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2014年6月30日月曜日

書評 『「悲しき熱帯」の記憶-レヴィ-ストロースから50年-』(川田順造、中公文庫、2010 単行本初版 1996)-『悲しき熱帯』の日本語訳者によるブラジルを多角的、重層的に見つめる人類学的視点


レヴィ=ストロースの名著『悲しき熱帯』の旅が行われた1934年から50年後の1984年、その舞台となったたブラジルを訪れた愛弟子の日本人文化人類学者によるエッセイである。

レヴィ=ストロースが100歳で亡くなったのは2009年、その翌年に文庫化されたわけだが、その際のタイトルはは『「悲しき熱帯」の記憶-レヴィ-ストロースから50年-』となっている。1996年に出版された単行本初版では、『ブラジルの記憶-「悲しき熱帯」は今-』(NTT出版)となっていた。単行本がでたのは旅が行われた1984年から12年後、文庫版はその14年後となる。

レヴィ=ストロースの名著『悲しき熱帯』の旅が行われた1934年から、ことしはすでに80年ということになる。『悲しき熱帯』の執筆が開始されたのは1954年だから、60年前になる。いずれにせよ、もうずいぶん昔の話なのである。

じつはわらたしは1996年の単行本を購入して一部だけ読んでそのままにしていた。肝心要の『悲しき熱帯』は購入しながらもいまだ読んでいなかったからだ。今回ようやく『悲しき熱帯』を読み終え、そのうえでさっそく川田氏の本書を読んでみた。



『悲しき熱帯』に登場する先住民のインディオのなかでもっとも印象的なのがナンビクラワ族である。訳者の川田氏もまた、1984年にナンビクラワ族のもとを訪れている。

「未開民族」は、言うまでもないがすでに50年前そのものではない。とはいえ、インディ保護政策に転じたブラジル政府の保護のもと、物質生活のなかに入っていながらも、従来の生活習慣を無意識のうちに保っていたというのは興味深い。もっとも、「文明社会」への「同化」のための過渡期(=モラトリアム)であったようだが・・・。

文庫版でも単行本初版でもカバーに使用されているナンビクラワ族の女性の写真が圧倒的だ。縄文土器のような大地に根ざした大地母神像のような圧倒的な存在。この写真が撮影されたのは1984年である。

南米大陸は、わたしにとっては、いまに至るまでテッラ・インコグニタ(=未知なる大陸)だ。そのなかでもブラジルはとりわけ「常識」を試される土地のようだ。

二ヶ月足らずだったが、この国を旅してみて、情緒不安定と、感情の両極性の露出にいたるところで出会い、私自身も情緒不安定に陥った。殺戮と贖罪、家父長制と母性憧憬(マザーコンプレックス)、雄性誇示と去勢願望・・・。個人をではなく、社会や歴史を理解するのに、ブラジルほど精神分析の用語を思い出させる国もめったにあるものではないのではないだろうか。(Ⅰ 反世界としてのブラジル)

こんな文章を読んだら、いつかはブラジルに行ってみたくなるではないか!

1996年に単行本を購入して一部だけ読んだ際につよく印象に残っていたのが、リオデジャネイロにおける「人類教」にまつわるエピソードであった。18年ぶりに読み返してもその印象に変化はない。

「人類教」(Église positiviste: 実証主義者教会)とはフランス社会学の始祖ともいうべきオーギュスト・コント(1798~1857)が晩年に唱えた宗教である。

フランスではまったく定着しなかったが、なぜか当時フランスに留学した青年将校たちを大いに感化し、かれらをつうじて「人類教」(Religião da Humanidade ポルトガル語。英語だと Religion of Humanity)としてブラジルに伝えられた。

共和国となったブラジルの国旗が「人類教」の理念のもとに作成されたことを知れば、誰だって驚くに違いない(下図)。緑の背景に黄色の菱形、そのなかに星がちりばめられた地球。帯に書かれている ORDEM E PROGRESSO(秩序と進歩)というポルトガル語のスローガンはコントの著書から取ったものだという。

(リオの人類教教会に残るブラジル国旗の原図 単行本 P.55より)

現在では、ほそぼそと生き残っているにすぎない「人類教」だが、大学では社会学部にいたわたしには感慨深いものがある。経験的事実に基づいた理論構築を目指した「実証主義」(positivism)の提唱者であるコントともあろう人が、なぜ「人類教」などという宗教の開祖になったのか(?)という思いがあったからだ。まるでフランス革命時の「理性崇拝」のようなイメージをもったものだ。

フランスにとって植民地ではなかったブラジルは、ポルトガルにとっての支配/被支配関係ではなく、また英国やオランダのような経済関係でもなく、「人類教」とブラジル国旗のエピソードに端的にあらわれているように、知的交流という側面でのつながりが強かったらしい。

レヴィ=ストロースもまた、ブラジルの新興ブルジョワ層が建学して、フランス流のアカデミズムを祖導入したサンパウロ大学に招聘されたことがキッカケでブラジルに渡ることを決心したらしい。それが1934年のことだ。20世紀最大の歴史学者となったフェルナン・ブローデルもまた、同時期にサンパウロ大学で教鞭をとっている。

ブラジルとフランスといえば、いまの日本なら日産を再建したカルロス・ゴーンという答えが返ってくるだろう。ゴーン氏はレバノン系ブラジル人だが、フランスの超エリート校のグランゼコールの一つエコール・ポリテクニークを卒業している。ゴーン氏の存在そのものにも、フランスと移民社会ブラジルの関係がみてとれるかもしれない。

本書は個のほか、大航海時代のポルトガルを軸にした西アフリカと日本の対比(・・キリスト教(=カトリック)、奴隷貿易、小王国)、奴隷貿易を軸にした「近代」のコースの分岐(・・大規模土地所有者として労働集約型産業から脱却できなかったポルトガルが奴隷制を長く維持したのに対し、産業革命によって工業化し次世代産業への移行に成功した英国はいちはやく奴隷制廃止に踏み切った)など、示唆に富む考察も少なくない。

ブラジルで奴隷制が廃止されたのはなんと1888年(明治21年)、奴隷制廃止後は日本人を含めた移民が大量に流入することになる。

「ポルトガル=西アフリカ=日本=ブラジル=フランスを多面鏡のように立てて照合させながら相互連関的視野で問題を検討すること」(著者)の一つの試みとして、知的好奇心を大いに喚起される好エッセイである。

『悲しき熱帯』を読んでいてもいなくても、ブラジルという存在を多角的に重層的に知ることのできるので、読む価値のある本といえるだろう。人類学者の視点である。





目 次 
Ⅰ 反世界としてのブラジル
Ⅱ 灰まみれのモラトリアム・ピーターパンたち
Ⅲ なぜ熱帯は今も悲しいのか
Ⅳ 「紐文学」と口誦の伝統
Ⅴ 私にとってのブラジル-十二年ののちに(“南蛮時代”の意味
あとがき
参考文献

著者プロフィール

川田順造(かわだ・じゅんぞう)
1934年(昭和9年)東京生まれ。東京大学教養学部教養学科(文化人類学分科卒)、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。パリ第5大学民族学博士。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を経て、現在広島市立大学国際学部教授。著書に『無文字社会の歴史』『口頭伝承論』『声』『ブラジルの記憶』他がある。


「人類教」の開祖で社会学者のオーギュスト・コントについては ⇒






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レヴィ=ストロースの 『悲しき熱帯』(川田順造訳、中央公論社、1977)-原著が書かれてから60年、購入してから30年以上の時を経てはじめて読んでみた

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る


視点のもちかた

書評 『座右の日本』(プラープダー・ユン、吉岡憲彦訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2008)-タイ人がみた日本、さらに米国という比較軸が加わった三点測量的な視点の面白さ
・・川田順造氏は「三角測量」という表現をつかって日本=フランス=アフリカのフィールドワークを行ってきたと語っている。基本的には同じことをさしている


ブラジル関連

書評 『サッカー狂の社会学-ブラジルの社会とスポーツ-』(ジャネット・リーヴァー、亀山佳明・西山けい子訳、世界思想社、1996)-サッカーという世界スポーツがブラジル社会においてもつ意味とは?

