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2016年3月29日火曜日

ハイテク界の巨人逝く(2016年3月21日)-インテル元会長のアンドリュー・グローヴ氏はハンガリー難民であった


つい最近まで1週間も知らなかったのだが、2016年3月21日にインテル元会長のアンドリュー・グローヴ氏が亡くなった。享年79歳。 半導体のマイクロプロセッサー分野では世界最強のインテル社を作り上げた米国を代表する経営者の一人である。まさにハイテク界の巨人といって過言ではない。

かつて「ウィンテル」というものが大々的に喧伝された時代があった。マイクロソフト(MS)のウィンドウズ(Windows) とインテル(Intel)の半導体が最強のコンビとなっていた時代のことだ。

ウィンドウズの「ウィン」(Win)とインテルの「テル」(Tel)をあわせて「ウィンテル」(Wintel)。 その「ウィンテル時代」のインテルを率いていたのがアンドリュー・グローヴ元会長だ。

(ノートパソコンに貼られた「ウィンテル」のシール)

IT(情報技術) の中心がソフトウェア重視になった現在だが、ソフトを走らせる半導体の存在なくして情報機器は成り立たない。この両者はクルマの両輪といえるだろう。

アンドリュー・グローヴ氏はみずから著書を何冊か書いているが、そのなかでも Only the Paranoid Survive: How to Exploit the Crisis Points That Challenge Every Company(1996)(=「パラノイド(偏執狂)だけが生き残る」)は最高の経営書のひとつといっていいだろう。わたしはこの本を英語版のペーパーバックで読んだ。

外部環境の激変のなか、インテルがいかにサバイバルに成功したか、その実体験をもとに書いた経営書だ。わたしは、この本は経営書のなかでは最高のものだと考えている。『インテル戦略転換』(七賢出版、1997)というタイトルで日本語訳されている。

(グローヴ氏の半自叙伝)

そんなグローヴ氏だが、じつはハンガリー出身のユダヤ系で、ハンガリーから命からがら脱出してアメリカに移住した「難民」である。アメリカの大学で化学工学を専攻し、ケミカル・エンジニアとしてキャリアを開始した。インテルは創業者としてではなく、3人目の社員として入社した。

ソ連の支配に対して自由を求める市民たちによる1956年の「ハンガリー革命」は、最終的にソ連軍の戦車隊によって力で制圧されたが、その際に多くのハンガリー人が難民として脱出したのであった。スイスのフランス語作家アゴタ・クリストフもまたその一人である。

グローヴ氏は Swimming Across: A Memoir (2001) という半自叙伝でその間の事情を詳細に記している。『僕の起業は亡命から始まった-アンドリュー・グローブ半生の自伝-』(日経BP社、2002)というタイトルで日本語訳も出版されたが、わたしなら『波乱万丈の半生を泳ぎきる』とでもしたいところだ。ただし、出版当時は現在進行形であった。この本は出版後すぐに英語のハードカバー版で読んだ。

ハンガリーからの「難民」を受け入れたアメリカ、そのアメリカで生き馬の目を抜くハイテク業界で成功したアンドリュー・グローヴ氏。まさに波乱万丈の生涯であったといえるだろう。

ご冥福を祈ります。合掌。





<関連サイト>

インテル、グローブ元会長の壮絶な人生歴史に翻弄された半世紀からパソコン伝道師に(JBPress、2016年3月28日)

ウィンテル時代を築いた組織作りの天才、逝く (The Economist)(日経ビジネスオンライン、2016年3月31日)
・・「インテルの3巨頭-グローブ、ムーア、ノイスの3氏-が何十年にもわたって半導体革命を牽引してきた最大の理由は、まったく性格の異なる3人が、相手の頭脳に対する尊敬だけで結びついたことにある。 ノイス氏は明確なビジョンを持った人物だ。ムーア氏はテクノロジーの巨人。グローブ氏もテクノロジーの専門家だが、彼を知る多くの人にとって意外なことに、経営でも天才的な才能を発揮した。インテルにやる気と規律をもたらし、困難に見舞われた時には、窮地を救った。 米国は若いアンディー・グローブ氏を温かく迎え入れ、全体主義から避難するための場を与えるとともに、高度な教育を授けた。そして同氏は、米国を半導体革命の中心に置き続けることで、米国に恩返しをした。グローブ氏の人生は成功物語であるとともに、教訓をもたらす存在だ。」(記事より)

(2016年3月31日 情報追加)





<ブログ内関連記事>

巨星墜つ リー・クアンユー氏逝く(2015年3月23日)-「シンガポール建国の父」は「アジアの賢人」でもあった


ハンガリー系ユダヤ人関連

映画 『サウルの息子』(2015年、ハンガリー)を見てきた(2016年1月28日)-絶滅収容所でゾンダーコマンド(=特殊任務)を遂行していたハンガリー系ユダヤ人の「人間性」を維持するための戦いは・・・

書評 『私はガス室の「特殊任務」をしていた-知られざるアウシュヴィッツの悪夢-』(シュロモ・ヴェネツィア、鳥取絹子訳、河出書房新社、2008)-体験者のみが語ることのできる第一級の貴重な証言

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)-地政学で考える
・・著者のジョージ・フリードマン氏はハンガリー生まれのユダヤ系


米国のハイテク業界と移民

書評 『グーグル秘録-完全なる破壊-』(ケン・オーレッタ、土方奈美訳、文藝春秋、2010)-単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か?
・・グーグルの共同創業者の一人であるセルゲイ・ブリンはソ連に生まれて子ども時代に米国に移民したユダヤ系である

映画 『正義のゆくえ-I.C.E.特別捜査官-』(アメリカ、2009年)を見てきた
・・アメリカの移民政策の最前線にいる移民捜査官


ハンガリー難民関連

ハンガリー難民であった、スイスのフランス語作家アゴタ・クリストフのこと

映画 『悪童日記』(2013年、ハンガリー)を見てきた(2014年11月11日)-過酷で不条理な状況に置かれた双子の少年たちが、特異な方法で心身を鍛え抜きサバイバルしていく成長物語
・・原作はアゴタ・クリストフ

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版、2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する

欧州に向かう難民は「エクソダス」だという認識をもつ必要がある-TIME誌の特集(2015年10月19日号)を読む

(2016年3月31日 情報追加)




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2016年3月21日月曜日

書評 『歴史人口学で見た日本』(速水融、文春新書、2001)-「徹底的に一般庶民の観察に基礎をおいたボトムアップの歴史学」の醍醐味を語る一冊


経済予測はよくはずれるが、人口予測はほぼただしいというのは、なんらかの形で将来予測にかかわった人にとってはある意味で常識といっていいだろう。

だが、それがあてはまるのは、国勢調査などの人口統計が整備されて以降の話だ。日本で人口統計が整備されるようになったのは明治時代以降、本格的な国勢調査が行われたのは大正時代に入ってからの1920年である。先進国の欧州でも19世紀になってからのことであり、世界でいちばん早く取り組んだのがナポレオン時代のフランスである。

