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2010年12月16日木曜日

「地頭」(ぢあたま)について考える (1) 「地頭が良い」とはどういうことか?





「地頭」と書いて「ぢあたま」と読む

 「泣く子と地頭には勝てない」、これは鎌倉時代からいわれてきた有名な格言だが、ここでいう地頭は「ぢとう」と読む。鎌倉幕府とその後の室町幕府が、封建制度のもと、荘園管理のために設置した職のことである。日本法制史をひもとけば、かならずでてくる格言である。

 ここ10数年のことだろうか、ビジネス界では「地頭がいい」という表現が使われるようになってきた。ここでいう地頭とは「ぢあたま」のことである。「ぢとう」とは何の関係もない。

 とくに採用関係で使われるコトバである。「学歴」や「資格」などの見た目や聞こえのいい飾り物や、履歴書のお化粧ではなく、ほんとうのアタマの良さを表現したものだ。

 とくに「学歴」があまり意味をもたなくなる中途採用の現場において使われ出した表現だが、最近では新卒採用の現場でも使われるようになっているようだ。

 新卒採用では「学歴」は意味をもっていても「資格」はそれほど大きく評価されていたわけではない。
 もともと、潜在能力しかわからない新卒採用においては、先物買いの要素が大きいわけであり、「地頭」的要素が要求されるのも当然といえば当然だ。

 だが、「地頭」(ぢあたま)がいう表現が普及する前は、「素頭」(すあたま)という表現がそれなりに使われていたように思う。

 「素顔」、「素肌」、「素足」、また「素の自分」などで使われる「素」である。「素面」と書いて「しらふ」と読ませる用例もある。

 「地頭」も同様に、「地道」など、「地面」を意味する「地」に足のついた状態をさす表現や、「地肌」のように、髪の毛の生えていない部分の肌を指しているサラの状態、「地力」のように、その人がもっている本来の力や実力をさす表現もある。「地頭」は「地力」に近い用法のようだ。本来もっているアタマの良さという意味で使い始めたのだろう。

 また、会話文に対する「地の文」という表現がある。カギカッコがつかない文章のことである。

 おそらく、「素頭」も「地頭」もともに、カギカッコや装飾のつかない、ほんとうのアタマの良さについて知りたい、という強い要求から作られたコトバであろう。ニュアンスの違いがあるのかどうかよくわからないが、意味するところは同じである。

 「素頭」も「地頭」も、「学歴」や「資格」といった履歴書に書かれた項目とは関係ないアタマの良さのことだ。

 もし「地頭」というコトバが外資系コンサルの世界に限定されてしまうのであれば、以下の文章で使う「地頭」はすべて「素頭」と読み替えてもらってかまわない。

 ちょっと本題からそれるが、私は「ぢとう」、「ぢあたま」というひらかなを使用したのは、「じとう」、「じあたま」という表記では意味を正確に反映していないからだ。地震も正確には「ぢしん」と表記すべきだと考えている。あくまでも地面がゆれるから「ち」に点々とあるべきではないか?


ビジネス界でいう「地頭がいい」とはどういうことか

 さて、「地頭」(ぢあたま)については、ある経営コンサルタントが、以下のように整理している。

地頭力の本質は、「結論から」「全体から」「単純に」考える3つの思考力である。すなわち「結論から」考える仮説思考力、「全体から」考えるフレームワーク思考力、「単純に」考える抽象化思考力だ。・・(中略)・・「好奇心」「論理的思考力」「直観力」・・(『地頭力を鍛える-問題解決に活かす「フェルミ推定」-』(細谷 功、東洋経済新報社 2007)の書籍紹介文から)

 私が経営コンサルティングファームに入った25年前にはこんなコトバはまだなかったが、近年では外資系コンサルファームの採用試験では「フェルミ検定」なるものが課されるそうだ。コンサルファーム以外でも、マイクロソフトなどでは採用試験で使用されるらしい。

 「フェルミ検定」とは、wikipedia の定義を引けば、「実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算すること」とある。例として「アメリカのシカゴにはのピアノの調律師が何人いるか?」を推定するものがあげられている。

 たしかに整理すれば「地頭の良さ」というエッセンスは、上記に引用した経営コンサルタントの要約によれば、「好奇心」「論理的思考力」「直観力」、このようになるのだろう。