「JICA横浜 海外移住資料館」は、いまだ書かれざる「日本民族史」の一端を知るために絶対に行くべきミュージアムだ!

書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる
・・グレイシー柔術の一家に生まれた「400戦無敗の男」は、スコットランド人移民の家に生まれたリオデジャネイロ出身


西欧植民者の奴隷制をめぐる「近代」-英国 vs ポルトガル

書評 『砂糖の世界史』(川北 稔、岩波ジュニア新書、1996)-紅茶と砂糖が出会ったとき、「近代世界システム」が形成された!
・・北米とカリブ海に展開した英国はいちはやく産業革命に成功し奴隷制から足を洗う

かつてコートジボワールが 「象牙海岸」 とよばれていたことを知ってますか?-2014年FIFAワールドカップ一次リーグでの日本の対戦相手
・・象牙海岸、黄金海岸、穀物海岸、胡椒海岸

「リスボン大地震」(1755年11月1日)後のポルトガルのゆるやかな 「衰退」 から何を教訓として学ぶべきか?
・・「未来」の国であるブラジルとは違う、「過去」に生きる本国のポルトガル

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・1543年鉄砲伝来、1549年キリスト教伝来。ともにその役割を担ったのは「大航海時代」のポルトガル人であった

書評『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)




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2014年6月29日日曜日

レヴィ=ストロースの 『悲しき熱帯』(川田順造訳、中央公論社、1977)-原著が書かれてから60年、購入してから30年以上の時を経てはじめて読んでみた


フランスを代表する人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908~2009)が、みずからが行った1930年代のブラジル調査旅行を、約20年のちの1954年から翌年にかけて一気呵成に執筆し、出版したものだ。いまからすでに60年前に出版された記録文学である。

「フランスを代表する人類学者」と書いたが、現代の西欧を代表する知識人であるといったほうがより正確だろう。レヴィ=ストロースが100歳(!)で逝ったのはいまから5年前のことだ。日本でも現代思想を代表する一人として圧倒的な影響を与えてきた存在である。「構造主義」という四文字熟語によって。

1934年に受け取った一本の電話から始まった民族学者クロード・レヴィ=ストロースのブラジル調査旅行。20年の時を経て一冊の本として執筆が始まったのが1954年、愛弟子の日本人人類学者・川田順造氏が12年間を費やして日本語訳を刊行したのが1977年、わたしがこの本を単行本で購入したのが1983年。

それは大学時代のことだ。「ニューアカデミズム」ブームで「構造主義」が流行っていた(?)1980年代前半のことである。なぜか読むことなく33年の歳月が流れ、書棚のなかでほこりをかぶりつづけ、シミを発生させてきた・・・。

(1977年版の単行本の帯)

もうこの機会を逃したら読む機会はないかもしれないという思いから読み出したのが、2014年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会の開催直前。2016年にオリンピックがブラジルで開催されるとはいえ、2年先だって先のことはわからないからだ。

とにかく、なぜか時間を要求する本のようだ。読み始めたら意外に読み進めてしまう内容の本なのだが・・・。

訳者の川田氏が書いているように、『悲しき熱帯』は「芳醇な馥郁たる香りのする、しかし時に苦渋にも満ちた「大人の読み物」、なのである。33年前、20歳にもならない若造が読んだとて、いったいどこまで理解できただろうかと思う。時間と空間が重層的に交差する世界。ある程度の人生経験を積んでいれば、意外なことにおのずから素直に納得のいく考察の数々。

年を取ることはけっして悪いことではない。若者が背伸びして読んだところで理解には限界がある本なのだ。

この本は、ときおり哲学的な考察や学問的な話もでてくるが、基本的には回想録であり、紀行文学として読んでも、いっこうにかまわないと思う。わたしもすべてが理解できたわけではないと正直に書いておく。翻訳もののにつきまとう晦渋さもあるためだが。

(写真集『ブラジルへの郷愁(サウダージ)』英語版の表紙)

本書には、「二項対立」(バイナリー)な存在として、歴史学と民族学、時間と空間、未開と文明、西洋と東洋、記憶と想起などがテーマとして浮かび上がってくる。未開社会もまた人間社会という点において文明社会と変わりがないことが示される。ある種の文化相対主義というべきであろう。

読んでいてひじょうにうれしく思ったのは、知的自伝を語りながら、レヴィストロースの少年時代からの、地質学と考古学への深い関心が歴史学的思考の基礎にあることを知ったことだ。この歴史学認識は、わたしも共有しているものであり、地層に歴史を読む込む発想をもっていたことにあらためて驚きと感嘆を感じるのである。

時間と空間にかんする認識こそが、歴史学と民族学(=文化人類学)の融合を実り豊かなものとする。直接レヴィ=ストロースとは関係ないが、わたしも大学時代目指していた歴史人類学は、その一つの融合の試みである。

いっけんブラジルのアマゾンのジャングルとは関係ない考察もまた、60年前のものとは思えないアクチュアルな意味をもっている。末尾に近い章で展開される議論が、とりわけ東洋世界の住人である日本人にとっては意味をもつ。

中洋のイスラーム世界をはさんで存在する西洋のキリスト教世界と東洋の仏教世界。現在のパキスタンの地で実現した古代ギリシアと仏教の出会いが、その後の歴史に持ち得たかもしれない可能性について夢想してみること。この考察は西欧知識人からするものだが、おなじく東洋世界の日本人にとっても意味なきものではない。

西欧文明のまっただなかで知的訓練を受けた一人のユダヤ系のフランス知識人が、西欧による植民地支配と植民地主義が終わろうとしていたまさにその時期、西欧文明への深刻な反省を抱えながら、失われる寸前の「未開社会」をフィールドワークしながら認識を深めていくある種の知的自伝でもある。強靱で骨太の知性をそこに感じるのはそのためだ。

ただし、ブラジルはフランスの植民地ではなかった。周知のとおりポルトガルの植民地であったが、独立後のブラジル共和国の理念はフランス由来のものである。フランスとブラジルの関係は、もっぱら知的交流が主であったことはアタマに入れておく必要があろう。

すでに構造主義も、人類学も、かつてそれらがもっていたような輝きも消え、いまでは「既成の知」の一つとしてアカデミズムの世界のなかに確固たる位置を占めるに至っているが、「構造主義の原典」などという堅苦しい観点からではなく、虚心坦懐に読んでみたらいいのではないか。「教典」ではないのだから。

過度に持ち上げる必要もないし、けなす必要もない。すぐれた文学作品だからこそ長い生命力をもつのであろう。

(『悲しき熱帯』のフィールドワーク中の若き日のレヴィ=ストロース ひげ面!)





