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2011年12月31日土曜日

「アタマの引き出しは生きるチカラ」だ!-多事多難な2011年を振り返り「引き出し」の意味について考える



今年2011年は、ほんとうに文字通り多事多難な激動の一年でした。
干支のうさぎが跳ねすぎたのでしょうか。

「3-11」に発生した大地震と大津波、そして原発事故に感じたこと考えたことから、「アタマの引き出し」の重要性について、あらためてまとめてみました。 


有事にこそ「アタマの引き出し」が生きるチカラであることが実感される

コンピュータでもインターネットのなかでもない、生身のカラダをもった人間のアタマのなかに存在する「アタマの引き出し」

情報であり、知識であり、そして知恵でもある「アタマの引き出し」。

情報や知識は本に書いてあるじゃないかといっても、大地震で本棚が倒壊して本を取り出すことができなければ、その知識が死蔵されているのも同然です。

インターネットで調べればいいいという方もいるでしょう。「記憶はもはや必要ない」と豪語する Evernote にストーレージしているから大丈夫だという方もいるでしょう。

でもどうでしたか? 電気がつながらない状態では、スマートフォンもコンピュータも起動できませんよね。

たとえバッテリーがあっても、切れてしまえばおしまいですです。たとえ、自家発電があっても、発電機を回す燃料がなければ何にもなりません。

結局のところ、有事にモノをいうのは「アタマの引き出し」なのです。生身の人間のアタマのなかに存在する「引き出し」がモノを言うのです。

たとえ何がおころうと、モノを失ってしまおうと、電気がつながらなくて PCが起動できなくても、自分の「アタマの引き出し」に中身が詰まっていれば人間は生き抜くことができる

そして重要なのは自分のアタマのなかにある「引き出し」だけでなく、自分以外の人のアタマのなかにある「引き出し」なのです。生身の人間どうしの「つながり」がまた大事なのです。

自分の「アタマの引き出し」と自分以外の「アタマの引き出し」が一緒になってシェアしあい、それがシナジーを発揮して「集合知」となる。これはネット上でなくてもリアル世界で可能です。

「3-11」後にこそ、「アタマの引き出し」が重要なことが理解できたのではないでしょうか?


「アタマの引き出しは生きるチカラだ」-ユダヤ人は突然発生する大規模の迫害の歴史を生きぬいてきた

「アタマの引き出し」の重要性。これはユダヤ人がその苦難の歴史のなかで体感し、世代を超えて伝えてきたことでもあるのです。

度重なる迫害のなか、ユダヤ人は生命も財産も失ってきました。

20世紀のナチスドイツによるホロコーストだけではありません、19世紀のロシアのポグロム、そして15世紀末のスペインからの追放、紀元後のエルサレムの神殿の破壊・・・。まさに有史以来、迫害につぐ迫害のなかを生きぬいてきた民族です。

現在はようやく父祖の地であるイスラエルに戻ることができましたが、二千年の長きにわたってディアスポーラ(=離散)の生活を送ってきた民族です。

しかし、「経典の民」であるユダヤ人は、迫害されても大文字ではじまる "The Book" (=聖書) だけは持ち運びだしました。これが生きるためにもっとも大事な財産だからなのです。

しかし、それさえできなかったときのために、彼らはどうしていたのか?

そうです、すべてをアタマのなかに記憶して持ち運んだのです。まさに究極のポータブル・ナレッジ、まさに文字通りのノマド(=遊牧)ライフですね。

すべてを失ったかにみえた災難であっても、アタマをさしながら 「ここにすべてがある!」 とクチにすることができるのです。

このブログに以前に書きましたが、世界的な哲学者でイスラーム学者の井筒俊彦が回想するタタールの大知識人の話もまったく同じです。書籍管理の"3R" をご参照ください。

「記録」だけではなく、「記憶」することの重要性をあらためて考える機会となるでしょう。


「アタマの引き出しは生きるチカラだ」-日本人もまた、大地震や大津波などの突然発生する自然災害を生きぬいてきた。

そして、日本人もまた有史以来、突然発生する無数の自然災害を生きぬいてきた民族です。

「3-11」でも、大津波だけではなく原発事故のため、福島からは「難民」が発生しています。ある意味では、フクシマ・ディアスポーラとすら言えるかもしれません。

でも、それ以外も地震、台風、火事、火山爆発などの自然災害や空襲や原爆などの人為的被害で、多くの人たちが家を失い、家族を失い、移住を余儀なくされてきたことも忘れてはいけないでしょう。

「3-11」では、わたし自身は被災することはなかったのですが、それでも計画停電(=輪番停電)によって電気のありがたさをあらためて感じるとともに、「本やインターネットにすべてがある」などという考えは捨てる必要があるのではないかと痛感しました。

そんな非常時にこそ、自分の「アタマの引き出し」と、自分以外の誰かの「アタマの引き出し」を、フェース・トゥー・フェイスの「つながり」のなかでシェアしあう。

これが生きるために必要なのだ、と。駆動するのに電気を必要としない生身の人間のアタマのなかにある「引き出し」

まさに「アタマの引き出しは生きるチカラ」なのだ、と。

そもそもイヌやネコはコトバも文字も知らないのに、学習成果を活かしているではないですか! イヌやネコは画像情報として「引き出し」をもっているのです。「アタマの引き出しは生きるチカラ」なのです。

限られた時間内に、限られた情報をもとに意志決定を行わなければならないとい、そのときにモノを言うのは「アタマの引き出し」そのものでしょう。そしてそのキャパシティの大きさによって、個人や集団だけでなく、民族全体の命運が決することさえあるのです。

「アタマの引き出し」は生きるチカラだ、というブログのタイトルは、今回の「3-11」の前につけたものですが、有事にこそ「アタマの引き出し」は生きるチカラだということが身にしみてわかるのです。

これは日本人の歴史をもても、ユダヤ人の歴史をみても納得のいく話だと思います。

そして非常時の記憶こそ、深くココロとアタマのなかに刻みつけられるものなのです。エピソード記憶こそが、「アタマの引き出し」そのものなのですから。

エピソード記憶については、「場所の記憶」-特定の場所や特定の時間と結びついた自分史としての「エピソード記憶」について というブログ記事をご参照ください。


非常時にこそ致命的な意味をもつ「アタマの引き出し」

「3-11」後の危機対応をみていてつよく思ったのは、国のトップの「アタマの引き出し」が足りないばかりに、適切な策がとられなかったという怒りと悔しさです。

日本中からかき集めれば、どんな対策だって集められるのに、たとえ進言があっても自分のアタマのなかに「引き出し」がないから、ピンとこない、意味がわからない、結局はただしい判断や意志決定がくだされないまま、多くの人命が失われ、財産が思い出が失われてしまいました。

まさに致命的としかいいようがありません。未然に防げた二次災害は、いったいどの規模になるのか・・・

自分のアタマのなかに「引き出し」がなければ、他者の「アタマの引き出し」を活用することもできないのです。本やインターネットに情報や知識があふれていても、肝心なときにアタマが回らないのでは、意味がないのです。

非常時には、書斎で安楽椅子に腰掛けてじっくり調べ物なんかしているヒマはないのです。パソコンを立ち上げているヒマもない、電話回線だってつながらないことだって多いのです。

そんなとき頼りになるのは、まさに「アタマのなかの引き出し」です。

知識のなかには、「ノウハウ」だけでなく、その知識を誰がもっともよく熟知しているかという「ノウフー」も含まれます。国のトップだけではなく、国民一般についてもそのとおりですね。

1973年の石油ショックの際のトイレットペーパー買い占めでパニックになったときの話、アマルティヤ・セン博士のベンガル飢饉の話などを知っていれば、浮き足立つこともないのです。この件については、大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・をご参照ください。

「想定外」というのは、結局のところ、スパンを短くとっているから過去事例がないだけの話なのです。10年スパンと100年スパン、1,000年となると、過去事例がでてくるから「想定外」などとは言えなくなるのです。

歴史は同じまま繰り返すことはありませんが、過去の事実が本やインターネットのなかだけでなく、自分の「アタマの引き出し」のなかにあれば、危機に際してもあわてふためくこともなく、確実に生き残ることにつながるのです。

そのためには平時に、「アタマの引き出し」を少しでも増やす努力を続けること。

J.S.ミルのコトバだと言われている "try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと が大事です。狭くて深い「専門」と 浅くても広い「雑学」

自分の専門分野についてはつねに努力して勉強しつづけることは当たり前ですが、「雑学」もこれにおとらず重要ですね。

これは、かつて「銀座のユダヤ人」といわれていたカリスマ経営者・藤田田(ふじた・でん)の著書を紹介しながら、世の中には「雑学」なんて存在しない!-「雑学」の重要性について逆説的に考えてみる で書いたとおりです。

「すべては失っても、ここにすべてがある!」 と、アタマをさしながら クチにしたいものではありませんか!



<ブログ内関連記事>

世の中には「雑学」なんて存在しない!-「雑学」の重要性について逆説的に考えてみる

"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと

書籍管理の"3R" 

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)

「場所の記憶」-特定の場所や特定の時間と結びついた自分史としての「エピソード記憶」について

大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・





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2011年12月30日金曜日

『ピコラエヴィッチ紙幣-日本人が発行したルーブル札の謎-』(熊谷敬太郎、ダイヤモンド社、2009)-ロシア革命後の「シベリア出兵」において発生した「尼港事件」に題材をとった経済小説


ロシア革命後のシベリアで起こった「尼港事件」を題材に描いた経済フィクション

「尼港事件」といっても、おそらく日本人に大半にはピンとこないだろう。

尼港と書いて「にこう」と読むが、正確にいうとニコラエフスク・ナ・アムーレとなる。ロシア語で、アムール川沿岸のニコラエフスクという意味となる地名のことだ。

「尼港事件」とは、ニコラエスク・ナ・アムーレで日本人居留民と日本守備隊が全滅した事件のことだ。1919年(大正8年)年5月、ロシア革命の干渉戦争である「シベリア出兵」さなかに発生した悲劇のことである。

「シベリア出兵」は、日本近代史において「忘れられた戦争」となってしまっているのは、米国にとってのベトナム戦争やソ連にとってのアフガン戦争のように、得るもののない無益な戦争であったため、意図的に忘却された側面が強いためであろう。

「ロシア革命」は 1917年、第一次世界大戦のさなかであった。

日露戦争でロシア帝国を破った日本であったが、日露戦争後はロシアとは協調の方向で外交政策を進めていた。共産主義革命であったロシア革命に対しては、日本だけでなく米国もふくめた列強が干渉戦争を行うことになる。

そのなかでも地理的に近い日本が、ずば抜けて多い兵力を投入した干渉戦争に乗り出した。これを「シベリア出兵」という。


ピコラエヴィッチとは、ニコラエフスクで成功した起業家が発行した実質的な通貨

アムール川河口に立地するニコラエフスクに日本人が住み着くようになったのは、この小説にもあるように島田元二郎という起業家がそこにビジネスチャンスを見いだし、成功したからである。

そこが、鮭(サケ)と鱒(マス)漁で賑わっただけでなく、砂金などの鉱物資源も採集された集散地であったからだ。

ロシア革命の混乱のなか、ニコラエフスクで流通していたのはロシア政府の発行するルーブル札ではなく、島田元二郎の島田商会が発行していた通称ピコラエヴィッチという紙幣であった。

より正確にいうと、紙幣というよりも、商品との交換を前提にした商品券や小切手のようなものだったが、信用力のある実質的な通貨として流通し、地域経済を支えていたのであった。

ある意味では、このローカル・カレンシー(=地域通貨)は、競争力をもった実質的な通貨であったというわけだ。

通貨発行は究極の国家主権といわれるように、通貨発行の主体は、その通貨が支配的に流通する経済を牛耳ることができる。牛耳るつもりはなくても、自らのビジネスを好循環させるための有効なツールであったことはいうまでもないだろう。

中国共産党が最終的に制圧して人民元を流通させるのに成功するまで、中国大陸では日本の軍票も含めて、各種の通貨が入り乱れていたことは比較的よく知られていることだが、ロシア革命で混乱するシベリアでもそうだったことが、この小説で知ることができるのである。