 だがこのように整理すれば、「地頭の良さ」は「フェルミ検定」とは、必ずしも直接的には結びつけられるものではないし、いわゆる「勉強大好きな人間」とは関係のない話のように私には思われる。


「地頭が良い」ということは、学校の勉強とは関係ない。実際的なアタマの働きのことだ

 あえて「地頭」という日本語表現を使うのであれば、それは「勉強」によって曇らされることのない、動物的な勘や直観、あえて付け加えれば、いわゆる第六感を持ち合わせた頭脳のことをいうのではないだろうか。
 これは、「学歴」や「資格」とは関係ない話である。

 「ストリート・スマート」(street smart)という表現があるが、これが該当するだろう。勉強は得意ではないが、実際的なアタマの働き方はバツグンの人間のことをさしていう。これで勉強もできたら、まさに「鬼に金棒」だろう。

 これとまったく反対の概念が「ラーニッド・フール」(learned fool)である。勉強をたくさん成績もいいのだが、アタマの働き方が実際的でない人間のことをさしていう。

 私もこれまでの人生のなかで、「試験の成績はいいのにアタマの悪い人間」には腐るほど遭遇してきた。こういうタイプの人間は、同僚としてもつのは仕方がないとしても、上司にもっても部下にもっても最悪である。

 日本の最高学府出身者でも、いわゆる「困ったちゃん」は数知れない。

 だから、採用面接の際に志願者から提出される成績表は、私は一瞥(いちべつ)するだけで、ほとんど考慮に入れたことはない。

 どんなに長くても30分、たいていは最初の3分から5分で「地頭の善し悪し」などわかってしまうものである。これは心理学の研究成果と同じである。

 少なくとも、「地頭の良さ」は、出身大学のレベルも、大学を出ているかどうかもあまり関係ない。

 大学にいったことで幅広い分野を勉強し、視野が広くなった人間と、大学にいって専門分野ばかり深く勉強したために、逆に視野が狭くなってしまう人間がいる。

 「地頭の良い」人間の場合、大学にいって幅広く勉強した前提のもとに、専門分野を深く勉強するので、大学卒業生でも「使える」人材になりうる。外資系コンサル会社が求めている人材とはこのカテゴリーに分類される人間の、さらに上澄みをさしているのだろう。
 
 だが実際のところ、上記のカテゴリーに分類される人間はきわめて少ない。
 「地頭がよい」人間の大半は、学校の成績が必ずしもよくないと思われる。現在の大学入試制度のもとでは、最高学府にはまんべんなく成績の良い人間でないと入学できないからだ。

 学校の成績は必ずしもよくないが、「地頭の良さ」を潜在的にもっている人間には、具体的にはどのようなタイプがいるのかについて考えてみたいと思う。



⇒ 「地頭」(ぢあたま)について考える (2) 「地頭の良さ」は勉強では鍛えられない につづく
  (こちらでわたしの考えをさらにくわしく述べていますのでぜひ参照していただきたく)




<関連サイト>

「いまや一流企業の採用基準は「学歴より地頭」が重視されるというけど「地頭がいいヤツ」の研究 第1部 ガリ勉して頭がいい人はダメ(『現代ビジネス』 2013年02月20日)
・・わたしの書いたブログ記事と同じ趣旨。アタマの良さとは反射力である、と。ストリートスマートと言い換えてもいいだろう(2013年2月20日 追加)



<ブログ内関連記事>

「学(まな)ぶとは真似(まね)ぶなり」-ノラネコ母子に学ぶ「学び」の本質について

書評 『語学力ゼロで8カ国語翻訳できるナゾ-どんなビジネスもこの考え方ならうまくいく-』(水野麻子、講談社+α新書、2010)
・・「学歴」も「資格」もとくに突出しているわけではない「地頭の良い」主婦が書いた本。「地頭の良い」人の実例


「地頭」(ぢあたま)について考える (2) 「地頭の良さ」は勉強では鍛えられない

書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる
    
「地頭」(ぢあたま)を鍛えるには、まず「自分」を発見すること。そのためには「履歴書」の更新が役に立つ
    
書評 『修羅場が人を磨く』(桜井章一、宝島社新書、2011)-修羅場を切り抜けるには、五感を研ぎ澄ませ!

書評 『人材は「不良社員」からさがせ-奇跡を生む「燃える集団」の秘密-』(天外伺朗、講談社+α文庫、2011、初版 1988)

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)






(2012年7月3日発売の拙著です)







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