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2011年1月7日金曜日

ルカ・パチョーリ、ゲーテ、与謝野鉄幹に共通するものとは?-共通するコンセプトを「見えざるつながり」として抽出する

                
 ルカ・パチョーリ、ゲーテ、与謝野鉄幹に共通するものとは?

 そもそもこの三人について、簡単な略歴を知らないとなんとも答えようがないでしょうね。簡単にプロファイリングしておきましょう。


 ルカ・パチョーリ(1445年~1517年)は、ルネサンス期イタリアのフランシスコ会士。だから正確に書くと、フラー・ルカ・パチョーリ。フラーは英語ではブラザーのこと。ルネサンスを代表する数学者の一人。確率論の前提となる偶然の問題に取り組んだ人。偶然というテーマは、信仰の深い修道士にはふさわしい。



 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (1749年~1832年)はいうまでもなく18世紀から19世紀にかけてのドイツの文豪。ワイマール公国宰相もつとめた実務家でかつ自然科学者でもあった。光学と色彩論の分野ではニュートンと張り合い、植物から鉱物、地質学に至るまで横断的な知性をフルに発揮した人。


 与謝野鉄幹(1873年~1935年)は明治時代の歌人。現在では、歌人・与謝野晶子の配偶者としてのみ知られるのは不幸なこと。芋焼酎の銘柄では「鉄幹」としていまも生きている。


 さて、この三者に共通するものは何かわかりますか?

 いずれも男性であることが共通してます。しかしこれは答えではありません。

 イタリア、ドイツ、日本と、それぞれ生まれた国は違います。
 生きた時代は15世紀、18~19世紀、19~20世紀と、まったく重なりません。
 宗教もカトリックの修道士、プロテスタント、元仏教僧侶とまったく違います。

 では、答えを言ってしまいましょう。

 この三人は、いずれも「複式簿記」について関わっているのです。

 ルカ・パチョーリは、複式簿記の発明者としても知られています。ちょっと分厚い、会計学の教科書には複式簿記の発明者としてルカ・パチョーリの名前がでているはずですので、肖像画を見たことがある人がいるかもしれません。
 パチョーリは、当時ヴェネツィア商人が使用していた複式簿記を初めて学術的に体系化した人として後世に名を残しました。
 でも、ルカ・パチョーリが複式簿記の発明者であることは知っていても、数学者であったことを知っている人はもしかしたら少ないかもしれませんね。数学史の教科書にもでてきます。

 ゲーテは、教養小説(ビルドゥングロマーンス)の代表作 『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』で、主人公のヴィルヘルム・マイスターに「複式簿記は人類のもっとも偉大な発明」と語らせています。
 さすが、大学法学部を卒業して、10年間も政治の実務にも携わっていたゲーテですね。当然のことながら財政問題にも通じていたことでしょう。

 与謝野鉄幹は、「妻を選ばば才たけて」で始まる「人を恋ふる歌」の第3小節でこう歌っています。「簿記の筆とる若者に 誠の男 君を見る」。会計をやっている男性にとっては、すばらしい応援歌になってますね!

 面白いことに、時代的には最後に登場する与謝野鉄幹が果たして同じ文学者のゲーテのコトバを知っていたかどうかは定かではありません。おそらく知らなかったと思われます。
 ですから、この三人に共通する「複式簿記」とのかかわりは、まったくの偶然ということになります。

 このように、まったく関係ないと思われる三人に、「見えざる共通点」を見いだすことを意識的に行っておくと、自分のなかに「引き出し」が増殖することになるわけですね。

 ちょっと教養的な色の強い、高尚な小ネタとしても使えることでしょう。



せっかくの機会なので「人を恋ふる歌」全16節を読んでみよう。実に熱い思いのたぎった歌である

 「簿記の筆とる若者に 誠の男 君を見る」を含む「人を恋ふる歌」は全部で 16節あります。そもそも与謝野鉄幹について触れる機会もあまりないし、この歌自身も滅多に見ることもないでしょうから、ここに掲載しておきましょう。