通貨を制するものが、経済も政治も制することになるのである。これは歴史的な事実である。


極東ロシアのニコラエフスク・ナ・アムーレ(尼港)は、冬期には港が完全に凍結して封鎖都市になってしまう・・・


そもそもが、「忘れられた戦争」であり、ほぼ完全に忘却されている「尼港事件」だが、小説という形で取り上げた著者には敬意を表したいと思う。

「♫ 流れ流れて 落ち行く先は 北はシベリア、南はジャワよ~」というのは、「流浪の歌」という忘れられた流行歌の一節だが、大正時代までは南方のオランダ領東インド(・・現在のインドネシア)だけではなく、シベリアにも多くの民間人がチャンスを求めて渡っていたのである。

ニコラエスク・ナ・アムーレにも、長崎や天草の女性が多く渡航していたという。南方のボルネオについては、『サンダカン八番館』で有名になったが、シベリアにもまた「からゆきさん」たちが多くいたことは、『石光真清の手記』にも活写されている。

いまから考えると、なんでこんな北のはてまで日本人が仕事をももとめて渡航していたのかという気持ちにさせられるが、当時の日本人のたくましさだけでなく、当時の日本の救いようのない貧しさが根底にあったことは疑いえない。

わたしは、いまから12~3年前に仕事で極東ロシアにいったことがあるが、さすがにニコラエフスク・ナ・アムーレまではいっていない。

ハバロフスクとニコラエフスクのほぼ中間にあるコムソモリスク・ナ・アムーレまではいったことがあるが、それはコムソモリスクがソ連時代以来の工業都市だからである。ニコラエフスクは「尼港事件」で壊滅したあと衰退したままだという。

極東ロシアのニコラエスク・ナ・アムーレは冬期には港が完全に凍結するのである。だからこそ、ロシアは「不凍港」をもとめて、ウラジオストックを開港したのである。

ニコラエフスクはウラジオストックからさらに北方にある。緯度からいえば北樺太の先端に近い(・・上掲の地図を参照 本書に収録されているもの)。

「尼港事件」は、この冬期に凍結している時期に起こった惨劇なのである。日本人居留民と陸軍を中心とした守備隊の約700人がほぼ全滅しただけでなく、ロシア人や中国人、朝鮮人をふくめた住民 6,000人強が、4,000人近いパルチザン部隊(=遊撃隊=赤軍過激派)によって虐殺されているのだ。

下図は、『尼港事件の背景を探る』(佐藤誠治、文芸社、2011)に掲載されていたものだが、きわめて守備しにくい地形であることがわかる。周囲を包囲されて、日本守備隊は 10倍近い兵力の敵にはまったくかなわなかったということになる。

島田商会は、市街地の中心部の、アムール川に近い場所にある。


じつは、わたしがこの事件のことを知っているのは、祖父が「尼港事件」後に、徴兵されて「シベリア出兵」に参加し、通信兵としてパルチザン掃討戦に参加しているからだ。

「シベリア出兵」や「尼港事件」という固有名詞は祖父のクチから聞いたことはないが、遺品の「軍隊手牒」には「パルチザン掃討戦に参加」と記されている(・・いま手元にないので正確な記述ではない)。(追記:その後、調べたところ、祖父がいたのはウラジオストック周辺で、尼港にはいってなかった 2012年1月5日記す)。

人を撃つのがいやだから通信兵を志願して軍隊内でロシア語を猛勉強したという祖父のことだから、ニコラエスクのことは、あまり思い出したくなかったのかもしれない。

パルチザンとは共産ゲリラのことだが、じっさいには烏合の衆で、虐殺と略奪をほしいままにしたようだ。日本敗戦時の満洲でのソ連兵と同じ振る舞いが、すでに「尼港事件」で見られたということだろう。

島国に生まれて生きている人間には想像を絶することであるが、ユーラシア大陸の東側では有史以来なんども繰り返し行われてきたことだ

だが、その地にビジネスチャンスを見いだし、30年かけて大成功を実現した起業家も、国際情勢や歴史観にはうとかったがゆえの悲劇というべきだろうか。

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本書は、ほぼ全体にわたってフィクションではあるが、「忘れれられた戦争」である「シベリア出兵」に題材をとった希有な経済小説として、読んでみることを勧めたい。

フィクション以外は、じつによく綿密に調べて書かれているので、リアリティが高い出来になっている。






著者プロフィール

熊谷敬太郎(くまがい・けいたろう)   1946年(昭和21)4月生まれ。東京都出身。昭和46年学習院大学経済学部卒。同年、大広(広告代理店)入社。昭和51年ジェーピーシーを設立(雑貨の製造輸入)し、代表取締役に。川越市在住。本書が初の著作(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>


尼港事件 (wikipedia の「シベリア出兵」の項より)
1920年(大正9年)3月から5月にかけて、ロシアのトリャピーチン率い、ロシア人、朝鮮人、中国人4000名から成る、共産パルチザン(遊撃隊)が黒竜江(アムール川)の河口にあるニコライエフスク港(尼港、現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ)の日本陸軍守備隊(第14師団歩兵第2連隊第3大隊)および日本人居留民約700名、日本人以外の現地市民6000人を虐殺した上、町を焼き払った。この事件を契機として、日本軍はシベリア出兵後も1925年に日ソが国交を結ぶまで石油産地の北樺太(サガレン州)を保障占領した。

「シベリア出兵」については、『平和の失速-大正時代とシベリア出兵-(全8巻) 』(児島襄、文春文庫、1995 単行本初版  1994)が読み物としてはひじょうに面白かったが、この本も重版未定である。「シベリア出兵は、よほど現在の日本人の関心が低いのであろうか。残念なことだ。




(追記)

『シベリア出兵-近代日本の忘れられた七年戦争-』(麻田雅文、中公新書、2016) という本が2016年9月に出版された。「シベリア出兵」は第一次世界大戦の最中に起きた「ロシア革命」に対する干渉戦争。来年2017年は100年目となる。一冊の新書本でテーマがまるごと取り上げられたのは今回が初めてである。まさに「忘れられた七年戦争」である。「シベリア出兵」が一般読者の常識となるよいキッカケになると思う。たいへん喜ばしい。 (2016年10月7日 記す)





<ブログ内関連記事>

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「石光真清の手記 四部作」 こそ日本人が読むべき必読書だ-「坂の上の雲」についての所感 (4)




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「石光真清の手記 四部作」 こそ日本人が読むべき必読書だ-「坂の上の雲」についての所感 (4)




三年間にわたって放送されたNHKスペシャルド 『坂の上の雲』 が先日ついに完結した。

あらためて日本と日本人の底力を感じた人も少なくないと思う。今年2011年に放送した第三部は意図したわけではないだろうが、「3-11」後に生きる日本人にあらためて自らの内なる勇気を再確認させたことになったのではないか。

ただ、日露戦争をささえたのは、主人公である秋山兄弟や東郷平八郎、そして乃木希典や児玉源太郎といった表舞台にたった軍人たちだけではない

政治家は言うまでもないが、経済人もまた戦争遂行に死活的な意味をもつ軍費調達において多大な役割を果たしたことは 高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3) で書いたとおりだ。

しかしこういった指導者たちだけが戦ったのではない。『あゝ野麦峠』(山本茂実、1968)で克明に描かれたように、名もない女工さんたちが身を粉にして働いた絹織物が輸出されて貴重な外貨を稼ぎ、そのカネで海外から軍艦を買ったという事実も思い出さなくてはならないだろう。

司馬遼太郎が言う「まことに小さな国」だっただけではなく、「まことに貧しい国」であったわけだ。同時代の英国植民地のインドよりも、国際水準でみた労働コストは低かったのだ。その当時の日本は、まったくもって発展途上国だったのだ。

それを考えれば、自衛のための死にものぐるいの戦争だったとはいえ、身の丈を遙かに超えた無謀な戦争だったのである。

歴史というものは政治史や軍事史だけではない、こういった裏面史、あるいはオルタナティブな歴史をとりあげなくては、ほんとうの意味で全体像をつかんだことにはならない

日露戦争の「成功者」であったはずの秋山真之は、司馬遼太郎は語らないが、日本海海戦のあと宗教に向かってしまったことは知る人ぞ知ることである。国家の命運が彼一人の頭脳にかかっているという重圧のもと、責任を果たしたあと虚脱状態になってしまったのであろうか。現代風にいえばバーンアウト(=燃え尽き)たということだろうか。

日露戦争においてはきわめて多数の死傷者がでただけではない、じつに多くの人たちが巻き込まれ、人生を翻弄されているのである。

この時代を知るためには、「失敗者」として生きることを余儀なくされた日本人についても知るべきだろう。



日本人なら石光真清という明治人を知っておかねばならない




ここで取り上げる「失敗者」とは、石光真清(いしみつ・まきよ 1867~1942)のことである。

その長男である石光真人氏がまとめたのが『石光真清の手記 四部作』が 中公文庫から出版されている。 『城下の人』、『曠野の花』、『望郷の歌』、『誰のために』。

石光真清とは何をした人か? 一言で言えば、民間人にやつしてスパイ活動をおこなったインテリジェンス・オフィサーである。

わたしはこの四部作をいまから25年前に読んだが、じつに深い読後感を抱いたのであった。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだのはその後だが、司馬遼太郎は人生の明るい面しかみようとしない人だったのだなとつくづく思うのは、『石光真清の手記 四部作』をすでに読んでいたためでもあろう。

『城下の人』の文庫版のカバー裏に書かれた編者・石光真人氏の文章をそのまま引用しておこう。

私の父は明治元年に熊本城下に生まれ、稚児髷に朱鞘の刀をさして神風連、西南の役動乱のさなかをとび廻った。長ずるに及び軍人となり、やがては大津事件や日清戦争にあい、またロシア帝国の南下政策におびやかされる弱小国の一人として熱心にロシア研究を志し、ついに身をもって諜報活動にその一生を捧げる境涯に立ち至ったのである。 石光真人

まさに明治時代を生きぬいた日本人による手記なのである。

もともとは発表するためにつづったものではなく、死期にあたって著者みずからが焼却を図ったという。しかし幸いなことに、こうして整理編集されて、後の世に生きるわれわれも読むことができるのは、まことにもって幸いである。

内容は目次を一覧するのがいちばんだろう。

『城下の人』
夜明けの頃
神風連(しんぷうれん)
鎮台の旋風
熊本城炎上
戦場の少年たち
焦土にきた平和
父の死
自分の足で歩む道
東京
若い人々
天皇と皇后
出征の記
コレラと青竜刀
周花蓮
夢と現実
『曠野の花』
ウラジオストックの偽(にせ)法師
アムールの流血
異境の同胞たち
血の雨と黄金の雨
私のお願いとお君の願い
散りゆく人々
曠野の花
まごころの果て
哈爾浜(ハルビン)の洗濯夫
お花の懺悔録
めぐり逢いの記
お米の失踪
秘密計画
逃亡日記
お花の恩返し
人の運命と国の運命
志士と文士と密林の女
この日のために
『望郷の歌』
泥濘(ぬかるみ)の道
親友の死
老大尉の自殺
黄塵の下に
文豪と軍神
失意の道
海賊稼業創立記
二つの遺骨と女の意地
海賊稼業見習記
望郷の歌
家族
『誰のために』
大地の夢
弔鐘
長い市民の列
粉雪と銃声
日本義勇軍
生きるもの・生きざるもの
闇の中の群衆
三月九日の朝
亡命
野ばらの道
再起の歌
渡河
分裂
誰のために
残された道
解説-森銑三

明治維新の激動期から、日清日露の大戦を経て、シベリア出兵へと、ひたすら大陸での戦争、戦争とつづいていた時代の生活史でもある手記。日露戦争の前後やロシア革命後のシベリア出兵当時の満洲や極東ロシアの記述はじつに興味深い。

日本人、ロシア人、中国人、朝鮮人と、多くの民族が入り乱れていたのが大陸である。

軍人ではないが、軍の指揮下に入った民間人の軍事探偵として日露戦争の戦場にいた人物に中村天風もいた。だが、石光真清の人生は中村天風のような最終的な「成功者」とはあまりにも異なる。

日露戦争後も生きた石光真清の手記を読むことで、司馬遼太郎が描かなかった、描けなかった日本近代史を知る必要があると思うのだ。

明るい面だけみて暗い面を避けて通るのではなく、暗い面を見て知っていながらも明るく振る舞うことこそが、人間の生き様としては正しいのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

なお、編者の石光真人氏は、『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)も編集している。

賊軍とされて明治維新の敗者となった会津藩士たちとその家族は人生の辛酸をなめることにながるが、柴五郎(1860~1945)は、新政府において最終的に陸軍中将まで出世している。石光真清とは友人関係があり、晩年もお互い行き来していたという。

だが、二人のあいだでは、日露戦争のことなど一度も話題になったことがないのだとか。明治の男というものは、そういうものだったのか。

『石光真清の手記 四部作』は一度、仲村トオル主演で連続ドラマ化されている。NHKの「BSドラマスペシャル・石光真清の生涯」(1998年)である。

わたしはこのドラマは見ていないのだが、ぜひ再放送してほしいものだと思う。『坂の上の雲』だけでは、複眼的なものの見方はできないからだ。






<ブログ内関連記事>

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2)

高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3) 

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門

『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)は「敗者」の側からの血涙の記録-この本を読まずして明治維新を語るなかれ!
・・「石光真清の手記 四部作」の編者である石光真人氏によるもう一冊の日本人必読書!

