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2017年7月18日火曜日

JBPress連載第4回目のタイトルは、 「トランプ陣営「2人の将軍」の知られざる共通点-マティス国防長官の座右の書は古代ローマの古典」(2017年7月18日)



本日’2017年7月18日)よりウェブメディアJBPressの連載コラム第4回の公開です。今回も前回に引き続き米国です。

 「トランプ陣営「2人の将軍」の知られざる共通点-マティス国防長官の座右の書は古代ローマの古典」  *クリック ⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50528 

「二人の将軍」とは、海兵隊退役大将のマティス国防長官と現役の陸軍中将マクマスター大統領補佐官のこと。この二人の共通点は、軍人であることは言うまでもありませんが・・・

それは「歴史学」なのです。

詳細はぜひ本文を読んでいただきたく思います。

それにしても、マティス国防長官の「教養人」ぶりを知れば、「某国の幼稚でお粗末な防衛大臣」(・・誰のことを際しているか言わずもがな、ですね)とは何という違いであることかと慨嘆するのではないでしょうか。

軍人にとっての「戦史」は、ビジネスパーソンにとっっては「ケーススタディ」。マティス長官の座右の書は、哲人皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』なのです。

「現在」の本質を知るためには「逆回し」で歴史を遡ってみることが必要ですが、アメリカ合衆国の設計図ともいうべき「アメリカ合衆国憲法」についても新刊『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)の最終章で触れています。ぜひご一読ください。

JBpressの連載は隔週の予定です。次回もまた、乞うご期待!










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本日よりネットメディアの「JBPress」で「連載」開始です(2017年6月6日)

ついに英国が国民投票で EU からの「離脱」を選択-歴史が大きく動いた(2016年6月24日)

JBPress連載第2回目のタイトルは、「怒れる若者たち」の反乱-選挙敗北でメイ首相が苦境に、目を離せない英国の動向」(2017年6月20日)


■アメリカ独立記念日(=インデペンデンス・デイ)

本日(2013年7月4日)はアメリカ独立=建国から237年。いや、たった237年しかたってない「実験国家」アメリカ

本日(2011年7月4日) は「アメリカ独立記念日」(Independence Day)-独立から 235年のアメリカは、もはや若くない!?

早いもので米国留学に出発してから20年!-それは、アメリカ独立記念日(7月4日)の少し前のことだった(2010年7月4日)

アメリカ独立記念日(7月4日)




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2017年7月17日月曜日

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する


「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)。16世紀マニエリスムの時代を知的探検する美術展だ。国立西洋美術博物館らしい好企画である。

16世紀の美術史上の「マニエリスム」を代表する画家で万能人の鬼才ジュゼッペ・アルチンボルドの日本ではじめての本格的紹介である。

主催者の国立西洋美術館による紹介文を紹介しておこう。

本展は、世界各地の主要美術館が所蔵するアルチンボルドの油彩約10点のほか、素描などおよそ100点により、この画家のイメージ世界の生成の秘密に迫り、同時代の文脈の中に彼の芸術を位置づけ直す試みです。日本で初めて、アルチンボルドのユーモアある知略の芸術を本格的にご紹介するこの機会を、どうかご期待ください。

「マニエリスム」とは美術史の用語で、後期ルネサンスとバロックの移行期の時代のことをさしている。ルネサンス的要素を濃厚にもちながらも、一方では「近代的」でもある。いや、「超近代」というべきだろか。カトリック側の「近代」であるバロック時代の到来で、マニエリスムは2世紀近くも葬り去られていたからだ。

今回の美術展の最大の目玉は、なんといっても、世界各地の美術館にバラバラに所蔵されている連作の「春夏秋冬」4作品、「四大元素」4作品が一同に並べて展示されていること! これは快挙としかいいいようがない!










(上から「冬」「春」「夏」「秋」)


すこし距離をおいて見ると不思議な肖像画だが、近くによって見ると、じつに精密に野菜や植物、動物や魚介類が描き込まれている不思議さ、奇妙さ「だまし絵」というのは、じつに知的に構築された絵画なのだ。まさに「思考のラビリンス(迷宮)」。

いろんな楽しみ方があると思うが、大人びた正統派の美術鑑賞よりも、子どもっぽい「ワオ!」精神で楽しんだほうがいいのではという気もする。まさにワンダーランド。

アルチンボルドというと「だまし絵」として知られているが、じつはこの美術展の存在を知るまでは、わたし自身も、それほど深く知っていたわけではない。

今回はマグネット(税込み540円)も購入。「司書」と「夏」。いずれも有名な「だまし絵」である。とくに「司書」はむかしから大好きな作品だ。すべて本で構成されている図書館司書の面白さ。コレクションが増えたのはうれしい。


ミュージアムショップでは、画集も販売されているが、それよりも簡潔な説明の「コンセプトブック」(税込み800円)を購入するといいだろう。





■ミラノ出身のアルチンボルドとルドルフ2世の宮廷

アルチンボルドが活躍したのは16世紀のハプスブルク家が支配していた神聖ローマ帝国。現在のドイツと地理的に重なる地域である。

この時代は「大航海時代」であり、西欧人にとっては地理上の発見と認識の拡大が実現した時代である。世界各地から珍しい物資が収集され、王侯貴族は競って「驚異の部屋」(=ヴンダーカマー)をつくっていた時代だ。(*「参考」を参照)。博物学の時代の始まりといってもいいだろう。

アルチンボルドが仕えたのが二人の皇帝。ウィーンでマクシミリアン2世、プラハでルドルフ2世。とくに深い関わりがあったのは、プラハのルドルフ2世の宮廷だ。いわゆる「ルネサンス宮廷」の最後期の存在というべきものだ。

マクシミリアン2世は自然科学好き、ルドルフ2世は奇想好き。ミラノ出身のジュゼッペ・アルチンボルド(1527~1593、イタリア・ミラノ出身)は、ただ単にお抱え絵師であっただけでなく、式典の総合プロデューサーでもあり、じつに多彩な才能をもった万能人として寵愛さえていた。


(アルチンボルドの自画像 「紙」で構成されている面白さ!)