では、人口統計が整備される以前はどうだったか、それを研究する学問が「歴史人口学」である。人口という切り口から歴史を捉えようという、あたらしい歴史学の方法論である。

『歴史人口学で見た日本』(速水融、文春新書、2001)は、日本における「歴史人口学」の開拓者で第一人者が、みずからの学問歴を振り返りながら、歴史人口学との出会いと、「徹底的に一般庶民の観察に基礎をおいたボトムアップの歴史学」(著者)の醍醐味を語った一冊である。

「歴史人口学」が生まれたのは20世紀後半のフランスである。カトリック国のフランスでは、教会が信者管理のために作成する「教区簿冊」があり、そこに記載された家族の記録を分析することが歴史人口学に誕生につながった。その結果、国勢調査が開始される以前の17世紀から19世紀の解明に道が開かれることとなる。

「教区簿冊」に該当するのは、日本では江戸幕府が諸藩に作成させた「宗門改帳」(しゅうもん・あらためちょう)であった。もともとは江戸時代にキリシタンが禁制になってから作成されたものである。「宗門改帳」は、実質的に民衆調査のための台帳となっており、現在の戸籍原簿や租税台帳の役割も果たしていた。

著者はこれに目をつけ、日本各地に残っていた「宗門改帳」の探索とその分析を開始した。

著者のいう「遠眼鏡」、すなわちマクロ的にみれば、江戸時代中期の人口は、約3,000万人と推計される。最初の100年で妬く倍に増大している。江戸時代には全国国別人口調査が行われており、その間に3回の人口危機が発生している。享保の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉である。大飢饉、凶作、疾病の流行で人口が減少した。現在は総人口が1億人を超えているので3倍以上になったといえる。平時での減少が始まっているのだが。

歴史人口学の醍醐味は、著者のいう「虫眼鏡」、すなわちミクロの視点からの精緻な分析から発見された事実にある。

著者たちの分析によって(・・データ収集と分析はチームでなければできない仕事だ)、江戸時代の庶民の家族の姿や暮しぶりがくっきり浮かび上がってきた。例えば、17世紀の諏訪地方では核家族が増えた結果、人口爆発が起こっていること。18世紀の美濃では結婚して数年の離婚が多いこと、京都や大坂に出稼ぎに出たまま戻らない人も結構いたことなど、われわれが江戸時代にもっていた常識をくつがえすような事実が明らかになる。

著者が提唱した「勤勉革命」もまた、歴史人口学の成果の一つである。

同時代の欧州の「農業革命」や「産業革命」においては生産性向上は資本投下によって行われたが、江戸時代の日本では投下労働量の増加によって行われている。これだけみると労働強化という印象を受けるが、かならずしもそうではなく、働けば働くほど農民の取り分が増える仕組みであったからこそ、自発的に働くというインセンティブが働いたのである。農民が自営業者であることが前提にあるが、収入の増加が消費の活性化をもたらしたこともまた否定できない。

さらに興味深いのは、「3つの家族・人口パターン」である。

「宗門改帳」などで家族や人口のあり方を見ると、大きく東北日本、中央日本、西南日本の3つのタイプに分けて考えることができると著者は主張している。東北日本はアイヌ・縄文時代人、中央日本は渡来人・弥生文化、西南日本は東シナ海の海洋民となる。この3分類は、フォッサマグナを境にした東日本と西日本という2分類よりも、よりくっきりと違いが明らかになるといっていいのではないだろうか。

江戸時代の「宗門改帳」は、かなり同化・混血が進んだとはいえ、いまだ近代の法的強制力をもった改変以前の社会、とくに家族のあり方を的確に示してくれる史料である(P.198)

明治維新は薩長土肥という「西南雄藩」が主導の革命だが、財政改革によって強化された経済を背景にした西日本の「人口圧力」が明治維新の主動力になったという「仮説」も興味深い(P.125)。人口が増大したのは北陸と西日本の大都市であり、同時代の関東地方や近畿地方には、そういった人口圧力は存在しないようなのだ。

少子高齢化の影響が顕在化している現在、人口でものを考えることが常識となってきたが、同様に近代以前の日本を人口で考えることは、きわめて興味深い。

人口だけですべてを説明できるわけではないが、人口でものを考えることはきわめて重要である。その意味では、前近代と近代以降を連続的に捉える道を開いてきた歴史人口学の成果はきわめて大きいといえるだろう。







目 次

まえがき
第1章 歴史人口学との出会い
第2章  「宗門改帳」という宝庫
第3章 遠眼鏡で見た近世-マクロ史料からのアプローチ
 1. 全国国別人口調査
 2. 江戸初期の人口
第4章 虫眼鏡で見た近世-ミクロ史料からのアプローチ
 1. 諏訪地方の場合
 2. 濃尾地方の場合
 3. 美濃国西条村の場合
 4. 都市の場合
第5章 明治以降の「人口」を読む
 1. 明治の人口統計
 2. 人口統計の確立者・杉享二
 3. 近代化と病気
第6章 歴史人口学の「今」と「これから」
 1. 世界の現状
 2. 問題点と今後
 3. 新しい歴史学の創造
歴史人口学史料・研究年表
参考文献

著者プロフィール

速水融(はやみ・とおる)
1929年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。経済学博士。日本常民文化研究所研究員、慶応義塾大学教授、国際日本文化研究センター教授を経て、現在、麗沢大学教授。専攻は日本経済史、歴史人口学。2000年、文化功労者に顕彰される。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<ブログ内関連記事>

書評 『自爆する若者たち-人口学が警告する驚愕の未来-』(グナル・ハインゾーン、猪俣和夫訳、新潮選書、2008)-25歳以下の過剰な男子が生み出す「ユース・バルジ」問題で世界を読み解く
・・人口圧力が世界を変えてきた。西欧による覇権もまた人口圧力が原因であったと考えると理解しやすい

書評 『アラブ革命はなぜ起きたか-デモグラフィーとデモクラシー-』(エマニュエル・トッド、石崎晴己訳、藤原書店、2011)-宗教でも文化でもなく「デモグラフィー(人口動態)で考えよ!
・・エマニュエル・トッドは、1951年生まれの歴史人口学者・家族人類学者。歴史人口学の中心地ケンブリッジ大学で学んだフランスの知識人

書評 『中東激変-石油とマネーが創る新世界地図-』(脇 祐三、日本経済新聞出版社、2008) 
・・過剰人口、とくに若年層の失業問題をかかえる現在の中近東諸国は、大英帝国とおなじ問題をかかえているのだが、はたして解決策は・・・?

