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2011年2月28日月曜日

慶応大学ビジネススクール 高木晴夫教授の「白熱教室」(NHK・ETV)


       
 ETVで 慶応大学ビジネススクール高木 晴夫教授の「白熱教室」 第4回 「組織を危機が襲うとき」をやっていました(2011年2月27日放送)。

 今回のケーススタディは、1995年の「サリン事件」の際の聖路加病院(東京・築地)の対応非常事態が発生したときの「クライシス・マネジメント」(危機管理)がテーマ。
 16年前のこの事件の当日、乗っていた地下鉄丸ノ内線がアナウンスもなく、霞ヶ関駅を通過したことを私は体験しましたが、その記憶もナマナマしいものがありました。

 「病院という非営利組織」の経験を、「ビジネスという営利組織」の現場でどう応用するか、「組織学習」の観点から、自立した個人と自律した組織の関係を考える上で、いろいろと学ぶことの多い授業でした。

 再放送の機会があれば、ぜひ視聴されることをお薦めします。

 テレビの前で、自分の見解をあれこれつぶやきながら見ると、参加意識がでてよろしいかと思います。。授業に直接参加できないのは残念ではありますが。






<関連サイト>

高木 晴夫教授の「白熱教室」
・・全4回の放送の概要と参考文献などがアップされている。なお、慶應義塾大学ビジネススクールは日本では老舗のビジネススクール。日本企業を研究した独自のケーススタディも大量に作成している。


<ブログ内関連サイト>

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは

ダイアローグ(=対話)を重視した「ソクラテス・メソッド」の本質は、一対一の対話経験を集団のなかで学びを共有するファシリテーションにある

「◆未来をつくるブック・ダイアログ◆『国をつくるという仕事』 西水美恵子さんとの対話」に参加してきた-ファシリテーションについて

書評 『ハーバードの「世界を動かす授業」-ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方-』(リチャード・ヴィートー / 仲條亮子=共著、 徳間書店、2010)

書評 『スイス探訪-したたかなスイス人のしなやかな生き方-』(國松孝次、角川文庫、2006 単行本初版 2003)・・サリン事件の際の私の体験(=非体験)についても触れている

『サリンとおはぎ-扉は開くまで叩き続けろ-』(さかはら あつし、講談社、2010)-「自分史」で自分を発見するということ
・・サリン事件に巻き込まれた人の体験談




(2012年7月3日発売の拙著です)






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2011年2月27日日曜日

映画 『英国王のスピーチ』(The King's Speech) を見て思う、人の上に立つ人の責任と重圧、そしてありのままの現実を受け入れる勇気


   
 映画 『英国王のスピーチ』(The King's Speech)を、日本公開初日の2011年2月26日に見てきた。

 今年のアカデミー賞の有力候補として、『ソーシャル・ネットワーク』と激しく競り合っているということだけでも、見る気をそそられる。

 もちろん、それだけが理由ではない。

 この映画もまた、過去の焼き直しのリメイク作品ではなく、実話(true story)にもとづいたオリジナルな脚本をもとにした作品であるからだ。しかもハリウッド映画ではなく、英国王室を描いたヒューマン・ドラマである。

●監督:トム・フーパー
●脚本:デヴィッド・サイドラー
●主演:コリン・ファース(・・ジョージ六世)
 ヘレナ・ボナム=カーター(・・エリザベス妃)
 ジェフリー・ラッシュ(・・ライオネル・ローグ)
●製作:英国、オーストラリア
●上映時間:111分

 英国王ジョージ六世は、実は吃音症(どもり)だった。これは実に衝撃的な事実である。一国の国王が、しかも大英帝国(!)の皇帝を兼ねていたジョージ六世、さらに現エリザベス二世女王の父親にあたる。まったく過ぎ去った過去とも言いきれない、近過去の物語なのだ。

 この事実は本来なら、英語でいう skeleton in the cupboard のままだったはずであろう。日本語でいえば「家族の秘密」。サマセット・モームの小説のタイトルにもなっている。Cakes and Ale: Or the Skeleton in the Cupboard(お菓子とビール)。
 
 エリザベス女王が即位したのは1952年、ものごころついてからずっとエリザベス女王である私のような世代の人間にとっては、ジョージ六世といっても歴史上の人物に過ぎない。英国はさておき、日本の歴史の教科書に登場するような人物ではない。

 英国の英語を Queen's English ということに疑問をもったこともないし、なんとってもイアン・フレミング原作の「007シリーズ」には『女王陛下の007』という作品もある。

 ジョージ六世だが、過去の人とはいえ、英国史においてはきわめて大きな存在であったようだ。

 この映画で扱われるのは、1925年から1934年に即位するまでの約10年間。第一次世界大戦から復興しつつあった矢先の欧州大陸では、ドイツのヒトラーが台頭し再び戦争の危険が高まっていた。大陸国ではない英国にとっても、それは対岸の火事ではなかったのだ。

 ジョージ六世には兄がいた。父王ジョージ五世の死去にともない、兄が王位継承しエドワード八世として即位する。しかし、歴史上有名なシンプソン夫人との「王冠を賭けた恋」によってエドワード八世は退位、予期せぬことに王位につかざることを余儀なくされたのだ。



人のうえに立つ人は、パブリック・スピーチが求められる。英国をはじめとする西洋世界においては、とくにコトバ、それも発話されたコトバのもつ重要性がきわめて高い

 人のうえに立つひとはスピーチをしなければならない。しかも、一国の国王である。いや、その当時の英国はまだ大英帝国(British Empire)の盟主であった。英国王は大英帝国の皇帝も兼ねていたのだ。

 英国の全国民だけでなく、7つの海にまたがっていた大英帝国のすべての臣民(subject)にむけてメッセージを発しなくてはならないのである。しかも、その当時のニューメディアであるラジオを通じて。

 その責任たるや、平民(common people)である私のような人間には想像のしようもない。

 「君臨すれども統治せず」というのが、王政復古以降の英国国王のポジションにかんする立憲君主制(constitutional monarchy)の原則である。

 実際の政治は、選挙に選出された政権党の代表が首相となって行うが、国家元首として君臨するのは国王である。国王は国民統合のシンボルとして、とくに大きな艱難に直面したときの求心力としての機能が強く求められる。

 とくに大衆時代となってからは、ラジオというその当時のニュー・メディアの発達とともに、国王を中心とする王室もいやおうにかかわらず対応していかなくてはならないのであった。新聞、ラジオ、テレビ、そしてインターネット。現在の英国王室は、YouTube に The Royal Channel という自らのチャンネルをもつに至っている。

 「地位が人をつくる」という。これは国王もまた同じだ。フランク・シナトラが歌う『Love Is a Many-Splendored Thing』(日本語タイトルは『慕情』) には、The golden crown that makes a man a king. (人をして王にする黄金の王冠)というフレーズがあるが、まさにそのとおりなのだ。

 果たしてジョージ六世として即位した新国王は、国民に語りかけるスピーチを無事に終えることができたのか?