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む

『ピコラエヴィッチ紙幣-日本人が発行したルーブル札の謎-』(熊谷敬太郎、ダイヤモンド社、2009)-ロシア革命後の「シベリア出兵」において発生した「尼港事件」に題材をとった経済小説

『図説 中村天風』(中村天風財団=編、海鳥社、2005)-天風もまた頭山満の人脈に連なる一人であった

(2014年1月15日、3月28日 情報追加&再編集)






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2011年12月29日木曜日

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである



ロシア革命とユダヤ系ロシア人の深い関係

「ロシア革命」に、社会変革を求める多くのユダヤ人たちが身を投じたことは、トロツキー(・・本名はブロンシュテイン)などの有名人を除けば一般にはあまり知られてこなかった事実かもしれない。

今年(2011年)、『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)という本が出版された。

一般人の目に触れることはあまりない本だと思われるので、この機会に紹介しておきたい。関心がれば図書館で閲覧してみてほしい。

本書は、参考文献と目次までふくまれば600ページを超す大著であるが、人名索引は完備されているので、「ロシア革命におけるユダヤ人革命家辞典」として使うこともできるだろう。

ただし、固有名詞のロシア語表記がないのが玉に瑕ではあるが。また、表紙の肖像写真は、革命によって殺害されたニコライ二世なので内容にはあまりふさわしくないのだが。

本書で取り上げられたユダヤ人革命家は 500名で、著者はこれでほぼ9割はカバーされたのではないかと述べている。

これを意外と多いと思うか、あるいは少ないと思うかは読者の判断にゆだねられる。ユダヤ人とは何かという定義は、イスラエルでは「ユダヤ人の母から生まれた人」となっているが、本書ではなんらかの形でユダヤ人の血が流れている人が収録されている。かのレーニンでさえ、ユダヤ人のクオーターなのである。

近代に入って「解放」が進んで市民社会に参入し「同化」する道を選択した西欧社会のユダヤ人とは大きく異なる状況のもとに、ロシアのユダヤ人は生きていた。そしてアシュケナージ系ユダヤ人の大半の居住地域はロシア帝国内にあった。

当時のロシアに住むユダヤ人たちは、「社会主義」に社会変革の夢を託すという道か、あるいは父祖の地であるパレスチナに入植するという「シオニズム」の運動に身を託すという方向性があった。この両者のあいだにはグラデーションを描いてさまざまな運動があり、社会主義シオニズムという方向性もあった。

そもそもユダヤ人には、「メシア思想」と「終末論」がある。キリスト教に改宗したユダヤ人であったカール・マルクスの思想自体、「メシア思想」と「終末論」を色濃くもっていることは、「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む にも書いておいた通りである。

近代教育を受けた知識階層に社会主義思想がアピールしたのは、社会主義の根底に「千年王国的」な「ユートピア思想」があったこともその理由の一つであろう。知識階層の多くがユダヤ律法学者であるラビの家系に生まれている。ただし、近代教育を受けた社会主義者たちのようにユダヤ教の伝統を拒否した者たちと、むしろユダヤ教の伝統に還ることを志向した者にわかれたのも当然だろう。おそらく知識人以外の大多数を占める一般人はその中間であったろうが。

社会主義を選択したユダヤ人知識層は、社会主義革命によって民族問題は解決すると考えて、社会主義革命に理想を託したわけだった。その夢は「ロシア革命」後に、ユダヤ人差別が消滅しなかったため、無残にも打ち砕かれることになるのだが、あまり先走りすぎてもいけないだろう。

本書では、ロシア革命にいたる前史もふくめて、ユダヤ人革命家たちが分類されている。

ナロードニキ(人民主義者)
シオニズム
エスエル(=社会革命党)
ブンド(=リトアニア・ポーランド・ロシア・ユダヤ人労働者総同盟)
メンシェヴィキ(=ロシア社会民主労働党が分裂して形成された社会主義右派)
ボルシェヴィキ(=ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、レーニン率いる左派の一派)
そして、秘密警察の属したユダヤ人革命家

まずは目次を見ておこう。

目 次

第1章 革命に走ったユダヤ人の原点
(1) 帝政末期とソヴィエト時代初期のユダヤ人の環境
(2) ユダヤ教の教え
(3) ユダヤ人の教育
(4) トロツキーの出自
(5) 非ユダヤ的ユダヤ人
第2章 19世紀最初のツァーリ二代とユダヤ人
(1) ユダヤ人弾圧の長い歴史
(2) エカチェリーナ二世の時代
(3) アレクサンドル一世の時代
(4) ニコライ一世の時代
第3章 「解放皇帝」のユダヤ政策
(1) 「解放皇帝」のユダヤ人に対する緩和政策とその停止
(2) 「解放皇帝」の暗殺にかかわた唯一のユダヤ人
(3) ウラジーミル・レーニンに流れるユダヤ人の血
(4) アレクサンドル二世時代のユダヤ人革命家リスト
(5) ドストエフスキーのユダヤ人観
第4章 ユダヤ人ナロードニキ
(1) ナロードニキ運動の誕生
(2) ナロードニキ運動にかかわったユダヤ人革命家リスト
第5章 反改革皇帝アレクサンドル二世
(1) アレクサンドル三世による虐殺と「慈悲を与えない政策」
(2)  追放されるユダヤ人
(3) 反ユダヤ政策への国際的批判
(4) アレクサンドル三世時代のユダヤ人革命家リスト
(5) トルストイ、チェーホフらのユダヤ人観
第6章 最後の皇帝ニコライ二世とユダヤ人
(1) ニコライ二世によるさらなる弾圧
(2) 反ユダヤ主義者とその暗殺者
(3) 次々と起こるポグロム(ユダヤ人集団虐殺)
(4) ラスプーチンとユダヤ人秘書シマノヴィチ
(5) ニコライ二世一家処刑にかかわったユダヤ人革命家
第7章 シオニズム運動の先駆者たち
(1) ロシアから始まったシオニズム運動
(2) 帝政末期、ロシアでのシオニズム運動にかかわた人々
第8章 社会主義諸政党のユダヤ人活動家
(1) 十月革命に奔走したユダヤ人革命家
(2) エスエル党所属のユダヤ人革命家リスト
(3) エスエル党以外のユダヤ人革命家リスト
(4) 「ユダヤ民主主義グループ」の活動家
第9章 ブンドで活躍した革命家たち
(1) ユダヤ人労働運動とブンド
(2) ブンドにおける革命家リスト
第10章 ユダヤ人メンシェヴィキ
(1) ロシア社会民主労働党とユダヤ人メンシェヴィキ
(2)  メンシェヴィキに属したユダヤ人革命家リスト
第11章 ボリシェヴィキの主要ユダヤ人
(1) 十月革命は「ユダヤ人の革命」
(2)  ボリシェヴィキに属したユダヤ人革命家リスト
第12章 秘密警察のユダヤ人リスト
(1) 秘密警察におけるユダヤ人革命家
(2)  秘密警察 に属したユダヤ人革命家リスト

付記 メドヴェジェフ・ロシア大統領の出自
「ロシア・ユダヤ人革命家」 年表
主な参考文献一覧
人名索引

目次を通読してみれば、ロシア帝国におけるロシア革命の歴史の概要が把握できるだろう。






ロシアではなぜユダヤ人たちの多くが革命に身を投じたのか?

では、なぜユダヤ人たち帝政ロシアにおいて社会変革をつよく望んでいたのか。

それにはポグロムについて説明する必要があろう。ポグロムとは一般民衆やコサックなどによるユダヤ人虐殺のことである。

キリスト教世界では、ユダヤ人はイエス・キリストを磔(はりつけ)にかけたとして中世以来、憎悪の対象となってきたが、とくにロシアでは政府によって、計画的、組織的に徹底して行われたことを指摘しなくてはならない。

ある意味では、ナチスドイツによるホロコーストの先駆ともいえるもので、ポグロムを避けるために多くのユダヤ人が米国やパレスチナに移民したのである。『屋根の上のバイオリン弾き』でも、移民たちのことが描かれている。

ポグロムについてはとロシア社会とユダヤ人-1881年ポグロムを中心に-』(黒川知文、ヨルダン社、1996)が日本語で読めるもっとも詳細な研究書である。

もともとアシュケナージとよばれる東欧系ユダヤ人の多くはポーランドに居住していたのだが、三回にわたる「ポーランド分割」の最後となった1795年の「第三次ポーランド分割」によって、ポーランド・リトアニア共和国が完全に消滅し、東半分がロシア帝国に併合された結果、イディッシュ語をしゃべるユダヤ人たち約100万人がロシア帝国の臣民となったのである。

ポーランド時代は国王によって保護されていたユダヤ人たちは、東方正教会の盟主であるロシア皇帝の治世のもとでは、過酷な運命を迎えることとなった。それがポグロムというユダヤ人集団虐殺に代表される弾圧や差別である。

こういう状況のなか、「座して死を待つ」わけにはいかないと思ったユダヤ人たちの選択肢には大きく分けて二つあったのである。

それは、米国やパレスチナに移民として移住するか、あるいは革命家として積極的に内側から社会変革を行うかの道であった。

革命家としてロシア国内で内側から体制変革する道を選択したのは、いずれも知識階層である。

だが、大多数のユダヤ人は、資本家でも革命家でもなく、また移民したくてもそのカネがなければロシアにとどまらなくてはならなかったので、ロシア国内にとどまることとなった。


ロシア革命と日露戦争

そういう状態であったロシアと日本が戦争になる可能性が高いと知ったユダヤ人投資銀行家が、自らのビジネスをつうじてロシアに圧力をかける道を選択している。

米国のドイツ系ユダヤ人の投資銀行家ジェイコブ・シフが日本の戦時公債を引き受けたのは、ロシアにおけるユダヤ人同胞の生存状況を改善させるため、ニコライ二世に圧力をかけるのが目的の一つであったことは、すでに高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3) にも書いたとおりである。

また、明石元二郎陸軍大佐による後方攪乱工作もあった。

ロシアの帝政を倒そうとしていた革命家たちに資金援助をつうじた工作は、日本海海戦におけるロシアの敗北直後に発生した「血の日曜日事件」に実を結んでいる。一説によれば、スイスのチューリヒから封印列車によってレーニンを送り込んだのは明石大佐だと言われるが、真偽は定かではない。

このようなこともあって、ロシアのユダヤ人たちの存在は、近代日本にとってもけっして無縁ではなかったのである。

また、帝政ロシア時代に秘密出版されて出回った偽書『シオンの長老の議定書』(通称 プロトコル)というものがある。

これは現在でもユダヤ陰謀説の原典となっているが、ロシアから出てきたことに注意しておきたい。

ロシア革命によるソ連成立後に行われた干渉戦争である「シベリア出兵」の際、出征した日本陸軍が日本国内に持ち帰って日本国内でも広まることになった。

これがいまだに消え去っていないのはまことにもって残念なことだ。


社会変革の二つの方法-革命家としてか、資本家としてビジネスをつうじてか?

