「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

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2012年5月31日木曜日

本日(5月31日)は「世界禁煙デー」-とくに "歩きたばこ" は "火のついた凶器"、一日も早く全面禁止が実現しますよう!


本日(5月31日)は「世界禁煙デー」。第25回 World No Tabacco Day です。

本日が「世界禁煙デー」であることは、TVニュースではじめて知りました。「世界禁煙デー」という存在もはじめて知りました。

さっそく厚生労働省のサイトを検索したら、以下の文言が書かれていました。

2012年世界禁煙デーについて
平成24年度「世界禁煙デー」における取組及び「禁煙週間」の実施について 
http://www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/kin-en/12.html

1.世界禁煙デー  5月31日(木)
-禁煙週間:  5月31日(木)~6月6日(水)

2.禁煙週間のテーマ
「命を守る政策を!」
(参考)WHOのテーマ:「たばこ産業の干渉を阻止しよう」
(Stop Tobacco Industry Interference)
趣旨:たばこが健康に悪影響を与えることは明らかであり、禁煙はがん、循環器病等の生活習慣病を予防する上で重要である。
「健康日本21」やがん対策基本計画の目標でもある「未成年者の喫煙をなくす」ためには、喫煙による健康影響を認識させることが重要である。
また、「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」に基づく第2回締約国会議において、「たばこの煙にさらされることからの保護に関するガイドライン」が採択され、我が国においても、平成22年2月に、基本的な方向性として、公共の場は原則として全面禁煙であるべき等を記した通知を発出している。
平成24年度においては、喫煙及び受動喫煙による健康被害等についての普及啓発に加え、今年度の世界禁煙デーのテーマである「たばこ産業の干渉を阻止しよう」についても、普及啓発を積極的に行うものである。

3.主要な実施事項
○厚生労働大臣メッセージの発表(記念シンポジウムにおいて発表)
○閣議における厚生労働大臣発言
○世界禁煙デー記念シンポジウムの開催(東京及び地方)
○「禁煙週間」実施要綱の策定、周知
○本週間用ポスターの作成、配布、掲示 (ポスター:[3,453KB])
○各省庁、地方公共団体、関係団体及び厚生労働省内部部局等に通知し、その趣旨について理解と協力を求める。
○厚生労働省ホームページ等による情報提供
4.その他の対応

○厚生労働省内職員へメールにて禁煙の呼びかけ
○健康相談室における禁煙相談の実施
○禁煙週間中における合同庁舎5号館内でのたばこの自動販売機の停止等

きょうのきょうまでポスターすら見たことがないのはいったいどういうことか?

厚生労働省はもっと広報しないと!!


わたし的には、「365日全面禁煙」となってほしい気持ちがやまやまです。たばこに寛容であった欧州ですら、鉄道は全面禁煙になったのです。

とくに、「歩きたばこ全面禁止」は、絶対に徹底してほしいものです。

自分のウェブサイトに11年前に書いた文章を再録しますので、なぜそう思うのかを知ってほしいと思います。なお、太字ゴチックは、再録にあたって強調したものです。

つれづれなるままに(6月25日) 2001年 http://homepage2.nifty.com/kensatoken/hyoushi.kako-keisaibun.htm


タバコのマナーの悪さはすでに「危険水域」に達している


最近目に余るのが、火のついたタバコを手にもったまま手をブラブラさせて歩いている者があまりにも多いことである。特に日本人の男、それもサラリーマンに多い。
タバコの位置が、ちょうど子供の目線にあたるから「危ないなあ」と前々から思っていたが、自分は大人だから、火のついたタバコは避けることはできるはずだと考えていた。これが大間違いだった。
本日、昼休み、交差点をわたろうと急ぎ足で歩いていたら、突然「あちッ」と大声で叫んでいる自分に気がついた。中年おやじの吸いかけのタバコが左手の甲にあたってやけどしたのだ。「じゅッ」と皮膚が焼ける音も聞こえたように思う。 
「何すんだ」と思わず声がでたが、先方は謝ろうともしないで立ち去ろうとする。自分が悪いことをしたという意識もないのだ。
10代後半から20代前半の「切れた」若者なら、そんな中年おやじに対しては、そのまま殴る蹴るの暴行に移行するかもしれない(?)ところだが、30歳台の私はもちろんそんなことはしない。たとえ自分が「被害者」でも、先に殴った方が不利なことがわかっているからだ。急いでもいたし。
だが、ここでいいたいのは切れるとか、切れないとかではなく、社会的な弱者である子供の顔にタバコの火があたったらどうなっていることだろうか、と考えるからである。子供をつれて歩いている母親なら気が気でないのではないか。
タバコを製造販売しているJT(日本たばこ)にはこの問題に対して大々的なキャンペーンをはってもらいたい。タバコは、煙がすわない人の健康に害になるだけでなく、「火のついた凶器」でもある、という事実の喚起を(6月25日)。

*上記の内容のメールをさっそく作成し、JTにメールで送りました。機会をとらえて、さまざまなメディアに投書していこうと考えております。


「"火のついた凶器"問題、その後の状況についての補足(7月6日)

私がe-mailで送った意見に対してJTの広報から封書で返事がきたが、おざなりな内容でがっかりさせられた。まったくもって企業の論理いってんばりの内容である。しかも人の名前を「菊地さま」と書いたまま間違えも訂正せず送ってきている。どういう神経をしているのだろう・・・。
ここのところ超多忙で、マスコミ等への投書するヒマなどない(この件についてはまだ検討中)が、「火のついた凶器」問題はけっして小さな問題ではないので、なんとかしたいとは思っている。一読者からの通信でAC(日本広告機構)が「あなたが持っているのは火です」と注意を促しているとのことだが、残念ながらあまり効果はないようだ。
こんな折、「韓国が『2002年禁煙W杯』でWHOと合意」という記事を日経新聞のネット版でみた(2001/07/04)。記事によれば、韓国側では「禁煙ワールドカップ」と位置づけ、試合会場からたばこを締め出すなどの方針を明らかにした、とのことだ。試合会場内での禁煙やたばこ販売の停止、たばこ会社にワールドカップのスポンサー活動をさせないことなどをはじめ、包括的な「たばこ追放策」を目指している、という。
「落選運動」や「ブロードバンド」だけじゃなく、「たばこ追放」でもまた韓国に先を越されたか。とはいえ、フーリガンによる乱闘も十分予想されるワールドカップだけに、「火のついた凶器」をサッカー場から締め出すのは当然だろう。私は韓国の英断を全面的に支持したい。日本政府はつまらないプライドは捨てて韓国にならってもらいたいものだ(7月6日)。

読み返しているうちに、ふたたび激しい怒りがこみ上げてくるのを禁じ得ません。

「歩きたばこ全面禁止」には、一人でも趣旨を理解した賛同者が増えてくれることを期待します。

たばこは "火のついた凶器" だ!