 これは映画を見てからのお楽しみということにしておこう。


認めたく現実を、ありのままの事実として受容する勇気

 この映画を見ているうちに、オードリ-・ヘップバーン主演の『マイ・フェア・レディ』を思い出した。下町言葉を上流階級のものに矯正する教師と生徒の物語である。原作は、英国の劇作家ジョージ・バーナード・ショーの『ピュグマリオン』、ギリシア神話の人造人間ものをベースにした戯曲だ。

 主人公イライザは下町言葉を矯正されて上流階級にデビューするに至る。
 『英国王のスピーチ』では、オーストタラリア出身の言語聴覚士ライオネル・ローグが、未来のジョージ六世となるヨーク公を指導することになる。

 映画のテーマはむしろこの言語聴覚士との関係において、「否認 ⇒ 怒り ⇒取引 ⇒ 抑うつ ⇒受容」という一連のプロセスを描いたヒューマン・ドラマが主要なテーマであるといっていだろう。

 これは、終末期を専門にした精神科医エリザベス・キューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』(On Death and Dying)で示した「死ぬということを受容するプロセス」からきているが、「死にゆく」という、人間にとってもっと厳粛でかつ避けることのできない「事実」を受け入れるまでの心理プロセスを、膨大な観察から導きだした結論である。

 未来のジョージ六世となるヨーク公もまた、ほぼ同じプロセスを経て、始まりは教師とクライアントの関係だった言語聴覚士ローグとの葛藤に満ちた関係を、最終的には友情にまで高めていくことになる。


吃音症と言語聴覚士、英国の英語について

 吃音(どもり)は英語でスタマー(stammer)という。ちなみにこの映画にも出てくるチャーチルも、自分が吃音症だったことを映画のなかで告白している。

 言語聴覚士ローグがオーストラリア出身という設定も面白い。これは事実に基づいたものであるが、大英帝国の一員であったオーストラリアとニュージーランドからは第一次大戦には大量に動員されている。ローグもまたその一人であったようだが、出征兵士の犠牲的な活躍は、オーストラリアでは ANZAC Day(アンザック・デイ)として記念されている。

 ローグが医師免許もなしに言語聴覚士(スピーチ・セラピスト:speech therapist)という仕事を始めたのは、戦争の後遺症でしゃべれなくなった元兵士を多く見て、その治療に携わることがキッカケであったようだ。

 映画のなかで、ヨーク公からはさんざんオーストラリア英語だといってからかわれるが、映画のなかではその要素はだいぶ薄めているように思われた。私も生まれてはじめてオーストラリアに行ったのは、いまから20年近く前のことだが、オーストラリア英語に慣れるにはしばし時間がかかったものだ。

 この映画では、ひさびさに King's English を聞いた。現在は Qeen's English だが、ジョージ六世当時は 文字通り King's English である。

 まあこれはコトバのあやに近いが、腹から発声する腹式呼吸のアメリカ英語と違って、ノドだけで発声可能な英国の英語は、そもそも明瞭な印象がないのは日本語に似ている。日本語は東アジアの中国語や韓国語と違って、発声に際して腹式呼吸は必要としない。

 英語は文法は簡単だが、発音が難しい
 英語は、母音(vowel)の数が多いので正確に発音するクセをつけておかないと聞き分けることも出来ない。日本語の母音はアエイオウ(a-e-i-o-u)の5つしかないが、英語の場合は明確に区分している。

 子音(consonant)にかんしても、l と r の使い分けはとりわけ日本語人には難しいだけでなく、b と v の使い分けは日本語だけではなくスペイン語にもない。現代語で th のような音をもっている言語は英語くらいである。古代ギリシア語の θ(シータ)がこれに該当するが、この th は気音といって t音に h の呼気が加わるものである。

 現在でこそ、英米の英語だけでなく、ジャパニーズ・イングリッシュも含めて多様な英語があって当然だという風潮になっているが、英語は思ったより簡単ではない、ということは現在でも否定しようのない事実である。


英国王室についての日本人が忘れがちな重要な事実

 英国の現在の王室は、実はドイツ系であるということが、この映画では実は伏線になっている。

 「ピューリタン革命」で共和制となった英国だが、クロムウェルの死後は王政復古が実現、その後さまざまな経緯を経て、1714年にドイツ北部のハノーファー(Hannover)から、ハノーファー選帝侯ゲオルク(Georg)が王として招聘され、グレートブリテン王兼アイルランド王ジョージ(George)一世となった。そのため現王朝はハノーヴァー(Hanover)朝といわれる。

 国民統合のシンボルであるべき国王と王室が、実はドイツ系であるということは平時には大きな問題にはならなかったであろう。斜陽化していたとはいえ大英帝国である。

 しかし、第一次世界大戦ではドイツと戦い、しかもまたヒトラーの台頭によってドイツとの戦いが不可避のものとなってきたとき、ドイツとの有事の関係において、とりわけ国民感情を逆なでしないようにする必要に迫られたという背景があった。

 そういう状況のまっただなかに国王に即位することを余儀なくされ、国民に向けてラジオ越しにスピーチをしなければならなかったジョージ六世の心中に思いをはせる必要があるのだ。

 しかも、第一次大戦で多くの帝国が消えていったことも忘れてはならない。まずロシア帝国、そしてオーストリア=ハンガリー帝国にドイツ帝国。英国王室は、これらの帝国の元首たちとは姻戚関係にあったのだ。これはこの映画を見る際にディテールに気をつけてみているとわかることだ。勘のいい人は、ロシア皇帝であったニコライ二世の肖像画がでてくるのに気がつくことだろう。

 激動の時代、しかも大英帝国が急速に落日にむけて駆け落ちて行く時代であったのだ。
 

アカデミー賞の行方は?

 さてアカデミー賞の行方だが、果たしてどのような結果になるだろうか?

 本日現在では結果はまだわからない。明日2月28日(月)日本時間午前9時半から中継が行われる。

 話題性からいえば、間違いなく『ソーシャルネットワーク』、玄人好みのヒューマンドラマといえば『英国王のスピーチ』だろう。主演賞と助演賞は後者のような気がする。

 いずれも実話(true story)にもとづいたオリジナルなシナリオだが、2000年代の米国の大学生の世界と、1930年代の大英帝国の王室、これはまったく異なる世界である。

 このコントラストが面白い。

 結果が楽しみである。



P.S. 第83回アカデミー賞の結果は・・

 『英国王のスピーチ』が、作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞など 4冠に輝いた。圧勝といえよう。 『ソーシャル・ネットワーク』は、脚色賞・編集賞・作曲賞の 3つ

 昨年のアカデミー賞も、3Dというテクノロジー面での新機軸を導入し、神話的なストーリーでエンターテインント性の高かった『アバター』ではなく、玄人好みの『ハートロッカー』であった。どうやら、同じ傾向が続いているようだ。
 先週末の2月26日から日本では封切られたばかりの『英国王のスピーチ』にとっては、またとないというか、図星というか、興行的にはきわめて強い追い風になる。

 もちろん、『英国王』は、私がこの記事に書いたように、ヒューマンドラマとしてはすばらしい。ぜひ、みなさんも映画館でご覧になることをお薦めしたい。

 (2011年2月28日 記す)






<関連サイト>

『英国王のスピーチ』日本版公式サイト

The Kings Speech Trailer 2010 HD (英語版トレーラー)

Oscar - The official 2011 site for the 83rd Academy Awards(アカデミー賞公式サイト)


<ブログ内関連記事>

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)・・英国を知るうえで、日本人のために日本語で書かれた必読書

どんな話であれ「自分」を全面的に出したほうが、人はその話に耳を傾けるものだ

I am part of all that I have met (Lord Tennyson) と 「われ以外みな師なり」(吉川英治)
・・ありのままの事実を認める勇気。

映画 『ソーシャル・ネットワーク』 を日本公開初日(2011年1月15日)の初回に見てきた

アッシジのフランチェスコ (3)  リリアーナ・カヴァーニによる
・・イタリアの女流映画監督による『フランチェスコ』。ミッキー・ロークがフランチェスコ役、『英国王のスピーチ』でエリザベス妃を演じたヘレナ・ボナム=カーターがクララ役を演じている

書評 『小泉進次郎の話す力』(佐藤綾子、幻冬舎、2010)-トップに立つ人、人前でしゃべる必要のある人は必読。聞く人をその気にさせる技術とは?

書評 『思いが伝わる、心が動くスピーチの教科書-感動をつくる7つのプロセス-』(佐々木繁範、ダイヤモンド社、2012)-よいスピーチは事前の準備がカギ!

