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2010年5月31日月曜日

書評『植物工場ビジネス ー 低コスト型なら個人でもできる』(池田英男、日本経済新聞出版社、2010)ー 「植物工場ビジネス」は、自然環境に左右されにくい、サイエンスとしての農業だ!


「植物工場ビジネス」は、自然環境に左右されにくい、サイエンスとしての農業だ!

「野菜作り」は「土作り」からという、日本の農家の常識、いや固定観念を否定し、科学理論に基づいたビジネスとしてのサイエンス農業を提唱する一般向けの実務書である。

世界標準である、「太陽光利用の低コスト植物工場」である。水耕栽培というよりも溶液栽培というのが正確な表現である。

著者の姿勢は「はじめに」に書かれているが、私はこれを読んで、なんだかガツンとやられたような気がした。

もちろん水耕栽培について知らないわけではない。だが、「植物を生育させるという目的から見ると、土はたくさんある培地のひとつである」という記述には、いわれてみれば当たり前なのだが、新鮮なショックを受けたのである。

著者の姿勢は、栽培技術を経験や勘から解放し、データと科学的理論に基づいて行おう、というものである。農業を科学理論に基づいて行う事によって、ビジネスとしての農業をより確実なものとし、自然環境に左右されることの少ない計画生産を可能にする。

著者の池田氏は、農学博士で技術士、長年にわたって大学農学部で蔬菜学(そさいがく)、施設園芸学を講じてきた人である。

とくに、著者が1980年代からフォローしてきた植物工場先進国のオランダの事例は興味深い。「施設栽培が最も進んだオランダでは、養液栽培による施設園芸こそが、環境負荷が最も少なく、持続的で、無農薬栽培に最も近いといわれている。なぜならここでは除草剤や土壌殺菌剤が不要で、天敵昆虫も利用でき、湿度調整をすると病害の発生すらもほとんど問題にならないようにできる」(P.16)

本書は、著者による長年の研究成果をもとにした、個人でもできる「植物工場ビジネス」入門となっている。

施設園芸ビジネスを成功させるコツ、施設園芸の経営、初期投資・ランニングコスト・売上金回収、栽培と管理、収穫から包装・輸送・販売まで、日本における成功事例、と実用的な情報が、科学者らしくきわめてロジカルに説明されており、たいへん役に立つ。

農業をビジネスとして捉えている異業種のビジネスマンだけでなく、これから農業に参入しようと考えている個人にとっても、必携の一冊といえよう。




<初出情報>

■amazon書評「「植物工場ビジネス」は、自然環境に左右されにくい、サイエンスとしての農業だ!」投稿掲載(2010年4月22日)
■bk1書評「「植物工場ビジネス」は、自然環境に左右されにくい、サイエンスとしての農業だ!」投稿掲載(2010年4月22日)


<書評への付記>

日本を否定するのではなく、悪しき固定観念を打破することを意図した本書は、日本農業の変革への第一歩となるであろう。

「変わらないためには、変わらなければならない」という有名なセリフがヴィスコンティ監督の名作映画『山猫』にあるが、日本農業も日本で生き続けるためには、ある種の自己否定を行うことが必要かも知れない。

単なる実務書にはない「思想」を感じ取ったので、それをあえて引き出してみた。

実際に私が植物工場をやるのかと聞かれれば、おそらくやることはないだろう、と答えるしかないが、植物工場の技術は日々進歩している状況にあり、現代人としてその概要を知っていて損はないと思うのである。

とくに、この2010年4月のように、気候変動を実際に体験しているわれわれにとって、植物工場は無縁の栽培技術ではない。


<追記>

2011年3月11日、いわゆる「3-11」の大地震と大津波、そしてフクシマの原発事故は、東北太平洋沿岸地帯の漁業だけでなく、農業も大きく破壊してしまった。

津波による海水が農地にもたらした塩害原発事故によって排出された放射能被害である。いずれも土壌の回復には多大なコストと時間がかかることは報道されているとおりである。

こうした状況のなか、いま「植物工場」が被災地の農地に導入されて、成果を上げつつあるらしい。

これはまさに、本書で強調されている、「植物を生育させるという目的から見ると、土はたくさんある培地のひとつである」という考えが活かされているといえるだろう。

「植物工場」というと、ややもすれば反対派からは農業の工業化といったネガティブな反応を招きがちだが、丹精込めてつくってきた「土」もまた大きな被害にあってしまった以上、背に腹は代えられない。いま被災地の農業者ができることが植物工場であるというのは十分に納得できることである。

「栽培技術を経験や勘から解放し、データと科学的理論に基づいて行おう」という考えだけでなく、被災地復興の一手段として注目されていることに、この分野の専門家ではないわたしも、おおきな感銘を受けている。

「植物工場」が日本で普及する大きな追い風となることであろう。

(2012年1月26日 追記)


(追記2) オランダ農業全般について興味深いレポートがあるので紹介する。

「オランダを合わせ鏡として日本の農業を見る」(農業経営者』編集長 昆吉則、2012年1月27日)


オランダを合わせ鏡として日本の農業を見る 前編

オランダを合わせ鏡として日本の農業を見る 中編

オランダを合わせ鏡として日本の農業を見る 後編

(2012年7月23日 記す)


<関連サイト>

安倍首相も驚いたオランダ植物工場-半世紀の貿易競争で磨いた強さの秘訣 (日経ビジネスオンライン、2014年5月12日)

安い海外農産物の攻勢をチャンスに変えたオランダ  ITとマーケティングが生み出す国際競争力~進化を続ける小さな農業大国 (JBPress、ヴァン・ウィレムスカルティエ・カオル、2014年12月24日)
・・いわゆる「スマート・アグリ」について

オランダで先端農業に挑む日本人がいた! 世界を見て知った日本の強み (日経ビジネスオンライン、2016年2月26日)

(2014年5月12日 項目新設)
(2015年1月31日、2016年2月27日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

玉川大学の 「植物工場研究施設」と「宇宙農場ラボ」を見学させていただいた-一般的な「植物工場」との違いは光源がLEDであること! (2012年1月31日 追加)

三度目のミャンマー、三度目の正直 (3) インレー湖のトマトがうまい理由(わけ)・・屋外天然の水耕栽培なのだ!(インレー湖 ②)