目 次

上巻
22年ののちに-レヴィストロースにきく-(川田順造)
悲しき熱帯
 日本の読者へのメッセージ
第1部 旅の終り
 1. 出発
 2. 船で
 3. アンティール諸島
 4. 力の探求
第2部 旅の断章
 5. 過去への一瞥
 6. どのようにして人は民族学者になるか
 7. 日没
第3部 新世界
 8. 無風帯
 9. グヮナバラ
 10. 南回帰線を越えて
 11. サン・パウロ
第4部 土地と人間
 12. 都市と田舎
 13. 開拓地帯
 14. 空飛ぶ絨毯
 15. 群衆
 16. 市場
第5部 カデュヴェオ族
 17. パラナ
 18. パンタナル
 19. ナリーケ
 20. 原住民社会とその様式
訳注
口絵 カデュヴェオ族

下巻
第6部 ボロロ族
 21. 金とダイヤモンド
 22. 善い野蛮人
 23. 生者と死者
第7部 ナンビクワラ族
 24. 失われた世界
 25. 荒野(セルタウン)で
 26. 電信線に沿って
 27. 家族生活
 28. 文字の教訓
 29. 男、女、首長
第8部 トゥピ=カワイブ族
 30. カヌーで
 31. ロビンソン
 32. 森で
 33. 蟋蟀(こおろぎ)のいる村
 34. ジャピンの笑劇
 35. アマゾニア
 36. セリンガの林
第9部 回帰
 37. 神にされたアウグストゥス
 38. 一杯のラム
 39. タクシーラ
  40. チャウンを訪ねて
訳注
参考文献一覧
訳者あとがき
口絵 ボロロ族、ナンビクワラ族、トゥピ=カワイブ族
地図




著者プロフィール

クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss)
1908年~2009年。ベルギーのブリュッセル生まれ。フランスの文化人類学者。パリ大学法学部卒業後、リセ(高等中学校)教員を経てブラジル、アメリカで民族学を研究、1949年帰国し、パリの人類博物館、高等研究院、コレージュ・ド・フランスなどで教育と研究に従事。社会人類学研究所を創設。画期的労作『親族の基本構造』などで文化の厳密な構造分析方法たる構造主義の旗手となる(別の書籍から転記)。 

訳者プロフィール

川田順造(かわだ・じゅんぞう)
1934年(昭和9年)東京生まれ。東京大学教養学部教養学科(文化人類学分科卒)、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。パリ第5大学民族学博士。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を経て、現在広島市立大学国際学部教授。著書に『無文字社会の歴史』『口頭伝承論』『声』『ブラジルの記憶』他がある。


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書評 『「悲しき熱帯」の記憶-レヴィ-ストロースから50年-』(川田順造、中公文庫、2010 単行本初版 1996)-『悲しき熱帯』の日本語訳者によるブラジルを多角的、重層的に見つめる人類学的視点

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る


人類学的認識

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・梅棹忠夫が提唱した「中洋」という概念をレヴィ=ストロースは使用していないが、『悲しき熱帯』の末尾の章を読むと近い認識をもっていたことがわかる

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む
・・山口昌男が目指した「歴史人類学」

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)-「社会史」研究における記念碑的名著
・・訳者の人類学者・川田順造氏は、思想史家の良知力氏、歴史学者の阿部謹也氏と二宮宏之氏と『社会史研究』を立ち上げた同志であった


地質学・考古学と歴史

地層は土地の歴史を「見える化」する-現在はつねに直近の過去の上にある ・・褶曲して上下が反転していても基本は変わらない

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯
・・イエズス会士で古生物学者であったフランスの思想家


欧州のユダヤ系知識人にとっての「未開と文明」

『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ
・・アビ・ヴァールブルクはドイツのユダヤ系美術史学者。


西洋の植民地支配と南米、移民

映画  『アバター』(AVATAR)は、技術面のアカデミー賞3部門受賞だけでいいのだろうか?

書評『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・ルソーと並ぶ18世紀のフランス啓蒙思想家ヴォルテール

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・1543年鉄砲伝来、1549年キリスト教伝来。ともにその役割を担ったのは「大航海時代」のポルトガル人であった

「リスボン大地震」(1755年11月1日)後のポルトガルのゆるやかな 「衰退」 から何を教訓として学ぶべきか?
・・「未来」の国であるブラジルとは違う、「過去」に生きる本国のポルトガル

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2014年6月28日土曜日

「サラエボ事件」(1914年6月28日)から100年-この事件をきっかけに未曾有の「世界大戦」が欧州を激変させることになった

(狙撃された皇太子夫妻が乗っていた自動車 筆者撮影)

これまで何度かウィーンに滞在したことがあるが、2006年の滞在の際、秋の日の週末のヒマつぶし(?)のため、たまたま入ってみたのが「ウィーン軍事史博物館」である。もともとアーセナル(武器庫)として使用されていた建築物を博物館に改造したものだ。

そして博物館のなかで出会った「サラエボ事件」関連の展示の数々。

「サラエボ事件」とは、いまから100年前(!)の1914年6月28日、当時のオーストリア=ハンガリー帝国(・・いわゆるハプスブルク帝国)の皇太子夫妻が、あたらしく領土に編入されたボスニア・ヘルツェゴヴィアのサラエボでテロリストによって狙撃され殺害された事件のことだ。

この事件をきっかけに未曾有の「世界大戦」が欧州を激変させることになった事件のことである。「世界大戦」は1週間後の7月5日に勃発することになる。

(フェルディナント皇太子が着ていた衣服 筆者撮影)

まさか、ふらりと入った博物館のなかで、「セルビア事件」関連の展示に出会うとは思わなかった。まったくの偶然なのだが、直観に導かれて(?)行動することは重要だ。

展示品の皇太子の遺品の衣服を見ればわかるように、衣服は血で汚れていない。心臓ではなく頭が狙撃されたのだ。

(フェルディナント皇太子が着ていた衣服 筆者撮影)

事件のあったボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボは、1990年代前半にふたたび全世界の脚光を浴びることになる。冷戦構造崩壊後のユーゴスラビア解体にともなう「民族浄化」の舞台としてである。

いわゆる「ボスニア紛争」とよばれた民族間の激しい内戦は、1992年から1995年までつづいた。「冷戦構造」の崩壊は、このような形で激しい紛争を引き起こしたのであった。

オーストリアの首都ウィーンじたい、中欧の主要都市として西欧と東欧の交差する位置にある。ゲルマン民族とスラブ民族の交差する位置であり、かつてのハプスブルク帝国はドイツ語を母語とするゲルマン民族を中核としながらも、スラブ民族やハンガリー民族、ユダヤ民族などさまざまな民族で構成された多民族国家であった。

(軍事史博物館の前に展示されているオーストリア軍の戦車 筆者撮影)

「世界大戦」の引き金となった「サラエボ事件」は、ハプスブルク帝国の領土内で起こった事件であり、世界大戦の結果、ハプスブルク帝国は崩壊し、「民族自決」の時代にバラバラとなる。

未曾有の「世界大戦」が欧州を激変させることになったのだ。第二次世界大戦は第一次世界大戦で未解決のままとなった問題の処理という側面をもつ。

日本では「先の大戦」(=第二次世界大戦、大東亜戦争)がいまでも大きな意味をもっているが、ヨーロッパにとっては「第一次世界大戦」のインパクトはきわめて大きなものであった。

「サラエボ事件」と「第一次世界大戦」から100年。21世紀のいまもなお世界を悩ませている「民族問題」とナショナリズムについて考える機会としたいものだ。


(軍事史博物館の正門 筆者撮影)