「ルドルフ2世の宮廷」に集められたお抱えの知識人の面々は、じつに多岐にわたっている。いずれもルネサンスに花開いた「新プラトン主義」の影響下にある人たちである。

膨大な観測結果を残したティコ・ブラーエ(1546~1601、デンマーク)や、その助手でティコのデータを使用して天動説を導き出したヨハンネス・ケプラー(1571~1630、ドイツ・シュヴァーベン地方)といった天文学者も。

錬金術師で占星学者のジョン・ディー(1527~1608、イングランド)。ケプラーも占星術師であった

ジョルダーノ・ブルーノ(1548~1600、イタリア・ナポリ出身)は、哲学者でドメニコ会修道士、地動説を擁護。宇宙の無限を主張し、のち異端として処刑された。思想の自由を守った闘士とみなされてきた。

ルドルフ2世は、ある意味では、後世のバイエルン王国の「狂王」ルートヴィヒ2世に比すべき奇人というべきかもしれない。皇帝でありながら生涯独身を通し、芸術を愛し、学術を愛していた。

実権を弟のマティアスに奪われ、その後、「プラハ城窓外事件」が「三十年戦争」勃発の引き金となる。ボヘミアの宗教戦争が発端となった。「三十年戦争」が終結した1648年以降、神聖ローマ帝国は衰亡の道を歩みつづけることになる。






■アルチンボルドの評価

「マニエリスム復権」をリードした『迷宮としての世界-マニエリスム芸術』(グスタフ・ルネ・ホッケ、種村季弘・矢川澄子訳、岩波文庫、2011)の下巻は、アルチンボルドによる「ルドルフ2世像が表紙カバーとして使用されている(下図)。

すべて野菜で構成されている「だまし絵」だ。こんな画像を製作させていたルドルフ2世という人物への興味を抱かざるを得ないではないか! じつに不思議である。


(アルチンボルドによるルドルフ2世像)


それだけではない。いきなり「19 ルドルフ2世時代のプラーハ」という章から始まり、「20 アルチンボルドとアルチンボルド派」、「21 擬人化された風景と二重の顔」と続く。マニエリスムにおいて、アルチンボルドの存在は、ある意味では別格なのだ。

グスタフ・ルネ・ホッケは、アルチンボルドについて以下のように表現している。簡潔で要を得た説明である。

アルチンボルドはまた、技師で、機械設計家で、仮面や衣装のデザイナーでもあった。ひとびとは彼の「幻想的な衣装のスケッチを、何枚も複写した。それはバロック演劇の舞台装置に影響を与えた。それほど多彩であったので多彩であったので、アルチンボルドは、同時代人の間では、「八宗兼学」(はっしゅうけんがく)の「鬼才」とされ、その点でレオナルドと比較された

「八宗兼学」(はっしゅうけんがく)は、イタリア語の「ウニヴェルサーレ・レットラ」(universale lettura)、「鬼才」は、「アクティシモ・インゲーニョ」(acutissimo ingegno)の訳語である。

「八宗兼学」(はっしゅうけんがく)とは、物事を多岐にわたって深く学んで理解しているという意味だが、もともとは日本仏教の8つの宗派の教義をすべて学ぶことを指したことばだ。いかにも奇想好きの種村季弘らしい訳語の選択である。

種村季弘が苦心してひねり出した豪華絢爛な訳語もまたマニエリスム的である、と文庫版の解説者で高山宏氏が書いている。ひいきの引き倒しの感もなくはないが、森鴎外以来のペダンティックな趣味嗜好の延長線上にあるものといえるかもしれない。







■美術史におけるマニエリスム

マニエリスムは、英語表記だと「マンネリズム」になる。「様式主義」である。日本語の「マンネリ」は「マンネリズム」の短縮形。つまり、マニエリスムにはあまりいい意味が付与されていなかったのだ。

後期ルネサンスと初期バロックへの「移行期」の時代である。ルネサンス的な公共精神が後退し、王侯貴族の趣味的世界のなかに生息しえたのがマニエリスムである。

英文学者の河村錠一郎氏による「美術史」を大学学部時代に受講していたので、ルネサンス後期のミケランジェロからバロックに至る前の「マニエリスム時代」については一通りの知識は得ていたが、アルチンボルドへの言及があったかどうかは記憶にない。もっぱらミケランジェロの彫刻作品について、新プラトン主義とマニエリスムの観点からスライドを使用しながらのレクチャーがなされたことは記憶にあるのだが・・・・

河村教授は、『ルネサンス様式の四段階-1400年~1700年における文学・美術の変貌-』(サイファー、河出書房新社、1976)の翻訳を出していることをあとから知った。サイファーによるこの本は、マニエリスム理解を大幅に前進させたとされている。

マニエリスムの時代は、旧秩序崩壊の時代であり、動揺と不安の時代でもあった。過渡期や移行期というものはそういうものだ。16世紀前半からはじまった「宗教改革」の時代は、気候学的にみても厳しい時代だっととされる。