「イフ」を語れる歴史家はホンモノだ!-歴史家・大石慎三郎氏による江戸時代の「改革」ものを読む

『農業全書』に代表される江戸時代の「農書」は、実用書をこえた思想書でもある
・・人口の8割を占めた農民にとっての実用書が「農書」

(2016年11月14日 情報追加)




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2016年3月20日日曜日

書評 『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(高野秀行 × 清水克行、集英社インターナショナル、2015)-いまから500年前の室町時代は2010年代のソマリアのようなものだ


 『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(高野秀行×清水克行、集英社インターナショナル、2015)を読んだ。この本は面白い!

高野秀行氏は、「辺境もの」のノンフィクション作家。
清水克行氏は、室町時代を専門とする日本史研究者。

清水克行氏の本はいままで読んでなかったが、早稲田の探検部出身の高野秀行氏の「辺境ものノンフィクション」はじつに面白い

たとえば『ミャンマーの柳生一族』(集英社文庫、2006)『アヘン王国潜入記』 (集英社文庫、2007)などのミャンマーものや、『西南シルクロードは密林に消える』(講談社文庫、2009)などがそれだ。だが、2013年に出版された、『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社)が面白いと評判だが、残念ながらまだ読んでない。

そんな二人が意気投合して行った対談がこの本だ。語りおろしを編集して一冊にしたものだ。

(カバーの袖から)

いまから500年以上前の室町時代がなぜ現代の日本人からみて理解しにくいのか、その理由がソマリアをはじめとするアジア・アフリカの発展途上国の現在と重ね合わせると、じつによく理解できるのだ。 この対談を読んでみると、この両者がじつによく似ていることには驚くばかりだ。

わたしも東南アジアを中心に、バックパック背負っていろいろ歩き回った人間だが、何度もウンウン、そうだそうだ、とうなずくばかり。逆にいうと、現代の「辺境」は室町時代のようなものなのだ、と。

室町時代の崩壊が始まり、価値観が完全に崩壊したのが「戦国時代」という約一世紀つづいた過酷な内戦時代である。

生存のための自衛組織として戦国時代に形成された「村」(ムラ)という共同体は、「高度成長期」を経てすでに融解擬似共同体であった「カイシャ」もまた、すでに生活共同体として意味合いが薄れ、失われた20年(?)のなか、バラバラの個人となった日本人は漂流している。

日本から「村」(ムラ)という共同体はほんとうに消えてしまったのだ。戦国時代以来の大転換期にあることはひていできまい。では日本人は、いったい何にたよって生きていけばいいのか?

そんな時代に生きる現代日本人が、これからどうやって生きていくのかを考えるうえで、同時代に存在するソマリアなどの「辺境」や、自分たちの歴史である「室町時代」というのは、なんらかの参考になるかもしれない。

歴史が役に立つとは、そういうことなのだろう。ほんとに面白い本である。





目 次

はじめに(高野秀行)
第1章 かぶりすぎている室町社会とソマリ社会
第2章 未来に向かってバックせよ!
第3章 伊達政宗のイタい恋
第4章 独裁者は平和がお好き
第5章 異端のふたりにできること
第6章 むしろ特殊な現代日本
おわりに(清水克行)


著者プロフィール

高野秀行(たかの・ひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京生まれ。『ワセダ三畳青春記』で第一回酒飲み書店員大賞、『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。著書は他に『移民の宴』『イスラム飲酒紀行』『ミャンマーの柳生一族』『未来国家ブータン』『恋するソマリア』など多数。  

清水克行(しみず・かつゆき)
明治大学商学部教授。専門は日本中世史。1971年東京生まれ。大学の授業は毎年大講義室が400人超の受講生で満杯になる人気。NHK「タイムスクープハンター」など歴史番組の時代考証も担当。著書に『喧嘩両成敗の誕生』『大飢饉、室町社会を襲う! 』『日本神判史』『足利尊氏と関東』『耳鼻削ぎの日本史』などがある。


<ブログ内関連記事>

書評 『アジア新聞屋台村』(高野秀行、集英社文庫、2009)-日本在住アジア人たちの、きわめて個性にみちた、しなやかで、したたかな生き方


500年前の時代を考える

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・戦国時代の末期、ちょうど大航海時代にあったヨーロッパと日本が出会うことになる

書評 『武士とはなにか-中世の王権を読み解く-』(本郷和人、角川ソフィア文庫、2013)-日本史の枠を超えた知的刺激の一冊

「ジャック・カロ-リアリズムと奇想の劇場-」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年4月15日)-銅版画の革新者で時代の記録者の作品で17世紀という激動の初期近代を読む
・・この本では言及はないが、日本の戦国時代と同時代の「初期近代」の西欧もまた、現代のソマリアのような時代であったというべきだろう

ミャンマーではいまだに「馬車」が現役だ!-ミャンマーは農村部が面白い


「村」(ムラ)と「世間」はイコールではない
 
書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・顕在化する「空気」、依然として消滅しない見えない「世間」が日本人の行動を縛っている





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2016年3月19日土曜日

書評  『今を生き抜くための70年代オカルト』(前田亮一、光文社新書、2016)-おお、懐かしい「70年代オカルト」


 『今を生き抜くための70年代オカルト』(前田亮一、光文社新書、2016)という本を1週間かけてダラダラと読んでおりましたが、「おお、懐かしい」の連続でありました。

著者は1965年生まれ、1970年代は小学生であった世代ですから、わたくしと近い世代の人ですね。ほぼ似たような体験の持ち主といってよいでしょう。

 「70年代オカルト」はどんなものがあったのか、「目次」をみればよ~くわかりますので紹介しておきましょう。

プロローグ 僕らの血肉となったオカルトの源泉
第1章 宇宙開発時代の空飛ぶ円盤
第2章 ユリ・ゲラーと米ソ超能力戦争
第3章 四次元とピラミッド・パワー
第4章 ネッシー捜索隊から深海巨大生物へ
第5章 心霊写真と日本の心霊研究の復興
第6章 日本沈没と失われた大陸伝説
第7章 ノストラダムスの大予言と人類滅亡
エピローグ 2020年ネオトーキョー

ねっ、「おお、懐かしい」の連続でしょう。

タイトルは『今を生き抜くための70年代オカルト』となっておりますが、「今を生き抜くための」は必要ないのじゃないかな。

それよりも、わたしが思うのは、わたしも含めて1970年前後に小学生だった世代を理解するために、ぜひ前後の世代の人にも読んでほしいというもの。

なぜなら、「70年代オカルト」は好きだろうが嫌いだろうとかかわりなく、「僕らの血肉となった」のであり(・・少年だけでなく少女も!)、無意識のレベルに浸透して沈殿してしまっているからです。

いまとなっては否定されているものが大半ですが、未知のもの、神秘的なものを探求したいという気持ちは人類共通のものではないでしょうか。工学部出身の著者もそうですが、理科系であればあるほど知りたい、探求したい、というのがオカルトというものですね。そもそも「オカルト」とは「隠されたもの」という意味です。

