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2010年3月5日金曜日

1980年代に出版された、日本女性の手になる二冊の「スイス本」・・・犬養道子の『私のスイス』 と 八木あき子の 『二十世紀の迷信 理想国家スイス』・・・を振り返っておこう

      
                          
 1980年代に出版された日本女性の手になる二冊の「スイス本」に触れないわけにはいかないだろう。ともに観光ガイドブックではない、著者自らがどっぷり浸かってはじめて書き得たスイス本である。

 それは、『私のスイス』(犬養道子、中公文庫、1988 初版 1982)『二十世紀の迷信 理想国家スイス』(八木あき子、1980)の二冊。


 前者の『私のスイス』(犬養道子、中公文庫、1988 初版 1982)は、最近ではあまり活躍を耳にすることも少なくなった犬養道子氏によるもの。中公文庫でシリーズといえるくらいラインナップがそろっていたのだが、いまでは在庫は一冊もない。犬養道子は、五・一五事件で暗殺された政治家・犬養毅の孫娘である。1921年生まれで現在も健在である。

 後者の『二十世紀の迷信 理想国家スイス』(八木あき子、1980)は、当時まだまだ世の中に流布していた「理想国家スイス」への異議申し立てである。八木あき子は、昭和2年(1927年)生まれ、1960年に33歳で渡欧して、スイスで家族と共に暮らす体験をしていたジャーナリストである。1991年に亡くなっている。

 この2冊は、まだまだ日本人がヨーロッパの本質を理解していなかった頃に、ヨーロッパ体験をした人たちである。

 犬養道子は「女ひとり」、アミーバ赤痢の療養のために滞在した高地スイスにとりつかれて10年の知識人、八木あき子は出版当時、滞欧20年になる、ジャーナリストで放送作家、そして夫と息子2人と一緒に7年間をスイスで過ごした主婦でもある。

 こういう違いはあるが、観光客でも出張者でもなく、現地社会のただなかに入って、ヨーロッパを直接体験した人たちである。

 ここに書いておかねばならないのは、スイスでは女性参政権が認められたのが、なんと1970年!。この事実を知ったのは、確か高校時代だったと思うが、日本に遅れることなんと45年、カントン(州)によっては1991年!なんてこともあるのがスイスだ。

 この2冊が出版された時代を考慮に入れる必要があることはいうまでもない。



八木あき子の『二十世紀の迷信 理想国家スイス』は大学時代、古書店で何度も立ち読みして大きな衝撃を受けた本である。その時の印象が強いので、どうしてもスイスについてはやや批判的に見るクセがついてしまった。

 5年前にふと思い出してネット古書店で取り寄せて読んでみたところ、これが無性に面白い。

 息子が現地人少年たちの暴行によって重傷を負わされるという体験をしながらも、客観性を失うまいとした筆致には、大いに感心しながら読まされるものがあった。

 著者が批判的に見たスイスも、裏返せばそれはスイス人の特性でもあり、強みともなっている。その意味で、この本は読む価値がある本だといえる。

 「私には、スイスの体質はあわなかった。そして永住するようには定められてなかったので、スイスに骨を埋めようと思っている人々とは別の眼で、あの国を見ることが出来たと思っている」(はしがき)という立場から書かれたものである。

 『二十世紀の迷信 理想国家スイス』(八木あき子、1980)目次

はじめに
1. この国に人らんとする者は・・・
  ユダヤ人夫妻の言葉/絵葉書中の平和な国/レフ氏の受難 
  黒が白になる世界/E医師の不率な事件/人間を凍らせる風土
2. ペスタロッチの涙
  水準の低い初等教育/勉強より労働/この国の実践教育とは 
  若者を傭兵にしてきた歴史/忘れられた教育者 
  ラテン語の時閑をチェスに
3. 小鬼(ノウム)たちの神様 
  傭兵で産をなした宗教改革者/カルヴァンの目指したもの  
  「私は過ちを犯した」
4. ヨーロッパ真空地帯
  ワグナーもブレヒトも絶望した/男尊女卑の国/パウル・クレーの嘆き 
  スイス人になるためには・・・
5. 「国家イコール我々」(レ・タ・セ・ヌ)という国
  衝撃のゴーカート盗難/おお、三千のゲマインデよ 
  苦渋に満ちた近代化/類まれな寡頭政治/追われる教師たち 
  ナパームを売る永世中立国/国際大企業の非文明的風景 
  家族なき外国人労働者の群れ
6. デモクラシーの彼岸
  世界に冠たる"労働の平和"/ナチスへの協力の日々 
  富める者の天国/貧者は哀し/獅子の論理
7. ジグレ事件が語るもの
  国中を震撼させたべストセラー/個人対巨大システムの戦い 
  暗鬱なエピローグ
 あとがき
 参考文献