マニエリスムがどういう時代であったのか、その特徴を捉えるために、美術史家の若桑みどり氏の名著 『マニエリスム芸術論』(若桑みどり、ちくま学芸文庫、1994 初版 1980)から、引用しておこう。とくにバロックとの対比で明らかになる。バロックとはカトリックによる「対抗宗教改革」時代の美術のことであり、それは図像を使用した上からの「民衆教化」の時代であった。エリート主義とは真逆の大衆化をもたらすものであった。(・・太字ゴチックは引用者=さとうによる)。

王のための芸術は、市民のための芸術とはまったくことなっている。また、少数の知的、文化的エリートにむけた宮廷芸術の制作にあたっては、大衆の一般的理解は不必要であり、かえって芸術家の創意工夫による独自性や変わった個性が珍重された。秘密なことばが喜ばれ、難解さが高級なものとされた。芸術家がこのときほど大衆から「自由」であったことはない。(P.47) 


バロックの本流は、これらの錯綜したアレゴリーを廃棄処分にすることからはじまった。(P.38)


1585年ごろに早くもおそってきたバロック芸術によって、このわずか半世紀ほどの特異な芸術の庭園は、いばらに囲まれるか、梯子をとられるかしてしまった。バロック芸術は、その起こりには、何にもまして大衆化運動をはじめたローマのカトリック教会の文化運動が働いていたので、芸術はたちまちにして大衆的なものとなり、当然、自然発生的でセンチメンタルな表現を占めていった。マニエリスムの生き残れる場所は宮廷にしかなかったが、それも大型化して絶対君主が一国の強権を握るようになるといっせいに大衆化していってしまった。そうして、ごく特殊な言葉で、低く語っていたこの芸術のことばを、読める人間が居なくなってしまったのである。(P.30)


 カトリック教会は信仰と布教における聖画像の有効性を肯定したが、プロテスタントによって批難された官能的、異教的要素を宗教画から排除し、民衆教化にふさわしい新たな宗教表現のプログラムを掲げ、異端審問をさかんにおこなって不適切な宗教表現を告発し、芸術の統制をおこなった。(P.48)


バロックがふたたび、社会と現実へと芸術を復帰させた。バロック芸術とは、反宗教改革と絶対主義王政の芸術である。マニエリスムも、その二つの因子をもっていなかったわけではない。だが、バロックは、マニエリスムに生き残っていた夢想的なシンプラトン主義的人文主義を現実的政策によって打ち砕いた。すでに終わりかけていた人文主義とルネサンスの「夜」を、最終的に終わらせ、すべてにわたる現実主義的精神が、この新たな体制づくりに加担した。(P.51)


マニエリスムが、ルネサンスとバロックのはざまに生まれた「花」(?)であり、カトリック教会と絶対王政という権力の裏付けをともなったバロックという一大潮流によって完全に否定され、2世紀以上にわたって歴史に埋もれてしまったのは、そのためなのだ。革命する側は、される側を徹底的に否定するものなのだ。

ルネサンス研究の深まりによって、後期ルネサンスの行き着いた先がマニエリスムであったこと、そしてその流れがバロックによって押し流されたことは、ただたんに美術史のみであなく、西欧近世を考えるうえで重要なことなのだ。

バロックのなかにもマニエリスム的要素があることは、エル・グレコの作品からうかがい知ることができる。





<参考>


このごった煮のわけのわからん空間は、一つの世界観、あるいは宇宙観といったものを表現した部屋であったのだ。ルネサンス的な万能主義。一切智。大航海時代以降のエキゾチズム礼賛。

それは、子どもが自分の世界を狭い空間のなかに表現するのと同じことだ。理路整然と整理された空間ではなく、すべてが未分離の、分節化されていない混沌としたカオス的空間。そしてそこからなにかが生まれてくるかもしれない予感。

ヴンダーカンマーがどんなものだったかについては、 Google で Wunderkammer とそのままドイツ語で画像検索してみてほしい。じつに多種多様な実例をみることができるはずだ。

ヴンダーカンマーに渦巻いているのは、子どものような「好奇心」とコレクションへの「情熱」である。自分にとって関心のあるものをとにかく集める。これは人間の本性に基づくものだ。わたしなら、雑学を「見える化」したものがヴンダーカマーだと表現したい。

わたしは小学生の頃から家でも学校でも、「机の上が整理されていないヤツはアタマが悪い!」といわれ続けてきたが、いまでも机上はぐちゃぐちゃだ。そんな人も少なくないと思うが、気にすることなかれ! 雑学人間にとって、ヴンダーカンマーはまさにヴンダバールな世界である。

日本にも、そんなヴンダーカンマーの最後のきらめきが痕跡として残されていることをご存じだろうか。東京丸の内の JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテクに足を伸ばしてみるといい。東京大学総合研究博物館の分館だ。






<関連サイト>

「アルチンボルド展」 公式サイト (国立西洋美術館)



<ブログ内関連記事>

書評 『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』(小宮正安、集英社新書ヴィジュアル版、2007)-16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで流行した元祖ミュージアム
・・まさにアルチンボルドとルドルフ2世の時代精神そのもの

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡 
・・この本もぜひ。おなじく17世紀から18世紀にかけてのフランスを中心に

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る
・・16世紀のルネサンスと大航海時代(=第一次グローバリゼーション時代)のいわゆる「ユマニスム」

「知の風神・学の雷神 脳にいい人文学」(高山宏 『新人文感覚』全2巻完結記念トークイベント)に参加してきた


■アルチンボルドの同時代人

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう ・・バロック絵画の代表作品を描いたエル・グレコ(1541~1614)が活躍したのは1600年前後、大航海時代である。マニエリストとして、アルチンボルドの同時代人である

『カラヴァッジョ展』(国立西洋美術館)の初日にいってきた(2016年3月1日)-「これぞバロック!」という傑作の数々が東京・上野に集結!
・・・・同時代人だがカラヴァッジョ(1571~1610)より30歳年上のエル・グレコ(1541~1614)

All the world's a stage(世界すべてが舞台)-シェイクスピア生誕450年!
・・シェイクスピア(1564~1616)もまた同時代人

(19世紀江戸時代幕末の浮世絵師・歌川国芳への影響関係は?)