人を恋ふる歌 

  三十年八月京城に於て作る

妻をめとらば才たけて 顔(みめ)美わしく情ある
友を選ばば書を読みて 六分の侠気四分の熱

恋の命をたづぬれば 名を惜しむかな男ゆゑ
友の情けをたづぬれば 義のあるところ火をも踏む

汲めやうま酒うたひめに をとめの知らぬ意気地(いきじ)あり
簿記の筆とる若者に まことの男 君を見る

ああわれダンテの奇才なく バイロン、ハイネの熱なきも
石を抱きて野にうたふ 芭蕉のさびをよろこばず

人やわらはん業平(なりひら)が 小野の山ざと雪をわけ
夢かと泣きて歯がみせし むかしを慕ふむらごころ

見よ西北(にしきた)にバルカンの それにも似たる国のさま
あやうからずや雲裂けて 天火(てんか)ひとたび降らんとき

妻子(つまこ)を忘れ家を捨て 義のため恥を忍ぶとや
遠くのがれて腕を摩す ガリバルヂィや今いかに

玉をかざれる大官は みな北道の訛音(なまり)あり
慷慨よく飲む三南の 健児は散じて影もなし

四度玄海の波を越え 韓(から)の都に来てみれば
秋の日かなし王城や 昔に変る雲の色

ああわれ如何にふところの 剣(つるぎ)は鳴りをひそむとも
咽ぶ涙を手に受けて かなしき歌の無からんや

わが歌ごゑの高ければ 酒に狂ふと人はいへ
われに過ぎたるのぞみをば 君ならではた誰か知る

「あやまらずやは真ごころを 君が詩いたくあらはなる
むねんなるかな燃ゆる血の 価すくなきすゑの世や

おのづからなる天地を 恋ふるなさけは洩すとも
人を罵り世をいかる はげしき歌を秘めよかし

口をひらけば嫉(ねたみ)あり 筆を握れば譏(そし)りあり
友を諫めに泣かせても 猶ゆくべきや絞首台

おなじ憂いの世に住めば 千里のそらも一つ家
おのが袂(たもと)といふなかれ やがて二人のなみだぞや」

はるばる寄せしますらおの うれしき文(ふみ)を袖にして
けふ北漢の山のうへ 駒立て見る日の出づる方

(出典)http://uraaozora.jpn.org/poyosano1.html


 曲について知りたければ、ウェブ上にアップされているサイトを参照。

 この歌は、李朝朝鮮王朝の首都京城(ソウル)の日本人学校教師として滞在していた与謝野鉄幹が、明治30年かの地にて詠んだ歌。
 「見よ西北(にしきた)にバルカンの それにも似たる国のさま」とは、政争にあけくれて宮廷内部が分裂していた李朝朝鮮末期の状況を指しています。日本と中国(その当時は清)とロシアのからんだ三つどもえの内部抗争。

 与謝野鉄幹も日本の右翼壮士たちが起こした、かの悪名高き「朝鮮王妃暗殺事件」に関与したと疑われていますが、アリバイがあったため無罪となっています。しかし、連座した可能性も高かったことは、この「人を恋ふる歌」に充満した悲憤慷慨(ひふんこうがい)ぶりを見ればよくわかることでしょう。

 この歌が、戦前日本のバンカラ学生によって高歌放吟されたのも納得されることです。

「簿記の筆とる若者に まことの男 君を見る」 は、「汲めやうま酒うたひめに をとめの知らぬ意気地(いきじ)あり」に続いているが、この「うたひめ」とは伎女(キーセン)のこと。
 
 「四度玄海の波を越え 韓(から)の都に来てみれば」と歌う鉄幹の耳に聞こえてくるのは、「玉をかざれる大官は みな北道の訛音(なまり)あり」、鉄幹は韓国語をある程度まで理解していたようですね。