(2014年1月10日 情報追加)





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2011年2月26日土曜日

二・二六事件から 75年 (2011年2月26日)


 すでに75年もたつのだ、「最後のクーデター」である二・二六事件から。

 1936年(昭和11年)2月26日は雪の日であった。地球温暖化がはじまる以前の日本の二月は、ほんとうに寒かったのだ。本日の関東地方南部は、空気はやや肌寒いもの快晴。こんな天気の日から75年前を想像するのは、またさらに難しくなってきたようだ。

 2月26日から29日にかけての4日間は、その後の日本の方向性を決定したエポック・メイキングな事件であった。この事件のあと、日本はカタストフィーに向けて、戦争の時代へと突入してゆく。

 写真は「九段会館」。1936年当時は「軍人会館」と呼ばれていた。東京・九段に当時の建物がそのまま残っているが、二・二六事件において勅令により「戒厳令」が施行された際、戒厳司令部がここに置かれたことは知っておきたい。戒厳司令官は香椎浩平中将、戒厳参謀に命じられたのが石原完爾大佐である。

 「尊皇討奸」のスローガンのもと、天皇の周辺の「君側の奸」を排除せんとして、高橋是清をはじめとする重臣たちを殺害した青年将校たち。昭和天皇が、「叛乱軍」による重臣暗殺の報に激怒され、朕が自ら兵を率いて鎮圧に当たるとまで主張されたことは、現在ではよく知られている事実となっている。

 「やむにやまれぬ」という主観的な思いから立ち上がった青年将校たちであるが、しかし皇軍と称された「天皇の軍隊」を、本来の目的以外に使用したこと軍紀違反以外の何ものでもない。戦後は「国民の軍隊」となったが、戦前は天皇に絶対的忠誠を誓う「天皇の軍隊」であった。

 軍隊というものは上意下達が命である。この指揮命令系統に忠実に従うことによって、はじめて軍隊組織が機能する。「叛乱軍の」兵士たちは、目的を何も知らされずに動員された。下士官や兵たちにとっては、上官の命令に従ったに過ぎないのである。

 したがって、戒厳司令部が「帰順工作」を、下士官と兵に対して行ったのは当然であった。「下士官兵に告ぐ」のビラが配られ、アドバルーンが上げられた。その内容を写しておこう。

下士官兵に告ぐ

一、今からでも遅くないから原隊へ帰れ
二、抵抗する者は全部逆賊であるから射殺する
三、お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ

二月二十九日 戒厳司令部

 復帰をうながすNHKラジオ放送も行われた。

兵に告ぐ

勅命が發せられたのである。
既に天皇陛下の御命令が發せられたのである。
お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從を
して、誠心誠意活動して來たのであろうが、
(お前達の上官のした行爲は間違ってゐたのである。・・この一文は削除
既に勅命、天皇陛下の御命令によって
お前達は皆原隊に復歸せよと仰せられたのである。
此上お前達が飽くまでも抵抗したならば、それは
敕命に反抗することとなり逆賊とならなければならない。
正しいことをしてゐると信じてゐたのに、それが間違って
居ったと知ったならば、徒らに今迄の行がゝりや、義理
上からいつまでも反抗的態度をとって
天皇陛下にそむき奉り、逆賊としての汚名を
永久に受ける樣なことがあってはならない。
今からでも決して遲くはないから
直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復歸する樣にせよ。
そうしたら今迄の罪も許されるのである。
お前達の父兄は勿論のこと、国民全体もそれを
心から祈ってゐるのである。
速かに現在の位置を棄てゝ歸って來い。
          戒嚴司令官 香椎中將


(出典:「兵に告ぐ」のテキストは、wikisource 兵に告ぐ
 また、ラジオの音声が YouTube にアップされている。2・26事件 復帰を促すラジオ放送 

 ちょうど10年前に、つれづれなるままに(2001年2月26日)と題して、私が書いた文章があるので再録しておこう。
 
つれづれなるままに(2001年2月26日)

二・二六事件から65年

 本日は二・二六事件がおこってから65年目にあたります。昨年は『憂国』という小説を書いて、映画化し、主演した三島由紀夫が自決してから30年目にあたりました。
 筆者は右翼ではありませんが(もちろん左翼でもありません)、二・二六事件には昔から多大な関心を抱いてきました。最初は、日本近代史上唯一のクーデータの、決起した青年将校たちへの浪漫主義的な共感から。

 ところが、調べるといろいろな事実がわかってきます。クーデター実行のみに重点がおかれてクーデター後の構想を欠いていたこと。昭和天皇自らが鎮圧する意思を示したことの誤算。東北地方の飢饉について。決起した青年将校たちの多くが文学青年だったこと(軍隊は基本的に理工系で、社会科学的素養を欠いていた)。昭和維新という運動について。戦前の革新とは、反資本主義の国家主義者たちのことだったこと。陸軍という巨大組織の内部抗争(皇道派 vs 統制派)に利用されたこと。憲兵隊によって事件発生前から電話が盗聴されていたこと。一審のみ上告なしの非公開の軍法会議で銃殺刑が決まったこと。等々。

 アジア太平洋戦争における作戦面での「日本軍の失敗」に関しては、研究書も出版されて注目されていますが、組織と人間の関係を考えるにあたって、二・二六事件が示す意味も依然として大きいものがあるのではないでしょうか。いきすぎた「能力主義」がもたらした下克上による組織内価値観の混乱、徹底した合理主義者(統制派)と情緒的日本主義者(皇道派)との意識レベルのギャップ、視野狭窄の指導層と指揮命令系統の混乱、等々。

 きめつけや安易な教訓を引き出すつもりはありません。今年もまた2月26日を迎えたか、という感慨があるのみです(2月26日)。

 この当時は「アジア太平洋戦争」というタームを私も使っていたが、現在では「大東亜戦争」という名称で統一することにしている。歴史的には後者のほうが正しいからだ。

 この文章を書いてから10年。

 この10年間の大きな変化といえば、いまこれを書いているブログ(=ウェブログ)もそうであるし、YouTube で視聴可能となった動画もそうである。

 ここにもいくつか動画を一つ紹介しておきたい。

 「青年日本の歌 昭和維新の歌」である。YouTube にアップされているので紹介しておこう。

 作詞・作曲 三木卓(1930)。三木卓は五・一五事件の叛乱将校で海軍中尉。歌手は、アイ・ジョージ。なお、原詩は大川周明の「則天行地歌」と伝えられている。

 歌詞を全文掲載する。悲憤慷慨を絵に描いたような歌詞である。 に詳しい解説があるが、土井晩翠と大川周明から盗用しているようだ。

 古代中国は戦国時代の楚の政治家で詩人・屈源の故事に基づくものである。屈原は楚の国の前途に絶望して、石を抱いて泪羅(べきら)の淵に身を投げた。

昭和維新の歌

一 泪羅(べきら)の淵に波騒ぎ 巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
 混濁の世よに我立てば 義憤に燃て血潮湧く

二 権門上(かみ)に傲れども 国を憂うる誠なし
 財閥富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし

三 ああ人栄え 国亡ろぶ 盲(めしい)たる民 世に躍おどる
 治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり

四 昭和維新の春の空 正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
 胸裡(きょうり)百万兵足りて 散るや万朶(ばんだ)の桜花

 五、古びし死骸(むくろ)乗り越えて 雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
   国を憂いて立つからは 丈夫(ますらお)の歌なからめや

六 天の怒りか地の声か そもただならぬ響ひびきあり
 民(たみ)永劫(えいごう)の眠りより 醒よ日本の朝ぼらけ

七 見よ九天(きゅうてん)の雲は垂れ 四海(しかい)の水は雄叫(おたけび)て
 革新の機(とき)到ぬと 吹くや日本の夕嵐

八 あゝうらぶれし天地(あめつち)の 迷いの道を人はゆく
 栄華を誇る塵の世に 誰が高楼(こうろう)の眺めぞや

九 功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠
 人生意気に感じては 成否を誰かあげつらう

十 やめよ離騒(りそう)の一悲曲 悲歌慷慨(ひかこうがい)の日は去りぬ
 われらが剣(つるぎ)今こそは 廓清(かくせい)の血に躍るかな


 75年もたてば、二・二六事件は、もうほとんど完全に風化してしまっているかもしれない。しかし、この事件に寄せる日本的心情は、民族としての日本人の奥底にある DNAレベルのものであるので、いつまた噴き出すかわからない。