子どもたちを "火のついた凶器" から守ろう!!!







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2012年5月30日水曜日

電気をつかわないシンプルな機械(マシン)は美しい-手動式ポンプをひさびさに発見して思うこと



先週土曜日(2012年5月26日)に実行した「市川文学散歩」。その途上、市川市菅野でレトロな物件を発見しました。井戸水を汲みあげるための手押しポンプです、なつかしいですねえ。

現在は閉店している喫茶店兼スナック(?)の店前にあったのが、その前を通りかかったときに目に入ってきました。レトロな店舗の前に、レトロな物件。こういうものを目にするのは、いまやめずらしくなっただけに、たいへんうれしく思うものです。


というのも、そのむかし小学生の頃に住んでいた東京都練馬区でも井戸が使われていたから。昭和40年代はじめには、すでに上水道は普及していましたが、隣りの家に井戸があって、井戸水を汲むのにつかわれていました。

数軒に一つしかない井戸水は、野菜を洗ったり、洗濯用の水としてつかわれていました。さすがに飲み水としては、すでにつかわれていなかったようですが。

取っ手を押す際にでる「キ~コ、キ~コ」という、金属音がつくりだすリズムが好きで、子どもの頃、よく動かしてましたものです。

井戸端には、主婦が集まっていたものでした。コミュニケーションを発生させる場としての井戸端。むかしは文字通りの「井戸端会議」が行われていたわけですね。現在の職場でいえば、喫煙コーナーのようなものでしょう。

「3-11」後の現在、放射能汚染を避けるために、井戸を掘るのがブームになっているようです。

しかし水をくみ上げるのに電気でモーターを回しているので、むかしの井戸端の感覚はありません。しかも自宅の敷地内ですから、井戸端会議も発生のしようがないということでしょう。

井戸を掘る日本のローテク、これは現在は発展途上国で大いに役立っています。不衛生なたまり水ではなく、汚染のされたないキレイな井戸水がいかに貴重でかつ重要であることか。

すでに日本ではレトロな手動式井戸水汲みを見ることのなう若い人たちには、ぜひ発展途上国にいって、井戸で水を汲むことを体験してほしいと思います。


電気をつかわない機械について

井戸汲みポンプは、テコの原理を利用したシンプルな機械です。電気で駆動するモーターをつかわない、ローテクのマシン。電子時代にはない、機械の強みを感じさせます。

昨年の東電管内の「計画停電」(=輪番停電)において痛感したのは、現代文明がいかに電気に依存した文明になっているかということでした。

高層建築物においては、水道水ですら電気でモーター回してくみ上げているので、電気が止まると水もでないのです! トイレで水を流すのも、電気がないとできないのです!

そんななか、唯一動いていたのが、水洗トイレのロータンクでした。きわめて単純な構造ですが、水に浮かんだタップによって弁を開閉し、水量を自動調整する仕組みです。駆動に電気を必要としない、きわめて合理的な設計です。


(出典: 水洗トイレロータンク構造 http://www.handsman.co.jp/myweb/D63-1-1.html

20世紀後半の日本は、機械に電子電気を組み合わせることによって、工作機械などの分野でも、ドイツやスイスの機械の牙城を崩してきました。いわゆる「メカトロニクス」という和製英語に象徴される技術革新です。

しかし、機械そのものについては、いまだにドイツやスイスのほうが優れているという評価は、日本のものづくりの世界でも根強く残っています。やはり、機械そのものの歴史が違うのでしょう。

先日、佐倉の国立歴史民俗博物館にひさびさにいってみましたが、江戸時代後期に讃岐の国(・・現在の香川県)でつかわれていたという、サトウキビから砂糖を絞り切る機械(=砂糖しめ臼)の模型をみました。牛が引っ張っぱる動力を、歯車をつかって石臼を回す動力に変換する木製の機械です(下図)。

(国立歴史民俗博物館 近世のコーナー)

(同上)

風の強いオランダの海岸地帯では風車によって風力を動力に変換する機械が普及しました。同時代の日本では、水流を利用する水車や、家畜をつかった機械が利用されていました。

いざというときには電気がつかえないとなにもできない、それでは生き延びることはできません。

人間のチカラも含めて、いかに電気をつかわないで利便性を確保するか、真剣に考えるときがふたたびやってきているのではないかと思うのです。

もちろん電気文明の恩恵に要しているからこそ、いまこうやってブログの文章も書くことがdきるわけですが、いざという危機状況の際には、電気はつかえなきという覚悟をしておく必要があることは、けっして忘れることはないでしょう。

ひさびさに井戸水を汲む手動式ポンプをみて、その思いはさらにつよくなった次第です。



<ブログ内関連記事>

国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①
・・とくに「近世」」のコーナーは2008年に全面改装されたようで注目だ

書評 『ニシンが築いた国オランダ-海の技術史を読む-』(田口一夫、成山堂書店、2002)-風土と技術の観点から「海洋国家オランダ」成立のメカニズムを探求
・・技術が生まれる風土に着目した技術史

本の紹介 『シブすぎ技術に男泣き!-ものづくり日本の技術者を追ったコミックエッセイ-』(見ル野栄司、中経出版、2010)
・・日本のものづくりの中心はメカトロニクス

書評 『ブルー・セーター-引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語-』(ジャクリーン・ノヴォグラッツ、北村陽子訳、英治出版、2010)
・・発展途上国で水を確保することの意味

このオレに温かいのは便座だけ (サラリーマン川柳より)
・・しかし、[3-11」後の「計画停電」以降は、ウォシュレットをつかうとき以外は電気は切っているので、便座すら暖かくない(笑)

書評 『まっくらな中での対話』(茂木健一郎 with ダイアログ・イン・ザ・ダーク、講談社文庫、2011)
・・「計画停電」で唯一意味があったのは、くらやみの再発見

「アタマの引き出しは生きるチカラ」だ!-多事多難な2011年を振り返り「引き出し」の意味について考える
・・「アタマの引き出し」がすぐにつかえる状況にあれば、電気をつかう情報機器がなくてもサバイバル可能!




(2012年7月3日発売の拙著です)







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2012年5月29日火曜日

『水木しげるの古代出雲(怪BOOKS)』(水木しげる、角川書店、2012)は、待ちに待っていたマンガだ!


