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2014年8月31日日曜日

スティーブ・ジョブズはすでに「偉人伝」の人になっていた! ー 日本の「学習まんが」の世界はじつに奥が深い


そもそもが医者キライなので病院にいくことなどめったにないのですが、こないだ耳鼻科の専門病院にいくことを余儀なくされました。

綿棒で耳の中を突いてしまい、それから激しい痛みを感じるようになっていたからです。目や耳は「商売道具」なので、さすがに医者キライのわたしであっても行かざるを得ないと観念。専門医による診断結果は、傷口にカビが入り込んで、外耳が化膿しているということでありました。

とりあえずは状態と病因が判明したのに安心、耳に点耳薬(てんじやく・・聞き慣れないコトバだな)をさしてもらったあと、耳鼻科の待合室で精算を待っておりましたが、スマホをいじるのにも飽きたので本や雑誌のコーナーをみると、こんな本があることに気がつきました。

『小学館版 学習まんが人物館 スティーブ・ジョブズ-コンピュータと iPhone で世界を変えた天才起業家』(・・冒頭の写真)。小学生向けの学習まんがです。

おお、ジョブズはすでに「偉人伝」の人になっていたのか!

出版日は2013年10月とあるので、出版されてからそれほど日がたっているわけではありませんが、待合室に置かれたこの本は、すでに多くの人に読まれたようで、かなり手垢で汚れていました。ジョブズが56歳で亡くなったのは2011年、それからまだ3年しかたってません。

パラパラとページをめくって読んでみたら、ジョブズ死去のシーンからはじまり、わんぱくな少年時代から、ガレージでのマックの開発、自分が創業した会社からの追放、そして見事な復活など、じつに読ませる内容のマンガになってます。

小学生向けなので漢字にはすべて読み仮名が振ってあり、大人にはちょっとうっとおしい(笑) 

しかも、ページは左開きなので一般的な日本のマンガとは違って洋書マンガのスタイル。とはいえ、このスタイルにはとくに違和感を感じなかったのは不思議です。そういえば、日本でも絵本は左開きでしたね。

内容はひじょうに濃く、なんと Stay hungry, stay foolish などのジョブズの名言も英語原文つきで収録。なんとまあ、至れり尽くせりの内容です。

そういえば自分も子どもの頃は、野口英世やキュリー夫人の子ども向け伝記を読んで科学者を志したものだと思い出しながら、スティーブ・ジョブスは、いまの子どもたちには説得力のある「偉人」かもしれないと思った次第。いわば現代の発明王エジソンでしょうか。

と書いてきて思い出したのは、親から誕生プレゼントでもらった『古代への情熱』というシュリーマン自伝。トロイの遺跡を発掘したシュリーマンも、自分の夢を実現するために商人として成功し、自分の財産で遺跡を発掘した人でした。

じっさいのところ、商人として大成功したシュリーマンはミッドライフクライシス(=中年の危機)に陥って人生の目的を喪失した結果、第二の人生として遺跡発掘にのめり込んだらしい。これは伝記作家ロバート・ペインの解釈です。

そう考えれば、ジョブズのような「変人」も「偉人」なのだなあ、と(笑) 日本語には「奇人変人」というフレーズがありますが、「奇人」(きじん)と「偉人」(いじん)は韻を踏んでいるので、この両者を取り替えれば「偉人変人」となる(笑)

ジョブズもまた平穏な人生を送ったとは言い難い人。山あり谷ありの人生を送ったのは「変人」だったからであり、「変人」だったからこそイノベーションで世界を変え、死後は「偉人」となったわけですから。

以上、自業自得とはいえ、余儀なくされて訪れた耳鼻科の病院待合室でのエピソードでした。どんな場所でも、なにかしらかならず発見があるもの。

昔話の「わらしべ長者」ではありませんが、「転んでもタダでは起きない!」という教訓の話でもあり、「引き寄せ」の話でもあります。この本の「発見」は、ある種の偶然の結果であり、科学的発見の世界でよくつかうセレンディピティでありますね。

スティーブ・ジョブズの「偉人伝まんが」子どもの誕生プレゼントにはピッタリかもしれません。きっとそのなかから「偉人」(=「変人」)が出てくることでしょう。「変人」こそ日本を救うのだ!