■奇想画

「没後150年 歌川国芳展」(六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー)にいってきた-KUNIYOSHI はほんとうにスゴイ!





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2017年7月15日土曜日

夏風邪はつらく厳しい-のどウィルスとの戦いを振り返る(2017年7月)



夏風邪はつらく厳しい。それはもっぱらウィルスとの戦いであるが、免疫力低下との戦いでもある。

夏風邪を引くそもそもの原因が、なんらかの理由によって免疫力が低下していることにある。だが、完全に治癒するための長期化するための、途中でさらに免疫力が低下していくこともある。

今回、いまだ梅雨時の7月前半、といってもほとんど雨の振らない空梅雨状態なので真夏のような日々が続いているが、不覚にも夏風邪を引いてしまった。生まれてからこの方、こんなに長引いたのは初めてだ。

風邪とはいえ夏風邪はじつにたちが悪い。できれば夏風邪は引きたくない

おなじ失敗を繰り返すのはバカである。今後、二度と夏風邪を引かないよう、覚え書きとして記録を残しておくことにしたい。



■初期診断ミス?

想定外の「夏風邪」にやられた1週間であった。まさか1週間以上も長引くとは想像だにしなかった。
   
のどが痛くなること、カラダの節々が筋肉痛になること。この2つの事象は、それぞれ別個に、これまでも無数といえるほど体験し、その都度、対処してきたからだ。だから、今回も、「来たな」という感じ把握し、対応策をとったのである。

先週の金曜日、タイのバンコク時代の友人が東京勤務になっていたことを知り、都内でひさびさに旧交を温めた。その日は、都内で美術展を見てから待合せ場所に向かい、2時間ほど軽めに飲んで歓談し、そのままお開きとしたのは、相手があまり飲まない人だからだ。酒量というものは相手次第でどうにでもなるものだ。

帰宅したのは夜の10時頃であったが、少し小腹が空いていたのでスーパーで「半額」になっていた穴子寿司とメロンを買って帰り、自宅でだらだらとTVを見ながらリラックスしていた。

ふだんはまったく見ない「金スマ」を見ていると、『ウツヌケ』の話をやっていた。みているうちに、こちらもなんだか軽いうつ状態(?)気分になってきたのは、すでに熱が回り始めていたためだろうか。

翌朝目が覚めると、ものすごくカラダが重い。のどがものすごく痛い。目の奥が痛い。寝違えたからではないようだ。カラダの節々も筋肉痛状態。これはのど風邪だと思い、風邪薬を飲んで寝ることに。結局、そのままそのまま寝込んでしまい、のどにたまった痰をとるために起き上がる以外は寝込むという状態が3日もつづくことになった。

おかげで「睡眠負債」が解消されたような気もする。過去1年間の睡眠不足は、それはひどいものだったから、いまごろいろいろガタがでてきたのかもしれない。



■想定外の長期戦

最初の3日間は、ほとんど寝込んでましたので、何も食べてないに等しい(水分は摂取)。この段階では、猛烈にのどが痛かった。

その後、4日目と5日目は、熱が引いたり上昇したりの繰り返し。たいして食べたくないので小食状態。のどの痛みはだいぶ治るが、ウイルスは気管支に降りた。

体温が平熱並になったと思ったら、また上昇する。のどの炎症は峠を越したがウィルスは気管支に降りたようだ。体温下がったからと安心せずに医者にいくべきだった(-_-)

のど風邪がようやく快方に向かう。まだ完全ではないが、のどの痛みは引いて、熱は下がった。徴候がでてからまる5日間。長い戦いであった。夏風邪は厳しい



■抗生物質による戦い

6日目にして遅きに失したが本日午前に内科を受診。けさ方の咳がひどかったのだ。抗生物質を処方してもらったが、飲んだらまた発熱。ウィルスとの戦いは続く。夏風邪は辛いよ。

抗生物質は、「オーグメンチン配合剤」。ペニシリン系抗生物質である。抗生物質と同時に処方された「アンブロキール塩酸塩錠」と「カルボシステイン錠」も飲む。それえぞえれ、「痰のすべりを良くし痰を出しやすくするクスリ」と「痰を出しやすくするクスリ」である。これを1日3回、食事後に服用。

抗生物質を最初に飲んだとき発熱したが、2回目は発熱は治まっていく。ウィルスとの戦いは山場を越えたのか?



■抗生物質の副作用との戦い

すでに最終局面にあるとはいえ夏風邪になって7日目、まだ咳が止まらないときがあって苦しい。

抗生物質のせいか、何を食べて飲んでもうまいと感じない。さんざんな1週間である。

7日目以降、抗生物質の副作用がでてくる。腹の調子が悪い。よく効く薬はそれだけ危険だということ。抗生物質の服用はやめたが、腹の調子は依然として悪い。咳も止まっていない。 熱は下がったが、意欲がわいてこないのは薬のせいか?