『水木しげるの古代出雲』を先週やっとゲットしました。アマゾンでは品切れが続いていて、なかなか入手できなかったので、別のネット書店で購入。正直にウレシイ。到着したその日に一気に読了。

水木しげるの夢枕に現れては、古代出雲のことを、「早く描け、早く描け」とけしかけてきたという古代出雲の青年。この話はTVのインタビューで語っているのを聞いたことがありましたが、マンガを完成したことによって、夢には現れなくなったのだ、とか。このことはこのマンガのなかにも書き込まれています。

出雲大社の勢力圏のにある島根県境港市出身の水木しげる先生。もともと武良家(・・水木しげるの本名は武良茂)は、隠岐の島から島根に移住したらしい。

隠岐の島は、本州からみれば「離島」という位置づけになります、大陸との海路の中継点にあって、大陸からの影響が強いようです。現在は連絡船で結ばれている荒海の玄界灘にくらべて、隠岐の島の日本海のほうが波が穏やかだから、ということなわけです。

東京都調布市で島根県境港市を思い、境港からは隠岐の島、そして大陸を思う。まさに、母(なる故郷)を思って「哭きいさちる神=スサノヲ」そのものではないですか。

マンガの内容は、言うまでもなく、文字どおり出雲神話をマンガにしたもの

ただし、『古事記』や『日本書紀』といった、公式な神話だけではなく、現存する数少ない風土記の一つである『出雲風土記』やその他異本にも基づきながら、独自の出雲世界をマンガとして水木ワールドの一冊本に描き上げたわけですね。

古代出雲族が天孫族に「国譲り」したという美談が公式な神話ですが、そんなキレイ事ではなく、戦った末に敗れ去ったが実態に近かろう、と。

古代出雲族はすごかったのがというのが、水木しげるなど出雲派の世界観です。オオクニヌシは地下世界(=根の国)の主となるのと引き替えに、出雲大社が造られたわけですね。。

いわばオルタナティブ史観というか、神話観といっていいでしょう。出雲系神話は、明治維新の際にも大きな衝突となった事件でもあります。これは、政治学者の原武司の『<出雲>という思想』(講談社学術文庫、2001)で、詳細に解説されています。ただし、マンガにでてくるのは、哲学者の梅原猛です。

じっさいに考古学的な発見によって、古代の出雲大社が机上で復元されていますが、現在のものよりもはるかに大きな高層建築であったことが明らかです。

このテーマは、水木しげるにとっては、子どもの頃からですから、なんと80年(!)という長年の懸案事項であったとのこと。ようやっと、ここに解決したということであったようです。一件落着。

オオクニヌシの支配の及んだ日本海側の京都府舞鶴市生まれのわたしにとっても、今回のマンガ完成は、うれしい快挙であります。

増刷されてもすぐに売り切れになってしまうこのマンガ、みなさんもぜひ!








目 次

プロローグ
第1章 天地創世
第2章 アマテラスとスサノオ
第3章 出雲神話
第4章 オオクニヌシの試練
第5章 スクナビコナとオオモノヌシ
第6章 アメノヒボコ襲来
第7章 国譲り
第8章 謎の出雲青年
第9章 出雲大社造営
エピローグ
参考文献
水木先生と出雲(岡宏三 古代出雲歴史博物館専門学芸員)

著者プロフィール

水木しげる(みずき・しげる)
漫画家・妖怪研究家。1922(大正11)年、鳥取県境港市出身。南方戦線での従軍経験の後、紙芝居、貸本漫画などを執筆。1965年、「週刊少年マガジン」に連載した「墓場の鬼太郎」(のちに『ゲゲゲの鬼太郎』と改題)は代表作となり5度TVアニメ化。2007年、『のんのんばあとオレ』によりフランス・アングレーム国際漫画祭で日本人初の最優秀作品賞を受賞。2010年、文化功労者に選出される(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

PS 2015年6月に角川文庫より文庫版が出版 (2015年7月19日 記す)







<ブログ内関連記事>

水木しげるの「戦記物マンガ」を読む(2010年8月15日)
・・妖怪モノ以外の戦記物は、水木しげるマンガの真骨頂である

マンガ 『ビビビの貧乏時代-いつもお腹をすかせてた!』(水木しげる、ホーム社漫画文庫、2010)-働けど働けど・・・

(2014年5月27日 情報追加)





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2012年5月28日月曜日

初の著書 『アタマの引き出しの増やし方』(佐藤けんいち、こう書房、2012)が、7月に出版されます!


ブログ読者のみなさま、きょうはお知らせがあります。

わたしの初の著書が、来たる7月10日に出版されます!たいへんお待たせしました。

タイトルは、 『アタマの引き出しの増やし方』(佐藤けんいち、こう書房、2012)。副題は、「専門知識は豊富でもツマラナイやつに明日はない」

本の趣旨は、「はじめに」に書いた「冒頭の文章」に尽きていると思います。

ビジネスパーソンにもっとも必要なのは、狭くて深い「専門知識」と広くて浅い「雑学」だ。これが、ビジネスマンとして25年以上やってきた私の実感です。「専門知識」と「雑学」のふたつが両輪になってこそ、ビジネスだけでなく人生もまた豊かになるのです。

これは、わたしがこのブログ「アタマの引き出しは生きるチカラだ」で、繰り返し述べてきたことです。

この本では、「アタマの引き出し」の増やし方について、具体的にその方法を解説したものになっています。

書籍にかんする詳細は以下のとおりです。


◆発売日: 7月10日(予定)
◆定価: 1,400円(+税)=1,470円
◆判型(サイズ): 四六版並製(=ソフトカバー)
◆ページ数: 216ページ
◆読者対象: 20代から30代前半の若いビジネスパーソン
◆ISBN(国際標準図書番号): 978-4-7696-1074-8


読者対象が、「20代から30代前半の若いビジネスパーソン」となっていますが、その年代や職業ににかかわりなく読める内容になっていると思いますのでご安心ください。

また、「引き出し」をもっと増やせと部下にはアドバイスしながらも、その方法論をキチンと説明するのに困難を感じているマネージャーの方々、従業員には「引き出し」の多い人になって、豊かな発想をもとにビジネスを創り出してほしいと願っている経営者の方々、またファシリテーター教育関係者など幅広い読者も想定しています。

人生経験もビジネス経験も豊富な40代以上世代の方々には、ぜひ20代から30代の若手ビジネスパーソンに「これ読んだらいいよ!」と薦めていただきたいと思います。

版元の こう書房 様 のご厚意で、書店向けの DMチラシ(・・写真) をいただきました。

この「書店注文書」のデータをもとに初版の発行部数が決まる予定ですが、発行部数によっては、全国津々浦々の書店に行き渡らないかもしれません。

アマゾンなどネット書店の予約が始まったらお知らせしますが、重版が出回る前にネット書店の販売在庫が一時的に底をついてしまう可能性もあります。

東京や名古屋、大阪などの大都市以外で確実に入手するには、お近くの書店で、あらかじめ「取り寄せ」を予約しておくのもよいかもしれません。参考のため、DM(ダイレクトメール) ファイルのリンク先を添付しておきます。
https://docs.google.com/file/d/0BwLpyF-Aru_kQV94dWNONXBucEU/edit?pli=1



7月10日の発売日まであと約1ヶ月。 しばしお待たせしてますが、なにとぞご了承ください。「はじめに」や「もくじ」などの情報は、随時この場で公開していきます。

ぜひ一人でも多くの方に手にとって読んでいただけるとうれしく思います。

よろしくお願い申し上げます!