もちろん、この世代の理科系を中心に「オウム真理教」に引き寄せられた人たちが犯した犯罪については肯定するものではありませんし、今後もひきつづき検証作業が必要でしょう。その素地となるのが、広範に多大な影響を及ぼした「70年代オカルト」であることは知っておくべきだと思います。

読んでためになるかどうかは別にして、具体的な個々の事象は興味深く、しかもまともな本といってよいでしょう。読んで損はない思いますよ。





著者プロフィール  

前田亮一(まえだ・りょういち)
1965年東京生まれ、千葉大工学部卒業後、白夜書房(コアマガジン)を経てフリーランスに。ケロッピー前田のペンネームで世界のアンダーグラウンドカルチャーを現場レポート、若者向けカルチャー誌「ブブカ」「バースト」(ともに白夜書房/コアマガジン)などで活躍し、海外の身体改造の最前線を日本に紹介してきた。ハッカー、現代アート、陰謀論などのジャンルにおいても海外情報収集能力を駆使した執筆を展開している。


<ブログ内関連記事>

書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?
・・「シンギュラリティ」もまた2016年の現時点では科学とオカルトの区分が厳密にできない段階だが、いずれ決着のつく話である

書評 『松田聖子と中森明菜-1980年代の革命-[増補版]』(中川右介、朝日文庫、2014)-1960年代生まれの世代による1980年代前半の「革命」の意味を説き明かした時代史
・・松田聖子は1962年3月10日生まれ。「1970年代オカルト」を体験した世代とピッタリ重なるのである

(2016年3月24日 情報追加)




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2016年3月18日金曜日

さらば「NHKクローズアップ現代」-23年間の幕を閉じ、良き番組がまたひとつ消えた・・(2016年3月17日)

(2000年に単行本化された「クローズアップ現代」)

「NHKクローズアップ現代」が2016年3月17日(木)の放送で最終回を迎えた。「クローズアップ現代」とは、「最近の社会世相問題から注目のトレンド、人物等の情報ドキュメンタリーと解説者のトークを絡めた情報番組」(番公式サイト)である。

たまたま本放送の時間(午後7時30分~56分)を見ていたのだが、なんとなく今回で最終回なのかなと思っていたら、やはりそうだった。番組終了後に国谷裕子キャスターから視聴者に向けてのあいさつがあったことでそれは確実となった。

まことにもって残念である。「クローズアップ現代」イコール国谷裕子キャスターであったからだ。番組自体が放送されないことや、国谷キャスターが海外取材等で不在の場合はNHKの男性アナウンサーが代行を勤めることは多々あったが、この番組は文字通り彼女の番組であったといって過言ではない。

番組終了後に番組の公式ウェブサイトを見ると、「※今回が国谷裕子キャスター、最後の放送です。」とあった。この件は、もっと大々的に広報すべきなのではないかと思ったが、いかなる理由によるものか、きわめてそっけない記述に過ぎなかった。

3月17日に放送された「最終回」は「第3784回」、テーマは、「未来への風~“痛み”を越える若者たち~」。

<番組内容>
この20年あまり、かつてない大きな変化にさらされてきた日本。雇用、教育、福祉…、従来の社会システムが行き詰まり、少子高齢化に突入していった時代、上の世代が経験した成功体験を知らない20代30代の若者たちの多くが、将来への展望が見いだせず、不安を募らせている。
しかしその一方で、この世代の若者の中から、新たな価値観や変革を実践に移す "胎動" が見え始めている。全く新しい "連帯" によって、雇用環境を自ら改善しようとする取り組みや、従来にない金融の仕組みで地域社会を再生する取り組みなど、上の世代にはない実行力を示しつつあるのだ。わたしたちは将来に向けてどのように歩んでいくべきなのか。
番組では、この20余年の社会の変化を示す様々なデータ・映像をひもときながら、"痛み" を乗り越えようとする若者たちの姿を通して、未来への風を感じていく。 ※今回が国谷裕子キャスター、最後の放送です。 

最終回は、有終の美を飾る好内容であったと思う。若者が将来展望を見出せない「この20年」とは、まさに「クローズアップ現代」の23年間と重なる。だが、あらたな方向への手探りの動きは静かに始まっている!

番組の公式サイトには、「最終回」の最後に行われた国谷裕子キャスターのあいさつ文が掲載されている。1993年から2016年にいたる23年間を振り返ることは、本人だけでなく長年の視聴者にとっても意味あることだろう。

23年間担当してきましたこの番組も今夜の出演が最後になりました。 この間、視聴者の皆様方からお叱りや戒めも含め、大変多くの励ましをいただきました。
クローズアップ現代が始まった平成5年からの月日を振り返ってみますと、国内、海外の変化の「底」に流れているものや、静かに吹き始めている「風」を捉えようと日々もがき、複雑化し見えにくくなっている「現代」に少しでも迫ることができればとの思いで番組に携わってきました。
23年が終わった今、そのことを、どこまで視聴者の皆様方に伝えることができたのか気がかりですけれども、そうした中でも長い間番組を続けることができましたのは、番組にご協力いただきました多くのゲストの方々、そして何より番組を見てくださった視聴者の皆様方のおかげだと感謝しています。
長い間本当にありがとうございました。
               平成28年3月17日  国谷裕子


わたしにとっても、「クローズアップ現代」は本日をもって終わった。来月4月からは深夜の23時台で「クローズアップ現代+」となるとのことだが、もはや視聴することはないであろう。 最後まで、なぜ国谷キャスターが退任するのか、ほんとうの理由が公式には明らかにされないままの後味の悪い結末である。

それはともかく、国谷さん、お疲れ様でした。つぎの舞台での活躍を楽しみにしております。まずはゆっくり休養して英気を養っていただきたく。







<関連サイト>

「クロ現誕生秘話」(NHKクローズアップ現代 公式サイト内)
・・「1993年4月5日月曜日の夜9時30分(※クロ現は最初の7年間は夜9時30分からの放送でした)、クロ現の第1回の放送が始まりました。」


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「国境なき記者団」による「報道の自由度2015」にみる日本の自由度の低さに思うこと-いやな「空気」が充満する状況は数値として現れる




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2016年3月14日月曜日

3月14日は「円周率の日」(2016年3月14日)


きょうは何の日? おそらく大方の人は「ホワイトデー」と答えるのでしょう。それは消費社会日本では穏当な回答というべきでしょうね。

でも本日3月14日は「円周率の日」円周率の 3.14 にちなんだ記念日ですね。

こんな日にふさわしいのが『円周率1,000,000桁表』(牧野貴樹、暗黒通信団、1996)。なんと百万桁ですよ! ネット記事で紹介されていたので興味を引かれて購入しました。

税抜きの定価はなんと 314円! しかもわたしが入手した版は、なんと第3.1415926刷。

さすがに、わたしが覚えている円周率は 3.1415926 まで。そのむかし中学一年生のときに聴いていた『NHK 基礎英語』で円周率を記憶するための英語のフレーズが紹介されていたから。 Can I ride a horse ? Certainly, of course. (=わたしが馬に乗れるって? たしかに、もちろん)というもの。英単語の文字数で円周率を表示しているわけです。中学一年生でも十分に理解できる英語のフレーズですね。

それ以上はアタマのなかにはありません。そんな円周率が百万ケタとは!!