風邪が完治しないまま抗生物質の副作用に悩まされている。間断なく続くゲリラの襲撃。バックパッカーとしてインド巡礼した若き日々を思い出す。夏風邪、いまだ終わず...咳も止まらぬ

気になったのでネットで調べてみると・・・

抗生物質の副作用として善玉菌まで死滅してしまったようだ。そのための弊害に苦しむ。対策として、腸内環境「回復」のための作戦を開始。まずは「ハチミツ・きなこ・ヨーグルト」で乳酸菌を増やす。これからしばらく毎日つづける予定。



■8日目以降

完全に治癒したとはほど遠い。いまだ気管支の底に違和感があり、ときどき咳となって出てくる。喘息性の咳ではなく、痰がからまった咳である。

なんだか年々弱くなってきているような気がする。いままで夏風邪なんか引いたことなかったのに・・・ やはり加齢に伴う衰えか。免疫力が低下していることは間違いない。執筆完了までの1年間の疲れが一気に出てきたのか・・・

年々弱くなっているような気がする。つまり衰えている、衰退しているということだ。否定したいが、否定しきれない「厳然たる事実」ということか。

しかにしれにしても今年の夏は厳しい。空梅雨のため、ほとんど真夏のようだ。そうでなくても体力が失われがちである。

課題としては、とにかく免疫力を上げること。死滅した善玉菌を復活させること。乳酸菌を日々補給すること。

抗生物質を使用するのは、あくまでもラストリゾート。これまでもひどい発熱のときは抗生物質はしようしてきたが、下痢になったことはなかった。熱が引いたら即、使用停止にしなくてはならないということだ。

いずれにせよ、予防に勝るものなし。

夏風邪は冬風邪とはおなじ病気と考えない方がよさそうだ。



PS 夏風邪のため延長していた歯科治療でまた抗生物質!

夏風邪がようやく治ってきたので、その間に中断していた歯科治療を7月18日に再開。ところが、抜歯することになり(・・虫歯の進行で歯根を抜くのに手間取った)、化膿止めのため、抜歯後にはかならず最後まで飲むようにと言い渡されて抗生物質3日間飲む羽目に。

せっかく腸内環境回復作戦を開始したのに、また元の木阿弥か・・・・

ただし、今回は非ペニシリン系でセフェム系の「フロモックス」という抗生物質で、懸念した下痢の症状は発生しなかった。やれやれ・・・と思っていたら頭痛に苦しむ。「まれに副作用として頭痛が・・」という記載をネット上に見つけたが、一難去ってまた一難としかいいようがない。

抗生物質の服用は、必要最低限にとどめたいものだ。

(2017年7月20日 記す)






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2017年7月4日火曜日

JBPress連載第3回目のタイトルは、「米国独立宣言と同じ年に出版されていた歴史的書物-いまこそ立ち返りたいアダム・スミスの主張の真意」(2017年7月4日)


ウェブメディアJBPressに2週間に1回執筆している連載コラムですが、第3回目の記事が公開されました。
   
米国独立宣言と同じ年に出版されていた歴史的書物 今こそ立ち返りたいアダム・スミスの主張の真意  (★クリック⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50377 )

本日7月4日は「アメリカ独立記念日」「インデペンデンス・デイ」ともいいますが、「独立宣言」がなされた1776年にまつわる話題です。

いまから241年前の1776年3月19日、英国で『国富論』(=諸国民の富)が出版されています。いうまでもなく、「近代経済学」の原点となった古典です。

『国富論』と「アメリカ独立宣言」、そして世界最大の経済大国アメリカとのかかわりについて振り返ります。ぜひお読みください。

出来事の根底にあるものはなにか、その本質を知るためには「逆回し」で歴史を遡ってみることが必要ですね。一連の歴史的流れについては、新刊『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)をぜひご一読ください。

JBpressの連載は隔週の予定です。次回もまた、乞うご期待!






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本日よりネットメディアの「JBPress」で「連載」開始です(2017年6月6日)

ついに英国が国民投票で EU からの「離脱」を選択-歴史が大きく動いた(2016年6月24日)

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■アメリカ独立記念日(=インデペンデンス・デイ)

本日(2013年7月4日)はアメリカ独立=建国から237年。いや、たった237年しかたってない「実験国家」アメリカ

本日(2011年7月4日) は「アメリカ独立記念日」(Independence Day)-独立から 235年のアメリカは、もはや若くない!?

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2017年6月20日火曜日

JBPress連載第2回目のタイトルは、「怒れる若者たち」の反乱-選挙敗北でメイ首相が苦境に、目を離せない英国の動向」(2017年6月20日)


2017年6月6日より始まったネットメディア JBPress での連載ですが、連載2回目のタイトルは、「ついに英国から始まった「怒れる若者たち」の反乱選挙敗北でメイ首相が苦境に、目を離せない英国の動向」 です。(★クリック⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50270)。

さる6月8日に前倒しで実施された英国の「総選挙」の結果を踏まえた記事です。

前回の連載初回では、「英国のEU離脱の衝撃は何百年と語り継がれるだろう「逆回し」で歴史をさかのぼると見えてくること」 でしたが、英国ネタが2回連続で続いたのは、それだけ注目に値する事象だと考えているからです。

2016年6月の「ブレクジット」で示された「民意」、そしてことし2017年の6月8日に前倒しされた「総選挙」で示された「民意」について、その違いについて、中長期的な歴史的観点から考察しています。

出来事の根底にあるものはなにか、その本質を知るためには「逆回し」で歴史を遡ってみることが必要ですね。一連の歴史的流れについては、新刊『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)をぜひご一読ください。

JBpressの連載は隔週の予定です。次回もまた、乞うご期待!



<ブログ内関連記事>

本日よりネットメディアの「JBPress」で「連載」開始です(2017年6月6日)

ついに英国が国民投票で EU からの「離脱」を選択-歴史が大きく動いた(2016年6月24日)





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2017年6月11日日曜日

映画  『ローマ法王になる日まで』(イタリア、2015)を見てきた(2017年6月5日)-これぞサーバントリーダーの鑑(かがみ)だ!