<関連サイト>

『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(佐藤けんいち、こう書房、2012)
こう書房のウェブサイトでの紹介 http://www.kou-shobo.co.jp/book/b102659.html


<フェイスブック>

なお、フェイスブックでも随時に情報を公開していますので、ご覧になっていただけると幸いです。



<ブログ内関連記事>

第3回 【アタマの引き出し】のつくりかたワークショップを開催いたします (2012年3月8日)

第2回 【アタマの引き出し】のつくりかたワークショップを開催いたします (2011年12月8日)

【アタマの引き出し】のつくりかたワークショップ (2011年7月5日 19時 東京八重洲) を開催しました

【アタマの引き出し】のつくりかたワークショップ を開催します (2011年7月5日 19時 東京八重洲)










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2012年5月27日日曜日

市川文学散歩 ③-国府台(こうのだい)城跡から江戸川の対岸を見る


八幡の葛飾八幡宮からはじめた「市川文学散歩」、荷風ゆかりの地を散策したあとは、京成電車で市川真間駅まで移動し、真間の手児奈を偲んで万葉に遊んだあとは、ひたすら江戸川にむけて西に歩きつづける。


国府台はひときわ高い、江戸川に面した崖のうえにある高台

葛飾から真間の一帯が、もともと入江で葦(あし)や菅(すげ)が生い茂る湿地帯であったことは、さきにみたとおりだが、その湿地帯を見下ろす台地は国府台(こうのだい)と呼ばれている。

国府台は、ここに下総の国の国府(こくふ)が置かれていたためだという。おそらく古代においては、国府台は湿地帯のなかに浮かぶ岬のようなものだったのであろう。つまり、埋め立てや開拓によって生まれた土地ではなく、もとからあった土地だということだ。


そういう岬の突端のような場所に神社仏閣が建っているという指摘を行ったのは、東京について「アースダイバー」を行った宗教学者の中沢新一だが、江戸川の東岸についても、それはあてはまるといってよいだろう。書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み を参照されたい。

市川文学散歩 ②-真間手児奈(ままのてこな)ゆかりのを歩く で触れたように、真間(まま)というのは、「崖の裁り落した処を言ふ地名」だと折口信夫は書いていることから考えると、国府台の台地もまた、国府台と呼ばれる以前は、一般的に真間と言われていたのだろう。たしかに切り通しの崖のような地形である。

手児奈霊堂から、真間山弘法寺の急な石段を登るとそこは国府台である。いまそこには千葉商科大学のキャンパスがあるが、そこにははみでるかのような巨樹がある。すごいパワー! 巨象が、、コンクリートをぶちこわして出てくるような迫力。日本人が古代以来、巨樹に神を見てきたが、神とは自然の生命力そのものだとあらためて実感する。



その台地を西にむかってしばらく歩いて行くと、国府台城跡という崖にいたるのである。

真間の手児奈が身を投げたのがどこかはわからないが、国府台城跡の崖から飛び降りたと考えるのが自然かもしれない。


この写真は江戸川から上流にむけて撮影したものだが、古墳のようにこんもりと茂った台地が国府台である。ここに国府台城跡がある。古戦場でもあった。



『江戸名所図絵』の最後、巻の七は江戸川の対岸にも及んでおり、船橋までカバーされているのだが、その途中の市川についてもくわしく触れられている。江戸の庶民にとっても、ちょっと足を伸ばせば訪れることのできる土地であるからだろう。

『江戸名所図絵』には「国府台断崖之図」という挿絵が挿入されている。これは崖のうえから下流ん向きに描かれた絵図だ。現代人と同じように、江戸時代の人も似たようなもので、崖から下をのぞいている。



歌川広重もまた、『名所江戸百景』のなかで同じ場所を描いている。構図は基本的に同じである、


絵だからかなり誇張しているが、それでも国府台が切り立った崖であることは確かだ。むかしから名所だったのである。

ただし、現在ではこんもろと茂った森となっているので、江戸時代のように崖の上から見下ろすという楽しみはないのが残念だ。もっと整備して展望台をつくると面白いと思うのだが。


国府台城跡の上流に矢切の渡しがある

江戸川の西岸は東京都で、かなり広い河川敷となっており、野球や各種のスポーツが楽しまれる場所となっているが、江戸川の東岸は崖がそのまま川に面したような地形で西岸とはまったく異なる景観となっている。


国府台城跡から2kmほど上流には、かの有名な「矢切の渡し」がある。文学好きなら、『野菊の墓』の舞台となった土地だというべきだろう。だが、それほど川幅が広くはないので、泳いで渡れないわけdめおないような気がする。

今回は、ここに到達するまで2万歩近く歩いていたので、水際で一息いれると癒される思いがした。水のもつチカラはきわめて大きい。

国府台城跡は現在は里見公園となっているが、この矢印の方向をすこし上がったところに「羅漢井」という井戸がある。


この「羅漢井」もまた『江戸名所図絵』には挿絵が挿入されてることからみると、かなり有名なものだったようだ。



葛飾、真間、国府台と歩いてきたが、この一帯はよほど水に縁のある土地柄のようである。



国府台からは東京の下町が見下ろせる

江戸幕府を開いてから、徳川氏はここに立っていた城をわざわざ壊させ、国府台には城を造らせなかったという。その理由は、国府台城址に立ってみればよくわかる。


標高海抜30mと決して断崖絶壁というわけでもないのだが、東京の下町がゼロメートル地帯も含んだ低地であるため、国府台からは見下ろせてしまうわけだ。




国府台からみると江戸川対岸の東京下町は丸見え。スカイツリーがそびえ立っているのは当然ですが、それ以外の建築物も丸見えだ。




なるほど、国府台は戦略的要衝であったか、と納得した次第。現在、この地には和洋女子大学や千葉商科大学が立地している。

国府台城跡は現在は里見公園となっており、北原白秋の旧宅である「紫煙草舎」も移築され再現されている。文学散歩の最後にはふさわしい地であるといえよう。



このあとは、京成線の国府台駅まで歩き、電車にのって帰宅した。国府台駅と江戸川駅を結ぶ鉄橋は見事な眺めである。この鉄橋は、東京に住んでいた頃、海外出張で成田空港に移動するスカイライナーでなんども通った鉄橋である。



むかしは川をつかった水運が中心であったが、現代は鉄道やクルマが中心だ。鉄橋で結ばれているいまは、矢切の渡しは観光資源以外の何物でもない。江戸川では、モータースキーを楽しみながら水しぶきをあげている人もいる。


