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2012年5月5日土曜日

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③


国立歴史民俗博物館で開催されている特別展を見るのが主目的であったが、雨も降ってないし、何よりもそれ以外の佐倉については何も知らないということに気づかされたので、佐倉市内を歩いて探索することとした。

観光案内所で観光地図をもとにブリーフィングを受けた際、地図のなかでは右端にあって中心街からやや離れているが、ここはいくべきだとアドバイスを受けたのが佐倉順天堂であった。

武家屋敷と麻賀多神社までは、国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ① と 城下町・佐倉はかつて「北総の学都」だった!-城下町佐倉を歩き回る ② を参照されたい。

武家屋敷群からはやや離れているが、そのままひたすら東にむけて「蘭学通り」を歩いて行く。この「蘭学通り」というネーミングは、言うまでもなく佐倉順天堂にちなむものである。


佐倉順天堂から順天堂大学が生まれた!

佐倉順天堂記念館まで行ったのは、じつに正解であった。今回の佐倉散策での最大の成果の一つといってもよい。



なぜなら佐倉順天堂は、蘭医(=蘭方医学、すなわちオランダ医学の略)のメッカだったところ。佐倉順天堂は蘭学医の研究と教育が行われた塾であった。順天堂というと、東京・お茶の水の順天堂大学をすぐに思いつくが、なんと順天堂大学は佐倉から生まれたのだ!

これは、順天堂大学の公式サイトにもキチンと記されていることだ。じつはわたしも、初めてその事実を知った! 起源にかんするところだけ抜き書きしておこう。

1838年(天保9年) 佐藤泰然、蘭方医学塾を開塾
江戸薬研堀(現:中央区東日本橋2-6-8 薬研堀不動院境内)に蘭方医学塾「和田塾」を創設する。この年をもって順天堂開学の年とする。

1843年(天保14年) 医学塾「順天堂」と命名
「和田塾」江戸より佐倉に移り、医学塾「順天堂」を開設する「日新の医学、佐倉の林中より生ず」と謳われる。

1873年(明治6年) 下谷練塀町に開院
佐倉より下谷練塀町九番地(現:JR秋葉原駅付近)に「順天堂医院」を開院し、順天堂医学塾を継承する。


ここから先は、順天堂大学の歴史になるので省略する。

順天堂の順天とは、天に順(したが)うという意味である。

佐倉順天堂では蘭方医学の研究と教育だけでなく、診療も行われていた。医は仁術というが、それだけでなく、きわめて実践的な教育が行われていたわけだ。だからこそ、佐倉順天堂の門下から綺羅星のごとく人材が巣立っていったのであった。



佐倉順天堂では、いちはやく西洋式の人痘接種が実施されたという。種痘というと、華岡青洲を想起するが、佐藤泰然は一世代あとの一人になる。

いただいた小冊子によれば、佐倉順天堂では、このほか、膀胱穿刺(ぼうこう・せんし)、帝王切開、卵巣水腫開腹、乳癌摘出などの最先端の外科手術が行われていたというから驚きだ。佐藤泰然は華岡流の麻酔手術ではなく。あえて無麻酔で手術を行ったという。麻酔の安全性に疑問をもっていたためだ。

(佐倉市教育委員会発行の小冊子より)

なお、佐倉に残った順天堂」については、記念館のすぐ右隣に、いまでも佐倉順天堂医院が開業して現在に至っている。

蘭方医学は明治になってからはドイツ医学にとってかわられ、すぐ忘れ去られたとはいえ、熱心な先覚者たちのおかげで、近代医学の導入がスムーズに進んだことは特筆すべきことだろう。



なお、佐倉順天堂記念館の建物は、TVドラマ化もされた、村上ともかの人気マンガ 『JIN-仁-』に登場する仁友堂のモデルとなっているという。手術道具も参考にされたらしいが、記念館には関連文書だけでなく、当時の外科手術道具や医療器具が展示されているので、見る価値がある。


■佐倉は蘭医(=蘭方医学:オランダ医学)と蘭学の一大中心地となる

幕末の佐倉藩は、蘭医だけでなく、蘭学研究の一大中心であった。かつては、「西の長崎 東の佐倉」と称される蘭学研究の中心地でもあるのだ。この事実も、じつは今回の探索行までまったく知らなかった。棚からぼた餅とは、まさにこのことである。

