)の形で地域に還元していった。

 儲けても本人はいっさい自ら所有はせず、ほぼすべて社会に還元していったという意味において、社会起業家(social entrepreneur)のさきがけといえるだろう。

 とはいえ、創業者の精神がいつまで保てるかということは難しいところである。実際、ヴォーリズの死後、近江兄弟社は1974年、石油ショック後に一度倒産を経験、再建して今日に至るという痛い経験をしている。「信仰と商売」の両立は決して容易ではない

 ヴォーリズについて初めて知ったのは、荒俣宏の『開化異国助っ人奮戦記』(小学館ライブラリー、1993)であった。荒俣は、一章をヴォリーズに割いて紹介している。この本を読んで以来、自分にとってヴォーリズは気になる人物の一人となった。


「信仰と商売の両立」の実践した起業家たち-精密測定機器メーカー・ミツトヨと仏教伝道事業

 同じようなケースが、他にも日本にはないだろうかと思ってかなり前に調べてみたことがある。キリスト教ではピーナッツバターのソントン、仏教では精密計測機器のミツトヨなどがあることがわかった。

 塗り薬のメンソレ(現在の商品名はメンターム)やピーナッツバターは一般消費財だから知らない人はいないだろうが、ミツトヨノギスなど精密測定機器の老舗メーカーで、機械工業にいれば知らぬ人間はいない。

 ミツトヨの創業者・沼田惠範(ぬまた・けいはん)は、もともと米国での仏教布教のため西本願寺から派遣された開教師であった。カリフォルニア大学バークレー校を卒業後にい日本に帰国、人を押しのけることはきらいだという仏教精神のもと、きわめて高い精度が求められるため開発が困難で、参入障壁が高かった精密測定機器という分野で起業したことがあいまって成功し、世界トップシェアを誇る事業に成長させた。

 創業者は初心を貫くべく、戦後に仏教伝道協会を設立、『仏教聖典』各国語版を無償で配布している。よく出張する人であれば、ビジネスホテルの引出しに、『ギデオン協会の聖書』だけでなく、オレンジ色の表紙の『仏教聖典』が入っていることはよくご存じであろう。

 しかしながらミツトヨも創業者の死後、企業倫理に反する行為で信用を失墜したことは記憶に新しい。

 余談だが、芝公園の仏教伝道協会ビル二階にある「菩提樹は中国素菜料理(Chinese vegetarian)専門店」で、すべての素材にいっさい肉を使用せず形をつくりあげているのがすごい。もちろん味も良い。タイの華人系市民で熱心な人は、少なくとも年に一回は齊(ジェー)という形でベジタリアンライフを送る。この話についてはまた別途書く予定。

 機械産業に従事するみなさん、以上の事実を知っていて毎日ノギス使って測定してるのかな? 「アタマの引き出し」のなかにいれておいてください。


洋風一般建築とモノに込められたキリスト教精神-日本近代のライフスタイル変化と見えざるキリスト教

 閑話休題、ヴォーリズに戻るが、彼は「洋風一般住宅」の設計も多数行っている。

 彼はその著書の中で、食事スペースと寝室スペースだけでは住宅とはいえず、居間(リビングルーム)がないとだめだ、キリスト教精神に基づいた暮らしはそうした住宅で行われるべきだ、と考えていたことを記している。

 このことから、建築設計もまた伝道の一手段であったことがわかる。とはいえ、教会堂やミッショスクールの校舎とは違って、一般住宅にはキリスト教はダイレクトには表現されてはいない
 
 これに関連して、かつて私は大学の卒業論文の序論で以下のように書いている。

モノに込められた精神、あるいは知らないうちに入り込んで背景となっている精神、心性といったものには(・・意識しない限り、あるいはたとえ意識していても)盲目同然である。したがって、われわれは知らないうちにキリスト教精神、特にプロテスタンティズムの中にどっぷりと浸かっていながらそれに気づかず、またそれを解読する手段も持ち合わせていない・・(以下略)・・ 

(出典:『中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活』、拙稿、1985年3月)

 つまり「生活様式の洋風化」とは、好むと好まざるにかかわらず、目に見えないアメリカ化、すなわち宗教なきプロテスタンティズム化なのである。

 1990年から2年間、M.B.A>取得のために米国留学した際、日本から持参したマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(通称プロリン)は繰り返し再読してみたが、アメリカ資本主義がプロテスタンティズムとかなり親和性の高いことは、現地で強く実感したものである。

(教会建築に似た大阪の大丸心斎橋店もヴォーリズの作品 筆者撮影)

 キリスト教が解禁されてから約125年、日本における仏教の衰退は生活習慣の洋風化を通じて、敗戦後は圧倒的なアメリカナイズ、とくに高度成長以降の前近代的要素の払拭を通じて、知らず知らずのうちに達成されたというべきであろう。ヴォーリズの洋風建築は先導役の一つとなったといえる。