さて、以上で「市川文学散歩」を終わりにしたいと思う。かなり独断と偏見に満ちたわたくし流の散歩ではあるが、荷風散人の散歩をたどったものでもあり、万葉の古代から現代まで、わずかな時間でたどった小旅行でもある。

いまは、ようやく長年の懸案事項を達成できた思いで一杯だ。再訪がいつになるかはわからないが。  (終わり)






<関連サイト>

江戸川の絵葉書 主に鴻之台(国府台)の風景
・・レトロな絵はがきで国府台近辺の江戸川をみるサイト


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市川文学散歩 ②-真間手児奈(ままのてこな)ゆかりのを歩く

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書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み

地層は土地の歴史を「見える化」する-現在はつねに直近の過去の上にある






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市川文学散歩 ②-真間手児奈(ままのてこな)ゆかりのを歩く


八幡の葛飾八幡宮からはじめた「市川文学散歩」、荷風ゆかりの地を散策したあとは、京成電車で市川真間駅まで移動し、そこからふたたび歩き始めることとする。


真間手児奈(ままのてこな)伝説の市川真間に移動する

小学校5年生のときに千葉県に引っ越して、京成電鉄沿線に住んでいたので「市川真間」という駅名にはなじみがあった。

「市川真間」は、ひらかなで書くと「いちかわ・まま」である。

市川ママ? 市川パパ?・・などという言語連想が思い浮かぶが、子どもならみな似たようなものあろう。ネコ舌に対してイヌ舌とか、ネコばばに対してイヌじじとか(笑)

高校時代に古文の授業で、「真間手児奈」(ままのてこな)伝説というのを聞いた。万葉時代の伝説という。

「手児奈」(てこな)という名の美少女が、多くの男性から言い寄られたのですが、一人を選ぶとその他大勢の男たちを切り捨てなければならないというので悩みに悩み、自分が消えてしまえばいいのだと思いつめて、水に身投げして死んだという悲しい伝説だ。

高橋虫麻呂(・・これもまた不思議な名前だ)などの高名な歌人が詠んだ和歌が『万葉集』に収録されているという話であった。「真間手児奈」の「真間」が、地名として20世紀(・・高校時代はまだ20世紀だった)にも残っている、この事実にたいへん興奮したのはいつまでたっても忘れない。

だが、じっさいに真間手児奈の市川真間駅では下車したことはただの一度もなかった。

いつまでも千葉県に住んでいるかわからないし、「思い立ったら吉日」と出かけようとしてからまたさらに一年、二年。暑い時期や寒い時期はいやだな、なら春と秋しかないかと思っているうちにはや秋も晩秋に近づいている。

というわけで、思い切って「真間手児奈」探訪の散歩にでかけてみることにした。「いまでなければいつ?」という思いからだ。


もともと海に面していた湿地帯であった

市川真間に行く前に、京成八幡駅のちかくでめずらしい碑をみつけた。

「改耕碑」という名前の碑で、市川市教育委員会による説明書がある、それによれば、真間川にも近いこの一帯はもともと入江で、葦(あし)や菅(すげ)が生い茂る、水はけの悪い湿地帯であったようだ。雨が降り続くとすぐに浸水する低地なのであったのだ。

そうか、この一帯は、もともと海がすぐそこまで迫ってきていた土地だったわけなのだ。一面に広がる葦原(あしはら)。葦原といえば、古事記や日本書紀すら想起する。つい明治時代の終わりまで古代が残っていたというわけなのだ。




真間手児奈が入水したというのも池や川ではなく、海に身を投げたということのようだ。どうも、自分が抱いていたイメージとはやや違うようだ。修正しておかねば。

このことを押さえたうえで、『万葉集』に収録された手児奈関連の歌をみておこう。高橋虫麻呂のほか、山部赤人、そして無名歌人が手児奈について歌っている。



■山辺赤人(やまべ・あかひと)と高橋虫麻呂(たかはし・むしまろ)が歌った真間手児奈

ではまず、山辺赤人(やまべ・あかひと)の歌を引いておこう。

勝鹿(かつしか)の真間娘子(ままをとめ)が墓を過(とほ)れる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌
0431 
古(いにしえ)に ありけむ人の 
倭文幡(しつはた)の 帯解き交へて
臥屋(ふせや)建て 妻問(つまどひ)しけむ
勝鹿の 真間の手兒名(てこな)が
奥津城(おくつき)を
 こことは聞けど
真木の葉や 茂みたるらむ
松が根や 遠く久しき
言のみも 名のみも我は 忘らえなくに

反し歌

0432 
我も見つ 人にも告げむ
勝鹿の真間の手兒名が
奥津城ところ

0433 
勝鹿の真間の入江
打ち靡く玉藻苅りけむ
手兒名し思ほゆ

奥津城とは墓のこと。山部赤人がこれらの歌を詠んだ時点で、すでに真間手児奈伝説ができあがっていたことがわかる。彼は、真間手児奈の墓のありかを人にたずねているのである。


万葉集巻十四の東歌(あづまうた)にも、それに触れた作品がある。いずれも読み人知らずである。

3384 
葛飾の 真間の手兒名を
まことかも 我に寄すとふ 
真間の手兒名を

3385 
葛飾の 真間の手兒名が 
ありしかば 真間の磯辺(おすひ)に
波もとどろに

さて、高橋虫麻呂だ。長歌と反歌で対になっているのは、山部赤人と同じである。

勝鹿(かづしか)の真間娘子(ままをとめ)を詠める歌一首、また短歌
1807 
鶏が鳴く 東の国に 
古に ありけることと
今までに 絶えず言ひ来る 
勝鹿の 真間の手兒名(てこな)が麻衣(あさきぬ)に 青衿(あをえり)着け 
直(ひた)さ麻を 裳には織り着て
髪だにも 掻きは梳らず 
履(くつ)をだに はかず歩けど
錦綾(にしきあや)の 中に包(くく)める 
斎(いは)ひ子も 妹にしかめや
望月の 足れる面(おも)わに
花のごと 笑みて立てれば
夏虫の 火に入るがごと 
水門(みなと)入りに 舟榜ぐごとく
行きかがひ 人の言ふ時 
幾許(いくばく)も 生けらじものを
何すとか 身をたな知りて
波の音(と)の 騒く湊の
奥城に 妹が臥(こ)やせる
遠き代に ありけることを
昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも

反し歌

1808 
勝鹿の真間の井
見れば立ち平し
水汲ましけむ
手兒名し思ほゆ


手児奈ゆかりの地を歩く

さきに引いた山部赤人と高橋虫麻呂、そして無名の歌人が詠んだ東歌にみられる手児奈の奥津城は、手児奈霊堂となっている。



縁結びや安産子育て祈願の場として、現在でも厚く信仰されている。



これは、境内を歩けば一目瞭然だ。投身自殺した手児奈の霊を慰め、そして御利益を願う場となっているのである。いつの時代もかわらぬ一般庶民の切実な願いである。



「勝鹿の真間の井 見れば立ち平し 水汲ましけむ 手兒名し思ほゆ 真間の井」と高橋虫麻呂が詠んだ真間の井は、現在も涸れることなく水を出し続けている。現在は亀井院というお寺のなかにある。



真間(まま)とママ、語呂合わせというわけでもないでしょうが、現代のママさんたちにも人気の霊場であります。ちかくには真間山弘法寺(ままさん・ぐほうじ)というお寺もあります。こんなこともあって、現代の「ママさん」たちにも人気の高い場所となっているわけです。


弘法寺は、真間ぜんたいを見下ろす高台のうえにあり、周囲を一望することができる。すでに国府台の台地となっている。


上田秋成の『雨月物語』を代表する「浅茅が宿」は市川真間が舞台

真間手児奈を踏まえた物語にとどまらず、日本という空間においては、物語は重層的に積み上げられてゆくものである。

大坂に生まれた国学者で小説家上田秋成もまた、そのうえにひとつの物語を積み重ねた一人である。

古典を読みこなし、古文だけでなく漢文もよく読んでいた秋成の代表作は、『雨月物語』という怪奇小説集であるが、最初から三番目に置かれているのが「浅茅が宿」(あさぢがやど)という一篇。

「浅茅が宿」は『雨月物語』のなかでも、もっとも有名な一篇であるので、知っている人も多いと思うが、金儲けだけでアタマが一杯になった男が美貌の妻を故郷を捨て京に上るが、かなりの年月がたってから妻と故郷のことを思い出し、戻ってきてようやくのことで家を探し出し・・・・という物語である。

その舞台は、市川の真間。真間手児奈伝説を踏まえて創作されたものだ。

主人公が物語で最後に詠んだ歌が、

いにしへの 真間の手児奈を 
かくばかり 恋てしあらん 真間のてごなを

このように、真間という地名が喚起するものは、時代を超えて重層的に堆積してゆくのである。

だからこそ、地名は安易に変えるべきではないのである。地名という土地の名前が喚起するもの、これは計り知れないものがあるといっていいからだ。

土地の歴史は地層と同じく、過去のうえに堆積し、さらにそのうえに堆積したものに他ならないのである。


万葉といえば折口信夫、またの名を歌人・釋超空

国文学者で民俗学者であった折口信夫は、『万葉集』の4,500首がすべてアタマのなかに入っていて暗唱できたという。

その折口信夫には『萬葉集辞典』(大正8年、1919年)という著書がある。折口信夫32歳のときの著作である。【真間】と【真間手児奈】という項目があるので、引用しておこう。 

パソコンもない時代に、友人たちの助けを借りたとはいえ、一人で辞典をまるごと一冊執筆してしまうというのだから驚くべきことである。( )内のカタカナは原著に付されていたルビ、ひらかなはわたしがつけた読みである。(出典:『折口信夫全集 第六巻 萬葉集辞典』(中公文庫、1976) P.331 ただし、漢字は新字に直した)。

まゝ【眞間】下総國葛飾郡。此地、昔は海に面してゐた。此地に手児奈(テコナ)と言ふ女があつた(次條を見よ)。又、相模國足柄上郡。所在未詳。
まゝ-の-てこな【眞間ノ手児奈】競婚伝説の中、競争者を特定の人とせずに、多数の男とした点、注意すべきである。下総の国府に近い所にゐた女だけに、東国官人等の注意に上がってゐた為、都迄も伝つたと思はれる。巻十四「足の音せず行かむ馬もが(三三八七)と言うたのは、恐らく其等の都人だらう。鄙処女の美しいのが、時々出て水を汲むと言ふ場合に、衆人の注目する処となつて、求婚者の多いのに堪へず、水に投じたのである。此は恐らく、孤立古塚伝説の一つだつたのであらう。現在では、江戸期式の臭双紙化を受けて、烈女の一人とせられてゐる。
(補)崖の裁り落した処を言ふ地名で、相模國足柄上郡には ○(注:土偏に盡)下と言ふ処がある。巻十四「あしがりのままの小菅(三三六九)のまゝはこれで、岨(ソヒ)などに似た地形を言ふ方言であるのだらう。即、足柄地方にまゝとといはれた大きな崖の、半固有地名であつたものと思はれる。下総國の眞間も、国府台高地の崖の上にあつたからの名であらう。伊豆國田方郡には、○(注:土偏に盡)ノ上をまゝのうへと読む地名のあるのも、やはり崖の上の義で、下野國の間々田・下総國の缺眞間(カケママ)、皆、此種の地形を持つた土地だからであらう。 

「てこ」というコトバも一緒に引いておこう。

てこ【手児】嬰児にも、娘にも言ふ。前者はと濁り、後者はと清むのが常である。石井の手児などと言ふ。娘をてこと言ふのは、当時から、東語であらう。
てこな【手古奈】てこに親しみのをつけたのであらう。眞間の手古奈は著名なものである。

真間(まま)というのは、「崖の裁り落した処を言ふ地名」だと折口信夫は書いている。まさに、真間山弘法寺のある国府台は台地であり、その台地を西にむかってしばらく歩いて行くと、国府台城跡という崖にいたるのである。

真間の手児奈が身を投げたのがどこかはわからないが、国府台城跡の崖から飛び降りたと考えるのが自然かもしれない。


万葉学者・中西進博士の真間の手児奈論

現代を代表する万葉学者の一人である中西進博士に『旅に棲む-高橋虫麻呂論-』(中西進、中公文庫、1993 初版 1985)という著書がある。そのなかに「入水する女」という章があり、真間手児奈について・・されている。入水と書いて、じゅすいと読むか、にゅうすいと読むかは、読者次第であろう。

中西氏の緒論を簡単に要約すれば、手児奈とは、国府近くの作業場で働いていた縫製に従事する女性集団の総称と考えるのが自然なようだ。

高橋虫麻呂自身も、上総から下総にかけての東国の土着の出身ではなかったか、と。官位の低い挫折した貧しい官吏であったがゆえに、夢想する歌人であったと。

「入水する女」というと、森鴎外の『山椒大夫』に登場する安寿と厨子王のうち姉にあたる安寿を思い浮かべる人も少なくないだろう。万葉にも兎原処女(うはらのおとめ、うないおとめ)など数多く、源氏物語にもつながるテーマ「入水する女」。