一人でも多くの小学生に読んでほしい「偉人伝」です。大人のみなさんは、ぜひそういう機会を子どもたちにつくってあげてほしいものです。

ジョブズの伝記マンガをチョイスするとは、わたしが訪れた耳鼻科の先生のセンスはすばらしい。

それにしても、日本の「学習まんが」の世界はじつに奥が深いなあ。


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<関連サイト>

小学館版 学習まんが人物館 スティーブ・ジョブズ (出版社サイト)
・・「小学生に大好評の【学習まんが 人物館】シリーズ、45冊目の最新刊は、世界的なアップルコンピュータを創業したスティーブ・ジョブズの伝記まんがです。 コンピュータとiPhoneで世界を大きく変えた天才起業家の物語です。 アップルを世界的な会社に育て、最終的には大成功した彼の人生は山あり谷ありでした。カリフォルニア州のシリコンバレーで育ったジョブズは、自宅のガレージ(車庫)で会社を創業し、パーソナルコンピュータで大成功しました。しかしその後、自分で作った会社を追い出されてしまいます。しかし、信念の人ジョブズは、一度は追い出されたアップルに返り咲き、経営難の同社を救います。『iMac』『iPod』『iPhone』『iPad』など、誰も想像すらできなかったような革新的な製品を世に送り出し、世界の多くの人のライフスタイル(生活様式)を大きく変えました。素晴らしい想像力で、美しく、優れた製品を発明し続けたスティーブ・ジョブズの情熱と夢を信じる心。天才起業家ジョブズの人生が成功に満ちたものではなく、信念を持ち、努力し続けた人であったことを本書は描いています。」(出版社による説明文)

スティーブ・ジョブズ (wikipedia日本語版)
・・1955年2月24日~2011年10月5日)とは、アメリカ合衆国の実業家。アップル社の共同設立者の一人。アメリカ国家技術賞を受賞している。


PS ダイアナ妃もすでに「偉人伝」の人になっていた

おなじく「小学館版 学習まんが人物館」として、『ダイアナ-恵まれない人びとに手をさしのべたプリンセス-』(石井美樹子=監修、いちかわ のり、小学館、1998)が出版されていた。

内容紹介には、「エイズ患者への支援や対人地雷禁止を訴え続けた悲劇のプリンセスの波乱に富んだ人生」、とある。

ダイアナ妃は「偉人」というよりも、「聖女」というべきか。

(2014年9月4日 記す)




<関連サイト>

日本人よ、全力で失敗して、自分を慰めろ! 漫画家 ヤマザキマリさん 第5回 (清野由美、日経ビジネスオンライン、2014年9月2日)
・・ヤマザキマリもスティーブ・ジョブズをマンガにしている。「変人」の存在が許される社会でなくなってしまっている日本が息苦しいのは当然だ。



<ブログ内関連記事>

グラフィック・ノベル 『スティーブ・ジョブズの座禅』 (The Zen of Steve Jobs) が電子書籍として発売予定

巨星墜つ-アップル社のスティーブ・ジョブズ会長が死去 享年56歳 (1955 - 2011)

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう!

三宅一生に特注したスティーブ・ジョブズのタートルネックはイタリアでは 「甘い生活」(dolce vita)?!

カリスマが去ったあとの後継者はイノベーティブな組織風土を維持できるか?-アップル社のスティーブ・ジョブズが経営の第一線から引退

書評 『アップル帝国の正体』(五島直義・森川潤、文藝春秋社、2013)-アップルがつくりあげた最強のビジネスモデルの光と影を「末端」である日本から解明

映画 『最後のマイ・ウェイ』(2011年、フランス)をみてきた-いまここによみがえるフランスの国民歌手クロード・フランソワ
・・フランスを代表するこのスーパースターもまた「山あり谷あり」の人生

書評 『ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ』(アンドリュー&ユキコ・サター、インデックス・コミュニケーションズ、2006 改題して 講談社+α文庫 2010) ・・「レシピ1: 本をあげよう! 本でいっぱいの本棚を見せよう」

「人間の本質は学びにある」-モンテッソーリ教育について考えてみる

「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡」展(東京国立博物館)にいってきた
・・『近世畸人伝』にも登場する円空。江戸時代には「奇人変人」には寛容な風土が日本にはあったのだが・・・


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2014年8月30日土曜日

アダム・スミスの 「見えざる手」 は 「神の手」 ではない! ー それは 「意図せざる結果」の説明として導入されたものだ


日本のビジネス関係者が日頃なにげなく使用する表現に、「神の見えざる手」というものがある。経済学の父アダム・スミスが使ったとされている表現だ。

需要と供給の関係をつうじて市場(=マーケット)にはたらく自動調整メカニズム(=ビルト・イン・スタビライザー)のことである。政策当局者という「見える手」による介入ではなく、自由放任(=レッセフェール)純粋状態ではたらくとされている。

マーケット参加者の個々の意志をこえて、あたかも「見えない」力によって動かされているという印象を受けるから使われるのである。マーケットの健全性はこの「見えざる手」によって可能となる。

マーケットについて語る人でこのフレーズを知らない人はいないだろう。経済学を勉強したことのない一般人のあいだでも比較的しられているかもしれない。もしかすると高校の「政治経済」(?)の授業で習ったような気もする。

動機がたとえ利己主義によるものであっても、その振る舞いがたとえ利己的なものであっても、マーケットにおいては、不正な手段を用いない限り、自分の思うような形での操縦は不可能である。あたかも「神の意志」がはたらいているかのように

だが、アダム・スミスは「神の見えざる手」とは一言もいっていないのだ!