ところが、3.1419426... は、この『円周率1000000桁表』では、最初の1ページの一番左の欄にすっぽり納まってしまうに過ぎないのです。

どのページをランダムに開いても、数字の羅列に目がクラクラとしてきます。まあ、著者がいうように乱数表くらいしか使用法が思いつきませんが・・・。 校正はとてつもなく大変な作業でしょうね。 なんせ、ほぼすべてのページが数字だけですから。

ちなみに著者は最後のページにこう書いています。

本書の一部または全部を無断で複写複製(コピー)することは、法律で認められた場合に相当し、著作者および出版者の権利の侵害となることはないので、やりたければ勝手にやって下さい。

つまり著作権は放棄しているわけですね。人を食ったような表現がイカシテマス。

この数表は、全部で100ページありますが、100万ケタというものはそんな分量になるわけですね。もちろん円周率はそこに完全に収まるわけではありません。無限∞に続くのです。

話題のネタのために1冊手元においておくといいかもしれません。あるいはホワイトデーのお返しにプレゼントするとか(笑)






<関連サイト>

じわじわ売れてる謎の本「円周率1000000桁表」の著者に直撃(前編)-何のために作ったんですか? (日経トレンディネット、2015年7月28日)

作っていくうちに尖っていった-謎のヒット本「円周率1000000桁表」 著者に直撃(後編) (日経トレンディネット、2015年7月29日)




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3月11日、きょうが何の日か、あらためて語るまでもあるまい。(2016年3月11日)

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2016年3月11日金曜日

3月11日、きょうが何の日か、あらためて語るまでもあるまい。(2016年3月11日)



3月11日、きょうが何の日か、あらためて語るまでもあるまい。
 
あれからきょうで5年。月日がたつのは早い、いやまだ5年しかたっていないのかという思いも強い。5年はひとつの区切りという考えもあるが、はたして5年で一区切りにしていいものかどうか。

「復興」「復興」と掛け声ばかりが響くこの国であるが(・・復興そのものは一日も早いことを願うことは言うまでもない)、わたしは今年もまた、ただ一言、小さな声で「鎮魂」とつぶやきたい。

東日本大震災の死者を痛み、鎮魂。 合掌


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「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる

書評 『津波てんでんこ-近代日本の津波史-』(山下文男、新日本出版社、2008)

書評 『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味

書評 『兵士は起つ-自衛隊史上最大の作戦-』(杉山隆男、新潮文庫、2015 単行本初版 2013)-「3-11」という「有事」を自衛隊員たちの肉声でつづったノンフィクション




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2016年3月10日木曜日

幕末の日本で活躍した英国の外交官アーネスト・サトウは日本人?-きょうは「佐藤の日」 ② (2016年3月10日)


本日3月10日は、1945年の東京大空襲、1959年のチベット蜂起など多々ありますが、わたくし的には「佐藤の日」という位置づけであります。3月10日だから「さ・とう」、単なる語呂合わせでありますが(笑)

ということで、本日は有名人を一人取り上げましょう。その名は、アーネスト・サトウ。幕末から日露戦争にいたる時期に日本を中心とした国際舞台で活躍した英国の外交官です。

アーネスト・サトウは日本人なのか? 「サトウ」 は 「佐藤」か?

この疑問は高校時代に抱きましたが、日本史の教科書には何も書いてありませんでした。佐藤という姓をもつ日本人にとっては、きわめて重要な問題なのでありますが、なんでこんな重要なことが、教科書に書いてないのだ?、と。あくまでも主観的な感想でありますが。

そんな疑問がつきまとっていたわけですが、大学時代にアーネスト・サトウの「サトウ」は Ernest SATOW であることを知りました。SATO でも SATOU でも SATOH でもなく SATOW。つづりの最後は「W]で終わります。

日本の「佐藤」ではありません英国人の SATOW です。日本人の「佐藤」とは偶然の一致というべき珍しい苗字なのです。

わたしの高校時代とくらべれば、いまではネット上に wikipedia もあるし、知りたいと思ったらすぐ簡単に調べることができる時代になりました。調べてみると、SATOW ファミリーは生粋の英国人ではなく、当時はスウェーデン領だったドイツの地方から移民してきたスラブ系の少数民族ソルブ人であるようです。アーネストは英国人二世なのです。なるほど、めずらしい苗字なわけですね。

『ア-ネスト・サトウ伝』(アレン、庄田元男訳、平凡社東洋文庫、1999)によれば、最初の日本勤務(・・といっても18歳から40歳までの長期間です)を終えて英国に帰国するまで、つまり中年に達するまでイギリス国教徒ではではなかったようです。ということは、イギリス国教徒でなくても外交官になれたわけですね。

アーネスト・サトウは、18歳のときにたまたま兄が図書館から借りてきたカラー挿絵の入った本を読んで、日本に多大な興味を抱いて外交官の道を選択したという人です。エルギン卿に同行したオリファントという英国人が書いた絵入りの随行記ですが、このオリファントという人は、幕末日本で攘夷派によって負傷を追った英国人。その後の薩摩藩出身の森有礼との関係など興味深いものがあります。

日本行きを志望して18歳で外交官の卵になって来日したアーネスト・サトウですが、まさか自分のファミリーネームが日本人にもよくあるものだということまでは知らなかったことでしょう。

じっさいに幕末の日本に来日して日本語を猛烈に勉強して日本語通訳としてキャリアを歩みだしてからは、「サトウという苗字」は日本人のあいだで活動するうえでおおいに有利に働いたようです。日本名・佐藤愛之助を名乗っていたとのこと。西郷隆盛その他多数と親交がありました。 偶然の一致とはいえ、世の中なにが幸いするかわかりませんね!