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2010年5月29日土曜日

「行動とは忍耐である」(三島由紀夫)・・・社会人3年目に響いたコトバ




ふと「行動とは忍耐である」(三島由紀夫)というコトバを思い出して、書棚から三島由紀夫の『行動学入門』(文春文庫、1974)を取り出してみた。

 この本を読んだのは、たまたま購入した書店の伝票がはさまっていたのでわかったが、会社に入って社会人になってから3年目の夏のようだ。

 あの頃は、バブル時代ではあったが、自分自身はまだ鳴かず飛ばずの頃であった。

 なんとか頭角を表したい、目立ちたい、ひとかどの仕事人として認められたい、このままでは「マルドメ」(注:・マルでドメスティックの略=純国内派)か、オレはこんなことするために生まれてきたのか・・。

いまから考えればなんという傲慢な、若者らしいといえばそうかもしれないが・・。

 なにかあせっていたようだ。大学卒業して3年目くらいの若者は、いまでも同じような精神状態におかれているのかもしれない。最近の「勉強ブーム」をみていてそんな気もしてくる。

 だが、勉強すりゃいいってもんじゃない。精神修養もまたそれに劣らず重要だ。

 
 「行動とは忍耐である」というのは、私が勝手に要約したものだが、『行動学入門』に収められた「行動と待機」というエッセイにでてくる表現は以下のとおりだ。

その全身をかけに賭けた瞬間のために、機が熟し、行動と意思が最高度まで煮詰められなければならない。そこまでいくと行動とは、ほとんど忍耐の別語である(P.38)


 あせる気持ち、はやる気持ちを抑え込むのに、この三島由紀夫のコトバがいかに効いたことか。なぜなら、読んでからすでに20年以上たっているのにこの忘れていないこと、そしてこの文庫本を手放していないことだ。

 このエッセイ「行動と待機」から、上記の引用を含んだ文章をできるだけ長く引用しておこう。25歳の自分がいったいどういう気持ちだったのか、少なくとも自分には伝わってくる。(*太字ゴチックは引用者によるもの)

 行動の経験は、人が考えるほど緊迫に次ぐ緊迫、サスペンスにつぐサスペンスといったものではないことは、多少とも行動に携わった人ならば、よく知っていることである。
 ・・(中略)・・
 しかし、人生と違うところは、行動には一定の目的があり、しかもそれは運命の要素をできるだけ少なくした意志的な目的があって、その目的に向かって準備し、待機する期間が長いということである。・・(中略)・・猪狩りにいった人の話を聞くと、いざふもとに待ち伏せて、山の上に猪が姿をあらわしてからふもとまでおりてくる時間が、四時間も五時間もかかるそうである。その間の待機の辛さは想像以上だと言うが、目の前に獲物があらわれてから手元に近づくまでの間、われわれはさまざまな期待に囲まれながら、じっと引き金に指をかけ、しかも引き金を引いてはならない。その待機の時間の中に、行動というものの有効性が集約している。もし、有効性を問題にしなければ、四方八方からやたらに弾数(たまかず)を打てば、下手な鉄砲も数打てば当たるで、猪に当たることもあるであろう。しかし、最後のとどめの一撃が猪の急所に当たることが狩人の誉れであり、目標である。そのためにこそ待機がいるのである。・・(中略)・・いわば待機は一点の凝縮に向かって、時間を煮詰めていくようなものである。
 ・・(中略)・・
 なしくずし的に賭けていったのでは、賭ではない。その全身を賭けた瞬間のためには、機が熟し、行動と意思が最高度にまで煮詰められなければならない。そこまでいくと、ほとんど忍耐の別語である。(P.36~38)


 「行動の計画」から一カ所引用。

行動における計画は、合理性の極地を常に詰めた上で、ある非合理な力で突破されなければならないというところに行動の本質があるのではないか・・・(P.44)



 『行動学入門』の初版単行本は、1970年10月、自決の一ヶ月前である。文庫本にも収録されている、単行本「あとがき」が執筆されたときである。当時若者のあいだで支持されていた月刊「PocketパンチOh!」にて、若い男性読者向けに口述筆記で連載されたものらしい。

 『平凡パンチの三島由紀夫』(椎根和、新潮文庫、2008)によれば、「メディアから日本で最初にスーパースターと呼ばれたのが、作家の三島由紀夫だ」ということだ。「平凡パンチ」が創刊されたのは1964年である。


 先に、西郷隆盛のコトバを取り上げたが、三島由紀夫もまた日本陽明学の系譜のうえにある人だといえよう。

 『行動学入門』には、「行動学入門」、「おわりの美学」、「革命哲学としての陽明学」が収録されている。

 『葉隠入門』(新潮文庫、1983)も、社会人になった2年目の1986年に読んでいるが、この文庫本にも線が引かれまくっている。内容はいうまでもなく『葉隠』の解説とコトバの抜粋である。これは引用していては煩瑣になるので、やめておく。


 私自身は、三島文学の熱心な読者ではけっしてないし、またその生き方に共感するわけでもない。しかも、1970年当時は小学生だったので学生運動の主体でもないし、その反対派でもないので、思い入れはまったくない。しかし三島由紀夫が防衛庁(当時)で自決して、介錯人によって首を刎ねられた、という事実は小学校のときの同時代体験として記憶に残っている。

 何年前かわすれたが、「防衛省(・・当時は防衛庁)見学ツアー」三島由紀夫が総監室で日本刀で斬りつけたあと(?)も見た。

 小学生当時かよっていた歯医者の待合室で、三島由起夫の首が転がっている写真が写っている週刊誌をみた記憶が私にはある。

 自決後は遺された家族に、金銭的な迷惑はいっさいかけないという美学を貫いていたことについて、両親が会話していたことが記憶に残っている。およそ文学などとは無縁の実家には、なぜか三島由紀夫の「豊穣の海」4部作のうち、『春の雪』、『暁の寺』のハードカバーがあったのは、三島由紀夫割腹自決事件がいかにセンセーショナルな話題であったかの、一つの証拠物件であろう。

 1970年のことである。同じ年には大阪万博も開催されていた。


 それはさておき、社会人3年目で25歳の自分が、どこになぜ、線を引いているのかを振り返るのは面白い。

 いつの時代も、入社3年目、社会人3年目は似たようなものだろうか。


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<関連する動画サイト>

●MISHIMA: A LIFE IN FOUR CHAPTERS (Paul Schrader, 1985) Trailer
・・緒形拳主演の幻の映画のトレーラー。日本では遺族が公開に反対したため未公開といわれている。緒形拳が少しマッチョすぎて三島由紀夫とは違うような気がするのだが・・・。その他の出演者は、沢田研二、永島敏行などけっこう豪華キャストである。YouTube で上記のビデオを閲覧したら、関連したビデオクリップも見ることができます。


●"YUKOKU" by Yukio Mishima
・・三島由紀夫の原作・主演による『憂国』。二二六事件で生き残ってしまった青年将校の割腹。



PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判にした。あらたに<ブログ内関連記事>を新設した。(2014年8月15日 敗戦記念日に記す)。