 消費社会化が急速に進展し、グローバル資本主義に完全に巻き込まれているタイでも同様の現象が観察できる。大都市である首都バンコクの中流階級以上の市民の間では、モノを通じてアメリカ風ライフスタイル(American Way of Life)が急速に普及しつつある。

 実際、バンコクでは仏教に見切りをつけてキリスト教に改宗するタイ人も少なからずいることは、目に見える形での現れであろう。どうも資本主義≒物質主義≒アメリカ≒プロテスタンティズムの傾向は否定できないのではないか?実証するのは難しいが。

 「仏教と資本主義は両立可能か?」という公開討論会が昨年(=2008年)バンコクで行われている残念ながら両立不可能、という結論が無情にも出たのだが、この論点については、あらためてじっくり考えてみたい。

 私自身はキリスト教の中でもプロテスタンティズムには正直言って親近感を感じないが、現代人として日本の大都市、とくに東京に生きるということは、無意識のうちにプロテスタンティズム的時空間の中で生きている、ということになっているわけなのだ。この流れが不可逆なものでないことを願うが、しかし後戻りはもはや不可能かもしれない。

 もっとも、わたしも日本人仏教徒(・・ぜんぜん熱心ではないが)だからといって、畳の生活に戻りたいとは思わないのも正直なところだ。高度成長以前の「貧しくても幸せ」な時代にノスタルジーは感じても、実際にそういう生活を送りたいわけではない。

 資本主義がもたらす過度の合理主義、そしてまた傲慢をいかに回避しうるか。問題設定はできても、最適解を見つけるのは難しい。


『失敗者の自叙伝』というタイトルに込められた「成功者」の思いとは?

 ヴォーリズは日本語で、『失敗者の自叙伝』(近江兄弟社、初版1970、第三版2000)という未完におわった自伝を書いている。今回の展覧会場で入手した本だが、「成功本」ばかりがあふれかえっている現在の日本ではきわめて珍しいタイトルだ。

 客観的に見て成功者であるヴォーリズが、自らの生涯を「失敗者」と位置付けている。自分の死後10年後の近江兄弟社の倒産を予見していたわけではあるまいが、なんとも意味深長なネーミングである。

 アメリカ人にもこのような「(神の前ではつねに)謙虚な姿勢」の人がいたこと、いや現在でもいることは知っておくべきであろう。

 これは社会起業家としての、いやほんものの宗教者がもつ、本来的にきわめてすぐれた態度である。それがキリスト教であろうとなかろうと。



<参考文献>

『失敗者の自叙伝』(一柳米来留=メレル・ヴォーリズ、近江兄弟社、1970 2008年第三版)
『ヴォーリズ建築の100年-恵みの居場所をつくる-』(山形政明=監修、創元社、2008)
・・展覧回のカタログも兼ねている
『青い眼の近江商人 メレル・ヴォーリズ-「信仰と商売の両立の実践」を目指して-』(岩原 侑、文芸社、1997)
・・近江兄弟社の社長が書いたヴォーリズ伝







<関連サイト>

ヴォーリズ記念館(財団法人近江兄弟社)
・・財団法人近江兄弟社(メンタームの会社の財団)のウェブサイト

近江兄弟社メンターム
青い眼の近江商人ヴォリーズ

一粒社ヴォーリズ建築事務所ホームページ
・・ヴォーリズの建築事務所のウェブサイト

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
・・社団法人近江八幡観光物産協会のウェブサイト

株式会社 ミツトヨ : 精密測定機器の総合メーカー
・・「仏教伝道の支援を通じて人々の幸福に寄与する」が理念の会社

財団法人 仏教伝道協会
財団法人 仏教伝道協会 発願者 沼田惠範について





* 文意を明確にし、読みやすくするために、行替えを行うなどのほか、加筆修正を行って手を入れたほか、リンクの差し替えと大幅増補を行った(2011年5月18日)


<ブログ内関連記事>

建築家関係

「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)
・・ピンクの色調が特徴のメキシコの建築家

『連戦連敗』(安藤忠雄、東京大学出版会、2001) は、2010年度の「文化勲章」を授与された世界的建築家が、かつて学生たちに向けて語った珠玉のコトバの集成としての一冊でもある

本の紹介 『建築家 安藤忠雄』(安藤忠雄、新潮社、2008)
・・いわずとしれた世界的建築家。ヴォーリズとは対照的に、饒舌な人である

「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)に立ち寄ってきた


キリスト教の「回心」体験

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)
・・アッシジのフランッチェスコも壊れた教会建物の再建をつうじて、自らの手で「建築家」としての仕事もそている


社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!