「開国」前後の日本から近代国家としてテイクオフするまで日本に関与してきたアーネスト・サトウですが、日本専門家としてだけでなく外交官としてのキャリアを進めるため、日本のつぎにはシャム王国(・・現在のタイ王国)、南米のウルグアイ、モロッコとキャリアを重ねていきます。外交官としてはモロッコ時代が絶頂期だったようです。その後、日本と清国に。日露戦争時代まで25年間も日本に深くコミットしたことになります。

アーネスト・サトウ(1843~1929)は晩年に完成した『一外交官の見た明治維新 上下』(岩波文庫)という貴重な回顧録を残しております。A Diplomat in Japan というのが原書タイトルです(上掲写真の左)。 この本のカバーにある肖像写真を見れば、日本人の容貌ではないことは明らかですね。

フルネームは Sir Ernest Mason Satow、外交官キャリアのあとは英国王室の枢密顧問官、第2回ハーグ平和会議に英国代表次席公使なども歴任しました。ちなみに著書には A Diplomat in Siam というものもあります。この本のあとに出版したのが A Diplomat in Japan です。ともにそっけなタイトルですね。

先に書いたように、日本のつぎにはシャム王国に赴任したわけですが、東南アジアの気候風土にはなじめず、日本で休暇を過ごしていたとのこと。日本とタイの双方にかかわった人として、わたしはなおいっそうアーネスト・サトウには親しみを感じるものがあります。


以上、2016年の「佐藤の日」にちなんだ話題でありました。







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3月10日は「佐藤の日」(笑)-『リアル鬼ごっこ』という小説を知ってますか?


書評 『明治維新 1858 - 1881』(坂野潤治/大野健一、講談社現代新書、2010)-近代日本史だけでなく、発展途上国問題に関心のある人もぜひ何度も読み返したい本

書評 『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治、講談社現代新書、2013)-「革命家」西郷隆盛の「実像」を求めて描いたオマージュ

「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲)




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2016年3月6日日曜日

ハイエナは英語でなんというの?

(ブチハイエナの頭部 wikipediaより)

ハイエナは英語でなんというの? いきなり答えを出す前に、まずはオオカミの話題に付き合っていただきたい。

もともと生物学好きなこともあって、動物の生態をテーマにした自然観察番組のNHKの「ダーウィンが来た」はほぼ毎週かかさず視聴しているのだが、今夜(2016年3月6日)はオオカミの話題であった。イスラエルのネゲヴ砂漠に生息しているアラビアオオカミである。

ネゲヴ砂漠に生息するアラビアオオカミは幻のオオカミで、裁くという過酷な生息環境のためカラダが小さい。しかも、高温地帯であるため獲物を追って走り回ると体温が急上昇して死んでしまう可能性があるので、アラビアオオカミは死んだ動物の肉を漁るのだそうだ。死んだ動物は動かないから。

まるでハイエナではないか! 

じっさいに体格の小さなアラビアオオカミと大型のハイエナが死肉をめぐってバッティングすることもあるようだ。番組でもそんなシーンが登場しており、たいへん興味深いものがあった。

オオカミは日本語で書けば狼であり大神である。文字通り大いなる神という意味だ。番組でも説明されていたふが、「西欧近代化」される前の江戸時代、オオカミは畏怖されて神として敬われていたのであった。だが明治時代以後は、羊を襲う害獣という西欧的な考えからやっかい扱いされ、毛皮を求めて乱獲され、ついに20世紀初頭にはニホンオオカミは絶滅してしまう。

オオカミは英語でウルフということくらいなら、中学生でも知らない者はいないだろう。日本語世界でも、オオカミでもウルフでもどちらでも通じる。

では、ハイエナは英語でなんというのか? ふとそんな問いが自分のなかに湧き上がってきたが、すぐには答えがでてこない自分に気がついた。

そういうときは手元のスマホでグーグル検索である。

検索した結果はこうだった。なんとハイエナは英語でもハイエナである! つづりは hyena で、発音はあえてカタカナで書けばハイーナ、つまりハイエナは英語だったのだ!

自分がいかに無知であるか知らされた思いがするのだが、ハイエナには灰(はい)や蝿(ハエ)を連想させる音が含まれるので、死肉をあさるハイエナはてっきり日本語だと思い込んでいたようなのだ。

死肉を貪り食うことで有名なハイエナだが、英語ではハゲタカ(=コンドル condor)もくわえた「腐肉食」の動物のことを「スカヴェンジャー」(scavenger)と総称し、比喩的な意味でも使用することがある。スカヴェンジャーには、ゴミの山を漁ってまだ使えるものを掘り出してカネに換えて生計を立てているゴミ拾い、という意味もある。

ハイエナは日本に生息していないからハイエナに該当する日本語の固有語がなかった、ということは考えてみれば当たり前なのだが、日本には生息していなくても中国に生息している動物は漢字語で表現されるし、仏典に登場する動物は漢語に翻訳されている。

たとえばアフリカ原産のキリンは漢字で書けば麒麟、キリンビールの麒麟である。もともとは中国人が生み出した想像上の動物だが、野生動物をキリンと呼ぶようになった。キリンは英語ではジラフ(giraffe)である。後者のジラフは日本語人にはあまりなじみがなさそうだ。

さらにハイエナについて検索して調べてみると、wikipediaには、「ネコ目(食肉目)ハイエナ科に属する動物の総称である。長い鼻面と長い足を持ち、イヌに似た姿をしているが、ジャコウネコ科に最も近縁である」とある。ハイエナはイヌ科ではなかったのか! それもまたオドロキだ。

「無知は強し」(?)状態であったわけだが、「なんにもしらないことはよいことだ」(梅棹忠夫)というフレーズをポジティブに捉えることとしたい。

なにはともあれ、気づいて調べたおかげで、またひとつ賢くなったわけだから。






<関連サイト>

世界のゴミ問題は「福岡方式」が解決している 120カ国に技術指導、愛され"ゴミ先生"の正体(東洋経済オンライン、2016年1月16日)
・・発展途上国のスカヴェンジャー(=ゴミ拾い)の話が登場する


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ウサギは英語でラビット? ヘア? バニー??

ウナギはイール-英単語のなかにウナギ(eel:イール)を探せ!

「木登りネコ」の写真撮影に成功- 『不思議な国のアリス』にでてくるチェシャ・キャットを思い出した

猛暑の夏の自然観察 (2) ノラネコの生態 (2010年8月の記録)

『サル学の現在 上下』(立花隆、文春文庫、1996)は、20年後の現時点で読んでもじつに面白い-「個体識別」によるフィールドワークから始まった日本発の「サル学」の全体像

「近代化=西欧化」であった日本と日本人にとって、ヒツジのイメージはキリスト教からギリシア・ローマ神話にまでさかのぼって知る必要がある
・・「かよわいヒツジを襲うオオカミ」というイメージは西欧のものであって、日本にはももともなかった。オオカミは固有種が日本に存在していたが、中国と違ってヒツジはもともと生息していなかった



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2016年3月2日水曜日

千葉寺(ちばでら)をはじめて訪問(2016年3月2日)-境内の巨大な「大銀杏」は千葉県指定の天然記念物!