<ブログ内関連記事>

「憂国忌」にはじめて参加してみた(2010年11月25日)

書評 『近代日本の右翼思想』(片山杜秀、講談社選書メチエ、2007)-「変革思想」としての「右翼思想」の変容とその終焉のストーリー
・・ユートピア論の観点からみると、日本ではすでに1936年には「右翼」は終焉し、「左翼」もまた1991年には完全に消滅した

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む
・・遅れてきた右翼少年によるテロをともなった「政治の季節」は1960年に終わり、以後の日本は「高度成長」路線を突っ走る。「世界の静かな中心」というフレーズは、 『危機の宰相』で沢木耕太郎が引用している三島由紀夫のコトバである。

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』(ドイツ、2008年)を見て考えたこと
・・三島由紀夫と同時代の1960年代は、日本でもドイツでもイタリアでも「極左テロの季節」であった

「やってみなはれ」 と 「みとくんなはれ」 -いまの日本人に必要なのはこの精神なのとちゃうか?
・・三島由紀夫の割腹自決の一年前の1969年に創業70年を迎えたサントリー、これを記念して開高健が執筆した「やってみなはれ」は「高度成長」期の日本人のメンタリティそのもの

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した

マンガ 『20世紀少年』(浦沢直樹、小学館、2000~2007) 全22巻を一気読み

(2014年8月14日 項目新設)


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2010年5月28日金曜日

書評 『ジパング再来-大恐慌に一人勝ちする日本-』(三橋貴明、講談社、2009)




非常にまっとうなことが、直球勝負で書かれた本である。

 著者のいうように、間違いなく日本は一人勝ちするだろう。

 ただし、これは積極的な意味ではない。日本は気がついたら「デフレ時代の周回遅れのトップランナー」になっていたということだ。いわば敵失である。欧州が勝手にオウンゴールしたということだ。
 日本以外の先進国、すなわち欧州と米国では、バブル崩壊後と金融危機後、われわれ日本人にとっては既視感(デジャビュー)のある風景が拡がっている。日本だけが、バブル崩壊と金融危機の清算をすでに済ませ、一番問題が少ない状態になっているのだ。それだけである。いや、それほどの違いなのだ。

 日本が国家破綻することはありえない、しかしその見解に慢心してはいけない。あとはいかにフローベースの経済成長を実現するかにかかっている。いわゆる「デフレビジネス」でトップを走る日本、日本企業の活動を側面支援する政府の役割についても徹底的な議論が必要だ。もちろん、個別企業の業績はまた別の話だ。

 本書は、かんで含めるように一歩一歩ロジカルに説明してくれるからよく理解できる。もちろんある程度の前提知識がいるので、最低限の経済学の知識と会計学の知識は欲しいところだ。そうでないと、ちょっと難しく感じるかもしれない。
 三橋貴明氏の単著を読むのは本書が初めてだが、本書で展開される論理は基本的に賛成だ。むしろ、虚心坦懐にデータを見つめ、きわめてオーソドックスな分析を行っている本であるといえる。

 しかしこの本の出版は2009年9月の政権交代前のものだ。その後の政治状況をみると、三橋貴明ならずとも、現政権に異議申し立てを行いたくなるのは当然ではないだろうか・・・
 三橋氏の政治的立場はさておき、本書は読む価値があると推奨しておく。


<初出情報>

■bk1書評「非常にまっとうなことが、直球勝負で書かれた本である。」投稿掲載(2010年5月28日)

*再録にあたって一部加筆した。





<書評への付記>

 著者の三橋貴明(みつはし・たかあき)はペンネーム、1994年に首都大学東京(むかしの都立大)を卒業し、以後IT系企業を数回転職しながら、中小企業診断士として独立(・・これはすごいこと)、現在は公開データをもとにしたマクロ経済関連本はいずれにヒット作となり、一気に著者ブランドとして確立した、新進気鋭の経済書作家である。
 次回の参議院選挙に向けて、自らの経済政策が一致する自民党から出馬するらしい。「三橋氏の政治的立場はさておき」と書評のなかで記したのは、私自身は自民党支持者ではない、無党派層であるからだ。

 この著者のような、正しいことを正しく発言する人をもったことは、いま30歳台以下の人は幸いだ。
 なぜなら、人間というのは――これは日本人に限った話かもしれないが――、どうしても自分より年上の人間のほうが賢いに違いないと、無意識のうちに思い込んでいるふしがなくもないからだ。逆にいうと、年下の人間がいうことを軽くみがちである。

 40歳代以上の世代には、間違ったことを強弁する自称「経済評論家」が多くてたいへん困る。こういう人たちをもてはやすのもまた、40歳代以上のTVや出版の世界のマスコミ人たちだ。まさに。著者が名付けた「マスゴミ」だ。「マスコミ」ではない、濁点づきの「マスゴミ」だ。
 私自身40歳台の人間だが、こういった経済評論家やマスゴミの存在は実に恥ずかしく思う。著者自身はすでに40歳台になっているが、世代的には下の世代の側に立っているといっていいだろう。

 ここ数年、30歳台の起業家たちと接する機会が多く、かれらのものの見方が非常に冷静でかつ正しくものを見ていることが多いことに気がついてきた。バブル時代に甘やかされた40歳台以上の「バブル世代」とは根本的に違うのである。
 厳しい雇用情勢で苦労した30歳台の人たちは、権威に盲従する姿勢とは無縁だ。もちろん40歳台の私からみれば、経験不足から性急な見解を展開する人も少なくないが、組織ではなく個人、あくまでも個人あっての組織という姿勢をもつ30歳台の人は、もちろんすべてではないとはいえ・・・

 「世代論」だけですべてを語るわけにはいかないが、基本的に私は是々非々の態度で30歳台の論客に、大きく耳を傾けていきたいと考えている。

 パラダイムシフトでポストモダン世代が引っ張ってゆく世の中なのである。


<関連サイト>

Wikipedia 三橋貴明

『新世紀のビッグブラザーへ blog』(三橋貴明ブログ)



<ブログ内関連記事>

書評 『本当にヤバイ!欧州経済』(渡邉哲也、 三橋貴明=監修、彩図社、2009)

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)







             