アダム・スミスは、「見えざる手」という表現を使用してはいても、それが「神の手」などとは言っていないのである。

この表現がでてくるのはアダムスミスの主著の一つ『国富論』(1776年)である。オリジナルのタイトルは The Wealth of Nations であり、 『諸国民の富』とするのが適当だろう。

原文をみてみよう。アダム・スミスの 『諸国民の富』の初版本(?)がなぜか東京駒込の東洋文庫に所蔵されているようで、この写真は展示されていた際にわたしが撮影したものである。


(アダム・スミスの「見えざる手」(an invisible hand)  東洋文庫にて筆者撮影)


By preferring the support of domestic to that of foreign industry, he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain, and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention. Nor is it always the worse for the society that it was not part of it. By pursuing his own interest he frequently promotes that of the society more effectually than when he really intends to promote it. I have never known much good done by those who affected to trade for the public good. It is an affectation, indeed, not very common among merchants, and very few words need be employed in dissuading them from it.

個人的な安全(his own security)や個人的な利得(his own gain)を最大化しようと追求しようと意図しているのにもかかわらず、「見えざる手」(an invisible hand) に導かれて、社会全体において自分が意図すらしていなかった結果を促進してしまう(to promote an end which was no part of his intention)、ということをアダム・スミスはいっているのである。

個人的な利己主義が社会全体の利益を増大させるマジックを、「見えざる手」で表現しているわけだ。これは言い換えれば、「意図せざる結果」(unexpected results)について語ったものだが、社会科学においてはかならず心しておかねばならないきわめて重要な考えである。

見えざる手」(an invisible hand) が『諸国民の富』に登場するのは、たったのこの一回だけなのだ。索引(インデックス)で調べてみればすぐにわかることだ。

英語の原文は、不定冠詞 an のついた単数形 an invisible hand なので、右手なのか左手なのかもわからない。どちらか一方の手である。ましてや両手ではない。大文字の Hand ではないので、「神の手」ではない。

アダム・スミス本人の意図にかかわりなく、受けいれる側が自分たちに都合のいいような解釈をした結果、意味が変容して定着したのだということがわかる。これもまた「意図せざる結果」(?)かもしれない。

『諸国民の富』が出版された1776年は、フランス革命の13年前である。18世紀後半には、もはや、あえて神の名を出す必要がなかったと考えるべきかもしれない。

あくまでも個人的な利己主義が社会全体の利益増大に転ずるメカニズムについて語っているのだが、「見えざる手」という日常表現が誤解を生みだしたのかもしれない。アダムスミスの心中はわからないが。

日本ではよく「ゴッドハンド」なる表現がつかわれるので、その連想もあるのかもしれないが、「神の見えざる手」とはクチにしないよう、大いに気をつけるべきなのだ。


(見開きページの右側に「見えざる手」が登場する)


アダム・スミスの『諸国民の富』は厚さは『聖書』(バイブル)なみ

「見えざる手」(an invisible hand) が登場するのは、『諸国民の富』の中ほどである。最初のページから読み始めて、ここに到達するまでにいったいどれだけの時間がかかるのだろうか。

しかもたった一回しか登場しないので、読み飛ばしてしまう恐れが大きい。索引(=インデックス)がなければ、とても探すことはできないだろう。

アダム・スミスの『諸国民の富』は、あまりにも長いので、たとえ経済学部出身者でも全部読んだ人はいないだろう。写真にある原書は、2,000円という破格の安値で大学時代に購入したものだが(・・その当時すでに当然のことながら著作権は切れていた)、経済学部出身ではないわたしは、もちろ読んでいない。自慢にはならないが・・・。

アダム・スミスの文章は、読み始めても、抑揚のない話が続くので、読み進めるのが困難だからということもある。この性質は、すでにかなり昔の学者も指摘していることだ。

大学時代、一般教養課程の歴史関係の授業で、ビザンツ史の世界的権威であった渡辺金一教から図書館から借りて読むようにと言われたのが、「アダム・スミスの体系なき体系」(三浦新七)という論文である。

三浦新七は、一橋大学(=東京商科大学)草創期の歴史学者で山形銀行頭取だった人だ。「アダム・スミスの体系なき体系」は、『商学研究』(1923年)に発表された論文で、『東西文明史論考-国民性の研究-』(岩波書店、1950)に収録されている。この本は小平分館(当時)に何冊も収蔵されていた。

興味のある人は、この論文はネットでも公開されているので、読んでみたらいいと思う。旧字体で旧かなという、きわめて古めかしい文体だが、内容的にはアングロサクソン的思考の本質に肉薄するものだといっていい。

ちなみに、三浦新七はドイツに長く遊学していて、歴史学者ランプレヒトの助手をつとめていたドイツ畑の人であった。ドイツ的な思考方法に慣れていたからこそ、アダム・スミスについて「体系なき体系」という表現でその特色を明確に洗い出しているのである。

アダム・スミスは、「分業」(division of labor)など労働経済学や労働社会学にかんする重要な概念を生み出したことでも有名だ。だから、社会学史の授業ではマルクスに先行する「社会学者」としても登場する。