(海の方向に面している「海上山」千葉寺の正門)

千葉寺(ちばでら)をはじめて訪問した。たまたま京成電鉄の千葉寺駅で下車する用事があり、そのついでに千葉寺まで足を伸ばしてみたのだ。

千葉県に住んでいるので、千葉寺球場という名前はよく耳にしてきたこともあり、球場の前につく「千葉寺」とはなにかが気にはなっていたのである。だが、千葉市の住民ではないので、千葉寺についてはほとんどまったく知らなかった。

千葉寺を訪れたのが平日だったこともあり、境内は静かで誰も人がいなかった。スマホのナビにしたがって歩いたので、正門からではなく墓地のある側面から境内に入っていったのだが、歩いていくうちに目に入ってきたのは巨樹である。

とにかく大きい。巨樹である。巨大な樹木である。巨大なイチョウの木である。大銀杏(おおいちょう)である。といっても大相撲ではない。

(大銀杏は千葉県指定の天然記念物 筆者撮影)

近くに寄ってみると、「千葉県指定 天然記念物」という石碑が建っている。「国の天然記念物」ではないが、千葉県下では有数の大銀杏であることは間違いないようだ。

遠くから見ても巨大だが、近くに寄って見れば、さらにその巨大さが実感される。千葉県市川市の本八幡にある葛飾八幡宮の「千本いちょう」よりもすごい。百聞は一見にしかず、である。仏教寺院の境内にあるが、注連縄(しめなわ)のかかった巨樹は、まことにもってご神体ともいうべき存在だ。

(幹周りの太さが驚異的な千葉寺の大銀杏 筆者撮影)

となると、この大銀杏がいつ植えられたのかが気になってくる。そのためには、千葉寺そのものの創建について知る必要があるわけだ。

そこで調べてみると、千葉寺は千葉市中央区にある真言宗豊山派の寺院で、山号は海上山本尊は十一面観音であり、坂東三十三観音霊場第29番札所、だそうだ。

千葉寺は「せんようじ」ともいうらしい。浅草寺と書いて「せんそうじ」と呼ぶようなものか。海上山という号があるのは、高台に鎮座しているこの寺院が海の方向に建っているからだろう。ご詠歌には「千葉寺へ 詣る吾が身も たのもしや 岸うつ波に 船ぞうかぶる」とあるので、かつては寺から海が見えたのだろう。千葉港の埋め立ての進んだ現在では、残念ながら千葉寺から海は見えなかったが・・・。

wikipediaの記述には以下のようにある。

寺伝によれば、709年(和銅2年)この地を訪れた行基が十一面観音を安置したのに始まり、聖武天皇の命により千葉寺と称したという。1160年(永暦元年)に堂宇を焼失している。千葉氏の居城である千葉城(亥鼻城)に近いことから千葉氏の祈願所となった。山門は1841年(天保12年)に再建。観音堂は1828年(文政11年)に再建したが、第二次世界大戦で空襲で焼失、1976年(昭和51年)に再建された。

創建は奈良時代の8世紀初頭とある。この大銀杏は行基菩薩が手植えしたという伝説があるが、その真偽は不明である。たとえそれが伝説だとしても、樹齢千年だとしても不思議ではないような大銀杏だ。それにしても空襲さえ乗り越えてサバイバルしたというのがすごいではないか!

(千葉寺の本堂)

ご開帳のときではないので本尊の十一面観音を拝観することはできなかったが、わたしとしてはお寺や仏像そのものよりも、「千葉県指定天然記念物」の大銀杏を拝観できただけでもおおいに意義のある訪問となった。

なにごとも「百聞は一見にしかず」である。この大銀杏を見るためだけでも訪問する価値のあるお寺だと思う。








<関連サイト>

千葉寺(千葉県千葉市中央区千葉寺町161) (関連サイト)


<ブログ内関連記事>

「大銀杏」という巨樹

市川文学散歩 ①-葛飾八幡宮と千本いちょう、そして晩年の永井荷風

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩

「東京大学総合研究博物館小石川分館」と「小石川植物園」を散策(2009年7月12日)
・・東大付属の小石川植物園には、「精子発見60周年記念(昭和31年)」のイチョウの大木がある。イチョウの精子は日本人が発見したのだ!


千葉県の神社仏閣

「櫻木神社」という神社が千葉県野田市にある-すべてを「桜花」の意匠で統一した見事なまでの一貫性

下総国の二宮神社(千葉県船橋市)に初詣(2015年1月3日)-藤原時平を祀る全国でもめずらしい神社

初詣は船橋大神宮で参拝、そして境内にある"木造の灯台"を見学してきた(2010年1月3日)

2013年の初詣は麻賀多神社(まかた・じんじゃ)にいってきた(2013年1月3日)

辰年(2012年)の初詣は御瀧不動尊(おたき・ふどうそん)にいってきた

(2016年3月17日 情報追加)




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2016年3月1日火曜日

『カラヴァッジョ展』(国立西洋美術館)の初日にいってきた(2016年3月1日)-「これぞバロック!」という傑作の数々が東京・上野に集結!

(日本初公開の「バッカス」(1597年から1598年頃 国立西洋美術館前にて)

「カラヴァッジョ展」(国立西洋美術館)に開催初日の2016年3月1日にいってきた。これぞまさにバロック(!)という美術展である。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571~1610)は、初期近代のイタリアを激しく生きた天才画家。光を効果的に使用したきわめて現代的な肖像画、徹底的な写実に徹した静物画、そしてその組み合わせがバロック絵画への道を開いた。いずれも現代的ともいうべき作風で、カラヴァッジョ以前と以後とではまったく異なる世界となったのである。

(「果物籠をもつ少年」1593~1594年)

今回の美術展には、カラヴァッジョの作品で現在のこされている60点のうち11点が集結している。カラヴァッジョの作品は、教会の聖堂に描かれた作品も多く、現地で見るしかないものが多いことを考えれば、これだけの作品を集めたのは快挙というべきだろう。「日伊国交樹立150周年記念」ということもあろうが、さすが、国立西洋美術館である!

しかも展示品のなかには「日本初公開」というウリの作品だけでなく、「世界初公開」という隠し玉もあるのだ!

「バッカス」(冒頭の写真)は日本初公開! ローマ神話に登場する酒の神バッカスを描いた作品だ。ギリシア神話ではディオニュソスである。テーマじたいはルネサンス的であるが、もはやルネサンス絵画ではない。ルネサンスを超えたという意味はそこにもある。自己陶酔的で両性具有的な妖しさを漂わせた作品で、自らをモデルにして描いたものという。

2014年に発見されてカラヴァッジョ作品と鑑定された「法悦のマグダラのマリア」がなんと世界初公開である! 個人所蔵品であるので美術館で展示されたことはないが、世界初公開がイタリアではなくこの日本であったことは、じつに喜ぶべき贈り物ではないか! バロック時代の彫刻家ベルリーニの有名な聖女像をほうふつとさせるものがあるこの作品は、まさに今回の美術展の隠し玉である。

(カラヴァッジョが死ぬまで手元に置いた「法悦のマグダラのマリア」 1606年頃)

光と影、聖と俗、天才と狂気。あらゆる二項対立的要素を一心に兼ね備えた人物がカラヴァッジョである。すぐにカッとなりやすい血の気の多い気性の激しさから殺人を犯し、教会に描きながらカネを稼いでイタリア南部のシチリアやマルタ島にまで逃亡、最後は逃亡先の名も知れない小さな港町で熱病のために38歳で死ぬという、あまりにもドラマチックな人生。