入水する女はまた、折口信夫のテーマである「水の女」でもある。シェイクスピアのハムレットに登場するオフィーリアもまた「水の女」である。


郭沫若なる「政治的文学者」の記念館

ついでなので郭沫若記念館まで足を伸ばす。郭沫若(かく・まつじゃく 1892~1978)とは中華人民共和国で毛澤東のもと副総理までつとめた要人だが、日本で20年間過ぎしていた、いわゆる「知日派」とされる人物である。

郭沫若は、市川に居住していたのであった。

むかし、『創造十年・続創造十年』という半自叙伝と岩波文庫で読んだことがあるので、郭沫若については知っているが、正直いって好きな人物ではない。

文化大革命を生き延びて、周恩来や毛澤東よりも2年長生きをして天寿を全うした人物といえば、何をいいたいかがわかるだろう。もちろん、中国においては文学も政治である以上、みずからのサバイバルのために、郭沫若が政治的人物を貫いたことが悪いというつもりはない。

しかし、日本女性と結婚し子どももいながら、妻子を捨てて中国の革命運動に身を投じたのいうことが、はたして美談であるかどうか。しかも、中国に渡ってすぐに中国女性と結婚し、子どもをもうけている節操のなさをどう評価するのか。

当時は日中間で法的拘束力があったかどうかは知らないが、あきらかに重婚である。郭沫若に対してわたしが快く思っていない理由が、わかっていただけるであろう。「日中友好」という美名に隠してはならない事実である。これは強調しなくてはならない。

ただし、記念館じたいは大正時代の日本家屋をよく再現しており、訪れる価値はある。それと郭沫若の評価とは別物であるとは、はっきり書いておく。しかも入場無料である。

さて、やや後味のあまりよくない郭沫若記念館を足早に去ったあと、ひたすら西に向けて国府台に向けて歩き続けることとする。


市川文学散歩 ③-国府台(こううのだい)城跡から江戸川の対岸を見る につづく









<関連サイト>


伝説のヒロイン“真間の手児奈”(千葉県市川市 文化・観光・国際情報)
・・リンク多数。文芸作品もたくさん製作されてきたことがわかる

手児奈霊神堂(公式ウェブサイト)



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市川文学散歩 ②-真間手児奈(ままのてこな)ゆかりのを歩く

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書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み
・・「第2章 湿った土地と乾いた土地 新宿~四谷」が参考になる

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書評 『土の科学-いのちを育むパワーの秘密-』(久馬一剛、PHPサイエンス・ワールド新書、2010)






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市川文学散歩 ①-葛飾八幡宮と千本いちょう、そして晩年の永井荷風

せっかく千葉県、しかも北西部に住んでいるのだから、住んでいるあいだにいろいろ歩いておきたい場所がある。

先日、城下町・佐倉を一日かけて歩いてみたが、自分が住んでいる場所だけでなく、意外と近隣の町も知らないものだ。

市川もまたその一つだ。高校は船橋に通っておりながら、また現在も船橋に住んでいながら、近隣の市川はほとんど歩いたことがない。どうも通勤先の東京の中間にある場所は、それが乗換駅でもないかぎり途中下車すらしないものである。高校時代は、市川から通ってきている友人も多かったにもかかわらず。

というわけで、梅雨に入る前の気候のいいいま、市川文学散歩を敢行することとした。ぼやぼやしているとすぐ梅雨となり夏になる。いまいかなければ秋までおあずけとなってしまうからだ。

まずは、JR本八幡駅あるいは京成八幡駅で下車しよう。ここを起点に、本八幡、真間と国府台(こうのだい)を歩くことにしよう。戦後日本と万葉時代をともに味わう文学散歩である。


千葉県の「文学散歩」のお供に

千葉県の「文学散歩」のお供に欠かせないのが、『ふさの国 文学めぐり(再改訂版)』(千葉県高等学校教育研究会国語部会=編、富士出版印刷、2010 初版 1967)。定価900円と手頃だが、千葉県内の書店なら「ふるさと本コーナーに置いている店がある。千葉県以外ではさてどうだろうか?

高校の国語の副読本として編集されたもののようだが、高校時代この本を見た記憶はない。一般人が読んでもなんら問題はない。もし可能ならぜひ一冊は入手してほしい。



富士出版印刷株式会社のサイトには、以下の解説文がある。

「文学の地をめぐる」という散策や小旅行が人気を呼んでいます。
伊藤左千夫、芥川龍之介、太宰治、夏目漱石など、多くの文人が愛したこの千葉県。千葉県内には、彼らにゆかりのある句碑、歌碑、詩碑がたくさんありました。
文学を通して、「ふるさと千葉」の故きを温ね、新しきを知る。仕事から解放された時、夫婦で、家族で「ふさの国 小旅行」に出掛けませんか。
再改訂版 2010年 初版 1967年

アマゾンなどのネット書店での取り扱いがないのは、ISBN(国際標準図書番号)を取得していないためだ。市場での流通性のある内容だと思うのだが、残念なことだ。


まずは本八幡から-葛飾八幡宮と千本いちょう

文学散歩の起点は京成八幡駅が便利であるが、JR本八幡駅で下車してもよい。歩いて5分程度の距離なので、どちらで降りても大差はない。

まず目指すのは葛飾八幡宮。下総の国の総鎮守。創建は平安時代(9世紀)、由緒ある神社である。本八幡という地名は、八幡宮からきたものであろう。



参道が、京成線で分断されているのが残念だが、明治神宮もそうなので、近代化日本では致し方あるまい、しかし、京成線はひんぱんに電車が行き来しているので、高架線に改造してもらったほうがいいのだが・・。



その葛飾八幡宮の境内にあるのが、千本公孫樹(せんぼん・いちょう)。国指定の天然記念物である。神社が創建された時代からあるのなら、樹齢1,200年ということになる神木だ。



落雷によって裂けた幹を、根元から無数の枝が出て支えていることから千本いちょうと呼ばれているらしい。まるで、熱帯植物のタコの木のようだ。



いちょうは日本原産の植物で英語では Gingko(ギンコ)という。ブログには、銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩 という記事を書いておいたので参照いただけると幸いである。

巨樹というのは、見ているだけで神気を感じるが、この千本いちょうは、なんだか水木しげるのマンガにでてきそうな感じがある。水木しげるなら、巨樹は妖怪になるというところだろうが、むしろ神になるといったほうがふさわしい。

直立する樹木は、神が降りてくる依り代(よりしろ)でるが、このように古木で巨樹ともなると、神そのものになるということだ。

葛飾八幡宮には、八幡不知の森という、別名「やぶしらず」がある。古くから、「禁足地」として足を踏み入れてはいけないタブーの場所とされてきた森のようだ。現在はみるところ竹林になてしまっているが、かつては鬱蒼とした森であったらしい。神隠し伝説とも関係があるとのことだ。


駅前の古本屋にひさびさに立ち寄る。この山本書店は京成八幡駅のすぐそばなので、乗り換えで利用するときは、いつも立ち寄っていた古本屋である。ここは、掘り出しものがあるのでなかなか得難い本屋である。