2010年5月26日水曜日

書評 『日本力』(松岡正剛、エバレット・ブラウン、PARCO出版、2010)-自らの内なる「複数形の日本」(JAPANs)を知ること




自らの内なる「複数形の日本」を知ることで、未来への展望が開けてくるはずだ

 迷走する現代日本、この状態はまだまだ続くだろう。しかしまだ日本は可能性をまったく喪失したわけではない。

 廃れかかっていたと見えた「日本力」(にほん・りょく)は、いったいどこに、どのような形で存在するのか、それに気がつかせてくれるのが、「異人」の存在である。

 「異人」の観察によって拾い上げられた何気ない指摘は、日本人がすっかり忘れかけてしまっていた「内なる日本」を見つめ直すことを可能にする。そしてそれは一つだけではないのだ。多様な、複数形の日本(JAPANs)なのである。

 この本は、在日20年の "現代のフェノロサ" である「異人」写真家と、"知の巨人" である「日本人」編集工学の泰斗が、「複数形の日本」について交わした対話の記録である。というよりも、写真家エバレット・ブラウンが、写真として切り取って見せてくれた現代日本と現代の日本人を、どう読み解いたらいいのかについて交わされた対話記録、といってもいいだろう。

 カラーで収録された複数の写真と、それに付された、松岡正剛がこれまで書いてきた日本についた書かれた文章の抜粋。そして、対談をあわせて読み進めていくうちに、日本人の「内なる複数形の日本」が、自ずから読者のなかに目覚めてくる内容の本になっている。

 たとえばこんな対話がある(P.258)。

松岡:(前略)・・日本とほかの地域の文化や民族と比べると、一番の違いは何だと思いますか?
ブラウン:すぐに思い浮かぶのは、日本人は温泉のようにポカポカしているということです(笑)。

 んっ、さて、その心は?? それは、読んでのお楽しみ。 
 
 現代日本が抱える問題に苦言を呈するだけでなく、可能性をみつけだそうというポジティブな精神のあり方が全編を貫いている。

 涸れたかにみえた「日本力」は、いまは地下水として流れているのだと思えばいいのだ。写真家は、あとがきで、「日本の若い人たちは、いま、地上に出てくる湧き水を求めているように思います」といっているが、その「湧き水」のありかと中身について知りたければ、この本を一読してみるといいだろう。

 もちろん、若い人たちだけでなく、すでに若くない人たちも、読めば自己発見できる本だといえる。
 
 過去を深く知れば、おのずから未来の展望は開けてくるはずなのだから。



■amazon書評「自らの内なる「複数形の日本」を知ることで、未来への展望が開けてくるはずだ」投稿掲載(2010年2月26日)
■bk1書評「自らの内なる「複数形の日本」を知ることで、未来への展望が開けてくるはずだ」投稿掲載(2010年2月26日)





<書評への付記>

 松岡正剛についてはあらてめて説明するまでもない。「編集工学」(editorial engineering)の提唱者で、その大家である。

 「千夜千冊」をご覧になっていただきたい。その博覧強記ぶりは、ほとんど知の巨人、いや超人の域にあるといっても過言ではないだろう。

 あたらしいシリーズ「連環篇」では、現在はリスクやマネーなど資本主義の問題を連環して、本の紹介をつづけているので、ビジネスパーソンも見る価値はある。

 それ以上のことは、あえて書くのはやめておこう。キリがないので。
 

<ブログ内関連記事>

『ちょっと本気な 千夜千冊 虎の巻-読書術免許皆伝-』(松岡正剛、求龍堂、2007)で読む、本を読むことの意味と方法

書評 『松丸本舗主義-奇蹟の本屋、3年間の挑戦。』(松岡正剛、青幻舎、2012)-3年間の活動を終えた「松丸本舗」を振り返る

書評 『脳と日本人』(茂木健一郎/ 松岡正剛、文春文庫、2010 単行本初版 2007)

書評 『法然の編集力』(松岡正剛、NHK出版、2011)-法然は「念仏」というキーワードを膨大な大乗仏教経典のなかからいかに抽出したのか?

(2013年12月23日 情報追加)


 
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2010年5月25日火曜日

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である


覚醒せよ、日本人。覚醒せよ、日本文明。時代はすでに根本的に変わったのだ!

「モダンという時代は本当に堅苦しかった」・・・

「そして今、ようやくモダンな時代は終わりを告げた」・・・

「ポストモダンは、明治以来はじめて我が国が迎える巨大なパラダイムシフトである」

「そして今、ようやくモダンな時代は終わりを告げた」・・・

「ポストモダンは、明治以来はじめて我が国が迎える巨大なパラダイムシフトである」・・・

 本書のいたるところに漏らされる、ため息にも似た感想の数々。1953年生まれの50歳台後半の著者が、意外と若い世代の感覚と近いように思われるのは、著者がつづる自らの人生を振り返る文章を読むとき、おのずから理解されるのである。

 著者は「モダン」の時代に、ずっと違和感を感じつづけた「異端」であったからだ。

 本書は、「ポストモダン」時代に生きる日本人に、「日本文明圏」の特質を抽出し、新しい時代を生きるための心構えをエッセイの形で描いた思索の書である。

 幕末維新の激動期を生ききった福澤諭吉は、「恰(あたか)も一身(いっしん)にして二生(にせい)を経(ふ)るが如く」と述懐しているが、著者もまた「モダン」時代と「ポストモダン」時代の2つの時代を体験した思索者の一人である。慶應出身の著者は、慶應に対するアンビバレントな感情を隠さないが・・・。

 「モダン」(近代)と「ポストモダン」(後近代)の断層は限りなく大きい。19世紀後半から始まった「モダン」は、冷戦構造の終焉から解体がはじまり、いまやほぼ完全に終焉を迎え、不可逆の流れとして「ポストモダン」が進行している。

 「モダン」の時代に確固たるものと思われていた「中心」は、実は空洞であったことが次から次へと露見し、すべてが虚構であったことがわかってしまった。

 30歳台以下の世代と、私もその一人であるが40歳台以上で、とくに「モダン」時代にマインドセットを形成された50歳台以上の世代との断層は、たんなる世代間格差を超えたものがある。後者の世代が願う、失われた「共同体」再現というノスタルジックな夢は、徒労と終わるだけであろう。時代は完全に変わったのである。あらたな時代に、40歳台以上の人間がとるべき態度はあきらかだろう。

 むしろ、著者が指摘するように、下手に「モダン」の時代を知らない30歳台以下の若年層のほうが、この時代への適応力が強いのは当然だ。インターネットの普及がさらに「ポストモダン」を加速し、因果律ですべてを説明したがるドイツ的知性から、事実列挙式のアングロサクソン的知性への転換が定着しつつある。

 これは、日頃から大学生と接することの多い著者ならではの見解といえよう。著者による、2000年以降の時系列の大学生の観察と大学教育における試行錯誤の記録が、ドキュメントとしてもたいへん興味深く、説得力をもつ。