 2006年のクーデター後、バンコクにいた私はタイ人の友人に対して「日本では、すでに70年もクーデターがないぞ!」と威張ってみたことがある。もちろん、タイにおいてはかつては、クーデターが政権交代の一手段として機能していたこともあり、日本とは性格が大きくことなるのだが。
 
 10年後の2021年においても、二・二六事件が日本における「最後のクーデター」であることを願うばかりである。








P.S. 本日は桑田佳祐の誕生日でもある

 本日は桑田佳祐の誕生日でもあったわけだ。NHK「復活!桑田佳祐ドキュメント~55歳の夜明け~」をみたが、とても病後とは思えない、しかも 55歳とは思えないパワフルぶり。しかも、歌はしみじみと聴かせるものがある。すばらしい。



<ブログ内関連記事>

4年に一度の「オリンピック・イヤー」に雪が降る-76年前のこの日クーデターは鎮圧された(2012年2月29日)

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想

「憂国忌」にはじめて参加してみた(2010年11月25日)

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」(吉田松陰)・・個人の心情に基づく個人の行動。公僕は組織を巻き込んではならない

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 

庄内平野と出羽三山への旅 (2) 酒田と鶴岡という二つの地方都市の個性
・・山形県庄内の石原完爾と大川周明をたどった旅の記録

スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929) 

エジプトの「民主化革命」(2011年2月11日)・・実質的にエジプト国軍によるクーデターであった2011年「民主化革命」

書評 『アラブ諸国の情報統制-インターネット・コントロールの政治学-』(山本達也、慶應義塾大学出版会、2008)
・・2006年クーデター後のタイ王国について、軍政当局による「情報統制」の観点からコメントを書いた

書評 『バンコク燃ゆ-タックシンと「タイ式」民主主義-』(柴田直治、めこん、2010)




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2011年2月25日金曜日

書評 『自己プロデュース力』(島田紳助、ヨシモトブックス、2009)-人生に成功したくない人、島田紳助がキライな人は読まなくていい


人生に成功したくない人、島田紳助がキライな人は読まなくていい

 誰が見ても文句なしの成功者である島田紳助が、漫才の世界の後輩たちにレクチャーした、熱く、厳しく、かつ心優しい、ホンモノの「成功術」のエッセンスを活字化して一気に大公開したものだ。

 2007年に NSC 大阪で開催された、島田紳助の特別講義を DVD化したものが元になっている。あえて活字にすることはないと渋りつづける著者を拝み倒して実現した企画だという。

 本書の内容を一言でいってしまえば、単なる努力だけでは成功しない、ということに尽きる。

 正しい方向を正確に読み切り、業界内のポジショニングを明確に意識したうえで、戦略的に自己構築しなければ、せっかくの努力もムダに終わってしまうということだ。「勝てる戦」をしなければならないのだ。

 帯に記されている成功法則を引用しておこう。エッセンスの数々である。

●頭で覚えるな、心で覚えろ
●自分だけの教科書をつくれ
●「ヘンな人」になりなさい
●直球がダメなら変化球で
●「X+Y」の公式を確立せよ
●他人のシステムをパクる
●負ける戦はしない

 熾烈な競争の芸能界で盤石の地位を構築して生きのびてきた著者による、まさに切れば血が出るような内容である。

 この本を読んでも、読者がテレビの世界で「第2の島田紳助」となることはまず100%ないだろう。

 しかし、読者のそれぞれが、自分が決めたニッチな分野で「島田紳助」になるための方法論として読めば、これほど血肉になりうる内容の本はない。

 読者みずからが、芸能界における島田紳助の軌跡を、自分にあてはめて自己構築に応用していけばよい。もし成功しないとしたら、それは本書の内容をキチンと理解していないか、応用の仕方が間違えているか、あるいは努力不足、または運が味方しなかったかのいずれかであろう。

 毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい対象である芸人・島田紳助。彼を好きな人間にとっては、またとない教科書であろうが、キライな人にとっては見るのも不愉快な内容であろう。

 人生に成功したくない人は読む必要はない。
 だが、それではあまりにももったいない。


<初出情報>

■bk1書評「人生に成功したくない人、島田紳助がキライな人は読まなくていい」投稿掲載(2010年5月21日)


*再録にあたって加筆修正を行った。




著者プロフィール

島田紳助(しまだ・しんすけ)

1956年、京都市生まれ。多数のレギュラー番組に出演する一方で、数多くの飲食店ビジネスを展開し成功をおさめる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
・・島田紳助については、あえて説明するまでもなかろう。




<書評への付記>

 経営用語でいえば、熾烈な競争の存在する芸能界は、まさに「レッドオーシャン」そのものである。「一将功成って万骨枯る」の世界。華やかに見えて、実は上下関係の厳しい体育会的世界。

 この世界で勝ち抜き、生き残っただけでなく、いまだに生き続けているということが並大抵なものではないことは、ちょっとイマジネーションを働かせればわかることだ。

 本書は、その「レッドオーシャン」のまっただなかでの生き残りの方法論である。

 だが、この方法論を使って、ニッチ分野の「ブルーオーシャン」でナンバーワンになってしまうということも可能だ。その場合にも、島田紳助の方法論は役に立つといえる。

 エッセンスを読み取らねばならない。

 いくつか島田紳助のコトバを引用させていただこう。みなさんも、この発言の数々からエッセンスをつかみとってください。

 僕がよく言うのは、「X+Y」でものを考えろ、ということ。
 「X」は自分の能力。自分は何ができるのか。これは自分にしかわからないのだから、自分自身と必死に向き合って必死に探すしかありません。 
 「Y」は世の中の流れ。これまでどんなことがあって、いまどんな状況で、五年後十年後、それがどんな風に変わっていくのか、これは資料が揃っているのだから、研究することでわかってくるはずです。
 この「X」と「Y」がわかった時、はじめて悩めばいい。
 ・・(中略)・・
 「X」と「Y」もわからずにどんなに悩んだって、それは無駄な努力です。(P.29~30)


 漫才というものはひとりではできない。
 今言った「X+Y」の法則を成立させられるかどうかも相方次第。
 そして相方と友達は別です。
 「こいつは凄くいい奴で」とか、そんなのは関係ありません。
 自分がやりたい漫才に必要な相方を探さなければいけない。
 僕の場合はどうだったか。漫才時代の相方だった竜介の話をします。(P.36~37)


 そういう風に、同じ価値観を共有して、同じことを考えて、同じところを見ている人間ふたりじゃないと、一個の笑いはつくれないですよ。(P.66~67)


 ただし、嘘はいけない。嘘はすぐばれます。
 一分野一箇所に詳しくなるなら、その一箇所を本当に好きにならなくてはいけません。
 ・・(中略)・・
 そして「心」で記憶するんです。
 本で読んで「頭」で記憶しただけでは、すぐボロが出ます。
 ・・(中略)・・
 僕たち喋り手は、本を読んで「頭」で記憶するのではなく、実際に体験して「心」で記憶しなくてはならないんです。
 「頭」で記憶したことはすぐ忘れます。
 「心」で記憶したことは一生忘れません。(P.83)


 だから、絶えず「心」で記憶できるよう、いつでも「感じ」られるよう、「心」を敏感にしていないといけないんです。(P.87)


 もうひとつ。「心」で記憶できるようになるには、やっぱり遊ばないといけません。
 その「遊ぶ」っていうのは、風俗に行くことではないし、飲みに行って騒ぐことでもありません。
 「遊ぶ」というのは、色々なものに興味を持って、ウロウロすること。もっと言ったら、ヘンな奴でいること。(P.88)