さらにいえば、『道徳感情論』(The Theory of Moral Sentiments)という著作の著者でもあることも付記しておかなくてはならない。1759年に出版されたこの本は、『諸国民の富』(1776年)の17年前に出版されたものであることに注意しておきたい。「見えざる手」(an invisible hand)という表現は、すでに『道徳感情論』にも登場しているらしい。

経済学と倫理学は、そもそも同じルーツから出てきたものであり、両者はオモテとウラの関係にある。この姿勢をもっとも明確に意識しているのは、インドのベンガル出身のアマルティヤ・セン博士であろう。厚生経済学の立場から、アダムスミスの「ホモエコノミクス」(homo economicus)仮説について、的確なコメントをされている。

アダム・スミスはスコットランド人であった。




<関連サイト>

「アダム・スミスの体系なき体系」(三浦新七) (一橋大学機関リポジトリ)

An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations
・・『諸国民の富』の全文がここで読める


<ブログ内関連記事>

『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典

書評 『新・国富論-グローバル経済の教科書-』(浜 矩子、文春新書、2012)-「第二次グローバリゼーション時代」の論客アダム・スミスで「第三次グローバル時代」の経済を解読

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・「見えざる手」が「神の見えざる手」と誤解されていることに著者が言及している

「意図せざる結果」という認識をつねに考慮に入れておくことが必要だ

書評 『ヨーロッパとは何か』(増田四郎、岩波新書、1967)-日本人にとって「ヨーロッパとは何か」を根本的に探求した古典的名著
・・「<書評への付記-"実学としての歴史学"->」と題した文章で、歴史家・三浦新七と「アダムスミスの体系なき体系」にも触れてある


「見えないもの」を「見える化」する

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」
・・「向こう側」は「あの世」ではない!「見えない世界」への感受性を高めることが重要だ

『はじめての宗教論 右巻・左巻』(佐藤優、NHK出版、2009・2011)を読む-「見えない世界」をキチンと認識することが絶対に必要
・・プロテスタント神学の立場から。内容にはかならずしも同調する必要はないが、思考のフレームワークを知るのはよい

『奇跡を起こす 見えないものを見る力』(木村秋則、扶桑社SPA!文庫、2013)から見えてくる、「見えないもの」を重視することの重要性

書評 『ものつくり敗戦-「匠の呪縛」が日本を衰退させる-』(木村英紀、日経プレミアシリーズ、2009)-これからの日本のものつくりには 「理論・システム・ソフトウェアの三点セット」 が必要だ!
・・日本人にいちばん欠けているのが「見えないもの」を「見える化」する能力


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2014年8月28日木曜日

書評『希望のしくみ』(アルボムッレ・スマナサーラ/養老孟司、宝島社新書、2006)ー 近代科学のアプローチで考えた内容が、ブッダが2500年前に説いていた「真理」とほぼ同じ地点に到達


2006年に新書化されたこの本は、もともと2004年に単行本として出版されたものだ。新書版の出版後さっそく読んだのは、それ以前から養老孟司氏の本を文庫や新書で読んでいたからである。

正確には覚えていないが、スマナサーラ長老の本を読んだのはこれは最初かもしれない。この本は、2014年7月には文庫化もされているロングセラーである。

新書版の帯には、「仏教と科学。賢者は「真理」で一致する」、とある。このキャッチコピーに惹かれて購入したのである。

そして読んでみて、解剖学者の養老孟司氏が自分のアタマで考えつくして到達した地点と、ブッダの教えを現代日本人に伝えるスマナサーラ長老が説いているところが、ほぼ一致していることに驚いたのである。8年ぶりに読み返してみて、あらためてその感を強くした。

「はじめに」(養老孟司)から引用してみよう。

私は近代科学を学んで、いまに至ります。
ですから、中村元(なかむら・はじめ)先生がお書きになった原始仏教経典の解説を読んだときには、びっくりしました。
「なんだ、俺の考えていたことは、お経じゃないか」
そう思ったのです。近代科学の方法を使って自分の頭で考えたら、2500年前にお釈迦さんが同じようなことを言っていた。私が驚くのも当然でしょう。

「おわりに この上もないお力添えをいただいて」(スマナサーラ)から。

来日以来、この国のことをできるだけ理解しよう、ブッダの言葉を伝えようと、自分なりに頑張ってきましたが、耳を貸す人は多くはありません。真理のコトバは核心を突き、世界を変える。それがいかに素晴らしき変化であっても、変わらない自分にしがみつく人には、やはり受け入れがたいことなのでしょう、私の希望は、あまりにも大胆なのかもしれません。
そんなとき、養老先生のご本を読みました。それはまさにオドロキでした。純粋に現代科学的なアプローチで、ブッダが語り続けていた真理のいくつかに達しておられた。仏教の困難を「バカの壁」ゆえと喝破しておられた。真の知性を現代に得て、皆さまは幸せというべきでしょう。

近代科学のアプローチで考えた内容が、ブッダが2500年前に説いていた「真理」とほぼ同じ地点に到達している。それは、はじめて読んだときは誰もが驚くことかもしれない。わたしもこの本には大いに啓発されたものだ。仏教と科学はイコールではないが、仏教が科学「的」であるということと同時に、科学もつきつめると仏教「的」になる、ということだ。