「ロシア革命」によって、はたしてユダヤ人は「解放」されたのか? 社会主義革命は民族問題を解決したのか?

このテーマはまた運命の皮肉を語ってやまないものだ。革命に参加したユダヤ人の比率が高かったことがかえって、あだになったとさえ言えるかもしれない。

ユダヤ人革命家たちの多くが、スターリンのの粛清で命を失っていいるだけでなく、ソ連時代をつうじてユダヤ人がけっして幸せな生活を送っていたわけではないことは、出国を希望する者が多かったことにも表れている。

ソ連崩壊後は、民族国家が分離独立しただけでなく、多くのユダヤ系市民が、米国とイスラエルに移住して現在に至っている。

グーグルの共同経営者であるセルゲイ・ブリンもまた、少年時代にソ連から米国に移民したユダヤ人の一人。

一方、ソ連崩壊後にソ連出身のユダヤ人が大活躍したことは、エリツィン政権下ではユダヤ系の政治家が多かったことと、いわゆるオルガルヒヤの存在に端的に表れている。

オルガルヒヤとは英語のオリガーキー(oligarchy)、いわゆる寡占資本家のことである。ひらたくいえば、ソ連崩壊から民有化への移行期に財産を形成した大富豪たちのことだ。

だが、かれらの多くは行き過ぎたため反感を買い、弾圧の対象となって、その多くが国外逃亡したり、投獄されている。かえってソ連崩壊後に反ユダヤ主義が拡大しているありさまだ。

大富豪となると私財を使って政治に進出する誘惑にかられる。そして一線を越えたことに気がつかず、真の権力者の虎の尾を踏んでしまうことになったわけだ。

この点においては、日本の戦時国債を引き受けたドイツ系ユダヤ人の米国人投資銀行家ジェイコブ・シフは政治家をめざしはしなかったものの、自らのビジネスをつうじて社会変革を行おうとした人であったことがわかる。

みずからが政治に乗り出さなくても変革を行う手段はいくらでもある。先に名前をだしたセルゲイ・ブリンは革命家ではないが、「検索」によって世界を変革する夢を実行している点において「革命家」といっても言い過ぎではないかもしれない。

このように、左派であれ右派であれ、変革を志向する傾向がユダヤ人には強い。左派は社会主義者として、右派は資本家や実業家として。もっとも、左派と右派はそう簡単には区分はできないものであるが。

したがって、「革命とユダヤ人」というテーマは、古くて新しいのである。だからこそ、ロシア革命に多くのユダヤ人革命家たちが身を投じたことは、歴史的事実として知っておきたいことなのだ。




<参考文献>

ロシア社会とユダヤ人-1881年ポグロムを中心に-』(黒川知文、ヨルダン社、1996)




『葛藤の一世紀-ロシア・ユダヤ人の運命-』(サイマル出版会、1997)は、『ロシア・ソヴィエトのユダヤ人100年の歴史』(ツヴィ・ギテルマン、池田智訳、明石書房、2002)として再刊ソ連成立後のユダヤ人の歴史についても詳しい。果たして「ロシア革命」によってユダヤ人は「解放」されたのか?




PS ロシアとユダヤ人の関係について、手っ取り早く知りたい人は、『ロシアとユダヤ人-苦悩の歴史と現在(ユーラシア・ブックレット)』(高尾千津子、東洋書房、2014)をすすめます。63ページの小冊子なのでザッとつかむにはよいでしょう。(2014年5月31日 記す)





<ブログ内関連記事>

高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3) 
・・ロシアのユダヤ人を救うことも目的の一つであった

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた
・・ウクライナの富農の家に生まれたトロツキー(・・本名レフ・ブロンシュテイン)もまたロシア革命に身を投じたユダヤ人。晩年はメキシコに亡命し、その地でスターリン主義者に暗殺された

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・社会主義のメシア主義的な構造について

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・強制収容所のテレージエンシュタットを生きのびたユダヤ思想家の著者でユダヤ教の本質を知る

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)

書評 『ソ連史』(松戸清裕、ちくま新書、2011)-ソ連崩壊から20年! なぜ実験国家ソ連は失敗したのか?

書評 『グーグル秘録-完全なる破壊-』(ケン・オーレッタ、土方奈美訳、文藝春秋、2010)-単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か?

(2014年2月15日 情報追加)







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高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3)



「3-11」後の日本人には『坂の上の雲』は意味あるドラマとなったかもしれない

三年越しで製作されたNHKスペシャルドラマ 『坂の上の雲』。ついに、日本海海戦というクライマックスを描いて、すべての放送が終了しました。

今頃なぜこういう高度成長期の日本人サラリーマンたちを鼓舞した作品をドラマ化するのかと昨年まではいぶかしんでいたわたしですが、さすがに「3-11」を体験した日本人にとっては必要なドラマではないのか、という気持ちをもったのも確かです。

大地震と大津波、そして原発事故だけにとどまらず、さまざまな危機によって追い込まれている日本と日本人は、いまこそ底力を発揮して、国難を乗り越えなくてはならないわけですから、重要なメッセージを送ることになったのかもしれません。NHKとしても、ドラマ化の企画をした際は、そんなことはまったく意図すらしなかったでしょうが。

秋山好古が指揮する陸軍騎兵隊によるコサック騎兵に対する勝利や、秋山真之が参謀として起草し、東郷平八郎が実行しきった「日本海海戦」というパーフェクト・ゲーム。これが見事に実を結んで結果を出したことを映像でみていると、日本人は追い込まれれば強いのだ、ということを実感せざるを得ないのです

ドラマでも少しだけ取り上げられていましたが、舞台裏でもっとも大きな役割を演じたのが高橋是清(たかはし・これきよ)でしょう。

1936年(昭和11年)の二・二六事件で陸軍将校によって殺された高橋是清(1854~1936)ですが、日露戦争当時は日銀副総裁であった彼は、軍費調達のための外債発行というきわめて重い役割を果たして、結果をだしたのでした。

もし外債引き受けが成功しなかったなら、日本はたちまち資金不足となって戦争継続が不可能となっていたでしょう。そしてその結果は・・・。

年間の国家予算の6倍(?)という、当時としてもきわめて巨額な18億円強(!)軍費をつぎ込んで、かろうじて勝利を得たのが日露戦争の実相でありました。圧勝ではなく辛勝だったのです。

財政の観点からみると、まさに身の丈をこえた無謀な取り組みであったのであり、あらゆる点において、交戦国のロシア帝国には劣っていたのが、その当時の日本であったのです。

このときの経験については、『高橋是清自伝 上下』(高橋是清、上塚司=編、中公文庫、1976)で回想されています。

わたしはこの本を、大学時代に読みましたが、たいへん興味深く読んだものです。もし機会があれば、高橋是清の生涯は波瀾万丈のものですので、ぜひお読みになるとよろしいかと思います。

日露戦争における戦時国債引き受けのために奔走した記録は、文庫版では下巻の後半、つまり全体の四分の一に及び、まさに回想録ハイライトとなっています。


高橋是清の盟友であったユダヤ系の投資銀行家ジェイコブ・シフとは?

外債募集のキーマンとなったのが、『自伝』ではヤコブ・シフと表記されている米国の投資銀行家です。

米国人ですから、ジェイコブ・シフと表記するのが本来なら適当でしょうが、高橋是清自身はヤコブと呼んでいたのかもしれません。

日露戦争100年となった2005年に、『日露戦争に投資した男-ユダヤ人銀行家の日記-』(田端則重、新潮新書、2005)という面白い本が出版されています。この本では、ジェイコブ・シフと表記しています。

この本によれば、ジェイコブ・シフ(Jacob Schiff :1847~1920)は、ドイツのフランクフルト生まれのユダヤ人。ドイツ語読みすれば、ヤーコプ・シフとなりますので、ヤコブ・シフであってもとくに問題はないでしょう。

シフ家は、金融都市フランクフルトでは、ロスチャイルド(=ロートシルト)家とは、同じ建物を共有して住んでいた、とか。ちなみにシフはドイツ語で船のことです。英語なら Ship ですね。ロートシルト(Rot-schild)は「赤い看板」あるいは「赤い標識」。広瀬隆の大著では「赤い盾」というタイトルになっていますが、それは正確ではありません

旧世界の欧州には飽きたらず、18歳で米国に移民して、ドイツ生まれでありながらニューヨークのウォールストリートで投資銀行家として身をなしたのがジャエイコブ・シフです。

クーン・ローブ商会(Kuhn Loeb & Co.)は、シフのもとでモルガンと並ぶ有力な投資銀行となりましたが、シフの死後は世界大恐慌もあって衰退し、1977年にリーマン・ブラザーズに統合され、クーン・ローブ・リーマンとなりました。その後、1984年にアメリカン・エキスプレスに買収された際に、クーン・ローブの名が消えたのは、日本人からみると恩人の会社が消えたことになりますので、たいへん残念なことです。

なお、ローブの名前は、ローブ家のジェイムズ・ローブが創設者となった、「ロエブ古典叢書」(Loeb Classical Library)に残っています。ギリシア・ラテンの古典を英語対訳で収録した叢書で、現在ではハーバード大学出版局が扱っています。

さて、ジェイコブ・シフに話を戻しますが、彼はなぜ日本の戦時公債を引き受ける決意をしたのでしょうか? 

それには、当時のロシア帝国でユダヤ人たちが置かれていた状況について知っておく必要があります。

キリスト教のロシアでは、ユダヤ人たちは偏狭なキリスト教徒たちの憎悪の対象となっており、たびたび起こったポグロムにおいて、一般民衆やコサックなどによって虐殺されていたのです。

シフは、ロシアにおけるこういう状況からユダヤ人を救うためにはどうしたらいいのか、という観点から日露戦争を見ていたのでした。


ウィン=ウィンの交渉とビジネスをつうじた社会変革

『日露戦争に投資した男-ユダヤ人銀行家の日記-』には、シフは熱心なユダヤ教徒であったとして、次のように書かれています。

全米ユダヤ人協会会長も務めるシフという人物が、ユダヤ同胞に圧政を敷くロシアに打撃を与えたいと考え、日本を支援したことには疑いを入れない。しかし、フランクフルトからアメリカに来たドイツ系アメリカ人でありながらアメリカ金融界の頂点にたどり着いた男が、日本に肩入れすることにビジネスチャンスを見いだしたとしても矛盾しない。(P.44 太字ゴチックは引用者=わたし)

ビジネスをつうじて社会変革を行う、これはユダヤ人実業家にとってはけっして例外ではないようですね。最近の例でいえば、グーグルの共同経営者セルゲイ・ブリン(・・ちなみに彼は少年時代にソ連から米国に移民)とラリー・ペイジ、フェイスブックの創業者マーク・ザッカーバーグなどが思い浮かびます。

『日露戦争に投資した男』によれば、投資銀行家のシフは、日露開戦の情報は事前につかんでおり、日本が発行する戦時国債の引き受けの打診も受けていたようです。ユダヤ人指導者の会合で、公債引き受けの件を動議として提出し、全員一致の結論を得ていたとのことです。

こういう背景があって、初対面の高橋是清と意気投合したのである、と。その結果、戦時国債はロンドンだけでなく、ニューヨークでも引き受けてもらうことが可能となったのでした。

ジェイコブ・シフの側からみれば、自分たちの金融ビジネスとしてもディール成立となるだけでなく、ロシア帝国で苦しむユダヤ人同胞の救出にもつながる一石二鳥の取引であり、高橋是清からみれば、日露戦争を遂行する下支えを行うという自分のミッションを果たすことになったわけです。