 著者は、韓国・朝鮮問題の本質を語って右に出る者はいない論客である。いままさに「モダン」の最中にある中国、すでに「ポストモダン」にあるが民主主義が破綻した韓国、そしていまだ「プレモダン」である北朝鮮。この中国と韓国朝鮮というアジアのなかでも特殊な「中華文明圏」の二カ国とは根本的に異なる「日本文明圏」の特質を、複数の「文化端末」という形で抽出し、日本人が今後の時代を生き抜いてゆくうえでの、「文化端末」ごとのメリット・デメリットについて論じている。

 「文化端末」の詳細については直接本文を読んでみていただきたいが、中華文明と日本文明の2つの文明の差異について展開してきた議論が、ついに「アジア主義との永遠の訣別」の表明に至るのを読むとき、同じく東アジアの二国に深く関与したが故に「脱亜論」を説かねばならなかった福澤諭吉を想起するのは、私だけではないだろう。

 訣別すべき「アジア主義」もまた、「モダン」時代の産物であった。

 「モダン」が崩壊したあとの廃墟に残ったのは、ある種のニリヒリズムである。しかし、そのニヒリズムからこそ、現実を直視するためのリアリズムが生まれ、あらたな時代へのポジティブな展望をもつことが可能となる。

 覚醒せよ、日本人。覚醒せよ、日本文明。

 時代はすでに根本的に変わったのだ。 

 すでに新しい時代は始まっている。



<初出情報>

■bk1書評「覚醒せよ、日本人。覚醒せよ、日本文明。時代はすでに根本的に変わったのだ!」投稿掲載(2010年5月24日)
■amazon書評「覚醒せよ、日本人。覚醒せよ、日本文明。時代はすでに根本的に変わったのだ!」投稿掲載(2010年5月24日)

*再録にあたって字句の一部を修正補正した。





<書評への付記>


「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である

 「日本文明」が「中華文明」と異なる文明であること明確に主張して話題になったのは、政治学者サミュエル・ハンチントンの大著『文明の衝突』(鈴木主税訳、集英社、1996)であったが、これは必ずしも文明論を専攻するわけではない政治学者が、ときの政権の意向を強くうけて執筆したという性格が強いようなので、内容についてわきにおいておこう。

 ハンチントンよりはるか以前に、日本では京大理学部の梅棹忠夫が『文明の生態史観』(1957)で主張したことである。ユーラシア大陸の東端に位置する島国の日本は、大陸の文明とは異なる文明であることを明瞭に主張している。以来すでに60年を経て、梅棹忠夫の主張が、大陸国家中国と半島国家韓国朝鮮の専門研究者によって、ほぼ完全に裏書されるに至ったといっていいだろう。

 古田博司による本書は、東アジア研究35年の末に生まれたものである。日本文明は、中華文明とは根本的に異なるものである、と。

 ただし、本書は大上段に振りかぶった議論はいっさい行わず、エッセー体で全編貫いている。

 「上から目線の啓蒙」はまさに「モダン」時代の遺物であり、「ポストモダン」時代においては、上から教えを垂れるのではなく、なによりも説得しなくては話が通じないので、自ずから「ですます調」になるということなのだ。

 参考のために、目次を紹介しておこう。

第1章 日本のレアリズム
 蔵出し中華文明論
 国風のある風景
 日本文明圏における男女の深淵
第2章 日本文明圏の現在
 廃墟を疾駆する狩猟民
 ニヒルなポストモダン社会の誕生
 中枢から端末へ
第3章 日本文明の再発見
 モダンな時代概念が覆い隠していたもの
 モダンな時代の擬似科学
 甦るティーゼーション文化
第4章 日本文明圏の国際政治学
 ポストモダン時代の東アジア
 日本の反対側からみた中華文明圏
 別亜としての日本文明圏
第5章 近代日本の終焉とその超克
 モダンの清算
 ポストモダン時代の創造的破壊
 神々の夜明け


 いくつか注釈をしておく必要があるだろう。

 「ティーゼーション」とは著者の造語。英語の tease(からかう)からもじって teasation とした。日本語の「茶化す」ともひっかけている。Tea-sation という著者一流のダシャレである。

 日本では、権威をからかって、茶化して、おちょくるのは、古代以来の「もどき」からきたもので、これは著者も引用しているが、国文学者で民俗学者の折口信夫の学説の援用である。

 折口信夫に言及しているのは、著者が慶應出身であることもまったく関係がないだろう。國學院出身で國學院大學教授と慶應義塾大学教授を兼任していた折口信夫は、慶應ではずっと異端者でありつづけたようなので、こうした面への共感もあるのかもしれない。

 「日本の反対側からみた中華文明圏」とは、大清帝国を建設した女真族からみた中華文明のことだ。女真(ジュシェン)族は、遊牧民のモンゴル民族とは異なり、農業も行う狩猟民族であった。

 中国に対しては辛口の発言の多い中国史の碩学・岡田英弘のもともとの研究テーマは、満洲史とモンゴル史であり、世界的な研究成果である『満文老档』(まんぶんとうろう)の翻訳から、古田氏はいろいろな引用を行っている。これらを読むと、いかに中華文明が異なる文明世界であるか、日本とは反対の側から検証されることになる。

 著者は言及していないが、このテーマについては、司馬遼太郎の最後の小説『韃靼疾風録』(だったん・しっぷうろく)にまとめているので、をぜひ読んでみてほしい。明末の時代に日本人が大陸で大活躍する物語である。

 中華文明圏からみれば夷狄(いてき)であった女真も日本もほぼ同時期に、中華文明の中心である北京を攻め落とそうとしたことは歴史的にみて、実に興味深い。豊臣秀吉の二回にわたる野望は、朝鮮半島の外に出ることができなかったが、女真族のヌルハチ(太祖)の孫がついに成功している。

 日本は17世紀はじめに徳川家康が天下をとったのち、朝鮮とは国交を回復し正式な外交関係を結ぶにいたった。17世紀なかばに中国を征服した清とは、中国商船の長崎貿易は許可したが、江戸幕府とは室町幕府とは違って朝貢しなかったので、正式な外交関係はなかった。いわゆる「華夷秩序」のなかに組み込まれるのを拒否したのである。琉球王国は清とは朝貢関係にあった。

 江戸幕府は、明朝の遺臣を政治的亡命者として少なからず受け入れている。


韓国朝鮮の本質を知りたければ古田博司の著作を数冊じっくりと読み込めば、それで必要にして十分だ

 むかし、東京の南阿佐谷に住んでいた頃、JR阿佐ヶ谷駅の近くに「三中堂」という韓国朝鮮関連の専門書店があって、よくそこに通っては、いろいろな本や雑誌や直輸入の Korean Pops の CD を買っていたものである。