お互いエールの交換をしあっているような内容だが、「出会うべくして出会う」とはこういうことをいうのだろう。この対談そのものが、最初の出会いのようだが、昔からの知り合いのように両者は共鳴し合っている。立ち位置がまったくことなるのにかかわらず、結論が同じである。

したがって、読者は違和感なく読み進めてしまう。あまりにも簡単に読み飛ばせてしまう内容と本の薄さにかかわらず、内容は深く、そしてじつに濃い。いや結論はきわめてシンプルであるが、世間の常識とは「あべこべ」なので、簡単に読めても中身を理解するのは意外と難しいのかもしれない。

『希望のしくみ』というタイトルだが、「希望」についての内容ではない。むしろ、希望や期待など捨てて、「事実」そのものを見つめよという内容である。希望や期待は、仏教では「渇愛」(かつあい)といって否定的に捉えている。スマナサーラ長老はそういう。「希望的観測」を捨てよというビジネスの教えと同じである。重要なのは事実そのものだ。
 
世の中も、自分も、つねに変化し続けているのである。それが「事実」であり、仏教ではそれを「無常」という。生まれ出たものは、必ず死ぬ。それはつねに動いている変化するからだ。一瞬として同じものはない。ありのままを観て、ありのままを受け入れるべきなのである。しかも淡々と。

この対談では、「世間」、「知識より智慧」が大事、「捨てる」ことの重要性、「慈悲」、「ヴィパッサナー瞑想法」と要素分解(=分析)、「発見の仕組みとブッダの悟りの共通性」など多彩なテーマが、すべて日常語で語られている。こんな一節を読めば、大いに納得することであろう。

スマナサーラ 解けない問題を解こうとして、自分の持っている能力をすべて駆使して解こうとする。しかし、答えは出てこない。能力も出し尽くしている。それでそのまま、問題とまったく関係ない別なことに入れ替えて、それに精いっぱいがんばってみる。そのとき最初の問題は、頭から完全に消えているような状態になる。そうやって、ある意味、完全に忘れてリラックスした瞬間に、答えが勝手に現れてくるんです。
だいたい発見の仕組みはこんなもんです。ですから、いろんなことをいっぱいやって、能力をギリギリまで使い切らなくちゃならないんです。
養老 だから人は、役にもたたないような武道の訓練とか、瞑想とか、いろんなことをやるんですよ。それが、「ああすれば、こうなる」という社会になると、みんな消えちゃう。・・(後略)・・
スマナサーラ ブッダが説く悟りの発見も、同じ法則です。


潜在意識という表現はつかっていないが、発見のメカニズムはまさにこれである。悟りも同じなのであろう。

わたしがアルボムッレ・スマナサーラ長老の本を読んだのはこの本が初めてだと思うのだが、その頃からタイでの事業に本格的に取り組み始めていたことも、読むキッカケの一つとなったのではないかと思う。それはタイ人の思考方法、いいかえばアタマの働き方を知るためだ。

タイは上座仏教圏であり、上座仏教(=テーラヴァーダ)は原始仏教(=初期仏教)そのものではないが、限りなく近い存在だ。生きている上座仏教を理解するためには、おなじ上座仏教圏のスリランカ出身のスマナサーラ長老の本は日本語で読めるので、おおいに役に立つのである。

大乗仏教の呪術性を取り払って、ブッダその人のコトバをつうじて、ブッダその人が発見したものをダイレクトに知るためには、さきにもでてきた中村元先生がパーリ語の原典から現代日本語に翻訳したものを読めばいい。

だが、さすが「対機説法」で鍛えられた、現役の僧侶の法話と説法に勝るものはない。スマナサーラ長老も、本質をズバズバ突いてくる子どもたちとの問答がもっとも鍛えられる(!)と本書のなかで語っている。なんせ子どもは容赦がない(笑)

この対談が出版後10年を経てもロングセラーであり続けるのは、そうした語り口の明快さと、徹底的にアナロジー(=類比)をつかった説明方法にあるのだと思われる。それがもっとも納得のいく説明であることは、養老氏も認めていることだ。




<ブログ内関連記事>

養老孟司関連

『形を読む-生物の形態をめぐって-』(養老孟司、培風館、1986)は、「見える形」から「見えないもの」をあぶり出す解剖学者・養老孟司の思想の原点

書評 『唯脳論』(養老孟司、青土社、1989)-「構造」と「機能」という対比関係にある二つの側面から脳と人間について考える「心身一元論」

書評 『身体巡礼-[ドイツ・オーストリア・チェコ編]-』(養老孟司、新潮社、2014)-西欧人の無意識が反映した「文化」をさぐる解剖学者の知的な旅の記録

書評 『見える日本 見えない日本-養老孟司対談集-』(養老孟司、清流出版、2003)- 「世間」 という日本人を縛っている人間関係もまた「見えない日本」の一つである