 「心」で記憶したことをしゃべると、映像が見えます。
 上手い喋り手が話しているのをみんながうんうんって聞いているでしょう。あれは耳で聞いているんじゃなくて、同じ映像を見ているんです。「脳」で記憶したことを喋っても、映像は見えてこない。同じ映像を見ているからこそ、人は共感するんです。(P.94~95)


 脳科学についての正しい知識を前提にした話ではないので、アタマとココロの関係は正確なものではないが、言わんとすることはストンと理解できる。それは、紳助が本質論を語っているから

 正確には、島田紳助のいう「心」の記憶とは、五感を全開にして体験したエピソード記憶のことである。だから、言っていることは正しい。自分が体験したエピソード記憶は、キッカケが与えられると再生しやすいのである。

 ほかにも、実に鋭い指摘が多数あるが、これは直接、本を読むなり、DVDをみてもらったほうがいい。営業妨害(?)になってはいけないし、自腹切って手間ヒマ惜しまずにやらないと、何ごとも身につきません(笑)。

 とくに、「テレビで絶対売れる「企業秘密」を教えよう」(P.67~)は、さすが紳助とうならされる。
 すでに活字になっているので「企業秘密」でもなんでもないのだが、この箇所がまさに「アタマの引き出し」つくりそのものといっていい。

 その心は何かといえば、19世紀英国の思想家 J.S.ミルの名言 "everything about something" and "something about everything" を地でいったものだ。

 紳助の場合は、芸人としての専門能力が前者の "everything about something"(ある何かについてのすべて) 司会をやる際の知識は後者の "something about everything"(すべてについての何か)である。
 芸人としては自分の専門能力は徹底的に研究して実践で磨き上げ、それ以外は人に聞けばいい、という割り切り。この専門能力と、自分の体験と、人から聞いた話をうまく使いこなす相乗効果こそ、島田紳助をして、現在の地位を築き上げた理由の一つであるといえよう。

 自分に与えられた枠組みのなかで、いかに120%実力を発揮して実績を出すか。
 ほんとうに地(ぢ)アタマの良い人間というのは、こういう人であるという、一つの例証になっている。

 勝つとか、成功するとか、そんなエゲツない話は嫌いだ。そういう風に思う人も当然のことながら多いだろう。
 なるほど、しかし、食わず嫌いはもったいない。ぜひ一読すべし、といっておく。

 いや、一回読むだけではもったいない。あまりにも簡潔にエッセンスしか語っていないので、自分自身の経験の引きつけて、言わんとすることを読み取る必要があるだろう。

 そしてその価値のある本である。



<ブログ内関連記事>

書評 『Me2.0-ネットであなたも仕事も変わる「自分ブランド術」-』(ダン・ショーベル、土井英司=監修、伊東奈美子訳、日経BP社、2010)・・ネット時代の「セルフ・ブランディング」(=自己ブランド化)の教科書。基本的に先行する米国の大学生向けの内容

本の紹介 『人を惹きつける技術-カリスマ劇画原作者が指南する売れる「キャラ」の創り方-』(小池一夫、講談社+α新書、2010)
・・「キャラ」の立て方と見せ方(=魅せ方)

書評 『知的生産な生き方-京大・鎌田流 ロールモデルを求めて-』(鎌田浩毅、東洋経済新報社、2009)
・・京都出身の島田紳助について言及している



P.S. 島田紳助が芸能界を完全引退(2011年8月23日)

 「島田紳助が芸能界を完全引退」というニュースが昨日(2011年8月23日)流れた。暴力団との関係が問題になったようで、よしもとによる実質的な解雇だという。

 もともと漫才時代にツッパリキャラで名を売った紳助のことだから、暴力団がからんでいたといわれても不思議でもなんでもないが、それにしても社会的通念に反する行為であると、よしもとが判断したということはきわめて重い。

 最近は、芸人としてよりもプロデューサー的な立ち位置となっていた紳助だが、惜しいという気持ちとともに、「アホやあなあ」という気持ちも同時にいだく。

 ただし、この本で展開された「成功方程式」そのものは善悪の是非は脇において、参考にすべき価値はあると思われる。

 問題は成功してからいかにおごり高ぶらずに生きていくかということだろう。その意味では、紳助の「芸能界引退」は、「反面教師」としても受け取るべきものであるといえよう。 (2011年8月24日 記す)






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2011年2月24日木曜日

Tommorrow is another day (あしたはあしたの風が吹く)

Tommorrow is another day (あしたはあしたの風が吹く)

 ハリウッド映画 『風と共に去りぬ』(Gone With The Wind)ラストシーン、英国人女優ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh)が演じる、スカーレット・オハラがつぶやくセリフ。

 「南北戦争」で敗北した側になってすべてを失った南部人女性が、自らの人生の再起もかけてクチにするセリフだ。

 日本語に直訳すれば、「あしたは今日とは違う一日」となる。だが、「あしたはあしたの風が吹く」としたのは名訳だ。

 英語の another は、使いこなすと、非常に英語らしい表現になる。

 たとえば、月曜日の朝には、Another Monday, isn't it ? と、付加疑問文(=タグ・クエスチョン)で挨拶してみよう。意味は、「また月曜日ですね、今週もがんばりましょう」といったニュアンスになる。

 英語の付加疑問文は、関西弁の「~ちゃうか?」に似ている。付加疑問文のことをレトリカル・クエスチョンともいうのは、最初から話し相手には肯定的な返事を求めているからである。つまりはレトリックのなせるわざだ。

 ところで、私がこの Tommorrow is another day (あしたはあしたの風が吹く)というセリフを覚えたのは、「英語で映画を見てみよう」といったタイトルの本ではなく、『アメリカニズム-言葉と気質-』(坂下昇、岩波新書、1979)という本。高校のときに何度も繰り返し読んでいた本だ。ここでいう「アメリカニズム」とは、アメリカ主義ではなく、アメリカをアメリカたらしめている表現のことである。


 すでにこのブログでも Eat Your Own Dog Food 「自分のドッグフードを食え」で紹介したことがあるが、この名著いうべき本が絶版、いや長期重版未定になっているのは実に惜しい。標準米語ではないので一般にはあまり知られることのない南部表現が少なからず収録されているからだ。

 たとえば、エルヴィス・プレスリーの Love Me Tender(やさしく愛して) という歌は、標準米語なら tender は tenderly とすべきところだが、米国南部では形容詞をそのまま副詞(adverb)的に使うらしい。こういった知識が満載のこの本は、出版当時は大きな話題になっていた。


 『風と共に去りぬ』の舞台となった米国南部、実は私もよくは知らないのだが、どうしても私を含めた日本人が無意識のうちに「北部中心史観」にとらわれているのは、明治維新と同様、米国でも北部側に「勝てば官軍」意識が根強く残っているからだろうか。ちなみに、ヤンキー(yankee)とは北部の人間をさすコトバ、間違っても南部人をヤンキーと呼んではいけない。

 「南北戦争」(1861年~1865年)は日本で使われる名称で、米国では The Civil War と呼ばれている。大文字で始まる「内戦」である。
 
 日本は米国の強い圧力で、1853年に「開国」するに至ったにもかかわらず、幕末の混乱期に米国のコミットメントが小さかったのは、米国国内がまさに大規模な内戦状態にあったことも少なからず影響している。米国はこの時点では、かなり「内向き」になっていた。

 薩長側のバックに大英帝国、幕府側のバックにフランスがついた、ある意味では英仏の代理戦争となったのが、幕末の日本の「戊辰戦争」という内戦であった。

 「戊辰戦争」の結果、とくに長州と会津が犬猿の仲になっていることは、よく知られていることだ。この状況も、米国の南北関係と似ていなくもない。米国にも「敗者の美学」は存在する。
 明治維新は1868年に成就したが、10年後には「最後の内戦」といわれる「西南戦争」が勃発した。