もちろん、「西の長崎、東の佐倉」といったところで、オランダとの直接の窓口であった長崎と比べると、非対称性は明らかである。ただ、江戸からも近い佐倉に蘭学研究の一大中心地があったということが重要なのだ。信州の松代藩出身の佐久間象山は有名だが、より人びとのためになる医術研究と教育機関が佐倉にあったことは、それに劣らず重要なのである。

医学は実学である。それにしても、日本が関係をもっていた国が、同じくプラクティカル志向のつよいオランダであったのは、じつに幸いであったというべきだろう。

「西の長崎、東の佐倉」を知るには、さらに佐倉高校まで足を伸ばす必要がある。

佐倉高校の敷地内に併設されている学内資料館に、佐倉藩の藩校から受け継いだ蔵書と順天堂関係の蔵書が「鹿山文庫」(ろくざん・ぶんことして所蔵され、一部が展示されているからだ。



佐倉順天堂から京成佐倉駅までの道は、さらに歩き続けるのである。しかし、それだけの価値はある。

千葉県立佐倉高等学校は、千葉県では最古の高校で(?)、その出自は佐倉藩の藩校にたどることができるらしい。

『藩校-人を育てる伝統と風土-』(村山吉廣、明治書院、2011)によれば、佐倉は「北総の学都」と呼ばれていたそうだ。なるほど、各地に藩校出身の高校は多々あるが、佐倉高校という単純なネーミングから藩校を想像したことはなかった。

ちなみに、わが母校の千葉県立船橋高校は、船橋大神宮の神主がはじめた私塾が出発点。出自によって、校風というのは大きくかわるものであるな、と感じる次第だ。

さてその「鹿山文庫」だが、土日は開館して入場無料でなかを見ることができる。わたしが訪れた5月4日は金曜日であったが「みどりの日」として国民の祝日であり、土日に準じて開館していたのは、じつに幸いなことであった。

鹿山文庫と佐倉順天堂とあわせて閲覧することで、「西の長崎、東の佐倉」を実感することができたからだ。 

鹿山文庫がなんといってもすごいのは、展示されている蘭書がすごいのだ。

日本初の蘭和辞書「ハルマ和解」や、医学書、その他科学書が陳列されている。

『ホッタイン博物誌』はリンネの分類学い基づく博物誌で、当時の日本では佐賀藩、仙台藩と佐倉藩が買ったという貴重本。


(「ホッタイン博物誌」)

佐倉順天堂関係の医学書やその翻訳書も陳列されている。一例は、医学全書である『モスト医事韻理』、外科の必修教科書であった『リセランド人身窮理』、内科の『コンスブルック治療書』、そのほか外科、内科、眼科などの医学書のオランダ語原書である。

(右が「リュエテ眼科書」 眼の解剖図がある)

幕末の佐倉藩がここまで蘭学にちからを入れていたとは!

佐倉藩は、佐藤泰然の影響もあって、全面的に蘭学に舵を切ったらしい、その意味でも、佐藤泰然を招聘した佐倉藩主の堀田正睦の炯眼には驚かされるのである。トップに立つ人次第で、組織は大きく影響を受けるわけだ。

京成線で成田空港に行く際(・・スカイライナーは北総鉄道の線路を走るようになったのが残念だが)、佐倉駅手前で進行方向左手に目に飛び込んでくる風車におやっと思った人も少なくないと思う。なぜオランダの風車かという謎は、佐倉藩が蘭学の中心であったことを知ると解けるのである。



今回は国立歴史民俗博物館からはじめた探索行であったが、これらの展示をすべて一緒にみると、日本人はなんとすごいのかと思うだけでなく、ここ佐倉の地に国立歴史民俗博物館が来たことも、「北総の学都」であった佐倉の意味を掘り起こすことにもつながることとなった。

そのため、かなり長い記事になったが、三回にわけて書き綴ったのである。

ぜひ、城下町・佐倉は本格的に探索してほしい。わたしにとっても、佐倉はまったくの盲点であった。キッカケはなんであれ、今回じっくりと探索したことで、わたし自身の視野が大いに広がったことを感じている。





佐倉は「お味噌の産地」です

そうそう、「佐倉はおみその産地です」。写真はヤマニ味噌
お土産には、ぜひお味噌をお忘れなく!





<関連サイト>

佐倉市観光協会 公式サイト

千葉県立佐倉高等学校のなかにある「鹿山文庫」 

佐藤泰然 wikipedia項目 

「城下町探訪」 佐倉―チューリップが咲きオランダ風車が回る城下町

特別展『医は仁術』(国立科学博物館 2014年3月15日~6月15日)

(2021年6月4日 情報追加)
(2022年12月23日発売の拙著です)

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