アルボムッレ・スマナサーラと上座仏教関連

書評 『日本の未来-アイデアがあればグローバル化だって怖くない-』(アルボムッレ・スマナサーラ、サンガ新書、2014)-初期仏教の立場から「いま」を生きることの重要性を平易に説いた法話

「ウェーサーカ祭 2013」(2013年5月12日)に参加してスマナサーラ長老の法話を聴いてきた+タイ・フェスティバル2013(代々木公園)

「釈尊祝祭日 ウェーサーカ祭 2012」 に一部参加してスマナサーラ長老の法話を聴いてきた

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・

ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2009

『ブッダのことば(スッタニパータ)』は「蛇の章」から始まる-蛇は仏教にとっての守り神なのだ

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」


養老孟司氏×スマナサーラ長老

「釈尊成道2600年記念 ウェーサーカ法要 仏陀の徳を遍く」 に参加してきた(2011年5月14日)
・・養老孟司氏とスマナサーラ長老という、ビッグな対談者の存在と発言。 「養老孟司氏の深くて低いトーンの語り口を心地よく聞いていた。脳死問題にかんして、日本で脳死議論が諸外国に比べて10年以上も遅れた理由を「世間」から解き明かしたのは実に明快であった。日本では死ねば「世間」から外に出される。一方、妊娠中絶がまったくといっていいほど問題にならないのは、「世間」に入っていない状態だから」


PS 特別対談:『無智の壁』 養老孟司氏&スマナサーラ長老 司会:釈徹宗氏がサンガ新書として出版

「釈尊成道2600年記念 ウェーサーカ法要 仏陀の徳を遍く」 (2011年5月14日)で行われた特別対談:『無智の壁』」が、3年たってようやくサンガから書籍化。

タイトルは、『無知の壁』(養老孟司/アルボムッレ・スマナサーラ、釈徹宗=聞き手、サンガ新書、2014)。2014年9月20日に出版。

『希望のしくみ』とあわせて読むとよいでしょう。


目次は以下のとおり。

第1章 「自分」という壁
 解剖学者の「バカ」と仏教の「無知」
 意識は行為の後からやってくる
 五戒1 不殺生:殺すなかれ
 五戒2 不偸盗:盗むなかれ
 五戒3 不邪淫:邪な行為をするなかれ
 五戒4 不妄語:嘘をつくなかれ
 五戒5 不飲酒:酒、麻薬などの智慧を壊すものを使用するなかれ
 気持ちがなければ行為にならない
 人類初の科学的アプローチ
 バカの壁=自分の枠組み
 知識のリミット、三段階
 「受け入れる」ということ
 自分を守る苦悩
 自分の世界で固まっていたら後退する
 「本当の自分」なんてない
 困難も「自分」をはずすと楽になる
第2章 「死の壁」と「世間の壁」
 「私」と「死」と「葬儀」
 「死」は「生」のためのもの
 「死なない」が脳の前提
 文化で異なる死体への思い
 脳死問題に息づく日本の村社会
 脳死は死ではないという結論
 中絶が議論されないのも世間の壁
第3章 「自分」の解剖学
 自分のつくり方
 「私」とは蜃気楼
 「自分」を決める場所が脳にある
 自分のことはえこ贔屓している
 頭の地図で自分の範囲を決めている
 幽体離脱は自我の原型
 ふだんも二つの「私」を一元化している 「世界と一体」は覚りじゃない
 天才は脳機能をコントロールする
 生物学的な「自分」と社会的な「自分」
 修行とは、機能のコントロール
第4章 「転換」は克服のコツ
 知れば「嫌」は克服できるか
 「嫌」が治る場合、治らない場合
 嫌な対象を移すことは可能
 視点の転換は大事
 自分に移すのがいちばん簡単
 虫になると苦がなくなる
 役柄を入れ替えてお互いを理解する
 相手の立場から考える
第五章 信仰より智慧で自分を育てる
 人は何かを信じてる
 信仰は人生の手すり
 仏教は理性の教え
 ましなものを信じなさい
 今後の日本人の生き方は?
 どこまで楽をすれば気が済むのか
(2014年9月11日 記す)




「希望」は百害あって一利なし! 「事実」をありのままに観よ!

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかることはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。 闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである」(ホッファー)

「希望的観測」-「希望」 より 「勇気」 が重要な理由

心頭滅却すれば 火もまた涼し(快川紹喜)-ありのままを、ありのままとして受け取る

「ログブック」をつける-「事実」と「感想」を区分する努力が日本人には必要だ


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2014年8月27日水曜日

米倉斉加年画伯の死を悼む-角川文庫から1980年代に出版された夢野久作作品群の装画コレクションより


個性派俳優の米倉斉加年(よねくら・まさかね)さんが亡くなったというニュースを知った。2014年8月26日に急逝されたという。享年80歳。

米倉斉加年というと、わたしにとっては俳優としてもさておき、特異な画風の絵師としてのイメージがひじょうに強い。だから米倉画伯と呼ばせていただきたい。

冒頭に掲載した写真は、机上に並べた米倉画伯の装画による角川文庫の夢野久作の作品群。いずれも1980年代に集中して角川文庫で文庫化されたものだ。大学時代、夢野久作の作品に入れ込んでいて、角川文庫で片っ端から読み込んでいたのだ。