まさにウィン=ウィン(Win-Win)、交渉はかくあるべしといった好例でしょう。

日露戦争終結後に、日本政府がジェイコブ・シフに旭日大綬章を授与して最大限の感謝の意を表したのは、ある意味では当然だったわけです。

日本に招待されて明治天皇と会食した際の感想が、シフの日本滞在日記には記されており、『日露戦争に投資した男』に翻訳されて収録されていますが、当時の日本を投資銀行家の眼でみた、たいへん興味深い内容です。現代でいえば、ジム・ロジャーズの世界一周記録(investment biker)のような内容です。

ところで、クーン・ローブ商会は、日露戦争後に満洲での鉄道利権の譲渡を求めた鉄道王ハリマンとは事業のパートナーであり、モルガン財閥とは競合していました。

この点において、シフの利害と日本の利害は日露戦争後は対立することになって不快感を覚えていたようですが、高橋是清との交友関係は死ぬまで続いていたとのことです。

シフは訪日の際に高橋是清から頼まれて、娘の高橋和喜子を二年間ニューヨークで預かることになりました。この件については、シフの日本滞在日記に記されています。


弱肉強食の近代世界において、日本とユダヤは「合わせ鏡」の存在であった

欧米中心の「近代世界」に遅れながらも参入することを決意した日本民族とユダヤ民族この二つの民族にきわめて多くの共通点があることについても指摘しておくべきことかもしれません。

欧州でユダヤ人が「解放」されたのは、18世紀後半から19世紀にかけてであり、その後はじめてユダヤ人居住区のゲットーから外にでて、市民社会で生きていくことになったわけです。ですから、きわめて遅れて近代社会に参入したことになります。

日本人は言うまでもなく、幕末に強いられた「開国」と明治維新によって、弱肉強食の近代社会で生きぬくことを強いられることになりました。

近代世界のメインストリームである欧米西洋社会に入ってきた新参者としての苦労と悲哀、成功と失敗、いまなお残る差別。これは、ユダヤ人も日本人も共に体験してきたことであります。

欧米人の精神の深部に沈殿している憎悪、畏怖からくる差別感情に、つねにさらされていたことも共通しています。

日本民族とユダヤ民族がよく似ているだけでなく、ジェイコブ・シフのように直接に日本と日本人とかかわったユダヤ人は少なくありません。

『日本とユダヤ-その友好の歴史-』(ベン・アミー-シロニー、河合一充訳、ミルトス、2007)という本がありますが、Amazon には、同書の詳細な紹介文がアップされていますので、ぜひご覧になってください。

日露戦争に限定してみても、砲弾をうけて片腕を失って日本側の捕虜となり、日本の捕虜収容所で過ごした体験をもつユダヤ系ロシア人ヨセフ・トルンペルドール(1880~1920)といった人もいます。彼は、のちにパレスチナにシオニストの入植者として渡り、アラブの大軍と戦って玉砕するという壮絶な最期を遂げています。

合わせ鏡のような日本人とユダヤ人。近代世界に突入して40年たらずで日露戦争という近代戦を戦いぬいた日本人を賞賛したのは、ユダヤ人も含めて世界各地にいたことを知っておきたいものです。

欧米中心の近代世界のなかで差別されてきた存在であり、しかしながら、したたかにかつ毅然と生き抜いてきたユダヤ民族から日本民族が学ぶべきものはきわめて大きいのです。

ところで、日本人の底力。これは、ど根性や土性骨(どしょうぼね)やガッツと言い換えてもいいかもしれません。

奇しくも、ほぼ同じようなニュアンスのコトバをユダヤ人たちも使ってきました。それはフツパ(chutzpah)です。ヘブライ語から、中東欧のユダヤ人が使ってきたイディッシュ語になったこのフツパは、現在は米語(=アメリカ英語)にも取り入れられています。

こんなとこにも、日本人とユダヤ人の共通点があるのはじつに面白いことです。

日本とユダヤとの縁が浅からぬものであることは、さまざまな面に表れているのです。










<関連サイト>

日露戦争の外貨調達については、wikipedia の日露戦争の項を参照。

ヨセフ・トルンベルドール(Joseph Trumpeldor)については、wikipedia の Joseph Trumpeldor の項を参照。日本と深くかかわりのあったユダヤ人について、日本語での説明がないのは残念だ。



<ブログ内関連記事>

書評 『富の王国 ロスチャイルド』(池内 紀、東洋経済新報社、2008)
・・ドイツ文学者の池内紀氏は、ロートシルトを正確に「赤い看板」あるいは「赤い標識」と訳している。

書評 『大使が書いた 日本人とユダヤ人』(エリ・コーヘン、青木偉作訳、中経出版、2006)
・・空手家の元イスラエル駐日大使が書いた「日本人とユダヤ人」

書評 『諜報の天才 杉原千畝』(白石仁章、新潮選書、2011)-インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝は同盟国ドイツからも危険視されていた!

映画 『ウォール・ストリート』(Wall Street : Money Never Sleeps) を見て、23年ぶりの続編に思うこと

『資本主義崩壊の首謀者たち』(広瀬 隆、集英社新書、2009)という本の活用法について

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?(2009年12月の所感)

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2)(2009年12月の所感)

書評 『黒船の世紀 上下-あの頃、アメリカは仮想敵国だった-』 (猪瀬直樹、中公文庫、2011 単行本初版 1993)-日露戦争を制した日本を待っていたのはバラ色の未来ではなかった・・・

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・単行本出版時のタイトルは、『高橋是清後の日本-持たざる国への道-』(大蔵省財務協会、2010)

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2011年12月27日火曜日

書評 『諜報の天才 杉原千畝』(白石仁章、新潮選書、2011)-インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝は同盟国ドイツからも危険視されていた!


インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝は同盟国ドイツからも危険視されていた!■

国際連盟を脱退し、情報収集の機会を大幅に狭められた日本。

そんな状況のなか、優秀なインテリジェンス・オフィサーの活動に期待するところはきわめて大きかった。これが杉原千畝を活躍させた背景である。

「命のビザ」によるユダヤ人救出は、対ソ連戦略の意味合いが濃い。これが本書を読んだ最大の収穫だ。

「命のビザ」の物語の伏線には、ポーランド亡命政府諜報機関との密接な連携がある。1939年にドイツとソ連によって侵略されたポーランドは亡命政府をパリに樹立、のちフランスがドイツに降伏するとロンドンに移す。

日本とポーランドはソ連(=ロシア)を挟んだ "隣国" の関係にあり、日露戦争時の明石大佐以来、インテリジェンスの分野で密接な関係を築いてきた。 これは知る人ぞ知る二国間関係である。

ロシア語以外にもフランス語その他をよくした語学の達人であった杉原千畝は、ソ連からだけでなく同盟国ドイツからも危険視されていたほど超優秀なインテリジェンス・オフィサーであった。この事実も、一般人の杉原千畝像を書き換えるだけのものがあるだろう。

いわゆる「命のビザ」を発給したリトアニアのカウナス総領事時代のユダヤ人少年との切手を介した友情のエピソードが本書に紹介されているが、これはまさにインテリジェンス・オフィサーの面目躍如といったところだ。小さなピースから大きな絵を再現するための情報収集の一環でもあるのだ。

杉原千畝のインテリジェンス・オフィサーとしての側面が、いままであまり語られてこなかったのは、おそらくこいういう理由からだろう。

それは、たとえ身近な家族であってもすべてを語るわけにはいかないという、職業にともなう守秘義務の感覚である。これは、医者や弁護士、経営コンサルタントなど守秘義務を守る職業には共通することだが、職業倫理は生活習慣化すると第二の本性となるのである。インテリジェンスオフィサーもまた、秘密は墓場までもっていく。そうでないとインテリジェンスのコミュニティからは追放されてしまう。

その意味では、膨大な外交文書からあらたな事実を掘り起こしてくれた著者の仕事には感謝したい。

ただ、あまりにもインテリジェンス活動を狭く捉えすぎているのではないかという気がしないわけではない。これは著者があくまでも研究者であって、外交官や軍人といった実務家出身ではないためだろう。その点は割り引いて読む必要がある。

できれば、インテリジェンス活動にとって不可欠な地図をもっとふんだんに挿入して、理解の助けとしてもらいたかったところだ。インテリジェンスと地図は切っても切れない関係にあるからだ。

「命のビザ」も、善意の行為としてだけで見るのはあまりにも一面的だ。何事であれ、世の中の出来事は複眼的に見なければ本質を見落としてしまう

それでもなお、杉原千畝の行為はすばらしいものであったというべきだろう。動機やキッカケはさておき、結果として(!)多くのユダヤ人の命を救うことになったのだから、ユダヤ人にとってだけでなく、長い目で見れば日本の国益のために働いたと顕彰すべきであろう。

プロフェッショナルの仕事とはどういうものか知る意味でも、ぜひ一読をお奨めしたい。



<初出情報>

■bk1書評「インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝は同盟国ドイツからも危険視されていた!」投稿掲載(2011年12月2日)
■amazon書評「インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝は同盟国ドイツからも危険視されていた!」投稿掲載(2011年12月2日)

*再録にあたって大幅に書き換えた。






目 次

プロローグ 杉原の耳は長かった
第1章 インテリジェンス・オフィサー誕生す
第2章 満洲国外交部と北満鉄道譲渡交渉
第3章 ソ連入国拒否という謎
第4章 バルト海のほとりへ
第5章 リトアニア諜報網
第6章 「命のヴィザ」の謎に迫る
第7章 凄腕外交官の真骨頂
エピローグ インテリジェンス・オフィサーの無念

著者プロフィール    
白石仁章(しらいし・まさあき)
1963年、東京生まれ。上智大学大学院史学専攻博士課程修了。在学中の1989年より、外務省外交史料館に勤務し、現在に至る。東京国際大学および慶應義塾大学大学院で教鞭を執っている。外交史とインテリジェンス・システム論が専門。特に杉原千畝研究は、大学在籍中からのテーマである(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



PS 2015年公開の日本映画 『杉原千畝 スギハラチウネ』にあわせたものだろう、本書『諜報の天才 杉原千畝』が『杉原千畝: 情報に賭けた外交官』改題されて新潮文庫から文庫化された。(2015年12月27日 記す)





<書評への付記>

ソ連の外部からソ連情報を収集する目的でリトアニア駐在になった外交官の杉原千畝が、ユダヤ人難民にビザを発給したことは独断で行った美談として一般には知られているが、じつはかならずしもそうではなかったようだ。

情報将校とユダヤ人とのかかわりもまた同じ。ユダヤ人を救うのが目的ではなかったが、結果として多くの人命を救出することにつながった。

ただそうはいっても、何事であれ、「結果よければすべてよし」ということべきだろう。

わたしが杉原千畝の名前をはじめて知ったのは、1991年前後のことである。

米国に留学していた際、MBAの授業で「ウォール・ストリート・ジャーナル」を購読するようにつよく勧められて、その通り実行していたのだが、あるとき In memory of Sempo Sugihara とか書かれた顔写真入りの追悼会の広告が掲載されているのを見て、センポ・スギハラとはいったい誰だろう?、と思ったのが最初である。

その後、日本に帰国してから、その当時はじまった「命のビザ」物語のブームで、杉原千畝について知るようになったのである。スギハラ・チウネと読むと知ったのもそれ以降のことだ。その後の杉原千畝の知名度アップについては、あえて書くまでもないと思う。

ところで、「日本のシンドラー」というニックネームはまったくいただけない。ドイツの実業家シンドラー氏とは、動機もキッカケも大きく異なるだけでなく、日本人の行為を外国人になぞらえて説明すること自体が後進国的ではないか。「シンドラーはドイツのスギハラである」くらいのことを言うべきだ。

なお、本書については、著者はいかにも「戦後派」らしく、軍事上の謀略とインテリジェンスを峻別しているが、かならずじもそう言い切れるものではないのではないだろうか。

戦前の日本陸軍による謀略活動が、あまりにも繊細さ欠き、インテリジェンスが不徹底なまま実行したために政治問題を引き起こしたケースが多かったことによるアレルギーが残っているためだろう。

諜報にとどまらず謀略まで行う米国の CIA やイスラエルのモサドのようなインテリジェンス機関の仕事内容を考えてみたらよい。とくに、インテリジェンスをサバイバルの要としているイスラエルの状況を考えてみるとよい。