 NHKラジオ講座で韓国語を勉強していたからだ。マンションのワンフロアにびっちりと本が詰まったその空間は一種独特なものがあった。「韓流ブーム」のおこるはるかに前、1990年代前半のことである。

 韓国朝鮮関係の本は少なくとも100冊以上は読んでいるが、その専門書店で出会ったのが古田博司の初期の著作2冊であり、この2冊で私の韓国朝鮮理解は飛躍的に深まった。

『ソウルという異郷で』(古田博司、人間の科学社、1988)
『ソウルの儒者たち-韓国人の精神風土-』(古田博司、草風館、1988)




 1988年のソウル・オリンピックに合わせた出版だと思うが、中身は非常に濃く、まさに希釈前の原液のような本である。ある程度の知識がないと、消化不良になる可能性もあるが、現在でもこれらを越える内容の本はないと思う。

 前者は、『悲しみに笑う韓国人』(1986年刊)の改題新版だが、この2冊をじっくり熟読すれば、表層をだけを扱った韓国朝鮮本を読む必用はほとんどないのではないかという感想をもち、いろんな人にすすめてきた。 

 この2冊は再編集されて、『悲しみに笑う韓国人』(古田博司、ちくま文庫、1999)として出版されているが、残念ながら品切れ状態だ。中身がある本は必ずしも売れ行きがいいとはいえないのは淋しい話である。



(追記) 

 『朝鮮民族を読み解く-北と南に共通するもの-』(古田博司、ちくま学芸文庫、2005)は現在でも入手可能である。これはちくま新書を文庫化したもの。それだけ水準が高い内容だということだ。(2010年8月10日)


 著者はこの本の文庫版あとがきで、韓国について書きながら韓国語には一冊も翻訳されず、韓国内で評価されないのは、韓国人が外国人が書くものに期待する内容ではないからだろうと述懐している。逆にいえば、それほど鋭い観察眼に貫かれた著作群であるわけなのだ。 (2010年8月11日 追記)。


 著者は、近年では「アジア主義に訣別した論者」として知られているようだが、もともとは中国史から出発し、韓国朝鮮を研究対象としてきた学者であることを明記しておきたいので、このような話を書いておいた。



 「アジア主義に訣別した論者」としての方向性は、すでに1998年に出版された、『東アジアの思想風景』(岩波書店、1998)において、強く打ち出されている。

 私は簡潔な書評を書いているので、再録しておこう。

世に流布する浅はかな儒教理解は木っ端微塵に粉砕される
サトケン
2002/09/12
評価 ( ★マーク )
★★★★★
本書を読むことで、世に流布する浅はかな儒教理解は木っ端微塵に粉砕されるであろう。
日本が「儒教圏」などとは二度と口にできなくなる。
東アジアの住人である「日中韓」の真の相互理解のために、この1冊はぜひ読んでおきたい必読書だ。

 著者が指摘するように、日本では『論語』の一部だけが取り出されて、人生修養の面だけが強調されてきた儒教だが、そもそも儒教とは人生全般にかかわる儀礼体系であり、とくに葬送儀礼にかんしては精緻な体系が構築されていることは、なぜか一般的に日本人は知らないようである。

 その意味では、日本は、中国や韓国(北朝鮮)とは異なり、儒教圏ではまったくないのである。


「ポストモダン」(後近代)と「プレモダン」(前近代)とは

 「モダン」(近代)とは、一般的につかう「モダン」とは若干ニュアンスを異にする。同語反復的ないいかたになるが、「プレモダン」(前近代)と「ポストモダン」(後近代)に挟まれた時代が「モダン」に該当する。

 「プレモダン」(前近代)とは文字どおり「近代以前」をさすコトバだが、かつては日本では「封建的」という間違った使用法のコトバが多用されてきた。「ポストモダン」というのはもともと思想用語なので、一般にはあまりなじみがないと思うし、ペダンティックな響きがなんだかいやらしい。

 具体的な社会状況にあてはめてみれば、これらのコトバがいかなる状況を指しているのか、おのずから理解されるだろう。あえて単純化してあてはめてみよう。

 ●北朝鮮は、「前近代」そのもの。日本でいえば江戸時代の身分制社会のようなもの。
 ●中国は、まさに「近代」そのもの。日本でいえば1960年からの高度成長期のようなものか。
 ●日本は、すでに「近代は終わっている」ことは実感されるはず。
 ●韓国は、「近代が終わりつつある」ことは「韓流ドラマ」でわかるはず
 
 もちろん、日本については「プレモダン」の要素を遺したまま「ポストモダン」になってしまっていると批判的な浅田彰のような人もいるが、「ポストモダン」は、現象だけみたら「プレモダン」(前近代)と酷似している。しかしながら、「モダン」を通り抜けたわれわれは、「プレモダン」とはイコールではない。

 『日本文明圏の覚醒』の背表紙部分の帯には、「あたらしい過去 よみがえる未来」というコピーが記されているが、このコピーはまさに秀逸である。



「アジア主義との永遠の訣別」とは

 福澤諭吉は、いわゆる悪名高き「脱亜論」を、こういうフレーズで締めくくっている。
 
「悪友を親しむ者は共に悪友を免かる可らず。我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」

「脱亜論」は、『時事新報』の1885年(明治18年)年3月16日付けの社説である。全文は、http://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html を参照。

 明治維新にあたって、「五箇条の御誓文」という形でいち早く欧化政策を採用して、「西欧近代化」への道へ舵を切った日本は、アジアで先頭を切って突っ走っていたことは周知のとおりである。だから、日本の動きは、中国でも朝鮮でも目覚めた人たちに与えた影響は絶大なものがあったのだ。

 明治18年当時の日本において、福澤諭吉が上記の所感を述べざるをえなかったのは、彼が中国と朝鮮の改革運動の志士たちとは深い交わりをもっていたからに他ならない。深くコミットしていたがゆえの愛であり、それが成就しなかったことによる絶望の表明と考えるべきなのだ。

 詳しく論じるヒマはないが、西郷隆盛の「征韓論」も、彼の本意は、死を覚悟してでも説得にいくつもりだったことにあり、武力でもって制圧することをいとしていたわけではない。日本も教科書も偏向していたため、こういった基本的な事実がキチンと教えられないままになっていたのは、日本国民だけでなく、近隣諸国にとっても大きな不幸の源になっている。

