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2012年9月3日月曜日

書評『日本の文脈』(内田樹/中沢新一、角川書店、2012)ー「辺境日本」に生きる日本人が「3-11」後に生きる道とは?


1950年という同じ年に生まれて同じ大学キャンパスで学生時代を過ごしていながら、この対談が始まるまで会うことがなかったという二人。

一方は早熟の物書きで、他方は遅咲きの物書きという違いはあるが、ともに現在売れっ子の著者二人の顔合わせによう対談は、意外や意外、じつに興味深い内容だった。最初の対談では合気道六段の野人派・内田樹の前で、中沢新一がややおとなしく見えるのもなんだかご愛敬だ。

基本的に、内容は日本の「国ほめ」が中心になるのだが、「3-11」後になされた対談では、コインの裏側にある日本の弱点についても語られることになる。

わたしにとってもっとも関心が高いのは、第三章のユダヤ人との比較だ。同じ「辺境の民」という構造的共通性をもつユダヤ人との比較で浮かび上がってくるのは日本的思考の特性である。

ユダヤ的一神教に基づく思考のあり方には二人とも憧憬の思いは隠さないが、二人がともに尊敬する人類学者レヴィ=ストロースもまた、ユダヤ的思考を体現したユダヤ系フランス人である。

「辺境ユダヤ」と「辺境日本」。中身はまったく異なりながらも、世界に置かれている状況がきわめて似ている二つの民族日本にあってユダヤに欠けているものはこの対談で明確になる。それは、農業へのコミットメントだ。

読んでいて、「日本文明の世界への貢献といえば、北米と南米における日本人移民による農業技術移転にある」と南米移民を前にして語った梅棹忠夫の話を思い出した。本書で語られるさまざまなテーマは、日本人にとっての農業の意味について多く語られているのだ。

本書に収録された対談や鼎談を最後まで読んでいくと、結局は「辺境日本」に生きるわたしたちは、みずからの強みを自覚し、徹底的にみずからを掘り起こす作業をするしかないのかもしれないという気持ちにさせられる。

いろいろ好き嫌いの分かれる著者たちではあるが、近代資本主義が行き詰まりを見せている現在、こういう視点でものを考えることも何かのヒントになるのではないかと思う。一読をすすめたい。


<初出情報>

■amazon書評「「辺境日本」に生きる日本人が「3-11」後に生きる道とは?」(2012年4月4日 投稿)


目 次
まえがき 中沢新一
プロローグ これからは農業の時代だ!
第1章 これからの日本にほんとうに必要なもの
第2章 教育も農業も贈与である
第3章 日本人にあってユダヤ人にないもの
第4章 戦争するか結婚するか
第5章 贈与する人が未来をつくる
第6章 東洋の学びは正解よりも成熟をめざす
第7章 世界は神話的に構成されている-東日本大震災と福島原発事故のあとで
コラム 荒ぶる神の鎮め方 内田樹
あとがき 内田樹

著者プロフィール

内田 樹(うちだ・たつる)   
思想家。武道家(合気道七段)。凱風館館長。神戸女学院大学名誉教授。1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。2011年3月、神戸女学院大学文学部教授を退職し、同年11月、道場「凱風館」を開設。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞、『日本辺境論』(新潮新書)で新書大賞2010、著作活動全般に対して第三回伊丹十三賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

中沢新一(なかざわ・しんいち)
思想家。人類学者。明治大学野生の科学研究所所長。明治大学特任教授。1950年山梨県生まれ。東京大学文学部宗教学宗教史学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。93年より中央大学総合政策学部教授、2006年より多摩美術大学美術学部教授および同大学芸術人類学研究所所長をつとめる。11年より現職。『対称性人類学 カイエ・ソバージュV』(講談社選書メチエ)で第三回小林秀雄賞、『アースダイバー』(講談社)で第九回桑原武夫学芸賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<書評への付記>

本書ではユダヤ人に欠けていて日本人にあるものは、農業へのコミットメントであるというようなことが書かれている。

この発言はたしか中沢新一によるものだったと思うが、基本的にはただしい。ディアスポーラ(離散)状態のなかで、ユダヤ人は原則的に土地所有を禁じられていたので農業にはコミットメントしていないからだ。その意味では、具体的な作物栽培から引き離されて、思考がより抽象度が増したのはそのとおりだと思う。

しかし、古代イスラエルにおいて農業が主要産業であったことは、『タルムード』の記述をみれば明らかだし、イスラエル建国後は、社会主義的な集団農場=共同体であるキブツが中心になって、荒野を切り開いてきたこともたしかである。

ただし、現在のイスラエル農業は、世界でも最先端の「ハイテク農業」である。その意味では、土に根ざした伝統的な農業ではなく、工業としての農業といっていいかもしれない。 

(参考) http://www2.kenes.com/agritech2012/Pages/Home.aspx

ビジネスとしての農業はそれでいいいとしても、人間性回復のための農業は、やはり土に根ざしたものであるべきかもしれない。その点は、中沢新一の発言や取り組みには賛成だ。


個人的な話であるが、わたしも子どもの頃、家庭菜園で各種の野菜を栽培していたので、いずれ復活したいと夢想している。


<関連サイト>

『日本の文脈』(角川書店の書籍サイト)



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