 米国も日本も、ともに「内向き」志向の強い国だが、歴史を振り返ると、面白いことにパラレルな動きをしていることがわかる。まったく出自の違う国なのだが、こういう共通点は面白い。

 
After all, tommorrow is another day
(結局、あしたは今日とは違う一日)。

 たとえ、一時的に敗者の側に回ったとしても、明日を切り拓くのは心持ち次第なのだ。




<関連サイト>

gone with the wind(Youtube)
・・ラストシーンで After all, tomorrow is another day. とつぶやいて映画は The End となる。

Elvis Presley - Love Me Tender(Youtube)


<ブログ内関連記事>

オペラ 『マノン』(英国ロイヤルオペラ日本公演)初日にいく
・・原作は、米国南部のニューオーリンズを舞台にしたフランスの小説

Eat Your Own Dog Food 「自分のドッグフードを食え
・・坂下昇の『アメリカニズム』

『ガラパゴス化する日本』(吉川尚宏、講談社現代新書、2010)を俎上に乗せて、「ガラパゴス化」の是非について考えてみる
・・「内向き」志向の強い日本と米国

書評 『ハーバードの「世界を動かす授業」-ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方-』(リチャード・ヴィートー / 仲條亮子=共著、 徳間書店、2010)
・・「内向き」志向の強い日本と米国


「敗者」の立場から見た歴史

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む

「敗者」としての会津と日本-『流星雨』(津村節子、文春文庫、1993)を読んで会津の歴史を追体験する

NHK大河ドラマ 『八重の桜』がいよいよ前半のクライマックスに!-日本人の近現代史にかんする認識が改められることを期待したい

『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)は「敗者」の側からの血涙の記録-この本を読まずして明治維新を語るなかれ!

「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲) 

庄内平野と出羽三山への旅 (2) 酒田と鶴岡という二つの地方都市の個性
・・西郷隆盛と庄内藩士の交流と西南戦争

(2016年6月19日 情報追加)


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2011年2月23日水曜日

ブログのタイトルを変更しました(2011年2月23日)


 いつもご愛読ありががとうございます。

 このたび、ブログのタイトルを変更することいたしました。

 「つれづれなるままに ほぼ毎日更新中!」から「「アタマの引き出し」は生きるチカラだ!」に変更です。

 2009年5月以来、ほぼ2年間のあいだ「つれづれなるままに」を「ほぼ毎日更新!」してきましたが、今回のタイトル変更は、より内容に則したものにタイトルを変えた方が、読者のみなさまにもわかりやすいのではないか、と考えた結果です。
 けっして「ほぼ毎日更新!」を放棄するつもりはありません(苦笑)。

 ところで、本日2月23日は、富士山の日だそうです。223で「ふ・じ・さん」。静岡の人には常識のようですが、私は本日までまったく知りませんでした。毎日が「学び」、ですね。
 なるほど、「♪ 富士は日本一の山~」、日本人の誇りそのものです。万葉以来、数々の歌に詠まれてきた富士山の日に、ブログのタイトル変更を行ったのも、なにかの縁でしょうか。

 ちなみに、昨日2月22日は、「ネコの日」なのだそうです。なぜなのかは私にはよくわかりませんが・・・。ネコがゴロゴロのどを鳴らせて、ゴロ合わせというわけでもなさそうですね。

 掲載したノラネコの写真についてですが、これは獲物を捕まえる瞬間の画像です。

 「狙った獲物は逃さない」と即物的に解釈するもよし、「幸せは手の届くところにある」と象徴的に解釈するもよし。

 一枚の写真をどう読むかも、その人がもつ「アタマの引き出し」次第といっていいでしょう。


 今後もよろしくお願いいたします。






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2011年2月22日火曜日

書評 『日本は世界4位の海洋大国』(山田吉彦、講談社+α新書、2010)-無尽蔵の富が埋蔵されている日本近海は国民の財産だ!


「世界4位の海洋大国」日本。無尽蔵の富が埋蔵されている日本近海は国民の財産だ!

 日本は、国土面積が世界61位であるにかかわらず、領海・排他的経済水域(EEZ)の面積は世界第6位、そして海岸線の長さも世界第6位である。

 だが、海を「二次元の面積」ではなく、「三次元の体積」でみると、日本の海はなんと世界4位である! 体積でみたら 1,580立法キロメートル、中国のなんと5倍。日本がまぎれもなく「海洋国家」であり、しかも「海洋大国」であることは明らかなのだ(*左に掲載の表紙を参照)。

 しかもその「世界4位の海」には無尽蔵の富が埋蔵されているのだ。国内消費量94年分のメタンハイドレードが海底や砂層の孔隙に存在するのをはじめ、黒潮は一年間に原発500年分の海中ウランを運んでくる。そしてまた海底熱水鉱床にはレアメタルが確実に存在する。あとはこれらをどう捕集し、採掘し、利用するかにかかっているのだ。
 また、世界三大漁場である日本の沿岸漁業は、栽培漁業である養殖とあわせると、日本人の食生活を今後も支えていくことができるのである。
 人口減少による衰退が懸念されている日本であるが、視点を海に向ければ、かなり明るいことがわかってくる。
 
 これらの無尽蔵の富は、われわれ日本国民に天から与えられた大きな財産である。であるがゆえに、この財産を虎視眈々と狙う不法者が近隣諸国に存在するのは不思議でもなんでもない。
 紛争となっている尖閣諸島だけでなく、竹島、沖ノ鳥島、肥前鳥島、北方領土も含めた離島の存在の理解を深めることが必要だ。離島こそ日本の生命線と捉え、離島を死守することこそ、近隣諸国におかしな考えをもたせないようしなくてはならない。著者はそのための方法論を提案している。
 海洋政策、海洋安全保障、現代海賊問題、国境問題および離島問題の研究を専門とする著者は、「海に守られた日本から、海を守る日本へ」の意識転換を日本国民呼びかけている。

 どうしても「島国」意識が抜けず、関係者以外は「海洋国家」意識をもちにくい日本であるが、日本の海を政治経済の観点から知るための入門書として一読することを奨めたい。


<初出情報>

■bk1書評「「世界4位の海洋大国」日本。無尽蔵の富が埋蔵されている日本近海は国民の財産だ」投稿掲載(2010年12月25日)
■amazon書評「「世界4位の海洋大国」日本。無尽蔵の富が埋蔵されている日本近海は国民の財産だ」投稿掲載(2010年12月25日)


 

目 次

はじめに-日本がもつ世界四位の海水量
第1章 偉大な力をもつ「日本の海」
第2章 「日本の海」に眠るエネルギーと鉱物資源
第3章 水産資源と先進技術が生む高度成長
第4章 「日本の海」の大チャンス
あとがき-海を守り続ければ未来は必ず明るい


著者プロフィール

山田吉彦(やまだ・よしひこ)

1962年、千葉県に生まれる。東海大学海洋学部教授。経済学博士。海洋政策研究財団客員研究員。学習院大学経済学部を卒業したあと、多摩大学大学院修士課程を経て、埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。東洋信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)勤務を経て、1991年から日本財団(日本船舶振興会)に勤務。海洋船舶部長、海洋グループ長などを歴任。2008年東海大学准教授に就任、2009年教授となる。海洋政策、海洋安全保障、現代海賊問題、国境問題および離島問題の研究を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものを wikipedia によって増補)。



<書評への付記>

 現在の日本人の快適な生活が大きく海に依存していることに、多くの日本人は日頃意識することなく、しかも無関心のようだ。どうしても「島国」意識が抜けず、関係者以外は「海洋国家」意識をもちにくいためだろう。

 何といっても「食糧とエネルギー」のほとんどを大きく海外からの輸入に依存しているが、金額ベースでみて約7割が「海上輸送」に依存している。海上運賃は航空運賃よりはるかに安いので数量ベースでみたら、比率はもっと高くなることはいうまでもない。

 同じ講談社現代新書からでた 『日本は世界5位の農業大国-大噓だらけの食料自給率-』(浅川芳裕、講談社+α新書、2010)とあわせて読むべきであろう。この本については、このブログですでに紹介している。書評 『日本は世界5位の農業大国-大噓だらけの食料自給率-』(浅川芳裕、講談社+α新書、2010) を参照。

 しかし、島国の陸地で営まれる農業と、この島国を囲む海での営みは似て非なるものといってよいだろう。
 
 海は、第一次産業である漁業と養殖業、そして食品加工業だけの存在ではない。海には、無尽蔵の資源が埋蔵されているのだ。これは陸地の比ではないのだ。



<ブログ内関連記事>

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)
・・海は日本の生命線!