 「アジア主義」とは、日本の命運はアジアとともにあるという思想のもと、積極的にアジアに関与していった民間主導による一大運動であるが、これも論じていてはキリがない。著名人としては、頭山満、内田良平、杉山茂丸与謝野鉄幹、宮崎滔天(みやざき・とうてん)、犬養毅(いぬかい・つよし)、大川周明・・・と枚挙にいとまがない。

 これもまた「モダン」時代の産物であるとして、古田博司氏は切って捨てる。なぜなら、アジアは同文同種ではないし、「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なるからだ。

 その点において、福澤諭吉の深い絶望と呼応しているように、私には思えるのだ。

 古田博司氏は、中国や韓国とは「サラっと付き合えばよい」という。これにはまったく賛成だ。

 ビジネスパーソンは、あくまでもビジネスライクに付き合えばよいのであり、情緒的にコミットする必用はサラサラない。深く知る必用はあるが、身も心も捧げる必用などまったくない。

 知っていることと、好きであることは別物である。知れば知るほどキライになることもある。要はバランスだということだろう。
 

40歳台以上の世代の人間が、「ポストモダン」時代にいかに生きるかのヒント

 「ポストモダンは、明治以来はじめて我が国が迎える巨大なパラダイムシフトである」と古田博司はいっているが、これは人間の生き方には大きな影響を与える。いまこの時点で何歳であるか、どの世代に属するかによって人間の生き方は大きく左右されてしまうからだ。

 明治維新時点で40歳台以上だった人間が、明治維新後いかなる人生行路をたどったかについては、山口昌男の歴史人類学のシリーズ三部作のひとつ『「敗者」の精神史』(岩波書店、1995 現在は、岩波現代文庫 2005)を読むことをすすめたい

 時代の流れにうまく乗れた者、乗れなかったが趣味の世界で独自の世界を切り開いた者など、さまざまな生き方が紹介されている。とくに後者のオモテに出てこないネットワークについての著者の共感が全編にあふれている。

 40歳代以上(とくに50歳台)の人間の生きる方向は、30歳台以下の人たちのバックアップをするか、あるいは趣味の世界に逃げ込むか、いずれか2つしかないだろう。

 山口昌男の後期の歴史人類学の大著については、またあらためて紹介したいと思う。「パラダイムシフト」した現在、いまこそ読まれるべき本だからだ(*)。

 私自身、趣味人としての生き方は DNA に組み込まれているので本来は非常に好きなのだが、いまはまだそんなことをいってられないというだけの話である。

 私の場合は「モダン」と「ポストモダン」の2つの世界だけでなく、「仕事」と「趣味」の世界に引き裂かれている(?)ということになる。


(*) このブログ記事執筆から約3年後、「いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む」(2013年3月10日) というブログ記事を執筆した。ぜひご参照いただけると幸いである。 (2014年2月21日 記す)



PS 読みやすくするために改行を増やした。リンクもあたらしいものに更新した。あらたに写真を2枚追加した。本文は誤字脱字を修正した以外は、手を入れていない。  (2014年2月21日 記す)。 

PS2 梅棹忠夫に国立民族学博物館のスタッフを総動員して作成した『日本文明77の鍵』(文春新書、2005)という本がある。この本はもともと外国人向けの日本案内として製作されたものを日本語化したもの。ハンチントンが『文明の衝突』(鈴木主税訳、集英社、2005)で「日本文明」は「中国文明」とは異なる独自の文明であると主張する以前から、梅棹忠夫は「日本文明」というタームを使用している。 (2014年3月10日 記す)。



PS3 そのものズバリのタイトルで 『日本文明』(論創社、2013)というフランスの本が日本で翻訳出版されている。 原題は La civilisation japonaise 文字通り「日本文明」である。著者はロシア生まれの日本学者セルゲイ・エリセーエフの息子たちヴァディムとダニエル。エリセーエフ家にとって「日本学」は「家学」となったのだろうか。 (2014年3月10日 記す)。





<ブログ内関連記事>

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」

書評 『「紙の本」はかく語りき』(古田博司、ちくま文庫、2013)-すでに「近代」が終わった時代に生きるわれわれは「近代」の遺産をどう活用するべきか

書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける


モダン(=近代)とは何だったのか?

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ


「日本文明」の特筆

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)
・・「日本文明」成立の根拠は、地政学的に見た日本の特性にあること

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ

書評 『モンゴル帝国と長いその後(興亡の世界史09)』(杉山正明、講談社、2008)-海洋文明国家・日本の独自性が「間接的に」あきらかに

『伊勢物語』を21世紀に読む意味
・・「草食系男子」が日本においては劣化でも、突然変異でもないことを、私なりに論じている。明治維新以降の「モダン」が終焉しただけでなく、戦国時代以降の「500年単位の歴史」もほぼ同じ時期に終焉したことがきわめて大きな変化を社会全体に及ぼしているのだ

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・日本が「儒教国」ではないことを、文化人類学者の泉靖一の発言を紹介して説明している。また、古田博司の著書について触れている


韓国・朝鮮関連

書評 『中国に立ち向かう日本、つき従う韓国』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2013)-「離米従中」する韓国という認識を日本国民は一日も早くもたねばならない

書評 『悪韓論』(室谷克実、新潮新書、2013)-この本を読んでから韓国について語るべし!
・・その他、多数あるが上記2本の記事からリンク先をたどっていただきたい


日本がモデルとすべきは「小国」か?

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?

「小国」スイスは「小国」日本のモデルとなりうるか?-スイスについて考えるために
・・強い通貨スイス・フランを死守する「欧州の島国スイス」。イスラエルと同様、孤立を恐れない強い精神力!

書評 『クオリティ国家という戦略-これが日本の生きる道-』(大前研一、小学館、2013)-スイスやシンガポール、北欧諸国といった「質の高い小国」に次の国家モデルを設定せよ!