<関連サイト>

ウィーン軍事史博物館(Heeresgeschichtliches Museum) 公式サイト(英語版) ・・もちろんドイツ語版サイトもある

From the archive The Serbs and the Hapsburgs (The Economist, Jun 27th 2014)
・・On July 4th 1914 The Economist published this article in response to the assassination on June 28th of Archduke Franz Ferdinand(英国の「エコノミスト」誌の1914年7月4日付け(!)の記事をアーカイブから。その翌日、戦争が勃発し「世界大戦」にエスカレートしていった)






<ブログ内関連記事>

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)
・・ゲルマン世界とスラブ世界の接点であるハプスブルク帝国の首都ウィーンを舞台に「挫折した1848年革命」を描いた社会史の記念碑的名著

書評 『ヨーロッパとは何か』(増田四郎、岩波新書、1967)-日本人にとって「ヨーロッパとは何か」を根本的に探求した古典的名著
・・ヨーロッパにおいては国境とはつねに動くものであるという事実を教えてくれる古典的名著

書評 『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)
・・1909年ウィーンに生まれたドラッカーは、第一次大戦に敗戦し帝国が崩壊した都市ウィーンの状況に嫌気がさして17歳のとき(1926年)、商都ハンブルクに移っている

書評 『ヒトラーのウィーン』(中島義道、新潮社、2012)-独裁者ヒトラーにとっての「ウィーン愛憎」

・・ナチスを払拭しなかったオーストリアの戦後

・・第一次大戦後の1923年から1925年までウィーンに留学した西洋史家・上原専禄

コトバのチカラ-『オシムの言葉-フィールドの向こうに人生が見える-』(木村元彦、集英社インターナショナル、2005)より
・・ボスニア・ヘルツェゴヴィアの首都サラエボ生まれのイビチャ・オシムは「ボスニア紛争」の体験社である

書評 『未完のファシズム-「持たざる国」日本の運命-』(片山杜秀、新潮選書、2012)-陸軍軍人たちの合理的思考が行き着いた先の「逆説」とは
・・日本国民にとって「第一次世界大戦」は直接の関係はなかったが、陸軍軍人たちにとっては必ずしもそうではなかったという事実




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2014年6月24日火曜日

書評 『追跡・アメリカの思想家たち』(会田弘継、新潮選書、2008)-アメリカの知られざる「政治思想家」たち


1980年代のレーガン大統領以降の「保守革命」が定着し、リベラリズムが退潮傾向になって久しいアメリカだが、アメリカにも「反近代」の立場に立脚する、ヨーロッパ型の「保守主義」が存在することがまず冒頭であきらかにされる。

本書は、その担い手であったラッセル・カークという在野の思想家に共鳴を示しつつ「保守主義」にフォーカスを合わせ、アメリカの政治思想を、保守からリベラルまで、人物とその思想のスケッチによって浮かび上がらせたものだ。だから正確なタイトルは、「アメリカの思想家」というよりも「アメリカの政治思想家」とすべきなのである。

月刊情報誌『フォーサイト』に連載されていたとき(2003年)にリアルタイムで読んでいたが、あらためて一冊になったものを、さらに出版から一定の時間をおいて読むことで、冷静にアメリカの政治思想を把握することが可能になった。冷却期間という時間は人をして冷静にさせる。

なによりもジョージ・ブッシュ政権時代前期のネオコン(=ネオ・コンサヴァティズム)の狂躁の日々が去ってから久しい現在、かれらがいったい何であったのかを冷静に捉えることができるのは意味があることだ。

すでに当時から、その本質は保守主義ではなく「リベラル左派」が「リベラル右派」に変身した、理想実現志向の社会変革思想であることは明らかになっていたが、本書ではその思想の根源がニューヨークのユダヤ人移民社会から生まれたものであることなど、思想が生まれる背景としての地域性も明らかにされている。経営用語でいえば「クラスター」というべきであろう。

このほか本書で取り上げられた「政治思想」には、キリスト教ファンダメンタリズム(=原理主義)や極限の自由を追求するリバタリアン、おなじく自由を希求しながらも大きな政府志向であるリベラリズムも、「思想地図」ともいうべき色分けが可能なほど、地域性が明確であることも明らかにされている。

それぞれ、キリスト教ファンダメンタリズム(=原理主義)は南部のいわゆる「バイブル・ベルト」リバタリアニズムはカリフォルニアリベラリズムは東部から西部にかけての北部地域に分布している。

特定の「思想」と「地域」を結びつけて考えることで、アメリカをより立体的に捉えることが可能となる。

(会田弘継氏作成の「地域別に見たアメリカの思想傾向」 P.222より)

著者自身、「アメリカに思想なんてあるのか?」という問いをなんどもされていると本書のなかで触れているが、たしかにアメリカにも「思想」は存在するのである。政治思想に限らず、経済思想や宗教思想などにも範囲を拡張すれば、明らかに思想は存在することがわかる。その担い手たちの知名度が世界レベルの高さがないとしても。

だが、本書では政治思想に関連する部分だけにしか言及されないのが残念なところだ。宗教思想でいえば原理主義もさることながら、「自己啓発」の思想である「ニューソート」(New Thought)への言及もまた必要だろう。

「思想」(thought)とは過去形で表現される「思考されたもの」であり、現在形で表現される「思考」(thinking)そのものとはイコールではないが、経営者の思想、エンジニアの思想、活動家の思想など、取り上げるべきものは多い。TED などでアイデアを披露している、「思想家と名乗っていない思想家」の思索や実践活動もまた、きわめてアメリカ的なものも少なくないことは指摘しておくべきだろう。

『フォーサイト』の連載にはなく単行本化にあたって加えられたのが、「エピローグ 戦後アメリカ思想史を貫いた漱石の「こころ」」である。人と人との「つながり」のなかで思想は生まれ、後代に継承されていくという経緯を物語としてつづったものだ。

著者が敬愛してやまないヨーロッパ型保守思想の大物ラッセル・カークというアメリカ人、経済学者でリバタリアン思想のフリードリッヒ・フォン・ハイエクというオーストリア人、『こころ』の英訳者エドウィン・マクレランといいうスコットランド出身の英国人、そして文芸評論家であった江藤淳という日本人。

漱石の『こゝろ』の英訳本がつないだ意外な「つながり」と「きずな」。これは思想のドラマの背後にあるものを鮮やかにみせてくれるものであった。著者によって初めて掘り起こされたこの「物語」は、静かな感動をもたらしてくれる。

ことし2014年は、漱石の『こゝろ』が出版されてからちょうど100年。明治大帝の崩御から2年後の2014年は第一次世界大戦が勃発した年でもあった。

アメリカの政治思想を語るには、ヨーロッパや日本もまた欠かすことのできない重要な要素なのである。古代ギリシアに始まるヨーロッパの政治思想を研究した、ネオコン思想家の日系人フランシス・フクヤマと徳富蘇峰との関係についての「追記」を読むと、さらにその感を強くする。