書評 『平成海防論-国難は海からやってくる-』(富坂 聰、新潮社、2009) ・・海上保安庁巡視艇と北朝鮮不審船との激しい銃撃戦についても言及。海上保安官は命を張って国を守っている!

『何かのために-sengoku38 の告白-』(一色正春、朝日新聞出版、2011) を読む-「尖閣事件」を風化させないために!

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」(吉田松陰)・・sengoku38 による「尖閣ビデオ」投稿の件について、2010年11月11日時点の情報で書いたもの。その後、増補。

海上自衛隊・下総航空基地開設51周年記念行事にいってきた(2010年10月3日)・・航空母艦なき現在、陸上にある海軍航空基地は最前線である!

書評 『日本は世界5位の農業大国-大噓だらけの食料自給率-』(浅川芳裕、講談社+α新書、2010)・・本書の姉妹編(と、すくなくとも出版社はそう思わせたい?)




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2011年2月21日月曜日

『何かのために-sengoku38 の告白-』(一色正春、朝日新聞出版、2011) を読む-「尖閣事件」を風化させないために!


sengoku38 が「尖閣ビデオ」を YouTube にアップした理由-「尖閣事件」を風化させないために!

 ハンドルネーム sengoku38 が YouTube に投稿した「尖閣ビデオ」

 私がこの存在をツイッターで知ったのは翌朝のことだったが、即座にツイッター上の「拡散要請」に協力してリツイートした。日本政府がかたくなにビデオ公開を拒否し続けたことに強い違和感を感じていたからだ。「国民の知る権利」を蹂躙(じゅうりん)し続ける政府の姿勢には怒りさえ感じていた。

 このビデオは、公開を待ちに待っていたのだ。その後の展開は、まさにダムの決壊に等しいものであった。

 「尖閣ビデオ」とは「尖閣事件」の映像資料だ。日本の固有領土である尖閣諸島において、違法操業の中国漁船(・・実は工作船か?)と海上保安庁の巡視船の衝突シーンを鮮明に写しだした映像である。YouTube では見ていなくても、地上波のテレビが何度も何度も繰り返し流したので、鮮明に記憶に残っていることだろう。

 そして投稿者の sengoku38 とは、現役の海上保安官であることが数日後に判明する。現在では元海上保安官となった一色正春(いっしき・まさはる)氏である。43歳の働き盛り、妻子ある一人の日本男子である。

 巨大な国家権力の末端の一構成員にしかすぎない国家公務員が、なぜその職を賭してまでビデオ公開を決意し、実行するまでにいたったか? 本書は、この一連の流れをモノローグ(独白)という形で、みずからが語った手記である。

 2011年2月14日に、一色正春氏が「日本外国特派員協会」で記者会見で質疑応答を行っていることを、取材中のジャーナリスト上杉隆氏のツイートでたまたま知って、Ustream にいる中継をリアルタイムで見ることができた。「日本外国特派員協会」の公式サイトの Masaharu Isshiki, Former Japan Coast Guard Official(Time: 2011 Feb 14 12:00 - 14:00) を参照。

 質疑応答の内容も、しゃべっている本人も、私が思っていたとおり、きわめてまっとうであった。2010年11月の時点で私が書いた「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」(吉田松陰)のとおりである。

 sengoku38 こと一色氏の著書が出版されることも、ツイッターの書き込みで知った。さっそく amazon で予約して取り寄せ、目を通してみた。

 著書もまた、きわめてまっとうな内容であった。

 著者は、「自分がやらねば誰がやるのか」という、義侠心というか正義感が強い人である。最終的に YouTube に投稿することとなった経緯にかんする、著者のモノローグを聞いていると、著者も漏らしているように、ハムレットの To be or not to be. ではないが、逡巡(しゅんじゅん)に逡巡を重ね、迷いに迷い、しかし最後は腹をくくったことがわかる。

 そして、賽(さい)は投げられたのである。ルビコンを渡ったのである。

 大胆な決断を下して実行した人であるが、きわめて緻密に考え、慎重な性格であることもよくわかる。緻密な計算はしたといえ、けっして打算的ではない。
 朝日新聞出版から本書を出版したというのも、著者のバランス感覚のなせるわざであろう。『右であれ左であれ、我が祖国』という日本語訳タイトルのエッセイ集を晩年に出版した英国の小説家ジョージ・オーウェルを思わせる。(・・なお、この日本語訳タイトルは鶴見俊輔によるもので、原題は England Your England、英語原文はここで読むことができる)。

 こういう人こそ、コトバの本来の意味で公僕(=パブリック・サーバント)というべきなのである。私益のためではなく、公益のために奉仕するのが公僕というものである。公益のために、あえて捨て石になる覚悟を決めることのできる人間。もちろん、すべての人がそうではないが、心構えとしては期待したいものである。

 前近代社会であれば、主君に対する諫言(かんげん)を行ってた結果、詰め腹を切らされた武士のようなものだろうか。武士も江戸時代においては公僕であった。
 近代社会であれば、組織における個人のあり方として、公僕としての行動が最善であったかどうかは、著者もその一人であったように、そうかんたんに結論がつけられるものではない。

 著者の一色氏のことが英雄であるかどうかは、あくまでもまわりの人間の評価であり、本人とは関係のないことだ。この点については、マスコミ報道の問題点が当事者のクチから強い違和感として語られている。しかし、そのマスコミについても、著者は組織と個人の関係について考察を行っていることは強調しておこう。組織と個人の葛藤は、公務員には限らない問題だからだ。

 日本の海を守ること、これが海上保安官の任務である。この任務の遂行に粛々と取り組むのが、公僕としての海上保安官の任務である。海上保安官が本来の任務に専念できるような環境をつくることがトップの責任であり、政治の責任である。海上保安官である著者は、本来はこんなことをする必要はなかったのである。

 そうでなくても、著者も懸念しているように、すでに尖閣事件が風化し始めている。熱しやすく冷めやすい、忘れやすいのは日本人の長所であり短所であるが、あらためてあの事件の本質が何であったのか、国民のひとりひとりが自分のアタマで考えるべきことだ。右であれ、左であれ、そのどちらでもない立場であれ、一日本国民として、自分の問題として是々非々の判断を下すべきことだ。
 
 本書の出版もまた、世論喚起の一手段としての行為であろう。ぜひ応援したいという思いから、このブログに取り上げることとした次第である。

 ちなみに、本書でも、最後の最後まで著者は sengoku38 の意味は明かしていない。武士の情け、だろうか。これ以上、無用な混乱を起こして、ほんとうの問題である「尖閣事件」そのものから目をそらしてほしくないという気持ちからだと私は解釈している。



<初出情報>

 「このブログのために」緊急執筆した。


目 次

はじめに

これ、わしがやったんや
中途採用で海上保安官になった
そもそも尖閣諸島とは
事件の始まりの事件
中国人船長逮捕
東シナ海ガス田の濁った海面
私が尖閣ビデオを目にした日
世界に対して面子を失った日本
侵略を開始した中国
なぜビデオが国家機密なのか
私がやらねば
ビデオ公開前夜
11月4日、実行
ビデオ公開翌日
私が行った罪証隠滅行為
私がやりました
取り調べは続く
海上保安庁から脱出
考えるということ
ハンドルネームの意味は・・・
海上保安官人生が終わった
公開の意味
終結