(参考)閔妃暗殺と鉄幹(wikipedia 2011年1月5日のキャッシュ) 
1895年(明治28年)10月8日に三浦梧楼ら日本官憲と他の右翼壮士とともに当時の朝鮮王朝の王妃、閔妃(ミンビ)の暗殺(乙未事変)を計画したという説が韓国側から主張されている。これは朝鮮王朝が親露政策により清と日本の圧力を排除しようとし、それに危機感を抱いた日本が起こしたというものである。当時、朝鮮王朝は笞刑(朝鮮笞刑令)、拷問をはじめ前近代的な刑罰、法体系であり、邦人保護の観点から治外法権となっていたので、鉄幹は日本に送られ広島の地方検察庁で裁かれた。当時、鉄幹は落合直文の弟、鮎貝槐園とともに朝鮮の日本人学校、乙未義塾の教師として当地に在留していたが、事件当日は槐園たちと木浦に出かけていて事件の起きた京城(現・ソウル特別市)にはいなかったアリバイによって免訴となった。

 『閔妃(ミンビ)暗殺-朝鮮王朝末期の国母-』(角田房子、新潮文庫、1993)は、ノンフィクション作家の角田房子氏が、真の日韓友好のために歴史の事実を検証した本。この本もぜひ読んでおきたいものです。


 こういった激しくも熱い青春を送った与謝野鉄幹ですが、中年期以降はすっかり妻の与謝野晶子の名声に隠れてしまい、いろいろ複雑な思いを抱きながら生きていったようです。

 渡辺淳一の『君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)-与謝野鉄幹・晶子夫妻の生涯-上下』(文春文庫、1999)が、与謝野鉄幹夫妻についての
、実にすぐれた評伝文学になっています。ぜひ一読を薦めたいと思います。

 渡辺淳一というと日経新聞に連載されていた『化身』『失楽園』が名高いですが、こんな作品も書いているのですね。力作です。

 PS. 渡辺淳一氏は、2014年4月30日にお亡くなりになったとのことです。ブログ記事を書いておいりますので、ぜひご覧ください。(2014年5月7日)



 国文学者で歌人、しかも宮中歌会始選者の岡野弘彦氏は、与謝野鉄幹の歌を絶讃されています。

正岡子規とならんで、明治の新しい短歌を推し進めたのは、与謝野鉄幹です。妻の晶子の歌が非常に情熱的で、その活躍が文学の多方面にわたって華やかであったために、世間では晶子の方が有名であり、晶子の方が歌もすぐれていると思われていますが、実はそうではありません。今になってみるとわかるのですが、歌の古びない力というものを本当にそなえた歌を作ったのは、鉄幹の方です。

(出典)『短歌に親しむ(NHK短歌入門)』(岡野弘彦、日本放送出版協会、1986) P.81~83

 と書いて、次の短歌を紹介されています。

 むかしびと 名すら覚えず残れるは
   泣くことありし その片頬(かたほ)のみ

 大空の塵(ちり)とは いかが思ふべき
   熱き涙の ながるるものを

 ロマン主義の情熱そのものの歌ですね。たしかに与謝野晶子に勝るとも劣らぬ作品といっていいでしょう。



<関連サイト>

薩摩芋焼酎「鉄幹」の蔵本・オガタマ酒造

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)
・・21世紀の「脱亜論」。日本は大陸や半島の問題にかかわるなというのは歴史の教訓。与謝野鉄幹もまた半島問題に首を突っ込みすぎた熱血漢であった

「ルカ・パチョーリ著『算術、幾何、比及び比例総覧』初版(1494年)(専修大学図書館)
・・「複式簿記を紹介した最古の書物であると同時に、西洋書誌学上、近代印刷確立前の揺籃期本(インキュナブラ)の一つに数えられる。現存する初版本は99部といわれ、日本国内で所有が確認されているのは、専修大学図書館を含めてわずか10部ほどにすぎない。」 ルカ・パチョーリの生きていた時代と生涯、著作について包括的な説明がなされている (2013年10月19日 追加)



<ブログ内関連記事>

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩
・・イチョウの記事では意図したわけではないが、奇しくも与謝野鉄幹の配偶者であた与謝野晶子とゲーテを一緒に扱うことになった

「雛罌粟(コクリコ)の花の咲く季節」に世を去った渡辺淳一氏のご冥福を祈ります(2014年5月)
・・与謝野鉄幹・晶子夫妻を描いた『君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟(コクリコ)』(文春文庫、1999年)を紹介

(2014年5月7日 情報追加)
    

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