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)
・・欧州共通通貨ユーロには断固として加盟しない英国の島国的孤立力は捨てたものじゃない。

(2014年2月21日 情報追加と整理情報 2014年8月23日 情報追加)



 
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end

2010年5月24日月曜日

「五箇条の御誓文」(明治元年)がエンカレッジする「自由な議論」(オープン・ディスカッション)





 先週土曜日、一年ぶりに明治神宮を参拝してきた。

 代々木公園(・・かつての代々木練兵場)から明治神宮の森を散策し、参拝をすませたあと、地下鉄の表参道駅まで歩く。本来はこのルートを往復するのが正しい参拝なのだが、さすがに・・・
 昨年の参拝については、このブログのかなり初期の記事として投稿している。新緑の風に誘われて明治神宮を参拝 を参照。

 明治神宮は、今年2010年で鎮座90年なのだそうだ。月日がたつのは早いものである。といっても90年以上生きる人はまだまだ少数派だし、鎮座当時のことを知る人はおそらくきわめて少ないだろう。一世代が30年とすれば、90年とはその三倍であるし、還暦60年の1.5倍である。
 また、今年は「教育勅語」が公布されてから120年だそうだ。明治維新は1868年であるから、いまから142年前のことである。「教育勅語」が強調した、儒教道徳が幅をきかせたのは、120年前の1890年から1945年までの、たかだか55年間である。「教育勅語」を復活せよ、などと主張するアナクロな人たちがいるが、私は賛成する気にはまったくならない。

 明治神宮が無料で配布している短冊形の経本のような小冊子は、オモテ(?)が「教育勅語」、ウラ(?)が「五箇条の御誓文」と「明治天皇御製・昭憲皇太后御歌 一日一首」になっている。
 「五箇条の御誓文」は、何度も繰り返し味合うべき、素晴らしい内容だと強調したい。

 昨年の今頃書いた、新緑の風に誘われて明治神宮を参拝 にも全文を引用しておいたが、あらためて引用しておきたい。



五箇條の御誓文

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし
一、上下(しょうか)心を一(いつ)にして、盛に経綸を行ふべし
一、官武一途庶民に至る迄、各(おのおの)其(その)志を遂げ、人心をして倦まざらしめん事を要す
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし
一、智識を世界に求め、大(おおい)に皇基を振起すべし

我国未曾有の変革を為さんとし、朕(ちん)躬(み)を以て衆に先(さきん)じ、天地神明に誓ひ、大に斯 (この)国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆亦此(この)趣旨に基き協心努力せよ。

         明治元年三月十四日



 Wikipedia英語版に試訳があるので引用しておこう。 http://en.wikipedia.org/wiki/Charter_Oath なお、太字ゴチックは引用者によるもの。


The Charter Oath in Five Articles

By this oath, we set up as our aim the establishment of the national wealth on a broad basis and the framing of a constitution and laws.

1. Deliberative assemblies shall be widely established and all matters decided by open discussion.
2. All classes, high and low, shall be united in vigorously carrying out the administration of affairs of state.
3. The common people, no less than the civil and military officials, shall all be allowed to pursue their own calling so that there may be no discontent.
4. Evil customs of the past shall be broken off and everything based upon the just laws of Nature.
5. Knowledge shall be sought throughout the world so as to strengthen the foundation of imperial rule


 口語体の英語にすると意味がとりやすい。ただし、5. Knowledge shall be sought throughout the world so as to strengthen the foundation of imperial rule の imperial rule は正しい解釈ではないような気もする。この英文だけをみたら、何か帝国主義的野心が明治元年から存在したような印象を与えかねないので誤解を生ずる恐れがある。

 「五箇条の御誓文」がエンカレッジした「自由なディスカッション」(open discussion)は、知識階層であった不平士族が中心となった「自由民権運動」という形で大いに行われた。

 明治維新が中国や韓国の近代化論者に与えた影響は計り知れないものがあるのだが、日本人以外でこの「五箇条の御誓文」を知っている者は果たして現在どれくらいいるのだろうか。

 日本人であるわれわれは当然のことながら、アジア各国でもあらためて、なぜ日本がいち早く「近代国家」としてテイクオフしたか、秘密の一端がここにあることを再確認したいものである。

 もちろん、歴史は一直線に進むものではなく、明治元年以降の近代日本は紆余曲折の歴史をたどったのであるが、自由民権運動は間接的にアジア初の成文憲法の成立を政府に促し、1925年には制限つきではあったが普通選挙の実施にこぎつけた。日本の民主主義の歴史は短くはない。


明治維新に始まった「近代日本」-「モダン」の終焉と「ポストモダン」という新しい時代の夜明け

 いわゆる「モダン」(近代)が完全に終焉し、「ポストモダン」(後近代)に入っている現在の日本、あらたな時代のなかで成功を求める30歳台以下の若者たちが成功を目指してビジネス書を読んで勉強する姿には、明治維新後に『西国立志編』が争って読まれたという時代との共通性も感じる。

 『西国立志編』とは、『自助論』(Self Help)の日本語訳、中村正直という儒学者が翻訳したものである。英国の産業革命後の成功者のエピソードを集めたものだ。

 40歳代以上の「旧世代」の人間にとっては、「ポストモダン」(後近代)への適応は必ずしも容易ではないかもしれないが、30歳台以下の人間でやる気のある人間にとっては、まさに水を得た魚といった状況ではないだろうか。

 いまこそ、「五箇条の御誓文」の精神を振り返り、あらたな時代の「御誓文」が必要となろう。

 日本にこだわらず、「智識を世界に求め」「広く会議を興し、万機公論に決すべし」
 職場でも、勉強会でも、ソーシャルメディアでも、いたるところで、「自由な議論」が行われている。
 全体として衰退過程にある日本とはいえ、志(こころざし)のある者にとってはチャンスはまだまだ多い。

 広く世界を見渡して、個人としての自己実現を図ることが、ひいては日本と日本人のための最大の貢献となるはずである。日本以外の市場に目を向けるべきだろう。
 

 40歳代以上の人間は、新しい時代への「適応障害」を嘆くヒマがあったら、30歳台の人間の発言には大いに耳を傾け、今後の日本をリードしていくことになる彼らを支援するべきだろう。でなければ退場することもやむなしだ。時代の潮目は完全に変わったのだ。

 個人的には、「レガシー・メディア」と命名された従来型のマスコミをはじめ、「レガシー××」と命名された、旧時代である「モダン」の悪しき遺産が次々と露見し、崩壊してゆくのをみるのは痛快である。

 まさに「旧来の陋習を破」ることがいま求められている。

 レガシー(legacy)とは本来いい意味のコトバだったが、GMの年金債務問題が legacy cost(負の遺産によるコスト)と米国でいわれるようになってから、悪い意味で使われるようになっている。

 こんな面白い時代、私自身も、「あと10年若ければ・・・」と思わなくもないが、これだけは自分で決められないので致し方ない。
 いずれにせよ、いま置かれている状況から、私としては30歳台の人間並みに踏ん張る道を選択した。
 「見た目が若い」といわれるのことを褒めコトバであるとポジティブに受け止め、「撃ちてし止まむ」、新しい時代のなかで前進あるのみだ。倒れないように、褒め殺しされて有頂天にならないように・・・

 いま求められるのは、何よりも「智識を世界に求め」「広く会議を興し、万機公論に決すべし」である。

 知力、体力、気力の面で負けないよう頑張りたい。





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(2017年5月18日発売の拙著です)




(2012年7月3日発売の拙著です)











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