目 次

プロローグ メコスタ村へ
第1章 戦後保守思想の源流-ラッセル・カーク(1918~94)
第2章 ネオコンの始祖-ノーマン・ポドレッツ(1930~)
第3章 キリスト教原理主義-J・グレシャム・メイチェン(1881~1937)
第4章 南部農本主義-リチャード・ウィーバー(1910~63)
第5章 ネオコンが利用した思想-レオ・シュトラウス(1899~1973)
第6章 ジャーナリズムの思想と機能-H.L.メンケン(1880~1956)
第7章 リベラリズム-ジョン・ロールズ(1921~2002)
第8章 リバタリアン-ロバート・ノジック(1938~2002)
第9章 共同体主義-ロバート・ニスベット(1913~96)
第10章 保守論壇の創設者-ウィリアム・バックリー(1925~2008)
第11章 「近代」への飽くなき執念-フランシス・フクヤマ(1952~)
追記 フランシス・フクヤマと徳富蘇峰
エピローグ 戦後アメリカ思想史を貫いた漱石の「こころ」
あとがき
参考・引用文献一覧
関連図表


著者プロフィール

会田弘継(あいだ・ひろつぐ)

1951年埼玉県生まれ。東京外国語大学英米語学科卒業後、共同通信社に入社。ワシン著書に『戦争を始めるのは誰か』、訳書に『アメリカの終わり』(フランシス・フクヤマ著)などがある。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS 本書の増補改訂版が、『増補改訂版 追跡・アメリカの思想家たち』として、中公文庫から出版された。増補されたのは、「第13章 「トランプ現象」とラディカル・ポリティクス」である。(2016年8月14日 記す)




<関連サイト>

蘇った米国のネオコン 混沌とした世界がブッシュ時代の保守派に息吹(JBPress、 2014年6月24日)
・・Financial Timesの翻訳記事。「ネオコン(新保守主義者)たちは何度も息を吹き返す。電流は一定の間隔でやって来る。シリアによる化学兵器の使用、ロシアによるクリミア併合、中国が海上で強めている攻撃的な姿勢、そしてイラクにおけるスンニ派の過激派の再来といったものだ」  「新」保守派が「リベラル右派」であることを念頭に読むべき


<ブログ内関連記事>

アメリカの思想家

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・わたしにとっては、 『追跡・アメリカの思想家たち』(に取り上げられたどの政治思想家よりも、ホッファーのほうがアメリカの哲学者・政治思想家としてはるかに重要だ

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た
・・アーレントもまたニューヨークの亡命ユダヤ系知識人の一人で政治思想家


アメリカのビジネス文明とキリスト教・ユダヤ教

書評 『アメリカ精神の源-「神のもとにあるこの国」-』(ハロラン芙美子、中公新書、1998)-アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録
・・アメリカの一般人の深層にあるものを押さえておかないと、表層の思想を追っても意味はない

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・ユダヤ教、キリスト教と資本主義ビジネスの関係について、ユダヤ教とキリスト教を区分して考えるべきことを私が解説。「ユダヤ・キリスト教」という表現は、誤解を生みやすい。


オカルトと宗教テロリズム

書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」
・・アメリカを中心とした英語圏に特有のオカルト思想について

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう!
・・いわゆる「ニューエイジ」宗教の影響の濃厚なジョブズとカリフォルニア

『エコ・テロリズム-過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ-』(浜野喬士、洋泉社新書y、2009)を手がかりに「シー・シェパード」について考えてみる
限りなく宗教的といってもいい英語圏に特有の環境運動の根底にある思想



「ビジネス文明」国アメリカの「思想」

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)-アメリカの本質を知りたいという人には、私はこの一冊をイチオシとして推薦したい

The Greatest Salesman In the World (『地上最強の商人』) -英語の原書をさがしてよむとアタマを使った節約になる!


「変革思想」としての右・左

書評 『近代日本の右翼思想』(片山杜秀、講談社選書メチエ、2007)-「変革思想」としての「右翼思想」の変容とその終焉のストーリー
・・右も左も変革思想であることは本質的に共通

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ
・・右であれ左であれ、政治上の「社会変革思想」は確率的にその大多数が挫折する運命にある。ビジネスによる「社会変革」も成功したのはほんとうに一握りにすぎない





(2012年7月3日発売の拙著です)






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end

2014年6月22日日曜日

「日米親善ベース歴史ツアー」に参加して米海軍横須賀基地内を見学してきた(2014年6月21日)-旧帝国海軍の「近代化遺産」と「日本におけるアメリカ」をさぐる

(横須賀軍港に停泊中の米海軍第七艦隊旗艦ブルーリッジ)

昨日(2014年6月21日)、米価軍横須賀基地にはじめて行ってきた。横須賀市の事業である、「日米親善ベース歴史ツアー」に参加することができたためである。

横須賀軍港には、昨年7月に、「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズに参加 している。その際は、横須賀軍港を外側から眺めたが、今回は横須賀軍港を内側から見ることができたので、米海軍横須賀基地については、おおよそのところを知ることができたことになる。

「日米親善ベース歴史ツアー」は、米海軍横須賀基地内にある旧日本海軍関連の「近代化遺産」をめぐるツアーである。慶応3年に幕府が建造したドライドック(・・なんと現在でも現役で使用!)、旧帝国海軍の建造物各種(・・これまた米海軍がそのまま現役で使用!)などを見ることができる貴重なツアーである。

2014年第1回目の抽選には残念ながらはずれた、直後に申し込んだ第2回に当選したのはラッキーだった。「日米親善ベース歴史ツアー」の概要は、主催者の解説をそのまま引用しておこう。


米海軍横須賀基地内の通常目にすることのできない歴史スポットを見学するツアーです。 基地内にあるレストラン(フードコート)で昼食をとり、ツアー全体を通じてアメリカ的な雰囲気を味わうことができます。 なお、フードコートでは円・ドルの使用ができます。(実費は各自負担) 横須賀市観光ボランティアガイドがご案内します。通訳は基地ボランティアが手助けをします。 ※艦船見学はありません。
ヴェルニー公園、どぶ板通り、米海軍横須賀基地(ベース)の近代遺産を巡ります。 所要時間は約4時間30分。行程約7km。艦船見学はありません。 昼食は、ベース内のフードコートでとっていただきます。 (自己負担。円、ドルともに使用可。お釣りはドルになります。・・(中略)・・
7 米軍基地(ベース)内での注意事項
(1)ベース内は、軍事施設です。引率者の指示に従い、団体行動を心がけてください。
(2)入場の際、手荷物検査があります。検査の時間を手短にするため、必要最小限にとりまとめてください。
(3)市販のペットボトルは持ち込めます。その他の飲食物の持ち込みはできません。
(4)カメラ・ビデオは、一部の場所を除き撮影可能です。(正面ゲート、潜水艦、修理中の船舶は撮影不可。)
(5)ベース内では怪我、急病以外、途中退場はできませんので、体調等ご留意ください。

当日は梅雨の晴れ間というべきか、曇り空で雨も降らず、じつに快適に過ごしやすい一日であった。海軍基地だけに海辺に立地しており、風も心地よかった。

横須賀の史跡見学に約1.5時間、基地内部の見学は昼食タイムも含めて約3時間。在日米軍基地内にあるので、なかなか見学する機会がないのはたしかなことだ。

開催者の趣旨としては、「米海軍横須賀基地内の通常目にすることのできない歴史スポットを見学するツアー」にあるようだが、わたし自身はそれもさることながら、ふだん見ることのできない基地内という「日本のなかのアメリカ」のほうに関心があったので、「近代化遺産」の説明が長いのが玉に瑕であった。

そのため、ボランティアで説明をしていただいた方々には申し訳ないが、基地内の見学と観察が最大の関心事であった。この記事では、まずはその一端をご紹介したいと思う。


米軍基地内は「左側通行」!!

