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2011年7月29日金曜日

空蝉(うつせみ)とはセミの抜け殻のこと-『源氏物語』の「空蝉」をめぐってつれづれに



 数日前にセミの第一声を聞いたと思ったら、もう蝉時雨(せみしぐれ)が本格化している。原発事故による「節電」で、今年の夏は暑くなると脅かされてきたが、エアコンのない生活を昨年から実践しているわたしには、さほど困難な課題ではない。

 とはいえ、風のない暑い夏の日に蝉時雨が加わると、足し算ではなく掛け算で夏が暑く感じるのは、わたしだけではないだろう。

 セミは英語で cicada という。シケイダあるいはシカーダと発音する。このいかにも英語的ではない単語の起源は、高校三年の英作文で授業で習ったとき以来イタリア語かなと思っていたが、ネットで調べてみるとラテン語起源であるらしい。

 15世紀には英語になっていたようだが、もともと英語にないコトバだということは、やはり英国にはもともとセミはいないのだろう。ラテン語は地中海世界のコトバなのでセミに該当するコトバがあっても当然だ。たしか、古代ギリシアの『イソップ寓話』にもセミの話がでてきたと思う。

cicada
early 15c., from L., lit. "tree cricket."
Online Etymology Dictionary, © 2010 Douglas Harper


 冒頭に掲げた写真は、今週に撮影したもの。家の近くを歩いていたら、たまたま目に飛び込んできたのがセミの抜け殻。立っている目線からみると小さな抜け殻だが、意外と目に入ってくるものだ。セミの鳴き声がアタマのなかにあったからか。


 さっそく近づいて写真に撮ってみた。そうする間もなく、セミの抜け殻は風でひっくり返ってしまった。抜け殻は軽い。吹けば飛ぶようなはかない存在だ、



 セミの抜け殻のことを、古語では空蝉(うつせみ)という。中身がなくなって「うつろ」(=空洞)だから「うつせみ」。 

 空蝉(うつせみ)といえば、すぐに思い出すのが『源氏物語』の「空蝉の巻」。『源氏物語』第3帖にあたる「空蝉」は、17歳のモテ男子・光源氏をつれなく袖にした人妻。はじめてつれなくされた女との苦い青春の思い出がつづられている。

 猛暑の夏の自然観察 (1) セミの生態 (2010年8月の記録) にもすでに引用しているのだが、あらためてここに書いておきたいと思う。歌の大意は、瀬戸内寂聴訳から引用。

空蝉(うつせみ)の 身をかへてける 木(こ)の下(もと)に 
 なほ人がらの なつかしきかな (光源氏)

 蝉が抜け殻だけを残し
 去ってしまった木の下で
 薄衣だけを脱ぎ残し
 消えてしまったあなたを
 忘れかねているこのわたし

空蝉(うつせみ)の 羽(は)におく露(つゆ)の 木(こ)がくれて
 しのびしのびに ぬるる袖(そで)かな (空蝉)

 薄い空蝉の羽に置く露の
 木の間にかくれて見えないように
 私も人にかくれて忍び忍んで
 あなたへの恋の切なさに
 ひとりないているものを

(出典:『源氏物語 巻一』(瀬戸内寂聴訳、講談社文庫、2007)

 

むかし「与謝野源氏」、いまは「瀬戸内源氏」

 大学受験を前にした高校三年生の夏も猛暑だったが、その当時はエアコンなどは自宅にはなく、汗をふきふき勉強に精を出したもの。その頃の記憶があるから、エアコンなしでもどうといったこともない。

 そのとき通読したのが、いわゆる「与謝野源氏」、歌人の与謝野晶子が現代語訳した『源氏物語』である。作家の谷崎潤一郎が、原文の趣(おもむき)を活かして現代語訳した「谷崎源氏」と比べて、通読するなら意味はとりやすいといわれており、じっさいそのとおりだという感想をもった。

 だがいかんせん、本文に挿入された和歌が、解釈も現代語訳もなしにそのままおかれているのにはまったく閉口した。歌の意味を味読できなければ、『源氏物語』の味わいは半減してしまうからだ。歌人であった与謝野晶子がなぜそうしたのかわからないが、読者には不親切きわまりない。