その画風は、作品世界とマッチし、相乗効果を生み出している。耽美的というよりも、幻想的でかつ猟奇的といっていいかもしれない。夢野久作は福岡出身の作家、米倉氏も福岡出身であった。

この集合写真のなかに夢野久作の代表作『ドグラ・マグラ』がないのは、角川文庫ではなく、いまは亡き現代教養文庫で読んでいたから。マイ・コレクションの欠落である。

米倉斉加年画伯のご冥福をお祈りします。合掌。


(米倉画伯の装画になる角川文庫版『ドグラマグラ』(上)は、現在でも入手可能)

(米倉画伯の装画になる角川文庫版『ドグラマグラ』(下)は、現在でも入手可能)




<関連サイト>

米倉斉加年 - Wikipedia
・・米倉斉加年(よねくら・ まさかね、1934年7月10日~ 2014年8月26日)は、日本の俳優・演出家・絵本作家・絵師。

夢野久作 - Wikipedia
・・夢野久作(ゆめの・ きゅうさく、1889年(明治22年)1月4日~ 1936年(昭和11年)3月11日)は、日本の禅僧、陸軍少尉、郵便局長、小説家、詩人、SF作家、探偵小説家、幻想文学作家。

(米倉斉加年×夢野久作 コラボレーション)


<ブログ内関連記事>

夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い

「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)-「自分発見」のために「自分史」に取り組む意味とは
・・夢野久作の傑作『ドグラ・マグラ』について触れてある

「魂」について考えることが必要なのではないか?-「同級生殺害事件」に思うこと
・・夢野久作の『猟奇歌』について触れてある

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!
・・「夢野久作といえば『ドグラマグラ』という小説で知られているが、その父は杉山茂丸という右翼の巨頭であった。茂丸の交友関係のなかに登場する最重要人物が頭山満であり、その姿は『百魔』(講談社学術文庫、)に活写されているだけでなく、息子の夢野久作(・・本名・杉山泰道)の『近世怪人伝』(昭和10年)に愛情をこめて描かれていることは知る人ぞ知ることだ。わたしの愛読書の一冊でもある。現在は、ちくま文庫に収録されているので、興味のある方はぜひお読みいただきたい」(・・ちくま文庫版は現在は入手困難。本文中に書いたように青空文庫で)

「旧江戸川乱歩邸」にいってみた(2013年6月12日)-「幻影城」という名の「土蔵=書庫」という小宇宙

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡

「幻想耽美-現在進行形のジャパニーズエロチシズム-」(Bunkamura ギャラリー)に行ってきた(2015年6月18日)-現代日本の耽美派アーティストたちの作品を楽しむ

(2015年6月29日 情報追加)



 
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2014年8月26日火曜日

「実るほど こうべを垂れる ヒマワリかな」-ヒマワリの原産地は北米だった!


ことしも8月が終わりに近づいてきた。ことしの8月は全国各地で季節はずれの台風や豪雨の被害があいついでいるが、その一方で、「年々歳々、花相(あい)似たり。歳々年々、人同じからず」でもある。

この時期になると、ヒマワリの花も盛りを過ぎて、タネがぎっしり詰まったヒマワリは、ガクンと頭(こうべ)を垂れている。

実るほど 頭(こうべ)を垂れる ヒマワリかな

おそらく多くの人が、花の盛りを過ぎたヒマワリをみて、ふとクチにしてみたくなるのではないだろうか。ヒマワリは夏の季語なので、俳句の要件は満たしている。字余りだが(笑)

だが、オリジナルはこれだ。

実ほど 頭(こうべ)を垂れる 稲穂かな

この17文字は誰の作かは知らないが、まさにその通りとしかいいようがない。

文字通りの意味は、収穫の秋が近づいた稲穂は米粒がギッシリと詰まって重そうである。まるで人間が頭を垂れているように、ということになる。転じて、偉い人ほど謙虚であるということを意味した表現として引用されることも多い。

英語にも、The more noble, the more humble.(偉い人ほど偉ぶらない)という対句表現で韻を踏んだ慣用句がある。洋の東西を問わず、ホンモノはみなそうだ、ということだろう。


話題にしたいのは、稲穂ではない。ヒマワリである。

ヒマワリは、お日様に向かって花が回るという意味から「日回り」と名付けられたようだ。漢字で向日葵と書くのはそのためだ。英語ではサンフラワー(sunflower)という。発想は同じである。

ヒマワリというと、まずはイタリア映画の『ひまわり』を想起してしまう。1970年公開の映画だから、もう44年も前の作品だ。マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演。第二次世界大戦末期、枢軸国のイタリアはソ連戦線への出兵を余儀なくされ、主人公は新婚の妻を残して出征。そしてその後の長い月日ののち・・・という、戦争の悲劇を描いた映画だが、スクリーン一面に拡がるヒマワリ畑のシーンが印象的な映画だ。