基地の内部は左側通行! 交通法規も日本国内と同じである。

(基地内を走る巡回バス このバスは反時計回り)

というのも、米海軍横須賀基地も含めた在日米軍基地は日本の領土であって「租界」ではないからだ。これは「日米地位協定」で決まっていることだ。 

(基地内巡回バスのバスストップ)

外務省の公式見解が「日米地位協定Q&A」として公式サイトにアップされている。これはきわめて重要なことなので、とくに関連するものを引用しておこう。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

 問5:在日米軍の基地はアメリカの領土で治外法権なのですか。 
(答) 米軍の施設・区域は、日本の領域であり、日本政府が米国に対しその使用を許しているものですので、アメリカの領域ではありません。したがって、米軍の施設・区域内でも日本の法令は適用されています。その結果、例えば米軍施設・区域内で日本の業者が建設工事等を行う場合には、国内法に基づいた届出、許可等が必要となります。なお、米軍自体には、特別の取決めがない限り日本の法令は適用されないことは、先に説明したとおりです(問4参照)

問4:米軍には日本の法律が適用されないのですか。
(答) 一般国際法上、駐留を認められた外国軍隊には特別の取決めがない限り接受国の法令は適用されず、このことは、日本に駐留する米軍についても同様です。このため、米軍の行為や、米軍という組織を構成する個々の米軍人や軍属の公務執行中の行為には日本の法律は原則として適用されませんが、これは日米地位協定がそのように規定しているからではなく、国際法の原則によるものです。一方で、同じく一般国際法上、米軍や米軍人などが我が国で活動するに当たって、日本の法令を尊重しなければならない義務を負っており、日米地位協定にも、これを踏まえた規定がおかれています(第16条)。 しかし、公務執行中でない米軍人や軍属、また、米軍人や軍属の家族は、特定の分野の国内法の適用を除外するとの日米地位協定上の規定がある場合を除き、日本の法令が適用されます。

交通標記には英語表記もあるのが、基地内と基地外の違いといえば、これは顕著な違いといえようか。

(横断歩道ボタン この重厚さアメリカっぽい)


■米軍基地内のフードコートはアメリカそのもの

昼食はフードコート内ですることになっているので、これは楽しみであった。

いずれもファストフードであるが、日本では展開していないチェーンやすでに撤退したチェーンも米軍基地内には存在している。今回のツアーで視察することのできたファストフードのチェーン店を紹介しておこう。

まずはフードコート内のテナントから。

Subway(サブウェイ)は日本でも展開しているサンドイッチのファストフード。これは特段めずらしくないが念のため。

(サブウェイ)

Cinnabon(シナボン)は、日本では米軍基地内でしか買えない(!)として知る人ぞ知るシナモンロールのチェーン店のようだ。

日本では2009年に閉店したのち、あらたなフランチャイジーが2012年に東京・六本木に店舗があるそうだ。わたし自身はアメリカでも見たことないし、食べたこともない。量が多くて甘ったるいそうだ。あまり食べたいという気持ちにならないな。


(シナボン)

Sbarro(スバーロ)は、日本でもチェーン展開しているアメリカ風イタリアンレストランのチェーン店。2001年に撤退したが、2010年から日本に再進出している。イタリアの「ピッツァ」ではなく、アメリカの「ピザ」。


(スバーロ)

ここから先は日本ではまったくチェーン展開もしていないチェーン店を紹介しておこう。

Popeyes Chicken(ポパイズ・チキン)は、日本での展開はないし、わたし自身もアメリカで見たことはない。ルイジアナ発のメキシコ風チキンのチェーン店のようだ。ショッピングモール中心の出店。海軍基地だからポパイ(!)、というわけではなさそうだ。とはいえ、ケンタッキーフライドチキンはない。

(ポパイズ・チキン)

Manchu Wok (マンチュー・ウォク)は、中華ファストフードのチェーン店。日本での展開はない。アメリカにはこの手の中華ファストフード多い。

マンチュー・ウォクはショッピングモール中心の出店のようで、wikipedia 情報によれば、2003年と2004年に在外米軍基地内の出店を拡大したそうだ。

味はアメリカ人の舌向けに甘ったるいものが多いので、ここで食べたいという気持ちには全然ならない。劇辛に慣れ親しんでいる日本人とは違って、アメリカ人は辛いものはダメなのだ。タイ料理もアメリカでは甘い。


(中華ファストフードのマンチュー・ウォク)

フードコート内ではなく、マリーナに面して単独店舗で立地しているのがMcDonald's。これは日本でも超有名なので、あえて解説するまでもないだろう。あえて言えば、日本風にマクド・ナルドではなく、マクダーノーである。

(マリーナに面したマクドナルド レストラン)

結局、最終的にマクドナルドで食べることにした。同伴者がいたので、あまり変わったものを食べるわけにはいかなかったからである。マクドナルドなら安心だろう、ということで。

日本国内ではもはや見ることのないドナルド君を発見! わたしが小学生の頃、マクドナルドが日本に進出した頃は、TVCMでもドナルド君は頻出していたのだが、いまではまったく見なくなった。ケンタッキーのカーネルサンダースのようなコスプレができないからだろうか・・・

(ドナルド君が待ってるよ! 七夕飾りが日本だね)

帰宅後にレシートをみて気がついたが、基地内の購買には消費税がかからない! 米ドルで支払いしたからではなく、そもそも基地内では消費税はかからないようだ。根拠はこれもまた日米地位協定である。

日米地位協定Q&A 問8:米軍人やその家族は、モノを輸入したり、日本国内でモノやサービスを購入する時に税を課されない特権を与えられているのですか
(答) 日米地位協定の下では、・・(中略)・・ 日本国内にいる間において、米軍人、軍属及びそれらの家族は、米軍やその関係機関で働いた結果受ける所得や、自分達が一時的に日本にいることのみに基づいて日本で所有している動産(投資や事業目的の財産などを除く。)の保有、使用又は移転については課税が免除されますが、例えば、米軍施設・区域の外で買い物等をする場合には日本国民同様、消費税等の税金が課税されています。

(消費税=Sales Tax の項目自体がないレシート)


米軍基地内のマクドナルドも、日本マクドナルドの傘下ではなく、米本国のオペレーションの傘下であろう。



アメリカ的なものがすっかり日本に溶け込んでしまった現在・・

大学時代は東京西郊の小平市に住んでいたこともあって、米陸軍の横田基地(福生市)にはフェスティバルなどで行く機会もなくはなかったのだが、結局は行かずじまいに終わっている。だから、今回はじめて米軍基地内に入ったことになる。

かつては FEN という名の米軍の(・・正確な発音はエフイーエヌ。現在は AFN)のラジオ放送を視聴するのが、東京近辺やその他の米軍基地の近くの居住者にとってほぼ唯一のナマの英語教材だった。わたしも高校時代は、この米軍放送のニュースを視聴してリスニングを磨いたものである。日本の報道よりも早く海外ニュースをキャッチできたのであった。

といっても、放送内容はほとんどが個性的な DJ による音楽番組であった。毎週土曜日の Amrican Top 40(アメリカン・トップ・フォーティー)ケーシー・ケイサム(Casey Kasem *)、そのほかチャーリー・ツナ(Charlie Tuna)ウルフマン・ジャック(Wlfman Jack)といった DJたちの番組が懐かしい。あの時代、1980年代の若者は洋楽中心だったのだ。

(* この記事を書いたあと、ケーシー・ケイサム氏が亡くなっていたことを知った。2014年6月15日が命日。享年82歳。ご冥福をお祈りします。 R.I.P.   2014年6月24日 記す)

(ツナ缶をもつ Charlie the Tuna マグロのチャーリー wikipedia より) 


わたしなどの世代では、わたしもそうだが、FENにどっぷり浸かっていた人も少なくはない。ヒロコ・クボタ(Hiroko Kubota)の "Phrase of the Day" なんて知っているかな?