 『源氏物語』の現代語訳は、大和和紀のマンガ『あさきゆめみし』もふくめたらかなりの数になる。現在でもつぎからつぎへとトライされている。それに応える出版社もいるのがある意味では不思議である。

 あえて瀬戸内寂聴の訳をつかったのは、源氏物語の女人たちと同じく、瀬戸内寂聴もまた愛欲の世界をみずから体験し、小説にもしててきた人でかつ、煩悩をもてあました末に天台宗で出家した人であるからだ。これは、『寂聴伝』(齋藤愼爾、新潮文庫、2011)でも触れられていることだ(P.491)。

 比叡山の横山(よかわ)の僧都も登場する『源氏物語』、仏教の理解が深くなければ、深いレベルで理解することはできないのではないか、これは高校時代に「与謝野源氏」を通読したときにも思ったことだ。とくに『源氏物語』54帖のうち、とくに後半1/3に該当する『宇治十帖』にかんしては。

 みずからも天台宗の本山である比叡山で修行した寂聴さんだからこそ、意味のある現代語訳となったのではないか。間違いなく今後四半世紀のスタンダードになるだろう。

 とはいえ、いまだに「寂聴源氏」は通読していない。ぜひ遠くない将来に一念発起して、文庫版全10巻を一気読みしたいと思っている。


アーサー・ウェイリーによる英訳 The Tale of Genji

 むかし、正宗白鳥という作家は、英国の東洋文学研究家アーサー・ウェイリー訳の英語訳で通読して、はじめて『源氏物語』の良さが理解できたと述懐したそうだが、あながちおかしな話ともいえまい。

 ちなみに、ウェイリーは日本の古典にかんしては源氏、お能、和歌などなど、中国の古典については李白や西遊記なども英語訳している。だが、『源氏物語に魅せられた男-アーサー・ウェイリー伝-』(宮本昭三郎、新潮選書、1993)によれば、漢文も古文も独学で身につけたもので、東洋には一度も足を踏み入れたことがないらしい。この事実には、ほんとうに驚かされる。

 現在では英語訳といえば米国人の日本研究者エドワード・サイデンステッカー訳がスタンダードになっているが、ウェイリー訳もいまでも英語世界では流通している。
 
 翻訳というものはある意味では解釈だから、ウェイリーがどのように英語化しているか簡単にみておこう。和歌(poem)は独立させずに、地の文のなかに織り込んで訳すのがウェイリーの翻訳スタイルだが、こういう処理の仕方もあるものだな、と。

Utsusemi(空蝉)の最後のパッセージから

Utsusemi, though she had so fiercely steeled herself against his love, seeing such tenderness hidden under the words of his message, again fell to longing that she were free, and though there was no undoing what was done she found it so hard to go without him that she took up the folded paper and wrote in the margin a poem in which she said that her sleeve, so often wet with tears, was like the cicada's dew-drenched wing.

(出典:The Tale of Genji translated by Arthur Waley, Dover Publication, 2000 P.51)


同じ箇所を瀬戸内寂聴訳から(出典は既出)

 一方、あくまでもつれない女も、一応さも平静そうに思いを抑えこらえているものの、どうやら思いの外に深く真実らしいお気持ちが身にしみるにつけ、もしこれが夫のいない娘の頃だったならと、今更、過ぎ去った昔を取り返しようもないままに、源氏の君への恋しい気持ちが忍びきれなくなり、いただいたお手紙の懐紙(かいし)の端に、人知れず書きつけるのでした。

空蝉(うつせみ)の羽(は)におく露(つゆ)の木(こ)がくれて
 しのびしのびに ぬるる袖(そで)かな

薄い空蝉の羽に置く露の 木の間にかくれて見えないように
(私も人にかくれて忍び忍んで
(あなたへの恋の切なさに ひとりないているものを

 主語を明確にしなければならないのが英語、瀬戸内源氏は徹底的に主語を明確にしたという評がありながらも、やはり日本語だと主語は明示しなくても意味をとることができる。

 いずれも、流麗な訳文である。

 『源氏物語』はあえていうまでもなく世界最古の長編小説、これこそまさに世界に誇る「なでしこパワー」の代表だろう。





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(2014年9月1日 情報追加)


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