映画 『ローマ法王になる日まで』(イタリア、2015)を見てきた(2017年6月5日)。アルゼンチン出身で、しかもイエズス会出身ではじめてローマ法皇(・・ただしくは教皇。以下、教皇と記述する)に選出されたフランシスコ1世の半生を描いた伝記映画だ。

オリジナルのタイトルは、イタリア語で ''CHIAMATEMI FRANCESCO - IL PAPA DELLA GENTE''(=『フランチェスコと呼んで-人びとのパパ』)。映画のスクリーンには、Call Me, Francis とあった。セリフの大半はスペイン語である。ちなみにフランシスコ教皇は、イタリア移民の出身である。

「人びと(=ピープル)のパパ(=教皇)。ヨーロッパ以外から初めてというだけでない。こんな素晴らしい人物がローマ教皇に選出されたのはじつに画期的なことなのであることが、この映画をみてよくわかった。

113分のこの映画を見て思うのは、フランシスコ1世こそ、「サーバント・リーダーの鑑(かがみ)というべき人だ(!)ということだ。「ロックスター・ポープ(=教皇)」という異名をもち圧倒的な人気をもつこの人は、真に民衆の側に立つ人である。

(日本の上映館で配布されていた冊子)

「サーバント・リーダー」とは、人びとに「奉仕」する「サーバント」(=召使い)として、人びとの先頭に立つというリーダーのことである。先頭に立ってリードするという点は通常リーダーとおなじなのだが、目線と立ち位置のあり方が根本的に異なるのが「サーバントリーダー」だ。

「サーバントリーダー」は、つねに末端で苦労する声なき人びとの視点を共有しようと努力するリーダーだ。ピラミッドの頂点に立っているが、つねに視線はピラミッドの末端にある。

もともと「サーバントリーダー」という概念は、米国の実業家の実践から生まれてきた概念だ。もちろんその根底にはキリスト教がある。イエス・キリストその人が思考の原点にある。

フランシスコ1世の場合も、当然のことながらおなじである。新約聖書の「福音書」の精神に忠実に行きると、そういう道を歩むことになる。

冷戦構造時代、中南米やフィリピンなどのカトリック圏では、独裁政権のもとで苦難にあえいでいた民衆によりそう「解放の神学」に身を投じる修道士ったいが多数いた。アルゼンチンでも軍事独裁政権のもと、多くの司祭や修道士が拷問され殺害されている。

(オリジナルのイタリア版のポスター)

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの大学で化学を専攻するホルヘ・ラファエル・ビデラが、修道士として神に仕える道を決めたのは20歳のとき。イエズス会に入会したのは、なんと日本(=ハポン)で宣教したからだった。日本人としては、見ていてつよい印象を受けるシーンだ。

日本は、イエズス会にとっては最大の成功事例であり、しかも悲劇的な結末に終わったことは日本史の常識といっていいだろう。16世紀半ば、戦国時代末期の日本にイエズス会の創設者のひとりであるフランシスコ・ザビエルが来日してから爆発的に拡がったキリシタン信仰だが、17世紀前半の「島原の乱」によって、ほぼ壊滅する。

そんなストーリーを、いつどこで知ったのか映画のなかでは語られていないのが残念だが、イエズス会士となって日本に派遣されることをつよく望んでいたのだという「原点」は、彼の人生の根底にありつづけたのであろう。

日本での「キリシタン迫害」の歴史と、アルゼンチン独裁政権での苦難の道が重なり合うようようだ。その後の人生を暗示しているかのようだ。

(右は「結び目を解くマリア」・・この意味は映画のなかで語られる)

若い頃に家族との会話で、Per aspera ad astra とラテン語の格言を引用して語っているシーンがある。「苦難をつうじて星まで」という意味だが、それが並大抵の「苦難」ではなかったことは、本人も知るよしはなかった。

軍事独裁政権のもと、つねに迫られた究極の選択にどう立ち向かい、切り抜けてきたか。組織のなかで責任をもつ立場ともなれば、現実世界においてはそれなりに妥協も迫られる。

組織を維持しなくてはならないが、しかしながら、あるべき正しい道を追求すべきであること。この映画は、そんな状況のなかで、いかに最善の解決をもとめて苦闘したかの記録でもある。

(ご自身が「目覚めよ!」と呼びかけるロックのアルバム)

もっぱら外面的な側面を中心に描いており、霊的な側面についての描写は最小限に抑えられているので、非キリスト教徒であっても違和感を抱くことなく見ることのできる映画である。

このような人が同時代人として、この地球上に存在しているのだと知るとき、まだまだ世界も捨てたもんじゃないという、つよい想いを抱くのである。






■日本(ハポン)への熱い想い

映画の最後に、「(教皇となったフランシスコ一世が)日本へいく日は近い」というメッセージがテロップと音声で流れる。

イエズス会士になって日本に派遣されることを夢みていた青年時代の夢が、人生の終わりに近くなって実現しようとしているのである。

いまだ来日は実現していないが、カトリック人口の規模からいえば、アジアでは優先順位の高いフィリピンと韓国が先行したのは当然だろう。

いま現在でも来日の日程が発表されていないが、逆にいえば、それだけ教皇フランシスコにとって日本(ハポン)の意味合いが特別に大きいためかもしれない。日本人としては、なんだか不思議な感じがするのだが、キリスト教徒でもカトリックでもないわたしも、その日をおおいに待ち望んでいる。