(1984年出版の『FENハンドブック-This is the Far East Network』の表紙)

DJの小林克也なんて名前も懐かしく響く。作家の片岡義男なんかも、1980年代には雑誌の『ポパイ』からみで大いに流行ったものだ。いまから35年以上前の話である。その頃は、まだ「戦後」になってから35年しか(?)たっていなかったのだ。

だが、いまではさまざまな英語放送がインターネットをつうじて無数にアクセス可能となったので、米軍放送の唯一性も薄れてしまった。いや、アメリカそのものも色あせてしまったような気がしなくもない。一般庶民レベルでは極端な「反米」が消えたと同時に、「親米」も影が薄くなったような気もする。いまや、「戦後」になってからまもなく70年(!)である。

それだけ、アメリカ的なものが日本に溶け込んで一部になってしまったということだろう。現在の「アメリカナイズされた日本」であるが、もはや自覚症状ないくらいアメリカは自明の存在である。この30年のあいだにはすっかりディズニーランドも日本の定着して日本の一部となっている。ことさら、アメリカ、アメリカという発言をするまでもないくらいなわけだ。

じっさい、さきにファストフードのチェーン店を紹介しながら思ったが、日本に定着したチェーンと撤退と再進出を行っているチェーン、まったく日本には進出していないチェーンがあることに気がつく。

1970年代に日本に進出したマクドナルドはもうすっかり日本の一部だし、1990年代に日本に進出したサブウェイもしっかり定着している。サブウェイはまだアメリカ的な感じもなくもないが、それはマックやマクドのような略称で呼ばれていないことにあらわれているかもしれない。スターバックスもいまやスタバであり、あまりアメリカ的という感じもしなくなった。

もちろんビジネスであり、アメリカのチェーン店にとっては海外進出で「アウェイ」でのビジネスであるから、日本での成功は日本側のパートナーの力量によるところが大きい。

マーケットとしての日本の消費者についていえば、日本人にとって許容できるアメリカ文化とそうではないものの線引きもできるかもしれない。

日本に定着したチェーン店は、うまくローカライズできているということである。ローカライゼーションの事例として考えてみるのも面白い。

消費者からみればアメリカははっきり見えなくなったが、企業内部で働く人間、とくにマネージャー以上にとってはアメリカは依然としてアメリカであろうが。


米海軍横須賀基地内の居住者向け施設はアメリカっぽい

今回はじめて米海軍横須賀基地の内部を見学することができて思ったのは、予想していたよりも基地内はあまりアメリカ、アメリカしてないということだった。

日本ではないがアメリカでもない、あえていえば「アメリカナイズされたのちの日本」とでもいうべき風景だった。だとすれば、基地内と基地外ではあまり違いがないことになる。

とはいっても基地外とは違う点はある。それは米軍将兵の住居関連とエンターテインメント関連だろう。もちろん、こういった施設の見学はできない。「日米親善ベース歴史ツアー」の目的からはずれるためだ。


(単身者向け住居 単身者は基地内居住が義務)


単身者向け住居(unaccompanied housing)も、建物だけをみたらこれといって特徴はない単なる集合住宅である。ちなみに、妻帯者や家族もち、あるいは単身者であっても一定以上の階級になれば基地外での居住もOKだそうだ。だから、基地外の不動産屋では米軍将兵向けの賃貸物件も扱っている。

(サポートセンター)

こういう看板と立て方はいかにもアメリカっぽい。建物の配置と前庭の構成もアメリカ的だ。

(基地内居住者向けの映画)

基地内のエンターテインメントに無料映画の上映があるようだ。映画やイベントの看板はアメリカっぽい。こういう文字だけのそっけない看板はアメリカではよくある光景だ。


(基地内居住者向けのボーリング場)


ボーリング場は日本ではかつて爆発的に流行したが、いまでは落ち着いてひさしい。最近はまた人気もあるようだが。

アメリカではどんな地方都市でも、このタイプの平屋建てのボーリング場がある。もっともポピュラーな娯楽の一つである。

 (壁に据え付け型のATM 機械はNCR製)

厳密にいうと基地内ではないが、基地と外界の境界上に立地する米軍将兵向けの「クラブ・アライアンス」(Club Alliance, Yokosuka Japan)外壁に埋め込み式のATMがある。アメリカはたいていこのタイプのむき出し型の設置が多い。日本のようなボックス型は大都市にはある。

(基地外からみたクラブ・アライアンスの外壁)

「クラブ・アライアンス」はダイニングに、バー、スポーツバー、そしてクラブなど大人向けのエンターテインメント施設である。Facebookページ(英語)もあるが、こちらを見るとアメリカそのものである。


(こういうスタイルの新聞販売はアメリカ的) 

基地内のいたるところにあるのが新聞の販売スタンド。先週金曜日(2014年6月20日)の Stars and Stripes(星条旗新聞)の一面見出しには「米国はイラクに軍事顧問団を300人派遣」とある。

「星条旗新聞」とは米軍将兵向けの日刊紙。米国では、新聞はこのような形で売っています。この点にかんしては、米軍基地内は限りなく米国的だ。


今回はフードコート以外の施設は入れなかったので見てないが、海軍基地には NEX  という施設があるようだ。ただし、NEX とはいっても成田エクスプレスのことではない。Navy Exchange (NEX) の略称だ。Base Exchange ともいうらしい。  

フードコート内に NEX のカタログがあったのでもlらってきた。そこにこそ「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」があるというべきであろうか。現在の日本人からみれば、とくにうらやましいというような印象は受けないのだが

(NEXの商品カタログ)

「占領下のオキュパイドジャパン」で有名になった PX(ピー・エックス) は Post Excahge の略。これは陸軍用語だ。陸軍からスピンオフした空軍も PX である。エクチェンジ(Exchange)とは日本語では「酒保」(しゅほ)という。軍の将兵向けのスーパーのようなもの。雑貨や食品類と米ドルとの「交換所」である。

調べてみると、陸軍(Army)と空軍(Air Force)はPX、海軍(Navy)はNEX、海兵隊(Marine Corps) は MCX、沿岸警備隊(United States Coast Guard)は CGX とぞれぞれぞれ別組織になっているようだ。それぞれの軍ごとの縦割り組織である。

それにしても軍というのは略語が好きな組織だなと思う。

(横須賀軍港になぜか停泊中の米沿岸警備隊の艦船)



■米海軍横須賀基地に保存される旧帝国海軍

海軍といえば、『愛と青春の旅立ち』(An Officer and a Gentleman)なんて青春映画も懐かしい。もっともこの映画は、海軍士官候補生であても、アメリカ西海岸にある海軍航空隊の訓練学校が舞台になっているが。

そんなこともあって、わたしも米国留学中には米海軍兵学校のアナポリスも、米陸軍士官学校のウェストポイントもともに訪問した。アナポリスは東海岸のボルチモアに近い軍港である。軍港であるが、マリーナも充実している。

(基地内にあるグリーン・ベイ・マリーナ)

米海軍横須賀軍基地内にはグリーン・ベイ・マリーナがあって、ヨットやクルーザーが係留されている。もっと数が多ければ、アナポリスそっくりだ。海の男は軍艦だけでなく、ヨットやクルーザーも大好きということだ。

横須賀基地内の施設は、旧帝国海軍の建築物をそのまま使用しているので風格がある。まずは「近代化遺産」からみておこう。

順番は前後するが、見学コースの第一は「ドライドック」(船渠)。ドライドックは慶応3年(1867年)に建造が始まったらしい。完成は1871年(明治4年)というわけか。米海軍と海上自衛隊が現在でも共同使用している。

(1871年完成のドライドックはいまでも現役!)