一方、犬養道子の『私のスイス』は、実は最近読んだばかりである。文庫本で400ページ近い大作である。

 『スイス探訪』の著者である國松孝次が、参考書としてあげている本であり、じっさい目を通してみたら、非常に深い内容の本である。

 さすが、フランスで聖書学を専攻したカトリックとしての教養と、ものを見る目の確かさがミックスされた素晴らしい作品になっている。たとえば、スイス人の心性をカルヴィニズムですべて説明してしまうような単純化はいっさいない。

 米国という連邦国家を20歳台で経験し、キリスト教徒であるという著者の履歴が、米国よりもさらに複雑なスイスという連邦国家を「理解の方向付け」(P.26)をしたと著者は述べている。

 健全な批判精神を失わずに書かれたこの本は、けっして礼賛本ではない。だから読む価値があるのだ。

 スイスの全体像を知るには必読書といえよう。

 『私のスイス』(犬養道子、中公文庫、1988 初版 1982)目次

プロローグ
西南の谷
アルプスと谷
 氷の上
共同体(ゲマインデ)
 道案内
東の谷
 アルプスの湖
峠ありき
 ロスワルド
スイス誕生
 パラディッソ
谷と傭兵そして金
 スイスの投票
貧から富へ
 マッターホルン東
特色いくつか
 スイス効率ナンバーワン
エンガディンにて
 頂上(ピツ・ランガード)
ベルン・水そして山
 四七四七四七
 インターナショナルな役割と性格
 あまり知られぬ楽しみの手引き
 参考文献


 ともに絶版品切れになったままなのは実に惜しい本だ。しかし、少なくとも八木あき子の本はまず再版されることはないだろう。ヨーロッパの本質を知る上で、『5千万人のヒトラーがいた』(文藝春秋社、1983)とともにぜひ読むべき本だと思うのだが・・・。

 せめて犬養道子の『私のスイス』は、できれば何らかの形で復刊してもらいたいものだ。それもアップデートな情報を注釈の形でつけて、詳しい解説つきで。それがムリなら、自分で情報をアップデートしながら読むしかない。

 スイスという存在の本質を寄り深いレベルで理解するためには必読書といってもよい。名門家系の出身ではあるが、日本経済新聞の支局長や元警察庁長官のキャリアをもつスイス大使といった、身分保障された知的エリート男性ではない。こうした恵まれているが、限定された世界にいる人たちの視野にはすくい上げられない、洞察力の裏付けのある、実に貴重な観察の記録であるからだ。


 両者からいくつか抜粋してみたいと思う。なかなか鋭い視点の内容には、たいへん感心させらるものがあるからだ。

 「複眼的思考」のためには、複数の見解を知った上で、自分自身の考えをまとめる必要がある。批判に耳を傾けず、独善的な発想と発言をしていてはポジティブとはいえないだろう。


 『二十世紀の迷信 理想国家スイス』(八木あき子、1980)より

ともかく、この国の苛酷な自然現象、特にフェーンが、肉体のみならず精神面、主として植物性神経系統にも悪影響をもたらすことは統計に示されている。ノイローゼ、いらいら、不眠症、被害妄想、発狂、犯罪、自殺などの発生率が、ヨーロッパ諸国の平均をはるかに上回っているのである。(p.18)

ペスタロッチの著書を繙(ひもと)いてまずびっくりさせられるのは、「獣」のつく言葉、例えば獣的感覚、獣的力、獣的本能などが、人間という言葉、すなわち、人間性、人間的尊厳といった具合に使われる言葉と、ほとんどいつも並んで出て来ることである。彼は、あらゆる人間の根底に潜む自然性として、動かすことのできない動物性の存在することを観察した。虐げられた階級、権力者、強き者、賢者、愚者を問わず、それらすべてをひっくるめて、彼にとって人間とはまず「獣」であった。(P.58)

 さて、現代スイスの教育賃住着たちにとってペスタロッチは、何者であろうか?
冷い谷間(たにあい)の民族にとって、ペスタロッッチの理想は無用だったとしても、彼はその存在によってスイスの名を高からしめた人物である。スイス人たちは、世界的評価を受けたペスタロッチを、否応なしに無視し得ない立場にある。とはいえ、所詮、功利的なケルト系へルヴェチア人の中で、ラテン系の情熱的な彼は異質であった。・・(中略)・・ペスタロッチは、貧農の子供や孤児たちに手仕事などを教えつつ、あの困窮な時代に即した、いわゆる実践教育を行なったが、現代のスイスでは、そういった彼の教育理念がたちまち実利主義にショートする。(P.65)