すでに80歳近い教皇にとって、人生の最後に近くなってようやく実現する想い。これは、本人以外には想像もできないものなのであろう。

教皇になるにあたって「フランシスコ」を選んだのは、アッシジの聖フランチェスコ(・・スペイン語ではフランシスコ)が念頭にあったのだとわたしは思い込んでいたが、もしかすると聖フランシスコ・ザビエルもまた念頭になったのかもしれない。

間違いなく、日本でも熱狂的な歓迎を受けることになろう。









<関連サイト>

映画 『ローマ法王になる日まで』(日本版 公式サイト)

ロックスター法王と呼ばれ、人々を熱狂させるローマ法王の半生を描く『ローマ法王になる日まで』予告編(YouTube)

Chiamatemi Francesco Trailer Italiano (2015) HD - YouTube (イタリア版トレーラー)

現教皇の苦悩描く映画、公開へ (カトリック新聞、May 25, 2017)


アルゼンチンで繰り返される新自由主義とポピュリズム(WEDGE、2017年6月9日)
・・「この国は新自由主義と労働者向けポピュリズムを交互に繰り返し、国力を劣化させてきた。大まかな歴史概略は次のようになる。 最初の軍事独裁新自由主義政権は、対外債務、失業、格差、インフレの4悪をばら撒き、イギリスとのマルビーナス戦争(フォークランド戦争)という大博打を打ち、敗北の後に崩壊(1983年)。その後急進党のラウル・アルフォンシンの民主政治に戻り、一時小康を得たが、ポピュリズム的傾向から財政赤字増加、5000%のハイパーインフレ、対外債務デフォルト、崩壊。再びのペロ二ズム政権(1989~99)。(・・中略・・) この国は70年前から国民は分断されており、悪循環から逃れたことは一度たりともない。なぜだろうか?(・・中略・・)この国には、他のメスティーソの南米が持つ国民の統合などはない。国民ではなく単に個人がいるだけである。」






<ブログ内関連記事>

■バチカンとローマ教皇

600年ぶりのローマ法王と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)

書評 『韓国とキリスト教-いかにして "国家的宗教" になりえたか-』(浅見雅一・安廷苑、中公新書、2012)- なぜ韓国はキリスト教国となったのか? なぜいま韓国でカトリックが増加中なのか?
・・ローマ教皇フランシスコ一世が、初のアジア訪問先として選んだのは韓国


■イエズス会

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」

スコセッシ監督が28年間をかけて完成した映画 『沈黙-サイレンス-』(2016年、米国)を見てきた(2016年1月25日)-拷問による「精神的苦痛」に屈し「棄教者」となった宣教師たちの運命

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る


■アルゼンチン

書評 『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-(新訂増補)』(大嶋仁、作品社、1996)-南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、北米のニューヨークとならんで「精神分析の都」である
・・アルゼンチン、とくにブエノスアイレスの精神風土についての洞察が深い。それは、その他の中南米諸国とは異なるものがある。そんなブエノスアイレスに生きるユダヤ系市民にとっての精神分析の意味

書評 『アルゼンチンのユダヤ人-食から見た暮らしと文化-(ブックレット《アジアを学ぼう》別巻⑨)』(宇田川彩、風響社、2015)-食文化の人類学という視点からユダヤ人について考える

映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた
・・フォークランド紛争で英国に敗れ去ったアルゼンチン。現地ではマルビナス諸島というが、もともとアルゼンチンは英国文化の影響圏である。アルゼンチンが英国に敗北したことで、軍事政権は崩壊する。いわば意図せざる結果がもたらされたといえようか


■聖母マリア

書評 『聖母マリア崇拝の謎-「見えない宗教」の人類学-』(山形孝夫、河出ブックス、2010)-宗教人類学の立場からキリスト教が抱える大きな謎の一つに迫る


■アッシジのフランチェスコ

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!

アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド


■尊敬に値する人物

映画 『ダライ・ラマ14世』(日本、2014)を見てきた(2015年6月18日)-日本人が製作したドキュメンタリー映画でダライラマの素顔を知る

「ダライ・ラマ法王来日」(His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching & Talk :パシフィコ横浜)にいってきた ・・「ダライラマ・スーパーLIVE横浜」(2010年6月26日)とでもいうべき一期一会

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)




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2017年6月10日土曜日

「逆回し」とは?--『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』は常識とは「真逆」の方法で製作された歴史書であり、ビジネス書である


つい先日の5月18日のことだが、『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン社、2017)というタイトルの本を出版した。2017年の現時点から、240年前の1776年までさかのぼった、ビジネス書のフォーマットで製作された歴史書だ。

内容は文字通り、「ビジネスパーソンのための近現代史」なのだが、コンセプト自体はもう少し長い。「ビジネスパーソンの、ビジネスパーソンによる、ビジネスパーソンのための」近現代史である。いうまでもなく、「人民の・・・」で始まる、リンカーン大統領の「ゲティスバーグ演説」の一節をもじったものだ。

なぜこのようなことを書くかというと、この3条件を備えたビジネスパーソン向けの歴史書がきわめて少ないからだ。

いわゆる「ビジネスパーソン向け」と銘打ってある本は、さまざまな分野で大量に出版されていくことだろう。だが、リアルなビジネス体験をもたない著者が書いた本は、現役のビジネスパーソンの立場から言わせてもらえば、いまひとつリアリティを欠いているといわざるをえない。

だが、それだけなら、それほどたいした特徴だとはいえないかもしれない。本書の最大の特徴は、「逆回し」という表現で「歴史を過去にさかのぼる」という手法を導入したことにあると考えている。経済学者のシュンペーター流にいえば、「新機軸」と言っていいかもそれない。


(カバーの袖に記載された本文からの引用)