これはまさに「歴史的建造物」であり、近代日本の産業化をささえた「近代化遺産」でもある。しかも、現役で使用されているからこそ、すみずみまで手入れが行き届いているのであろう。フランス技術による石造建築物の耐久性には驚くべきである。

関与したのは小栗上野介。フランスの技師ヴェルニー。勝海舟はドックの建設には反対であったらしい。幕府崩壊後もヴェルニーは日本に残り、ドックのほかさまざまな構造物の技術指導を行ったという。

(旧横須賀海軍艦船部)

横須賀海軍鎮守府の艦船部の建築物もまた現役で使用されている。建築物というものは、なかに人が住んでいてこそメンテナンスがされるものだが、その意味では現在も米海軍によって使用されていることは、建築物としては幸せなことというべきだろう。

(大統領と国防長官、米海軍の将官たち)

上記の旧横須賀海軍艦船部の内部には、大統領と国防長官、米海軍の将官たちが写真パネルで掲示されている。上列のいちばん左はオバマ大統領である。

旧横須賀海軍艦船部は、旧海軍横須賀鎮守府の本館にアネックスとして付随しているが、さすがに本館は偉容ともいうべき風格を感じさせる建築物だ。

(旧海軍横須賀鎮守府の本館)

以上、「日米親善ベース歴史ツアー」に参加して米海軍横須賀基地内を見学してきたが、ドライドックなどの「近代化遺産」を見るもよし、旧帝国海軍の遺産を見るもよし、アメリカ的なものに触れるのもよし、いっしょに回る水平(セイラー)との交流もよし、さまざまな個人的ニーズを満たしてくれる無料ツアーである。

機会があれば申し込んでみたらいいと思う。抽選に当たればラッキー、はずれたら再度チャレンジすればよい。ぜひ一度は内部をみておきたいものだ。





<関連サイト>

(Unified Combatant Commands map  wikipedia より)


日米地位協定 (外務省  Ministry of Foreign Affairs of Japan 公式サイト)

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(日米地位協定) (外務省 公式サイト)




(Major US military bases in Japan wikipedia より)

U.S. Forces Japan | Official Military Website


米海軍横須賀基地は米海軍第七艦隊の母港




第7艦隊(United States Seventh Fleet) (wikipedia)
東経160度線以東の東太平洋(第4艦隊担当の南米西岸海域を除く)を担当海域とする第3艦隊とともに、アメリカ太平洋艦隊を構成する。旗艦/司令部は日本の神奈川県横須賀市にある横須賀海軍施設を母港とする揚陸指揮艦「ブルー・リッジ」艦上にあり、海軍中将が座乗する。神奈川県の横須賀海軍施設の他、長崎県佐世保市、沖縄県、韓国の釜山、浦項、鎮海、シンガポールなどに基地を展開している。 第7艦隊は、航空母艦(原子力空母)「ジョージ・ワシントン」 (USS George Washington, CVN 73)を戦闘部隊の主力艦とし、戦時には50〜60の艦船、350機の航空機を擁する規模となる。人的勢力も6万の水兵と海兵を動員する能力をもつ。平時の兵力は約2万。アメリカ本国の反対側に当たる地球の半分を活動範囲とし、アメリカ海軍の艦隊の中では、最大の規模と戦力を誇る。また同盟下にある日本の海上自衛隊と密接な関係を持っている。


<参考文献>

『米軍基地と神奈川』(栗田尚弥=編著、有隣新書(有隣堂)、2011)

沖縄を除けば、本土では神奈川県がもっとも米軍基地が集中している! 「米極東戦略の中枢」が存在する神奈川県の米軍基地と地域ともかかわりを多面的に描いた良書。神奈川県民ではなくても、読むと得るものは多い。


(カバーの写真は横須賀港を母港とする空母ジョージ・ワシントン)


内容(「BOOK」データベースより)
1945年8月30日、連合国軍最高司令官マッカーサーが厚木飛行場に到着し、日本占領が開始された。市街地の大半が接収された横浜には、占領軍を統括する米第八軍の司令部が置かれ、相模原、横須賀など、戦前最大の「軍県」であった神奈川県下の軍都も、基地の街へと変貌した。現在14の米軍基地・施設を抱える神奈川県は、本土随一の「基地県」である。神奈川県の米軍とはどのようなものであり、人々に何をもたらしてきたのか?戦後60年以上に及ぶ米軍基地との関わりを、自治体史編纂に携わってきた研究者五人が、幅広い分野から跡づける」



目 次

序章 神奈川県の米軍基地
1章 軍都から基地の街へ
2章 基地の返還と再編成
3章 さまざまな基地問題
4章 基地と米兵をめぐる戦後
5章 基地と周辺の現在
終章 米軍再編成と神奈川県の米軍基地-第一軍団司令部移転計画を中心として
あとがき
主な引用・参考文献


編著者プロフィール

栗田尚弥(くりた・なおや)
1954年生まれ。國學院大学講師。著書 『上海東亜同文書院』(新人物往来社)ほか。


『在日米軍司令部』(春原剛、新潮文庫、2011 単行本初版 2008)




内容(「BOOK」データベースより)
戦後、日米が同盟関係を築いて半世紀あまり。ブッシュ‐小泉の蜜月時代は過去のものとなり、同盟は再び漂流の危機にある。この流れを食い止めるべく、同盟の「機関化」に努めた外交官と司令官がいた。知られざる指揮官たちの横顔と、ベールに覆われた在日米軍司令部内の動きに迫るインサイド・レポート。東日本大震災後の米軍による復興支援活動「トモダチ作戦」の内幕を大幅加筆」



目 次

2011年、「トモダチ作戦」を遂行せよ!
第1章 日本防衛の重要拠点
第2章 在日米軍司令部の危機管理
第3章 米軍組織と在日米軍司令部
第4章 在日米軍司令部と日本政府
第5章 在日米軍司令部の将来図

著者プロフィール

春原剛(すのはら・つよし)
1961年東京生まれ。上智大学経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。米州編集総局ワシントン支局などを経て、編集局国際部編集委員。米戦略国際問題研究所(CSIS)客員研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




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日米関係

「フォーリン・アフェアーズ・アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010」(2010年9月)を読んで、この25年間の日米関係について考えてみる

日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃・・・(続編)-『マンガ 日本経済入門』の英語版 JAPAN INC.が米国でも出版されていた


日本におけるアメリカと米軍基地の存在

書評 『日米同盟 v.s. 中国・北朝鮮-アーミテージ・ナイ緊急提言-』(リチャード・アーミテージ / ジョゼフ・ナイ / 春原 剛、文春新書、2010)

書評 『「普天間」交渉秘録』(守屋武昌、新潮文庫、2012 単行本初版 2010)-政治家たちのエゴに翻弄され、もてあそばれる国家的イシューの真相を当事者が語る

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
・・「海洋国家」日本にとっての日米安保体制の意味

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」

マンガ 『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社漫画文庫、1998) 全16巻 を一気読み

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる
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