『シンドラーのリスト』を製作し監督したのがスピルバーグ監督であるが、おなじくユダヤ人の活動をテーマにした映画『ミュンヘン』を思い出していただきたいのだが、今年(2011年)米国が海軍特殊部隊の SEAL に実行させたオサマ・ビン・ラディン暗殺作戦も、じつに綿密なインテリジェンス活動の積み重ねのうえに実行され成功を収めたものだ。

空手のアナロジーで語れば、インテリジェンスのみにとどめるのが「寸止め」だとすれば、謀略まで進めば 「突き」 や 「蹴り」 などの当て技となり、とくに 「回し蹴り」 に該当するというべきだろう。

「ソフトパワー」というコンセプトを作り出した政治学者のジョゼフ・ナイは、軍事力のハードパワーに対して文化力などのソフトパワーの重要性を主張しているが、最近では「スマートパワー」というコンセプトで、ハードパワーとソフトパワーを融合してスマート(=賢く)に使うことが重要だと主張している。

「孫子の兵法」ではないが、「戦わずして勝つ」のが最高である。そのためのインテリジェンスなのだ。






<ブログ内関連記事>

書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える
・・神道の家に生まれ、キリスト教から最終的にユダヤ教に改宗したヘブライ語学者・小辻節三は、杉原ビザをもったユダヤ人難民を救出した重要な人物である

書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)
・・ユダヤ人の記憶に残るジェネラル・ヒグチもまた、満洲でユダヤ人を救出にかかわった人

ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・満洲とユダヤ人の関係はじつに面白い。その一部を書いてみた

『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)を中心に、現代イスラエルを解読するための三部作を紹介


ドイツとロシアに挟まれたポーランドの地政学的立ち位置

書評 『ソ連史』(松戸清裕、ちくま新書、2011)-ソ連崩壊から20年! なぜ実験国家ソ連は失敗したのか?
・・スラブ対ゲルマンの長い闘争の歴史のなかにある国境を接するドイツとの確執は、第二次大戦においてソ連に多大な損害を、物的にも人的も及ぼした

書評 『ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠』(梅原季哉、平凡社、2014)-日本とポーランド交流史の一角にこんな日本人がいたのだ!


移民と難民

欧州に向かう難民は「エクソダス」だという認識をもつ必要がある-TIME誌の特集(2015年10月19日号)を読む
・・シリア難民は第二次世界大戦時のユダヤ難民につぐ規模

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版、2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する


外交と軍事関連

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.12 を読む-特集テーマは「The World Ahead」 と 「インド、パキスタン、アフガンを考える」

書評 『日米同盟 v.s. 中国・北朝鮮-アーミテージ・ナイ緊急提言-』(リチャード・アーミテージ / ジョゼフ・ナイ / 春原 剛、文春新書、2010)
・・ハードパワーとソフトパワーを融合した「スマートパワー」について

(2015年3月10日、2016年6月11日 情報追加)



(2012年7月3日発売の拙著です)








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2011年12月26日月曜日

『チェルノブイリ極秘-隠された事故報告-』(アラ・ヤロシンスカヤ、和田あき子訳、平凡社、1994)の原著が出版されたのは1992年-ソ連が崩壊したからこそ真相が明らかになった!



チェルノブイリ原発事故が発生したとき、いちばん最初に検知したのは風が流れる方向にあるスウェーデンであった。

事故が発生した1986年には、改革派の切札ゴルバチョフがすでに1985年には就任していたのだが、そのゴルバチョフですら事故の発生を、ただちに国内外で公表しなかったことを、まずは押さえておきたい。

しかも、原発事故が直接の引き金になったわけではないが、いまからちょうど20年前の 1991年12月25日にソ連自体が解体し、崩壊することになるとは事故当時は予想すらしなかったであろう。

『チェルノブイリ極秘-隠された事故報告-』は、被災地に住む女性ジャーナリストが、ソ連末期から真相を求めて体当たり取材を行って解明した事実に、ソ連崩壊後に入手できた「極秘」議事録をもとに書いた、チェルノブイリ原発事故8年後の真相である。

「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する という記事をこのブログに書いたとき、この本がどこにいってしまったかわからなかったので参照しなかったが、先日段ボール箱のなかから発見したので、ソ連崩壊20年目に紹介してみようと思った次第だ。

新刊では入手困難で古書価も高止まりしており、おそらく再版される見込みがなさそうなので、目次と中身を一部紹介しておきたいと思う。

関心のある方はぜひ図書館で閲覧してみてほしい。


目 次

日本の読者へ
第1部 わが内なるチェルノブイリ
1. 世界ではじめての体験
2. ルードゥニャ=オソシニャ村-偽りのゾーン
3. 廃墟のそばで
4. ジトーミルでの政治戦争
5. 議会での虚しい叫び声
6. 体制の秘密主義-情報はいかに統制されたか
7. 罰なき罪
8. イズラエリは告白する
9. 「子どもたちの健康は心配ない」
10. 真理の瞬間
11. 「地球規模の大惨事(カタストロフ)である」
12. IAEA はそれでいいのか?
13. チェチャ川は流れる-ウラル核惨事の警告
14. 溺れる者を救うのは、溺れる者自身の手である
15. 汚染地域再訪
16. 「子どもたちが死にかかっています、助けて下さい!」

第2部 極秘
1. クレムリンの賢人たちの40の機密議事録-「秘密の対策本部」は何を決めたのか
ウソ1-放射能汚染について
ウソ2-汚染された農地の「きれいな」農産物について
ウソ3-新聞向け報道について
2. この世の生活は原子炉とともにあるのか-共産党政治局の白熱の議論
一味の利益
「炉の安全は組織面や技術面の対策によってではなく、物理法則によって保証されなければならない」
「あなたはどの原子炉を選ぶのか」

解説(今中哲二)
機密議事録解題/年表
訳者あとがき
各章の扉写真説明(撮影:広河隆一)
凡例
本書第2部2は原著とは異なる。原著では第2部1も引用された機密議事録40点(200頁余)を収めているが、訳書ではこれに代えて著者の最新の論文を収録した。


ざっと目次に目をとおしていただいた感想はいかがだろうか?

わたしがこの本をはじめて見たとき、ソ連だから情報を隠蔽していたのだ、ソ連が崩壊して情報公開が行われることになりほんとうによかった、というものであった。

すでにチェルノブイリ原発事故が発生して以後、日本でも広瀬隆による『危険な話』や、米国人医師による治療記録などが出版されており、だいたいの概要は知っていたが、情報隠蔽をしているソ連の内部情報にアクセスできない以上、それが事実であるとどうやって検証できるのか、という疑問を抱いたことも確かである。

だが、ソ連崩壊によって「極秘」文書が公開された結果、それまで隠蔽していたことが事実であったことがわかったのである。

原著は 『わが内なるチェルノブイリ』 というタイトルで 1992年に出版されているが、それはソ連崩壊の翌年である。日本語版はそれから2年後の1994年に出版されている。

2011年時点から振り返ってみたとき、福島第一原発事故が発生して以来、日本政府が繰り返し述べてきた文言が、  『わが内なるチェルノブイリ』 でも、ほぼそっくりそのままで繰り返し引用されるのを見ると、なんともいえない気分になってしまう。

ソ連だから情報を隠蔽していたのだ・・・、果たしてこのセリフを無邪気にクチにできる日本人はどれだけいるのだろうか、と。

第1部 わが内なるチェルノブイリ 9. 「子どもたちの健康は心配ない」から一部引用しておこう。


子どもたちの健康は心配ない-この言葉は、権力を持っている者たちがチェルノブイリ事故についてふれる時に、安心させるあらゆる言葉の中でも最も愛用している言葉の一つである。私は何十回となくこの言葉を聞いた。それは実にさまざまな任務についている実にさまざまな人びとの口から自動的にでてきた。しかも、その大部分は高い地位にある医者から。

チェルノブイリ後の三年間にわが国の公的医学界、つまり E.I.チャーゾフ(医学博士、アカデミー会員)が大臣になっているソ連保健省は、三度も許容被曝線量の限度を変更した。はじめは生涯70年間に70レムとなっていたが、その後50レムにになり、ついには、1987年から35レムになった。だが、チェルノブイリ以前は総量25レムだったのである。この基準値は、受け入れられない危険の下限、つまり一生の線量限度を意味しており、それを越えれば居住していることが危険になり、人びとは「きれいな」場所に移住しなければならない。したがって、人間の生命にとって決定的な数字に対するこのような恣意的な態度には驚かされるだけでなく、不審の念を呼び起こさせる。一体この数字はどのようなものか-科学的なものか、あるいは「でまかせ的なもの」なのか。・・(以下略)・・
(P.142)

この文章にでてくる固有名詞と、レムという単位をのぞけば、そのままそっくり2011年のフクシマと変わらないのではないか? (注:レムについては wikipedia の「レントゲン(単位)」の項目を参照。シーベルト単位への換算の仕方も書いてある)

一事が万事こんな感じである。

被災地に居住する二児の母親であったからこその問題意識。程度の差はあれ、日本でも小さな子どもを抱えた母親の危機意識が高いことはあえてここに書くまでもないことだ。

2011年のフクシマの場合は、1986年のチェルノブイリとは違って、インターネットやその他SNSなどのパーソナル・メディアの発達によって、政府発表やマスコミ報道が事実そのものではないことは知ることは可能である。

しかしだからといって、真相が政府から語られることや、マスコミで報道されることは現在の日本では期待できないことだ。

その意味では、チェルノブイリ原発事故から6年目にソ連が崩壊したことは、事実を知るという意味では幸いだったといえるかもしれない。

もちろん、日本が崩壊したらいいなどと言うつもりはまったくないないが、それにしてもお粗末な状況だと嘆かざるをえないのはわたしだけではないだろう。

日本政府から真相が語られる日は、はたして来るのだろうか?



著者プロフィール
アラ・ヤロシンスカヤウクライナの女性ジャーナリスト。1953年生まれ(2児の母)。ジトーミル州新聞の記者として、情報統制の枠を破ってチェルノブイリ事故被災地を体当たり取材。現地の人びとに推されて、1989年ソ連邦人民代表議員選挙で当選。以後、最高会議議員として、被災者救援と事故の真の原因および情報隠しの追求のために活動。現在、ロシア連邦政府新聞情報省マスメディア局勤務。エリツィンの大統領顧問会議メンバー。1992年には<もう一つのノーベル賞><人間に値する生涯に贈る賞>を受賞。チェルノブイリをめぐる事態の全貌を描破した本書は、英米独仏の各国でも刊行(刊行時のカバーに書かれていたもの)。





<ブログ内関連記事>

「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する

書評 『ソ連史』(松戸清裕、ちくま新書、2011)-ソ連崩壊から20年! なぜ実験国家ソ連は失敗したのか?

『報道災害【原発編】-事実を伝えないメディアの大罪-』 (上杉 隆/ 烏賀陽弘道、幻冬舎新書、2011)-「メディア幻想」は一日も早く捨てることだ!

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる




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2011年12月25日日曜日

書評 『ソ連史』(松戸清裕、ちくま新書、2011)-ソ連崩壊から20年! なぜ実験国家ソ連は失敗したのか?


ソ連崩壊から20年。ソ連70年の歴史を一体のものとして理解する距離感ができてきた

「かつてソ連という国があった。いまはもうない」。こんな語られ方がするようになるとは、かつて誰が想像しえただろうか。

1991年12月25日のソ連崩壊から20年ソ連70年の歴史を、そのはじまりから終わりまで一体のものとして理解する距離感がようやくできつつあるといえよう。

全体を見渡すことで、なぜソ連という国が誕生し、そして解体し崩壊したかを考えるヒントを得ることができるようになった。

本書は、えらく素っ気ない印象の本である。タイトルだけでなく、本文には写真も地図も一枚も挿入されておらず、淡々とした記述のみが続いている。だが、読み進めていくうちに、だんだん面白くなってくるのを覚えることになる。

「ソ連史」のとくに後半、「第4章 安定と停滞の時代」であったブレジネフ時代から以降について振り返ることが、バブル崩壊後の日本の過ぎこし方と行く末について考えるための好材料になっていることに気がつくからだ。

世代によってソ連のイメージはまったく異なるので、どういった感想やコメントを抱くのかは、読者によってまったく異なるのは当然だが、「安定と停滞」期を経た後のソ連が、その体制と国民生活とのあいだのギャップや矛盾が拡大し、ついには崩壊するにいたった歴史をフォローしていくと、どうしても日本と比較してしまうのである。

「ソ連は国力に見合わないほどの過剰な福祉国家だったのであり、そのことが国家にとって大きな負担となったとの指摘がある」(P.222)。まるで日本のいまの財政状況そのものではないか! 