おわりに


著者プロフィール

一色正春(いっしき・まさはる)

1967年、京都市生まれ。国立富山商船専門高等専門学校卒業。民間の商船会社勤務中、オイルタンカーや LPGタンカーに乗船し、東南アジア、ペルシャ湾、北米、ヨーロッパ、アフリカ航路に従事する。その後、民間金融会社、広告業を経て、1998年より海上保安庁勤務。2004年韓国語語学研修終了。以降、国際捜査官とし勤務。2007年、放送大学校卒業。2010年12月退官。在任中に長官表彰3回、本部長表彰4回受彰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

 なお、海上保安官の中途採用者の研修は京都府の舞鶴ではなく、門司で受けるそうだ。その経験は本書にもやや詳しく書かれている。


<関連サイト>

Masaharu Isshiki, Former Japan Coast Guard Official(Time: 2011 Feb 14 12:00 - 14:00)
・・FCC(Foreign Correspondents' Club of Japan:特例社団法人日本外国特派員協会)の公式サイト(英語)

尖閣衝突ビデオ A ミンシンリョウ 5179 No.3 ミズキと衝突(YouTube にはこのほか膨大なコピーが流通)
・・YouTube に書かれているコメントについては、私はノーコメント。映像資料として虚心坦懐に見るべし。

【寄稿】「国力を総動員しなければ領土領海をまもれない」 (一色正春、BLOGOS、2014年12月30日)
・・2014年末の中国漁船団の小笠原沖違法操業問題について。以下にむすびの一文を引用する。

マスコミは大げさに報道していますが惑わされてはいけません。相手は物量に物を言わせ「中国にはかなわない」と思わせようとしているのです。我々が、少しでも妥協してしまえば相手の思う壺です。 相手は、国を挙げて侵略してきているのです。繰り返しになりますが、我々も国力を総動員しなければ領土領海をまもれないことを認識し、その覚悟を持たねばなりません。事態が大きくなれば、友好行事や輸出入の禁止、現地邦人の不当逮捕など中国からの不当な圧力が予想されます。その時に覚悟がなければ四年前と同じような惨めな結果に終わってしまいます。



(2015年1月17日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」(吉田松陰)・・sengoku38 による「尖閣ビデオ」投稿の件について、2010年11月11日時点の情報で書いたもの。その後、増補。

書評 『平成海防論-国難は海からやってくる-』(富坂 聰、新潮社、2009) ・・海上保安庁巡視艇と北朝鮮不審船との激しい銃撃戦についても言及。海上保安官は命を張って国を守っている!

海上自衛隊・下総航空基地開設51周年記念行事にいってきた(2010年10月3日)・・航空母艦なき現在、陸上にある海軍航空基地は最前線である!

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)
・・海は日本の生命線!

書評 『尖閣を獲りに来る中国海軍の実力-自衛隊はいかに立ち向かうか-』(川村純彦 小学館101新書、2012)-軍事戦略の観点から尖閣問題を考える

書評 『新・通訳捜査官-実録 北京語刑事 vs. 中国人犯罪者8年闘争-』(坂東忠信、経済界新書、2012)-学者や研究者、エリートたちが語る中国人とはかなり異なる「素の中国人」像

マンガ 『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社漫画文庫、1998) 全16巻 を一気読み

書評 『日本は世界4位の海洋大国』(山田吉彦、講談社+α新書、2010)
・・点と線ではなく、面、さらには体積をもった三次元で考えよ

書評 『日米同盟 v.s. 中国・北朝鮮-アーミテージ・ナイ緊急提言-』(リチャード・アーミテージ / ジョゼフ・ナイ / 春原 剛、文春新書、2010)・・日米同盟の重要性と限界について

書評 『集団的自衛権の行使』(里永尚太郎、内外出版、2013)-「推進派」の立場からするバランスのとれた記述

書評 『エリートの条件-世界の学校・教育最新事情-』(河添恵子、学研新書、2009)・・ジョージ・オーウェルについても言及

(2015年1月17日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)










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2011年2月20日日曜日

『ビジネス EVERNOTE-「劇的に」成果を上げる!活用事例が満載- (日経BPパソコンベストムック) 』(日経BP社、2011) をガイドにして EVERNOTE に入門してみる


 初級者向きのEVERNOTE入門のムックである、『ビジネス EVERNOTE-「劇的に」成果を上げる!活用事例が満載- (日経BPパソコンベストムック) 』(日経BP社、2011) をガイドにして EVERNOTE に入門してみよう。

 EVERNOTE というのは、ネット上のストレージにデジタル情報を一元管理することができる便利なツールのことである。
 基本的に、何ごとも自分のアタマのなかには入れずに、「外部記憶装置」として活用するという発想だ。

 「脳を記憶から解法しましょう」というのが EVERNOTE のフィロソフィーのようだが、これは多くの人たちにアピールするチカラがあるだろう。ただし、私はやや懐疑的だ。

 というのは、クリップして放り込んでため込んだ情報をどう使うかという「知的生産の方法」のほうが重要ではないか、と考えてしまうからだ。
 世の中に万能のツールなど存在しない。

 その点、このムックは操作方法よりも、どう使うかという点に重点を置いているのがよい。

目 次

特集1 Evernote導入で「劇的に」成果を上げた!9つの事例
 Evernoteへの三つの視点
 Evernoteとの連携で新しいサービスが生まれる
 文学者のノート、科学者のノート
 ゾウのお話 「ゾウは決して忘れない」ってホント?
 Evernoteと連携して使える注目グッズ
 iPadとEvernoteとビジネスパーソン
 30年で大学ノート529冊 私が情報をまとめ続ける理由
 ゾウのお話 Evernoteのトレードマークのゾウの種類は?
特集2 基本から応用まで操作Tips50

 何を自分のアタマのなかにいれ、何を入れないか、これはひとりひとりが判断しなくてはならないことだ。そしてその判断軸をどう作り上げるか。

 何も考えずに EVERNOTE に放り込んだまま使わない情報は、おそらくものすごい量になるだろう。検索機能で必要なものを必要なときに取り出せばいいと思っていると、そうなりがちではないだろうか。

 検索の判断軸は個々人のものである。実は大きく差がつくのはこの部分だ。これは知識というよりも知恵に近い領域だ。使い方は自分で開発することである。いろいろな事例を参考にしながら。

 情報をためこむのはいいが全然活用できない人。こういう人はネット以前から実に多かった。その意味ではデジタルデータにしてしまうと「検索さまさま」となるのだが、記憶のすべてをインターネットに依存することがいいかどうかはわからない。記憶しないで記録するというのがその趣旨か? 要はバランスであろう。
 
 私も最近使い始めたが、とりあえずはとくに考えずに、情報をほうり込んでいる。だから使いこなすなんて状態からはほど遠い。いつもながら late adopter なので・・・
 何ごとも「習うより慣れよ」(Practice makes perfect)だから、このムックを参考にしながら、習熟していきたいと思う。

 自分が書いたこのブログの記事にもアイコンを設置してみたので、興味のある人は、この記事の一番下にある「象印のアイコン」をクリックして、自分のアカウントを開いてみてください。もちろん、この記事もすぐにあなたのアカウントに取り込むことができます。





<関連サイト>

EVERNOTE(日本語版)


<ブログ内関連記事>

書評 『達人に学ぶ「知的生産の技術」』(知的生産の技術研究会編著、NTT出版、2010

書評 『知の現場』(久恒啓一=監修、知的生産の技術研究会編、東洋経済新報社、2009)

書評 『ネット・バカ-インターネットがわたしたちの脳にしていること-』(ニコラス・カー、篠儀直子訳、青土社、2010)

書評 『脳の可塑性と記憶』(塚原仲晃、岩波現代文庫、2010 単行本初版 1985)






(2012年7月3日発売の拙著です)








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