 スイスへ移住してからの私たちは、何とか近隣の人々と仲好くしたいと努めた。
 どれほどかの日を重ねて、やっと言葉を交せるまでになった一人の若い婦人が現われたが、その人がある時ふっと次のように、スイス人について漏らしていた。
「私たちは、スイス人同士であっても,決して芯から打ち解けることはないのですよ。といっても、貴方方にはお分りにならないでしょうね。スイス人というのは、どんなことに対しても極度に用心するのです。それは、この国ではお互いがいつも観察し、され合っているので、そういった潜在意識が働く結果かも知れません」(p.69)

 このように国土が細分割されているので、それぞれの市町村自治組合は隅々まで目が届き、例えば、外人居住者に対しても、その一挙手一投足の監視も可能になるわけだ。
 ゲマインデの自治権はスイス連邦の憲法によって保証されているが、ゲマインデそれ自体が内部の事件処理を行うために、独立した裁判権まで委ねられている。ゲマインデを実際に動かしている者は、その土地の実力者と称するボスや富豪であり、このような単位を抱えるスイスは単一の独立国といえども、そのシステムは中世封建制度の域を出ず、一方、何種かの部族を包含した原始社会的な性格を帯びている。(P.114)

 スイス連邦共和国の基本的構成の要素として、底の方にゲマインデという閉鎖的、排他的な単位が泥沼のように澱んでいて、その上に、一見まったく正反対の性格を持つ、超国家的インターナショナルな企業と金融の支配体制が制圧するようにのしかかっている。
 そして、この二重構造がスイスを掴みどころのない国にしている、という事実だけは、知ることが出来たのである。(P.175)



 『私のスイス』(犬養道子、中公文庫、1988)より

 では、どうして「三州同盟」だけが、ヨーロッパ史上に輝くのか。それは、他のすべての地の盟約や「自治・自由を守るための決起」が、時と共に忘れられ、棄てられ、竜頭蛇尾に終わったのに反し、今のスイス土上のそれのみが、二十世紀の今日まで、初心を貫いて守られ、生きられつづけたから、である。
 世に言う「スイスの奇蹟」はそこにある。
 そこのみにある。(P.175)

 歩いて、見て、感じて、地理というものを踏まえたとき、はじめて歴史は生きた実際としてとらえられるからである。昔のおもかげが、歩く土地に消え果てていてもかまわない。要は、歩くことによって、歴史の(少なくも)三分の一の形成者である自然・地理条件を味わい知ることである。(P.175)

 ではその精神とは何なのか。・・(中略)・・自由と自治への愛である。中世的(分散)発想法と生き方への愛である。その愛ゆえの決意である。そう、スイスは決意の中から生まれた。決意によって生き続け、決意によって未来にも生きようとする。
 そして、この決意を準備した第一のものは、峠であり氷壁であり谷であった。(P.197)

 スイス中立は武装中立、剣による中立である。ゆえにこそ本質的に「男の国」だ。(P.238)

 スイスには、全く不思議なほどに(ゲマインデの存在が大きく物を言う面もあって)ユダヤ金融商は存在しなかったからである。いつの時代にも。(P.242)

 とまれ、銀行・金融機関の誕生が山のはざまや谷の奥の「マスプロの出来ぬ」「大工場の生まれ得ぬ」条件の中で万年雪の流す水などの功徳を受けて育った産業と、過酷な山地で「食えない」ゆえの傭兵がもたらした金に支えられていたことを、ここでもう一度(しつこいようだが)想起する要はある。同じ条件が、銀行・金融(のちには保険・パテント輸出そして多国籍企業)を考える場合にも入って来るから。(P.245)

 保障・保険を「産業」としたい希求のうらには、大工場の大量生産を仮にしたくとも出来ぬ狭土にあって、計算(つまり頭と紙と机)だけを「資源・材料・場所」とすればこと足りる産業は、銀行・金融業同様に、極めてぴったり「スイスの特殊条件」に適うものだという考えもひかえていた。(P.268)

 この勤勉さと前に述べた迅速能率性(加えて金融の才と多国籍企業七つの途方もないスケールの経済網)が一緒になったあげく、スイスは驚くべき統計数字を生み出しつづける。・・(中略)・・勤勉性と効率性は屡屡(しばしば)一体とはなり得ないという一事である。(P.301)