本書を読むと、われわれがイメージしてきた、あるいはイメージをもたされてきたオーウェルの『1984』的な全体主義国家とは大きく異なる実態が浮かび上がってくる。だからこそ、ソ連史はけっして他人事ではないのである。

最終的にソ連を解体させることになるゴルバチョフ元書記長の回想録からのエピソードの引用が、無味乾燥に陥りがちな歴史記述を生き生きとしたものにしている。ゴルバチョフが政治の表舞台に登場したのは1985年のことであったが、1931年生まれのゴルバチョフが回想する1950年代、1960年代、1970年代のソ連社会の具体的な姿はじつに興味深い。

ソ連が崩壊して今年で20年。ソ連末期の状況すら、もはや記憶から消えて久しい状況だろう。だが、1986年のチェルノブイリ原発事故から6年で崩壊したソ連のことを考えれば、けっして対岸の火事とはいえないのではないか? 

第二次大戦後のソ連史に記述の重点を置いた本書は、その意味でも読む価値のある本だといってよいのである。


<初出情報>

■bk1書評「ソ連崩壊後20年。ソ連70年の歴史を一体のものとして理解する距離感がようやくできてきた」 投稿掲載(2011年12月24日)
■amazon書評「ソ連崩壊から20年。ソ連70年の歴史を一体のものとして理解する距離感ができてきた」 投稿掲載(2011年12月24日)






目 次


はじめに
第1章 ロシア革命からスターリン体制へ
第2章 「大祖国戦争」の勝利と戦後のソ連
第3章 「非スターリン化」から「共産主義建設」へ
第4章 安定と停滞の時代
第5章 「雪どけ」以後のソ連のいくつかの特徴
第6章 ペレストロイカ・東側陣営の崩壊・連邦の解体
おわりに
参考文献
年表


著者プロフィール 

松戸清裕(まつど・きよひろ)

1967年生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。専攻、ソ連史。現在、北海学園大学法学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<書評への付記>

読んでいて思うのは、「ユーラシア大陸国家・ソ連」(=ロシア)に生まれ、そして生きることの過酷さである。

「ロシア革命」、革命後の混乱、なんども頻発する大飢饉による大量饑餓、スターリンによる大粛清、独ソ戦・・・この間にいったいどれだけ大量の人間が死んだのか、1,000万人単位というあまりにもおおざっぱにしか把握できていない

これは中国も同じだが、ユーラシア大陸の状況は、島国の日本人にはイマジネーションの限界を超えている

陸で国境を接しているからいつ敵が攻め込んでくるか分からない、国内の弾圧でいつ逮捕され、投獄されて命を落とすか分からないユーラシア国家。半島の北朝鮮もまたその延長線上にあると考えるべきだろう。

世代によってソ連のイメージはまったく異なるだろうが、わたしの世代ではソ連というと、ブレジネフ時代とのイメージがいちばん強い。同じ顔ぶれの人間が長く君臨していたので印象が強いのだろう。いかにもソ連という時代だったのだ。そして、ブレジネフの眉毛(笑)

本書の第4章「安定と停滞の時代」。本書に記述されているコルホーズ(=集団農場)を読んでいると、ほとんどかつての日本のカイシャのような世界だと思わされる。なかにいると息苦しいこともあるが、ぶら下がって入れば飢えて死ぬことはないという安心感。

われわれがイメージしてきた、あるいはイメージをもたされてきたオーウェルの『1984』的な全体主義国家とは大きく異なる実態(P.200)だったわけだ。クレーム苦情受け付けをつうじた世論調査という形で、擬似的であれ 「対話」 が行われていたという指摘も興味深い。

ソ連のような広大な国では全体主義など実行は不可能だったことがわかる。シンガポールのような小規模で、隅々まで統制のきた都市国家ではなかったということだ。

ロシア革命やスターリンについて書かれたものは多く、また現在でも語られることも多々あるが、じつはソ連がいかにもソ連であったブレジネフ時代を知らなければ、なぜソ連が内部崩壊せざるをえなくなったのか理解するのは難しい。カイシャの寿命は30年というのは定説だが、ソ連は70年しかもたなかった。

ソ連が存在した時代は、一日も早くソ連と共産主義体制がこの世から消え去ることを待ち望んでいたわたしだが、ソ連が崩壊してから20年もたつと、ノスタルジーではないが、なんだか懐かしい感じもしてくるのは不思議なことである。

少なくとも、ソ連という国がかつて存在したことは、アタマのなかにしかと刻みつけておかねばなるまい。失敗した実験から学ばねばならないことはじつに多いのである。



<ブログ内関連記事>

「ユーラシア大陸国家・ソ連」の興亡

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む (2011年12月26日)

書評 『モンゴル帝国と長いその後(興亡の世界史09)』(杉山正明、講談社、2008)
・・ユーラシア国家ソ連

「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する

『チェルノブイリ極秘-隠された事故報告-』(アラ・ヤロシンスカヤ、和田あき子訳、平凡社、1994)の原著が出版されたのは1992年-ソ連が崩壊したからこそ真相が明らかになった!

書評 『「シベリアに独立を!」-諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす-』(田中克彦、岩波現代全書、2013)-ナショナリズムとパトリオティズムの違いに敏感になることが重要だ
・・小室直樹の指摘どおり「連邦」から離脱した旧ソ連諸国はソ連憲法のたまものであった

自動小銃AK47の発明者カラシニコフ死す-「ソ連史」そのもののような開発者の人生と「製品」、そしてその「拡散」がもたらした負の側面


ソ連のポジティブな遺産

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン
・・数学の英才教育を行っていたソ連

書評 『グーグル秘録-完全なる破壊-』(ケン・オーレッタ、土方奈美訳、文藝春秋、2010)-単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か?
・・グーグルの共同創業者で共同経営者の一人セルゲイ・ブリンは少年時代、ソ連から米国に移民としてやってきたユダヤ系市民


いま、そこにある国家財政危機

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

書評 『国債クラッシュ-震災ショックで迫り来る財政破綻-』(須田慎一郎、新潮社、2011)-最悪の事態をシナリオとしてシミュレーションするために

書評 『国債・非常事態宣言-「3年以内の暴落」へのカウントダウン-』(松田千恵子、朝日新書、2011)-最悪の事態はアタマのなかでシミュレーションしておく

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書評 『聖書を語る-宗教は震災後の日本を救えるか-』(中村うさぎ/ 佐藤優、文藝春秋、2011)-キリスト教の立場からみたポスト「3-11」論


同志社大学に学んだプロテスタントの二人が語る、キリスト教を軸にしたポスト「3-11」論

出来の悪い生徒役を中村うさぎが演じて疑問を提出し、先生役を演じる佐藤優がその質問に答えながら、議論を発展させていくという対話本。

なかなかこの二人の掛け合いが面白い。

中村うさぎは、福岡のミッションスクールで中高とすごし、同志社大学文学部を卒業した、プロテスタントとしての洗礼も受けた作家。言うまでもなく、ブランド買いあさりや成形手術、ホストクラブ勤務など、現代の無頼派作家のような人生を送ってきた人生探求派である。

佐藤優は、同志社大学神学部で修士号を取得したという異色の元外交官。いわゆる「国策捜査」による獄中生活も信仰のチカラで乗り切った筋金入りのプロテスタント。現在は膨大な知の集積をもとに、さまざまな分野で活発な評論活動をつづける作家である。

この二人による対談集、というよりも対話集が意外と議論がかみ合っているのは、二人がほぼ同時期に同志社大学に学んだプロテスタントという共通点があるからだろう。

とはいえ、同じプロテスタントであるといっても、佐藤優のそれはもっとも厳格で容赦のないカルヴィニズム(=カルヴァン主義)、それに対して中村うさぎはバプテスト派であるようだ。

カルヴィニズムは、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で描いたように、神に選ばれて運命はすでに決まっているという浄土真宗にも似た絶対他力の信仰。こういった知識はアタマでは理解しておいたほうがいいだろう。共感できなくても、いかなる立場から発言しているかがわかる。

内容的には前半の「3-11」以前になされた「春樹とサリンジャーを読む」が面白い。

「3-11」後の対談については、日本人が政府への不信感をつのらせアナーキーになっているといった指摘や、若者たちは『エヴァンゲリオン』にみられるように終末論をなんどもシミュレーションしてきたというデジャヴュ感の指摘も興味深いが、かならずしも賛同しかねる指摘も多々ある。

日本人キリスト教徒の目から「3-11」後の日本を見るとどう写るかに興味のある人は、ざっ目を通してみるのもいいだろう。異なる視点で日本社会を見る一つの物の見方になっているからだ。



<初出情報>

■bk1書評「同志社大学に学んだプロテスタントの二人が語る、キリスト教を軸にしたポスト「3-11」論」投稿掲載(2011年11月7日)


PS 2014年1月に文庫化された。(2014年1月27日 記す)



目 次


プロローグ  佐藤優
第1章 「聖書」を語る
第2章 「春樹とサリンジャー」を読む
第3章‐1 「地震と原発」を読む-チェルノブイリ、そして福島
第3章‐2 「地震と原発」を読む―日本人を繋ぐものは?
エピローグ  中村うさぎ

著者プロフィール


佐藤優(さとう・まさる)


1960年東京都生まれ。作家・元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了。著書に『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞受賞)、『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

中村うさぎ(なかむら・うさぎ)


1958年福岡県生まれ。作家・エッセイスト。同志社大学文学部英文学科卒。コピーライター、雑誌専属ライターを経て、小説家デビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<書評への付記>

いっけん異色の組み合わせに見えるが、じつはそうではないことは書評にも書いたとおりである。

以前から中村うさぎの本に解説を執筆していた佐藤優は、本書でも中村うさぎが内面の衝動に突き動かされて探求してきたテーマは、キリスト教プロテスタンティズムの限界を無意識のうちに試そうという行為であると指摘しているのは興味深い。

本書で佐藤優が指摘しているなかでもっとも興味深いのは、時間には二種類あるという論点だ。

それは、クロノス と カイロス という二種類の時間についてである。

ともにギリシア語で時間をあらわすコトバだが、クロノスは一般につかう時間の意味。時系列で連続している物理的な時間のことである。

一方、カイロスはエピソードによって切断され時間のことである。エピソードとエピソードのなかにつなげられた時間のこと。

日本人の歴史認識も、その意味ではカイロス的であるといえる。「戦前」と「戦後」といった時代区分は、大東亜戦争(≑ 太平洋戦争)というカイロス的時間によって分断されたもの。

その意味では、「3-11」によって、あらたな時代認識が発生したのは当然のことなわけだ。

人間の記憶というものが、そもそも「エピソード記憶」という点を核にして連想ゲーム的に集積されているものである以上、それはきわめてナチュラルな話でもある。



<ブログ内関連記事>

本の紹介 『交渉術』(佐藤 優、文藝春秋、2009)

書評 『「独裁者」との交渉術』(明石 康、木村元彦=インタビュー・解説、集英社新書、2010





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2011年12月24日土曜日

書評 『黒船の世紀 上下-あの頃、アメリカは仮想敵国だった-』 (猪瀬直樹、中公文庫、2011 単行本初版 1993)-日露戦争を制した日本を待っていたのはバラ色の未来ではなかった・・・


『坂の上の雲』後に激変した国際環境で、時代の「空気」はいかに形成されていったか?