映画 『ひまわり』のロケは、欧州の穀倉地帯ウクライナで撮影されたらしい(・・上記のチラシを参照)。映画を見たのはもうずいぶん昔のことだが、『ひまわり』はソ連というイメージが往年の映画ファンにはできあがっているのではないだろうか。

ヒマワリというと、狂気の天才画家ゴッホの『ひまわり』を想起する。ゴッホはオランダ人である。日本の浮世絵にベタ惚れしていたことは有名だが、ゴッホの『ひまわり』7点のうち1点が、当時50億円超という高額で日本の安田生命保険が落札したときは大きなニュースになった。現在は損保ジャパンとなっているが、東京・新宿の損保ジャパン東郷青児美術館の目玉となっている特別展示品である。

(損保ジャパン東郷青児美術館所蔵の「ひまわり」 wikipediaより)

日本とのからみでいうと、美輪明宏が絶賛しているデザイナーの中原淳一は、『それいゆ』や『ひまわり』といった少女向けのスタイルブックを出していた人として有名だ。中原淳一については、「生誕100周年記念 中原淳一展」(横浜そごう)にいってきた(2013年6月15日)-「装う、暮らす、生きる。すべてに "美" を求めた芸術家」に書いているのでご参照いただきたい。中原淳一作品を販売するショップは、「ひまわり屋」という。


ファッションといえば、奇抜なファッションで人の目を驚かせていた世紀末英国の耽美主義の作家オスカー・ワイルドは、スーツの襟にヒマワリの花を挿して社交界に出入りしていたという。ワイルドもまた日本美術だけでなく日本に惚れこんでいた人だが、残念ながら一度も来日することなく世を去った

(英国の雑誌『パンチ』に掲載されたワイルドの風刺画 wikipediaより)

ファッションからいきなり話題を転じるが、ヒマワリはそもそも鑑賞用として栽培されているわけではない。タネを取るために栽培されているのである。ある意味では穀物のたぐいである。

ヒマワリのタネは、日本ではもっぱらオウムの餌とされているが、中国人のスナックでもある。彼らは、ナマのままヒマワリのタネをかじっている。ヒマワリのタネには油分が多く、ナッツでもあるわけだ。ヒマワリ油(Sunflower Oil)はコレステロール増加防止としててんぷら油として使用されているので、日本人にもなじみ深い。

(ヒマワリのタネ wikipedia ロシア語版より)


以上、旧ソ連のウクライナ、オランダ、日本、中国と、ヒマワリ関連の話題を見てきたが、原産地はぞのいずれでもないのである。

原産地はなんと北米である。高さは3メートルにもなるらしい。花をみればわかるようにキク科の植物である。wikipedia日本語版には以下の記述がある。

ヒマワリの原産地は北アメリカ大陸西部であると考えられている。既に紀元前からインディアンの食用作物として重要な位置を占めていた1510年、スペイン人がヒマワリの種を持ち帰り、マドリード植物園で栽培を開始した。マドリード植物園はダリアやコスモスが最初に栽培されたことでも有名である。ヒマワリがスペイン国外に持ち出されるまで100年近くを要し、ようやく17世紀に至りフランス、次にロシアに伝わった。ロシアに到達してはじめて、その種子に大きな価値が認められた。正教会は大斎の40日間は食物品目の制限による斎(ものいみ)を行う。19世紀の初期にはほとんど全ての油脂食品が禁止食品のリストに載っていた。しかしヒマワリは教会の法学者に知られていなかったのか、そのリストにはなかったのである。こうした事情から、正教徒の多いロシア人たちは教会法と矛盾なく食用可能なヒマワリ種子を常食としたのであった。そして、19世紀半ばには民衆に普及し、ロシアが食用ヒマワリ生産の世界の先進国となったのであった。日本には17世紀に伝来している。

なるほど、北米 ⇒ スペイン ⇒ フランス ⇒ ロシアというルートで広まったのであったか! なるほど、これでロシアないしはウクライナがヒマワリの一大栽培地帯になっている理由がよく理解できるわけだ。

日本にもそんな早い時期に伝来されていたとは知らなかったが、まさに「大航海時代」という第一次グローバリゼーションのなせるわざであったことがわかる。

ナスやトマトが南米アンデス原産であることは、比較的よく知られていると思うが、ヒマワリは北米原産だったのだ。いずれもヨーロッパ経由の右回りで極東の日本までやってきたことになる。

そんなことを考えながらヒマワリを見ると、なんだか不思議な感じもするのは、わたしだけではないだろう。

そしてまた冒頭の一句をクチにしてみる。

実るほど 頭(こうべ)を垂れる ヒマワリかな

字余りでしタネ。





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書評 『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976)-具体的な動植物イメージに即して「西欧文明」と「西欧文化」の違いに注目する「教養」読み物
・・「人間は逆立ちした植物だ」(プラトン)と「植物は逆立ちした人間だ」(アリストテレス)という命題、とくにあてはまるのがヒマワリであるような気もする



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