写真に写っている市進予備校は、むかし市川進学塾といっていた頃、中学校時代に通っていたことがある。京成八幡駅はそれ以来の利用なのだが、まったく関心がなかったためであろう、周辺を歩いたことはまったくなかったのであった。


本八幡といえば永井荷風の終の棲家(ついのすみか)

文学散歩の始まりは、なんといっても永井荷風(1879~1959年)であろう。高校時代から文庫本で荷風の主要作品を読みはじめていたわたしには、ぜひとも歩いてみたい場所であった。

永井荷風は、空襲で自慢のお屋敷である偏奇館を追い出されてからは流浪の日々が続いたが、最終的に京成八幡駅近くの菅野(すがの)に落ち着くことになった。終の棲家(ついのすみか)である。

ここから京成線で浅草まで毎日通うというのが、晩年の荷風散人の「日乗」であった。浅草で踊り子たちと一緒にニコニコしている、スーツ姿の歯抜けの老人の写真は有名である。

永井荷風の「葛飾土産」(昭和22年=1947年)には、以下のように書かれている。ネット上にアップされている「青空文庫」から、いくつか引用しておこう。

わたくしは近年市街と化した多摩川沿岸、また荒川沿岸の光景から推察して、江戸川東岸の郊外も、大方樹木は乱伐せられ、草は踏みにじられ、田も畠も兵器の製造場になったもとばかり思込んでいたのであるが、来て見ると、まだそれほどには荒らされてない処が残っていた。心して尋ね歩めばむかしのままなる日本固有の風景に接して、伝統的なる感興を催すことが出来ないでもない。

市川の町を歩いている時、わたくしは折々四、五十年前、電車も自動車も走っていなかったころの東京の町を思出すことがある。

東京の郊外が田園の風趣を失い、市中に劣らぬ繁華熱閙(ねっとう)の巷となったのは重(おも)に大正十二年震災あってより後である。

これらの文章が書かれてからすでに65年、変わったもも変わらぬものもある。

それはさておき、まずは昼飯だ。京成八幡駅前の大黒屋で「荷風セット」を食べるのも目的のひとつだ。

大黒屋は、寿司・天麩羅・うなぎという、古典的な割烹料理店。店内はレトロな雰囲気に満ちているのがうれしい。



「荷風セット」は、永井荷風が毎日12時に一人で食べていたというカツ丼と日本酒と御新香をセットにしたもの酒は菊正宗、男の酒。これは荷風の時代からずっとそうらしい。昼から日本酒でお燗というのもなんだが、まあ土曜日だし、いいとしよう。しかし、カツ丼と日本酒というのは、不思議な組み合わせだ。


「荷風セット」の由来については、大黒屋のウェブサイトで、文豪「永井荷風先生」と大黒屋の「カツ丼」を参照いただきたい。晩年の荷風は、その日記である 『断腸亭日乗』に「正午大黒屋」とのみ記しているようだ。


大黒屋のカツ丼はけっこうボリュームがあって、これをペロリとたいあげたということは、晩年とはいえ荷風はそうとうな健啖家であったということだろう。黙々とカツ丼食べてパワー注入してから、いざ浅草へと「出勤」していたわけだ。


白幡天神社は雰囲気のいい古社

食べ終えたら、「荷風の散歩道 尚美会ロード」を散策する。もちろん、荷風晩年の風情はいまやほとんど失われているが、しばらく歩いて行くと白幡天神社に行き着く。



白幡天神社は、12世紀までさかのぼることのできる古社のようだ。神さびていながら掃除が行き届いており、土地に根ざした産土神として大切にされてきたことがうかがわれる。なかなか落ち着いたいい感じの神社である。ここを訪れることがえきたのはよかった。

境内には荷風の碑がある。かなりあたらしいものと見受けられる。



このほか、この近くに住んでいた幸田露伴の碑もある。


本八幡はこの30年近くなんども乗り降りしているが、その周辺はいまのいままで歩いたことがなかった。ようやく本八幡周辺を歩いてみて、おおよそのことをつかむことができたのは幸いである。

このあと、京成電車で京成八幡から市川真間まで移動。二駅の距離だから歩けないことはないが、この日のウォーキングは長距離になることが予想されていたのでよしとしよう。


市川文学散歩 ②-真間手児奈(ままのてこな)ゆかりのを歩きく につづく










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永井荷風関連

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について

書評 『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)


イチョウ関連

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩

千葉寺(ちばでら)をはじめて訪問(2016年3月2日)-境内の巨大な「大銀杏」は千葉県指定の天然記念物!

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2012年5月26日土曜日

地層は土地の歴史を「見える化」する-現在はつねに直近の過去の上にある


むきだしになった地層。うちの近所で河川改修工事をやっている工事現場で目にしました。

おお、見事なまでに色分けされてますね! これほど明確に色分けされている地層もめずらしい。

そうとうの粘土質のようですが、おそらく河川の氾濫による堆積物が層状に積み上げられたものでしょう。

今週は、金環日食ということで、太陽が最大のトピックとなりましたが、それ以外の身の回りの「地学」にも目を向けたいものです。

地層は土地の歴史を「見える化」するものです。

人間がつくったのではない、自然に堆積した地層。土地の歴史が刻み混まれてます。

人に歴史あり、土地に歴史あり。

過去があって現在がある、現在があって未来がある。いきなりの飛躍はない、ということ。

過去の地層の上に現在の地層があり、形成中の地層の上にさらにあらたな地層が未来に向けて堆積していく。褶曲(しゅうきょく)によって上下が入れ替わったよに見えることもありますが、地層には不連続はありません。飛躍はないのです。

逆にいえば、現在の地層の根底には、かならず過去の地層があるわけです。たとえ表面には見えなくても、過去の地層がなくなることはないのです。

歴史もまた同じ。歴史に断絶する瞬間はありますが、不連続はありません。

地層は土地の歴史を「見える化」したものです。

身の周りには観察すべき対象がゴロゴロしています。「身の回りから観察」るすのが、「アタマの引き出し」を増やすいちばんの方法。

まずは身の回りの自然観察からはじめましょう!!





<関連サイト>

地形判読のためのページ(国土地理院)

(2016年6月21日 項目新設)


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書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み

書評 『土の科学-いのちを育むパワーの秘密-』(久馬一剛、PHPサイエンス・ワールド新書、2010)

レヴィ=ストロースの 『悲しき熱帯』(川田順造訳、中央公論社、1977)-原著が書かれてから60年、購入してから30年以上の時を経てはじめて読んでみた
・・「レヴィストロースの少年時代からの地質学と考古学への深い関心が歴史学的思考の基礎にある」

(2014年8月12日 情報追加)




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