ドストエフスキーに、「マドンナの理想を抱きながら、ソドムの深遠に惑溺する」というフレーズがあるが、カラヴァッジョもまたそのとおりの人物であったのか。あまりにも振幅が激しすぎるのである。それもまた時代の「移行期」であった初期近代のバロック的であり、近代後の移行期」の混乱状態に生きる現代人にもつうじるものがあるのだ。

(ジプシー女性を描いた当時の風俗画 「女占い師」 1597年頃)

カラヴァッジョが生きた時代のローマは、「対抗宗教改革」の中心地であった。ルターによって引き起こされた「宗教改革」に対し、カトリック側ではそれに対抗する形で、大規模な内部改革が行われていた。

文字が読めない一般民衆にも図像によって教えを説き、視覚をつうじてダイレクトに訴えかける手法で布教活動を強化していたわけだが、美術とのからみでいえば、カラヴァッジョのリアリズムに徹した宗教画は聖書の物語を、いま現在に生きる人間の姿として描いたわけであり、まさにカトリック側が推進する流れに完全にフィットしたわけである。だから、高位聖職者や貴族たちから注文が殺到したのだという。

(リアルな宗教画である「エマオの晩餐」 1606年頃)

カラヴァッジョの作品は、大胆な構図に精密なディテールを描きこんでおり、ルーベンスやレンブラントなどの大画家にも多大な影響を与えている。まさにカラヴァッジョが西洋美術史の流れを変えたのである。

今回の「カラヴァッジョ展」は、全体で7部構成である。カラヴァッジョの作品と、その絵画手法の熱狂的な継承者たちの作品を同時に展示することで、西洋美術史におけるカラヴァッジョ登場の意味がおのずから浮かび上がるように巧みに構成されている。

Ⅰ 風俗画:占い、酒場、音楽
Ⅱ 風俗画:五感
Ⅲ 静物
Ⅳ 肖像
Ⅴ 光
Ⅵ 斬首
Ⅶ 聖母と聖人の新たな図像

図録も販売されているが、ミュージアムショップに陳列されていた『カラヴァッジョ巡礼(とんぼの本)』(宮下規久朗、新潮社、2010)を購入した。少年時代にカラヴァッジョの魅力に取り付かれて美術史家となったという著者によるビジュアルな案内書である。

カラヴァッジョの作品の多くは、教会に描かれたものが多いので現地を踏むしかない。はたして次回イタリアに行けるのがいつになるかわからないが、「カラヴァッジョ巡礼」という楽しみはあとに取っておくこととしよう。カラヴァッジョが生きた時代は、日本から「4人の少年」(=クアトロ・ラガッツィ)がローマのバチカンに派遣されている。「天正遣欧使節」(1582~1590)である。そう考えると、カラヴァッジョへの関心もより高まるのではないだろうか。

カラヴァッジョは、描かれた作品も、ドラマチックなその人生も、まさにバロック!としかいいいようがない。バロック好きなら絶対にいくべき美術展だ。やはりホンモノはすばらしい。足を運んで自分の目で見るべきなのだ。








<関連サイト>

『カラヴァッジョ展』(国立西洋美術館) 公式サイト


絶対にカラヴァッジョを見に行った方がいい理由 西洋美術史上、最大の改革を行った天才 (宮下 規久朗、JBPress、2016年3月3日)
・・「カラヴァッジョは西洋美術史上、最大の改革を行った天才である。 ルーベンス、ベラスケス、レンブラント、フェルメールといったバロックの巨匠たちは、彼がいなければ生まれなかったと言われている。美術の宝庫イタリアでも別格扱いされ、もっとも人気のある画家として、かつての10万リラ札の顔にもなっていた。 ・・(中略)・・ カラヴァッジョの作品は見る者の心をわしづかみにする。その絵を前にした者は誰でも、その力強く劇的な画面に言葉を失い、立ちすくむだろう。 息をのむ見事な写実描写から劇的で静謐な宗教画まで、カラヴァッジョの芸術は現代ますます評価を高めており、400年を隔てた日本人の心をも打つにちがいない。」

カラヴァッジョの「法悦のマグダラのマリア」 国立西洋美術館で世界初公開 (クリスチャン・トゥデイ、2016年3月2日)
・・「気性が激しく、諍(いさか)いが絶えない波乱に満ちた人生を送ったカラヴァッジョだが、本作品は殺人を犯してローマから逃げ、近郊の町で身を隠していた夏に描かれたものだ。それから4年後に熱病で不慮の死を遂げたとき、彼の荷物には「1枚のマグダラのマリアの絵」が含まれていたと伝えられており、本作品がそれであると考えられている。」

NHK日曜美術館 「幻の光 救いの闇 カラヴァッジョ 世界初公開の傑作」(2016年4月17日放送)

(2016年4月17日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

■バロック美術

「グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家」(国立西洋美術館)に行ってきた(2015年3月4日)-忘れられていた17世紀イタリアのバロック画家がいまここ日本でよみがえる!
・・カラヴァッジョより若いグエルチーノ

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日)

in vino veritas (酒に真理あり)-酒にまつわるブログ記事 <総集編>
・・カラヴァッジョは酒の神バッカスは複数描いている

「ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ-書物がひらくルネサンス-」(印刷博物館)に行ってきた(2015年7月1日)-15世紀に設立された世界最古の図書館の蔵書を実物展示


■バロック建築

フィリピンのバロック教会建築は「世界遺産」-フィリピンはスペイン植民地ネットワークにおけるアジア拠点であった

『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)で、18世紀メキシコで花開いた西欧のバロックと土着文化の融合を体感する

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る


バロック時代(=初期近代)

「ジャック・カロ-リアリズムと奇想の劇場-」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年4月15日)-銅版画の革新者で時代の記録者の作品で17世紀という激動の初期近代を読む
・・ジャック・カロ(1592~1635)は、17世紀初頭のロレーヌ地方が生んだエッチングの革新家であり、時代の記録者でもある。

映画 『王妃マルゴ』(フランス・イタリア・ドイツ、1994)-「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマ
・・初期近代は時代の「移行期」。いとも簡単に人が殺される時代であった

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡 ・・16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパの知られざる世界

書評 『からくり人形の夢-人間・機械・近代ヨーロッパ-』(竹下節子、岩波書店、2001)-「西洋からくり人形」にさぐるバロック時代の精神世界

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・カラヴァッジョが生きていた時代、日本から「4人の少年」(クアトロ・ラガッツィ)がローマに派遣された。「天正遣欧使節」(1582~1590)である

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」
・・「天正遣欧使節」(1582~1590)を送り出したのがイタリア出身のイエズス会士アレッサンドロ・ヴァリリャーノであった





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