 が、ユダヤ人の存在の非常に小さかった、もっとも大きな説明は、それこそスイス人のエフィシェンシイと金融能力にあったのである。・・(中略)・・ドイツにおいてフランスにおいてロシアにおいてオランダやイタリアやスペインその他において、ユダヤ金融とエフィシェンシイは、おびただしい迫害を呼びながらも、彼らに生きる場を与えていった。
 この生きる場が、スイス国土の上にのみ、みつからなかった。ユダヤ金融能力と才を上回るスイス金融能力と才。ユダヤ・エフィシェンシイを上回るスイス・エフィシェンシイ。ユダヤの勤勉を上回るスイスの勤勉。
 (中略)
 つい最近もアメリカの雑誌のインタビューに答えて、スイスの財界のひとりはこういっている。「われわれの歴史にはついぞ、ユダヤ能力はなかったからね。われわれは歴史を通して、よその土地でユダヤ能力が果たしつづけた仕事をみんな自分でやってしまったのですよ。・・(中略)・・みんな自分でやってしまったのは--そう、われわれが、追い詰められた国民だったからです。ユダヤ人とスイス人では経て来たものは全く違う。しかし、全くちがう意味合いにせよ、追いつめられて、背水の陣を布くより他なかったという点で彼らとわれわれの間には共通点があるのです」(P.311)

 四つの公用語。一州に三つの公用語併存。こうなって来ると、スイス人の、スイス人としての自己確認ないしアイデンティティは、言語にはない、ということになる。国としての文化基盤もまた然り。言語にはない。
 いわんや血液にもない。発想法にもない。
 ・・(中略)・・
 すなわち--決意。加盟。選択。意志。実践。
 スイス人とはそれである。
 ・・(中略)・・
 だから、スイスは歴史的にすでに形成され終えた連邦国であると同時に、連邦形成の各員の意志によっていまもつねに、形成され続けている国、といってもまちがいにはなるまいと私には思われる。(P.332-334)


 と、ここまで、二冊の本から長々と引用を行ってきたが、いっけん正反対にみえる八木あき子と犬養道子なのだが、図らずも同じような感想を漏らしているのが面白い。

 まず、犬養道子の感想から。

 しかし、と、私は考える。この地つづきのイタリアの生みつづけた文化の何と豊かな輝かしさに満たされていることよ、とどのつまり、人間の文化とは強固すぎる規律規制や嘗めたような清潔さや未知不測の余地を残さぬ効率性とは少々べつのところで--比喩的に言うなら埃やちりあくたの残るところで、はじめてのびのびと息づくものではあるまいか・・・・
 イタリアの空を仰いで私は笑った。(P.332-334)


 そして、八木あき子の感想。

 私が"真空地帯"を抜けだし、久しぶりにフィレンツェで味わった悦びというものは、いろいろな時代の足跡や芸術、そこに息づく町、といったものが共鳴し合い、そこはかとなく醸し出している雰囲気に、触発されたものであった。
 人間の最も貴重な遺産というものは、決して、スイス・フランやドルに換算出来る部分のことではない。そういったことを理解できない人は、所詮、私とは同じ水の魚ではない、ということである。(P.199)


 やはり日本人にとっては、そのなかで暮らすには、スイスはあまりにも重苦しく、うっとおしい存在のようだ。しかしこのことを1980年代前半に、はっきりと表明したのは珍しいのではないだろうか。

 私も実のところ同感である。スイスよりその程度は低いが、やはり規則づくめでうっとおしいドイツから、陸路でイタリアに入ったとたん、いいようのない、大きな開放感を感じたことは、強く記憶に残っている。

 ドイツ人のゲーテすら、『イタリア紀行』のなかで書いているように、イタリアで大きな開放感を味わっている。これは戦後ドイツの人間もみな同じようだ。ドイツで稼いで、イタリアやギリシアで使う。

 日本人は、ドイツ人やスイス人とは似ていない。イタリア人のほうが似ているのだろう。イタリアのほうが、食事も段違いに美味いし!! スイス料理といえば、チーズフォンデュくらいしか思い浮かばない。

 この開放感は、シンガポールからコーズウェイを使って、陸路で国境を越えてマレーシアのジョホールバルに入ったときに感じたのと同じ性質のものであった。マレーシアの検問は非常に厳しかったのではあるが。

 スイスはモデルとしては大いに教訓を得るべき存在だ。しかし・・・



PS 読みやすくするために改行を増やした。また<ブログ内関連記事>を加えた。 (2014年1月24日)

PS2 犬養道子さんが亡くなった。享年96歳。老衰だという。ご冥福を祈ります。合掌。(2017年7月24日 記す)


         
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