本書は、同じ著者による『昭和16年夏の敗戦』の10年後の1993年に初版が出版された歴史ノンフィクションの力作である。

日露戦争終結直後から、太平洋をはさんだ日本と米国のあいだに勃発した「太平洋戦争」に至るまでの約40年の歴史を、現在では忘れられた「日米未来戦記」の数々とその作者たちをを取り上げて、戦争という「空気」がいかに形成されていったかを描き切っている。

司馬遼太郎原作のNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』は、三年越しの放送も今年2011年の年末で完結することとなったが、日本海海戦でロシア帝国を制した日本人たちを待っていたのは、バラ色の未来でも何でもなかったさらなる脅威は日本海の向こうからではなく、太平洋を越えて米国からやってくることになったのだ。

日露戦争における日本の勝利で太平洋の戦力バランスが一挙に崩れたとき、米国は日本を「仮想敵国」として設定した。そして日米双方でさかんに出版されたのが「日米未来戦記」であった。これら「日米未来戦記」は太平洋の両岸で、戦争に向けての「空気」をつくりだすことになっていく。

太平の夢を醒まされ、力づくに開国を迫られたうえに弱肉強食の近代世界に放り込まれた日本。そして、「黒船」コンプレックスという被害者意識の恐怖を精神の深層にわだかまらせてきた日本人。その日本人の意識と無意識のなかに徐々に形成され、一般国民に対米開戦を積極的に支持させるに至った「空気」は、結果として日米開戦を積極的に後押しし、支持する原動力になる。

海軍軍人にとっては「日米未来戦記」はあくまでもシミュレーション小説であったのに対し、一般国民にとっては、脅威が強調されることで敵愾心と戦意をあおる効果を発揮することになったのだ。

本書は読み物としてじつに面白い。

「1945年(昭和20年)の「第一の敗戦」にいたる約40年の歴史を、日米双方で大量に書かれた日米戦争ものという「未来予測小説」の作者たちとその作品を軸に、同時代史として復元しながら語ったものだが、読んでいて同時代に立ち会っているかのような臨場感がある。

1907年の 「白船」騒動など、日本人の記憶から消えて歴史の教科書にもまったく登場しない事実を掘り起こした著者の問題意識もすばらしい。

本書はまた、近代世界における新しいプレイヤーであった「海洋国家・米国」と、遅れて否応なく近代世界に乗り出した「海洋国家・日本」の、太平洋の制海権をめぐる確執の物語として読むこともできる。

日本が本格参戦しなかった第一次世界大戦では、航空機の時代が急速に発展し、勝敗を決するファクターが「制海権」から「制空権」へと移行していく。そして迎えたのが太平洋戦争と日本の敗戦であった。

1941年(昭和16年)の日米開戦から70年目にあたる2011年であるが、この年の3月11日を境に「戦後」が終わり、すでに「3-11後」になったといわれる。「第三の敗戦」とさえいわれる「3-11」後の日本であるが、これからの時代を切り開くために不可欠なのは歴史的想像力を鍛えることだろう。

まずは虚心坦懐に、太平洋をめぐる日本人の「想像力の歴史」である本書を読んで、同時代史として感じることから始めて見てはいかがだろうか。

日米戦争は1941年(昭和16年)にいきなり始まったのではない。そしてまた「3-11」で歴史が一新されたわけではない。歴史は断絶したように見えながらも、じつは連続しているのだ。


<初出情報>


■bk1書評「『坂の上の雲』後に激変した国際環境のなか、時代の「空気」はいかに形成されていったのか?」投稿掲載(2011年12月22日)
■amazon書評「『坂の上の雲』後に激変した国際環境で、時代の「空気」はいかに形成されていったか?」投稿掲載(2011年12月22日)







目 次

上巻

プロローグ

第Ⅰ部 太平洋へ向かうベクトル
第1章 外圧と薄幸の異端児
第2章 『次の一戦』の結末
第3章 "リー将軍" の冒険
第4章 忍びよる黄色い影法師
第5章 平和は美しいか醜いか

第Ⅱ部 日米未来戦記の流行
第6章 欧州の荒野に立ちて
第7章 戦争は最大の冒険なり
第8章 あるスパイの回想
参考文献

下巻
第Ⅱ部 日米未来戦記の流行(承前)
第9章 英国人の『太平洋大戦争』
第10章 強い日本を求める空気
第Ⅲ部 物語と現実の交錯

第11章 東京大空襲を予知して
第12章 戦争を知らない作家の登場
第13章 ニューヨークで聞いた "怪談"
第14章 なぜ真珠湾なのか
第15章 オレンジ色の作戦

エピローグ

単行本へのあとがき
参考文献
*巻末特別対談*
東日本大震災は「21世紀の黒船」か(vs. 御厨貴)



 著者プロフィール
猪瀬直樹(いのせ・なおき)
作家。1946年、長野県生まれ。『ミカドの肖像』(1986年)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『日本国の研究』(1997年。文藝春秋読者賞受賞)は、政界の利権、腐敗、官僚支配の問題を鋭く突き、小泉純一郎首相から行革断行評議会委員、道路公団民営化推進委員に任命される契機ともなった。東京工業大学特任教授など幅広い領域で活躍。2007年6月、東京都副知事に就任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

文庫版の上下にわけて収録されている「参考文献」を眺めてみよう。

著者によって内外の古書店や国会図書館でじつに丹念に掘り起こした収集された「日米戦争予測小説」の関連書籍のリストを眺めているだけで、よくもこれだけ多くの日米戦争ものが出版されて読まれていたのかと驚きを禁じ得ない。

文庫本の上下で600ページもある力作だが、きわめて面白い読み物なのでぜひ一度は読んでみてほしいと思うのだが、いくつか「書評」には書いてない点をトピックとして取り上げておきたいと思う。


日米関係がもっとも険悪化していた時代に書かれた本

初版の単行本は1993年に出版された。その際の副題は 「ガイアツと日米未来戦記」であった。

ガイアツとは外圧のこと。この当時のことは、「フォーリン・アフェアーズ・アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010」(2010年9月)を読んで、この25年間の日米関係について考えてみる と題した記事をこのブログに書いてあるので参照していただきたい。

「黒船来航」以来の日米関係の歴史は、1941年から1945年ににかけての「太平洋戦争」以前と以後にわけて考えるのが一般だが、現代につらなる問題点を考えるには、「日露戦争」以前と以後で考えると問題点が明確になる。

日露戦争における日本の勝利で太平洋の戦力バランスが一挙に崩れたとき、米国は日本を「仮想敵国」として想定することになる。

端的にいえば、米国の植民地であったフィリピンの安全保障と、中国大陸における経済利権の問題である。そして、米国に移民として渡った日系人をめぐる問題でもあった。

「日露戦争」以後の日米関係史は、日本の完膚無きまでの敗北によって、日本が米国の従属国となり、太平洋をめぐる覇権が米国の一方的な勝利になった時点で完成したはずであった。だが、歴史はつねに流動的な存在である。

中国大陸の覇権を握ったのが米国の息のかかった国民党ではなく、米国とはイデオロギー的な対立関係にある共産党となった時点で、日本の位置づけが大幅に変わることになる。

詳細は省略するが、米国の庇護のもと強大化した日本はついに米国の虎の尾を踏み、1980年代には激しい「経済戦争」を戦う状態になる。この点については、前掲のブログ記事と、書評 『田中角栄 封じられた資源戦略-石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い-』(山岡淳一郎、草思社、2009) をご覧いただければ幸いである。

1990年代に入ってからは、米国の強い圧力のもと、日本が米国の都合のいいように国家改造を強いられて今日にいたっていることは、あえて書くまでもない。


日米関係史は、米中関係史でもある

日本が海洋国家であることは、日本が大陸から切り放された島国であるから理解しやすいが、米国もまた海洋国家であることはついつい忘れられがちである。

ユーラシア大陸とは大西洋と太平洋という二つの大海を挟んで孤立した大陸っであるアメリカ大陸は、大きくわければ北米と中米と南米になる。そのうちアメリカ合州国が位置するのが北米だ。

米国は近代国家そのものであるが、欧州に比べれば遅れて近代世界に参入した海洋国家である。日本もまた遅れて近代世界に参入した海洋国家である。

日本が安全保障と経済的利益確保の観点から朝鮮半島と中国大陸に進出したのは、欧州の列強と比べたら遅かったのと同様、米国もまた中国大陸に進出するのは欧州には遅れをとった。米国は、米西戦争の勝利の結果フィリピンを植民地としたが、中国では植民地を確保しなかったがゆえに、「門戸開放」を主張したのである。

この意味において、日米関係史は、米中関係史でもあると理解することに大きな意味があるのだ。これは、日米関係、日中関係、米中関係という二国間関係を日米中と三国をならべてみればすぐに理解できることだ。中国をめぐっての関係であったのだ。

本書に登場する "リー将軍" とは、李将軍ではなく、ホーマー・リー(Homer Lea)という米国人のことである。孫文とは交友関係にあり、革命軍の軍事顧問となったホーマー・リーは、映画 『1911』 にも、片足を引きながら歩く小柄な人物として登場するが、『無知の勇気』という「日米未来戦記」の走りともなる本を出版した人物でもある。

『無知の勇気』では、日本にフィリピンを奪われた末に米国が敗北するというストーリーだが、中国に肩入れしたこの "リー将軍" が、日本を仮想敵国とする本のパイオニアとなったことは、なかなか意味深なことでもある。

ただし本書は、中国問題は主軸には据えていない。あくまでも太平洋の両岸に位置する日本と米国の太平洋の覇権をめぐる物語である。


軍人と民間人のマインドセットの違い

米国にとってはもちろん、日本も戦争当事者となる戦争スペシャリストである軍人にとっては、日米の兵力差が明らかで、ほぼすべてが「想定内」であった。

軍人は日米の兵力差を冷静に数字で捉えていたが、感覚的にものを捉える一般国民はまったく違っていた。この後者が作り出した「空気」が、数字でものを考える軍人すら飲み込んで押し流していったことは、 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)に活写されているとおりである。

まさに日露戦争の講和後の日比谷焼き討ち事件に表れたように、強い日本を渇望する大衆はきわめて感情的に物事を捉え、振る舞っていたのである。それは徐々に形成されていった「空気」も大きく影響していたのである。

しかも制海権においても軍艦数で劣り、技術の進歩により航空兵力の発達で制空権も奪われかねない恐怖。この空襲恐怖が現実のものとなったことはあえて言うまでもない。制海権のみが問題であった時代、主戦場はフィリピンだと想定されていたが、山本五十六連合艦隊司令著感がパールハーバー攻撃を主張したのは、こうした変化が前提にあった。


■■『坂の上の雲』後の時代の「空気」こそ知るべき歴史的事実

中公文庫版の解説として行われた政治学者・御厨貴との対談のなかで指摘されているように、日本にとっての機会も脅威も、つねに海の向こうからやってくるものなのだ。

司馬遼太郎の原作でも、ドラマでも取り上げられなかった『坂の上の雲』以降の歴史こそ、現在に生きる日本人がもっともっと深く知らねばならないものであるのだ。



P.S. この記事で、2011年度は 250本目となった。




<ブログ内関連記事>

猪瀬直樹の「日米関係三部作」

書評 『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫、2010、単行本初版 1983)-いまから70年前の1941年8月16日、日本はすでに敗れていた!

書評 『東條英機 処刑の日-アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」-』(猪瀬直樹、文春文庫、2011 単行本初版 2009)


海洋国家としての日本

書評 『日本は世界4位の海洋大国』(山田吉彦、講談社+α新書、2010)

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)

書評 『「海洋国家」日本の戦後史』(宮城大蔵、ちくま新書、2008)

書評 『平成海防論-国難は海からやってくる-』(富坂 聰、新潮社、2009)

海上自衛隊・下総航空基地開設51周年記念行事にいってきた(2010年10月3日)

マンガ 『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社漫画文庫、1998) 全16巻 を一気読み


制空権を奪われた「海洋国家・日本」の無念

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)

書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)

書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011)

書評 『原爆と検閲-アメリカ人記者たちが見た広島・長崎-』(繁沢敦子、中公新書、2010)







(2012年7月3日発売の拙著です)








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