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2012年5月18日金曜日

「特別展 ボストン美術 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた(5月18日5月15日)


「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた。

おそらく土日や祝日はそうとうな混雑になることは間違いないので、それを避けて今週水曜日の午後の早い時間に行ってみたのだが、それでもそうとうな人出だった。

ボストン美術館、日本美術、里帰り・・・。これらのキーワードに反応するのは、けっして熱心な美術ファンだけではあるまい。そう考えるのが自然というものだろう。このテーマにかんする一般日本人の関心の高さがうかがわれる。

今回の里帰り展は30年ぶりの規模であるという。ボストン美術館が所蔵する日本美術の名品を一堂に展示する大規模な里帰り展である。

先日NHK・Eテレの「日曜美術館」で取り上げられていたが、日本文学者のロバート・キャンベル氏が言うには、ボストン美術館でも、日本美術をこれだけまとめて見ることのできる機会はないそうだ。その意味では、絶対に見逃してはならない美術展である。

ボストン美術館そのものは名古屋に分館があって、所蔵品の一部を展示する機能を担っている。名古屋ボストン美術館では、東京国立博物館のあと、前期・後期の二回にわけて大規模な展示が行われるようだ。


ボストン美術館といえば岡倉天心、そしてフェノロサ

まず、来場者を迎えてくれるのは、釣り竿をもった岡倉天心の立像である。

岡倉天心は『茶の本』で有名な思想家と世の中では知られているだろうが、ボストン美術館に招聘されて、中国・日本美術部長を務めた人でもある。『茶の本』は、もともと The Book of Tea というタイトルでボストン在住時代に英文で 出版された。

道教の道士のような恰好は晩年の姿。「3-11」の大津波で流されたがさきほど修復が完成した五浦(いづら)の六角堂で過ごし、晴釣雨読の日々を過ごしていた頃のものだ。

その岡倉天心(1863~1913年)と同志であったのが、お雇い外国人として来日した哲学教授の米国人アーネスト・フェノロサ(Earnest Fenollosa: 1853~1908年)、そして同じく米国人でで医師のウィリアム・スタージス・ビゲロー(W.S. Bigelow: 1850年~1926年)。この三人がボストン美術館の日本美術部門の基礎を築いたトリオである。

(左からフェノロサ、岡倉天心、ビゲロー)


特筆すべきなのは、あまり知名度が高くないが、ボストン美術館の日本美術部門の収集品の基礎となった作品群を自費で購入したビゲローである。ボストン・ブラーミン(=ボストンの上流階級)出身の彼は資産家でもあり、しかも日本文化に心酔したあまり、キリスト教ぁら真言宗に改宗したほどであったという。そこまでの情熱の持ち主であったことを知っておきたい。

ボストンはニューヨークが米国経済の中心になる以前は、国際貿易で繁栄した港町なのである。富が集積するところに、美術品も集積する。こと美術品の集積にかんしては、米国では西海岸が東海岸に見劣りするのは経済発展のタイムラグによるものも大きい。幕末から明治のはじめにかけて来日したビジネスマンはボストン出身者が多かったのである。

日本美術にかんしては、まずフェノロサが「発見」し、帝大時代の弟子であった岡倉天心とともに調査研究し、日本と日本美術にぞっこんとなった大金持ちビゲローが大量に購入してボストンに持ち帰ったのであった。

フェノロサや岡倉天心の思想が反映しているためバイアスはあろうが、収集当時はまったく顧みられなかった曾我蕭白の作品群などを評価し保存して功績はきわめて大きいと言わねばなるまい。


岡倉天心については、このブログで 「アジアは一つ」(Asia is One)という名言とともに詳しく書いておいたので、岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-を参照されたい。

また、アジア美術としてインドにもかかわっていたことも重要だ。この点については、日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」 に参加してきた でも触れておいた。

「アジアは一つ」とは、インドと中国に発する東洋美術の流れが極東の日本で一つになるという意味である。これがもともと岡倉天心が意図していたことだ。仏教について考えてみれば、すぐにわかることだと思う。アジアにおいては、多様性をもった統一性なのである。

ボストン美術館(Boston Museum of Fine Arts)は、わたしは米国留学中の 1991年に一回いったきりだが、機会があればぜひ再訪したい美術館である。岡倉天心を記念した庭園が美術館にあり、ミュージアムショップも充実している。

わたしはボストン美術館ミュージアムショップで The Book of Tea のペーパーバッック版を購入した。岡倉天心の本名は岡倉覚三である。



■この美術展の歩き方-なんといっても曾我蕭白の傑作を!