書評 『チェンジメーカー-社会起業家が世の中を変える-』(渡邊奈々、日本経済新聞社、2005)
・・シャーシャルビジネスの事例

書評 『ブルー・セーター-引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語-』(ジャクリーン・ノヴォグラッツ、北村陽子訳、英治出版、2010)
・・"Patient Capital" というソーシャルファンドについて

書評 『『薔薇族』編集長』(伊藤文学、幻冬舎アウトロー文庫、2006)-「意図せざる社会起業家」による「市場発見」と「市場創造」の回想録-


資本家とフィランスロピー

内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場からする「実学」と「実践」の重要性を説いた名講演である
・・「この講演のなかでは、アメリカ的な慈善(=フィランソロピー)のためにカネを設けるということを美徳として評価もしていることに注目すべき」


両立の難しさと葛藤を超えての創造

書評 『叙情と闘争-辻井喬*堤清二回顧録-』(辻井 喬、中央公論新社、2009)-経営者と詩人のあいだにある"職業と感性の同一性障害とでも指摘すべきズレ"


中国素菜料理

タイのあれこれ(9)-華人系タイ人の"キンジェー"(齋)について 

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2009年5月18日月曜日

味噌を肴に酒を飲む


 酒席の話題である。 

 「『徒然草』に味噌を肴に酒を飲むという話があるが知ってるか?、高校の古文の教科書に載っていたぞ」、とある酒席で話題にしたら、同席していた飲み友達たちはそんなこと覚えてない、という。少し前の話であるが、いやあまったくどうしようもないねー(笑い) 古文は受験とともに去りぬ、かい?

 まあ高校時代、「日本古典文学少年」といわれた私のことだから覚えているのかもしれないが、とはいえ教科書はとうの昔に処分してしまったので確かめようもない。

 彼らの蒙をひらいてやるために、ここでひとつ出典をキチンと示しておいてやろう。参考にしたまえ。


 第二百十五段

 平 宣時(たいらののぶとき)朝臣、老いの後、昔語(むかしがたり)に、「最明寺入道、或宵の間に呼ばるゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂(ひたたれ)のなくて、とかくせし程に、また、使(つかい)来りて、『直垂などの候はぬにや。夜なれば、異樣(ことよう)なりとも、疾く』とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのまゝにて罷(まか)りたりしに、銚子に土器(かはらけ)取り添へて持て出でて、『この酒をひとりたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴こそなけれ。人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、紙燭(しそく)さして、隈々(くまぐま)を求めし程に、台所の棚に、小土器に味噌の少し附きたるを見出でて、『これぞ求め得て候ふ』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく數獻(すこん)に及びて、興に入られ侍りき。その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。
 出典:『新訂 徒然草』(西尾実・安良岡康作校注、岩波文庫、1985)


(現代語訳)
 平 宣時朝臣(大仏宣時)が、老後の述懐談に、最明寺入道北条時頼からある宵の口に召されたことがあったが、「すぐさま」と答えておいて直垂(ひたたれ=武士の平服)が見えないのでぐずぐずしていると、また、使者が来て「直垂でもないのですが、夜分のことではあり、身なりなどかまいませんから早く」とのことであったから、よれよれの直垂のふだん着のままで行ったところ、入道はお銚子に土器を取りそろえて出て来て「これをひとりで飲むのが物足りないので、来てくださいと申したのです。肴がありませんが、もう家のものは寝たでしょう。適当なものはありますまいか、存分に探してください」と言われたので、紙燭(ロウソクがわりの一種のたいまつ)をつけて隅々まで探したところが、台所の棚に、小土器に味噌の少しのせてあったのを見つけて「こんあものがありましたが」と言うと、「それでけっこう」と、それを肴に愉快に数杯を傾け合って興に入られた。その当時はこんな質素なものであったと申された。
 出典:『現代語訳 徒然草』(吉田兼好作、佐藤春夫訳、河出文庫、2004、原版1976)



 飲み屋で、もろきゅう(=もろみ味噌をつけた生きゅうり)を肴に日本酒飲むと旨い。現代語訳を行った佐藤春夫の解釈とは違って、味噌で酒を飲むのはけっして質素なことではない、と思う。

 もっとも、一般庶民とは違って、鎌倉幕府第五代執権という時の最高権力者にまつわる話だけに、兼好法師も記すに値すると思ったのだろう。

 徒然草は、大人になってから、とくに中年以降に読むと面白い。






<ブログ内関連記事>

in vino veritas (酒に真理あり)-酒にまつわるブログ記事 <総集編>

「家の作りやうは、夏をむねとすべし」 (徒然草)-「脱・電気依存症文明のために顧みるべきこと ・・第五十五段

「目には青葉 山ほととぎず 初かつを」 -五感をフルに満足させる旬のアイテムが列挙された一句 ・・第百十九段

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (1) こんなうまい食事は滅多にない
・・断食後の食事のうまさ。重湯と梅干し、そして焼き味噌

P.S. 写真を挿入し、一部加筆と情報の追加を行った。(2011年10月23日)

『選択の人 法然上人』(横山まさみち=漫画、阿川文正=監修、浄土宗出版、1998)を読んでみた
・・法然好きの佐藤春夫の『徒然草』の現代語訳から法然が念仏について語る一節

詩人・佐藤春夫が、おなじく詩人・永井荷風を描いた評伝 『小説 永井荷風伝』(佐藤春夫、岩波文庫、2009 初版 1960)を読む

(2014年1月10日、9月1日、2015年1月30日 情報追加)





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