なんといっても曾我蕭白(そが・しょうはく)の展示が圧倒的だ。この展示を見るためにだけでも万難を排して出かける意味がある。

「奇才・曾我蕭白」と題された展示は、第二展示室の最後の展示になる。通常の展示とは異なり、いちばんスゴイのがいちばん最後に待っているわけだ。

まずは、ざっと見てから曾我蕭白のコーナーまでいってじっくりと観賞し、それから最初に戻ってこれだけは見ておきたい作品を見るというのが、無駄に体力を消耗せずに、好きな作品を鑑賞する方法である。

曾我蕭白の傑作が、美術展のパンフレットの表紙にもつかわれている「雲龍図」(1763年)という屏風絵(上掲)である。これは思っていたよりも」はるかに大きな作品で圧倒される。こんなに大きな屏風だったのか!!!



龍の目玉が人間のアタマほどの大きさがあるのだ。龍の目はひんがらめになっているので、ほとんどマンガである。

龍の大きなツメの恐ろしさとは対照的な龍の目のひょうきんさ。しかも、恐ろしいはずの龍のツメも、あまりにも大きくてクチバシの長い鳥が4羽集まっているようにも見える

これが奇才の奇想というものだろう。見る人次第で、違ったものに見えるわけだ。



現在は龍頭と龍尾しか残っていないが、本来は龍の胴体もあったらしい。現存しているものだけでもスゴイから、もし全部あったとしたらいったい・・・。しかし、この屏風もビゲローが発見して購入した際はかなり痛んでいたらしい。今回の初公開の前に修復されて屏風に仕立てられたとのことだ。そのおかげで、じっくりと観賞できるわけなのだ。

展示会場を出る前に、雲龍図の絵はがき(150円)とマグネット(500円)とペーパーウェイト(2,100円)を買って帰ることとした。わたしのお気に入りの屏風絵である。

なぜ、フェノロサやビゲローが曾我蕭白を大量に収集したのかを考えてみるのも面白いことだ。明治時代のはじめには、すっかり人気がなくなっていた曾我蕭白を「再発見」したのが彼らだったのだ。この点にかんしては、かれら米国人に感謝してしかるべきだろう。もし再発見されなかったら、消えていたかもしれないのだから。

現在、千葉市美術館での「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」をあわせてみれば、曾我蕭白をこれほどまとまって見れる機会はないだろう。「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」(千葉市美術館)にいってきた を参照されたい。

千葉市美術館の展示は5月20日まで、そのあとは、曾我蕭白ゆかりの地である三重県美術館に巡回される。


日本にあれば国宝級の絵巻物二点にはすごい人だかり

今回の展示の目玉である、吉備大臣入唐絵巻平治物語絵巻という、日本にあれば間違いなく国宝級の絵巻物二点もすばらしいが、いかんせん、あまりにも多くの人が展示ガラスケースの前にへばりついているので、敬遠してしまう。


美術の教科書にはかならず取り上げられている平治物語絵巻の燃え上がる炎のシーンだけは万難を排してでも見ておいた。これは見逃してはいけないのだ。

展示のはじめのほうにある仏画や仏像には、あまりにも多くの人がへばりついていて見る気が失せてしまうので、ざっとチラ見して通り過ぎる。ただし、快慶作の黄金の仏像だけはじっくりと拝観する。

なぜこれだけ大量の仏画や仏像が海外に流出したかについては、明治初期の神仏分離と廃仏毀釈について考えておかねばならない。仏教が否定され、仏画や仏像が二束三文で売り払われたのだ。庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ に書いておいたので参照されたい。

そのようにして売り払われ、美術品として持ち帰られた仏画や仏像に、宗教性がまったく失われているのも当然といえば当然なのだ。

だから、そういった展示品はスルーして素通りしてもまったくかまわないとわたしは考えている。

もっとも屏風の類も、本来の用途が失われて美術品として観賞される対象となってしまったのであはある。だからほんとうは、畳の部屋で正座するなり、あぐらをかいて屏風絵は見るものなのであるのだが。

現代人にとっっての日本美術とはいったい何かという問いに至ってしまうが、そんなことを考えていてはキリがないので、ここらへんでやめておこう。

今回の大規模な里帰り展は、けっして日本美術の入門編とは考えないことだ。それが目的だとすると、あまりにも混雑しすぎているからだ。平日の午後でもすごい人出だ。週末はもっとすごいのだろう。これは東京のあとにつづく巡回展示でも同じだろう。

万難を排してでも見に行かねばならない絵を絞り込んでから出かけるのがいい。いままであげたもののほかに、伊藤若冲の「鸚鵡図」や尾形光琳の「松島図屏風」や長谷川等白の龍虎図屏風なども逸品である。

いずれにせよ、絶対に足を運ぶべき美術展であることはここに断言しておきたい。

(尾形光琳の「松島図屏風」 18世紀前半)


<関連サイト>

「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)

海を渡った超傑作!~ボストン美術館 日本美術の名宝~(NHK・Eテレ 日曜美術館で5月6日放送)


<ブログ内関連記事>

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-

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「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」(千葉市美術館)にいってきた

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007)


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