 「逆回し」というのは、もちろん比喩的な表現だ。録画したビデオを「逆回し」すると、人間の動作がなんだかぎこちなく再生されてしまい、思わず笑ってしまうことがある。だが、そういう意味でつかったわけではない。ある意味では、「リバース・エンジニ アリング」の実践と考えていただいたほうがいいかもしれない。

いま目の前にある製品をバラバラに分解することで、その構造と機構、構成部品の詳細を知り、「見えない設計図」を再現する行為をさして「リバース・エンジニアリング」という。

「リバース・エンジニアリング」は、通常のものづくりの真逆の方向で行われる。最終製品をバラしてモジュールにし、モジュールを分解してユニットに、ユニットを分解して個々のパーツを取り出す。このプロセスで分解することで、逆に設計図が見えてくる。「リバース・エンジニアリング」の発想は、ものづくりのプロセスを「逆回し」にするものだ。

とはいえ、最終製品をバラバラにして取り出してきたパーツは、あくまでも断片であるに過ぎない。ユニットや、モジュールの単位まで再構成しなくては、設計図(=ストーリー)が見えてこない。ストーリーが明確でないと、アタマのなかで明確なイメージを構築できない恐れがある。執筆にあたって最大の難関はそこにあった。

「逆回し」で「さかのぼる」方法論によって制作された作品はないだろうか? なにかヒントになるものがないかと探した結果、NHKで『さかのぼり日本史』という番組が放送されていたことを知った。

2011年に放送されたこの番組は、ある特定のテーマを設定して日本史を「さかのぼる」という形式の歴史ものだ。放送後にはテーマごとに単行本化もされている。


■ヒントにしたのは「逆回し」で製作された映像作品

ほかに参考になるものがないかと探索している際に思い出したのが、韓国映画の『ペパーミント・キャンディー』(イ・チャンドン監督、1999年制作)という作品だ。

 (DVDのメインメニューより チャプター1~4)

この作品は、「20年間の韓国現代史を背景に、ひとりの男が絶望の淵から人生の最も美しい時期までをさかのぼっていくという手法」だと、DVDの解説文にある。

独立したが事業に失敗、悲劇的な最期をとげることになる主人公が、時間を「巻き戻し」て過去にさかのぼっていき、最後は人生でもっとも美しかった瞬間で終わるというストーリー展開だ。全体で7つの「チャプター」で構成されている。

一般的な映画とは真逆の発想だが、ハッピーエンドで終わる映画であることには変わりはない。見終わったあと、じつに不思議な印象が残る映画だ。

 (DVDのメインメニューより チャプター5~7)

似たような作品には、フランス映画の『ふたりの5つの分かれ路』(フランソワ・オゾン監督、2004年制作)がある。離婚した夫婦が、離婚からさかのぼって出会いまで時間をさかのぼるという映画だ。

映像作品はDVDで視聴する場合、チャプターごとに番号とタイトルがついているので、意識的に区分して視聴することも可能だ。チャプター内では、シークエンスごとに時間の流れにしたがって物語は展開するので違和感はない。

文字として記された書籍なら、紙の本であれ電子書籍版であれ、映像より対応しやすいのではないか? そこまで考えてから、ようやく本書の構想がまとまり、執筆を開始することができるようになったのだった。じつに3ヶ月も費やしてしまった。








■「逆回し」は、歴史書としては「常識」に反する発想だが・・・

人間にとって「さかのぼる」という行為は、じつは自然な発想なのである。

長い年月を生きてきた人なら当然のことであるが、それほど長い人生を生きていない若者だって、学校時代のことを思い出したりして懐かしい想いをするだろう。自分が「いま、ここに」存在するのは、その前に自分の親がいるからであり、その親にもまた親がいる。さかのぼれば、その連鎖は無限につづいていくことになる。

過去を振り返って出来事を思い出す。人間にとってはごく当たり前のことである。そして、人生にはいくつかの「分岐点」があることに気がつく。人生だけではない、歴史にもいくつもの「分岐点」がある

これは「現在」からさかのぼってみてはじめてわかることだ。その渦中にいるとそれが分岐点であることは正確にはわからないが、振り返ってみて、はじめてそうだと気がつくことも多い。

「逆回し」とは、「流れ」を重視する歴史書にはあるまじき非常識な試みだろう。だが、「現在」を知り、「未来」を考えるために歴史を知ることが必要であるならば、「逆回し」という発想はけっして非常識ではないはずだ。


■「現在」を起点に「未来」と「過去」を認識する

かつてブログに 書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論 という記事を書いているが、科学的認識の方向性は、現在を起点にして、過去と未来の二つの方向に展開されうることが、同書で指摘されていることを紹介した(・・下図を参照)。

(人間の認識は「現在」を起点に「未来」と「過去」に向かう)


ビジネスパーソンの活動は、基本的に「未来」に向けてのものである。

歴史家の活動は、基本的に「過去」に向けてのものである。

だが、科学的認識の方向とおなじく、これは認識の方向が異なるだけで、認識の方法そのもの基本的に同じ構造をもっているといってよい。

一般に「未来」を予測することは難しいが、自分自身が体験している「,過去」を振り返ることは比較的容易であるといえる。だから、人間は自分自身の「過去」の体験をベースにして「未来」を予測するのである。

だが、人間の体験には限界がある。自分が体験していること自体は一次情報であるが、あくまでも主観的なものである。自分が体験していないことは、あくまでも伝聞であり、情報の性格としては二次情報、あるいは三次情報となってしまうことは仕方ない。

だからこそ、イマジネーションが必要とされるのである。

未来を知るために過去を知る。過去についての正確な認識をもつためにはイマジネーションで補う。そして、「過去」と「未来」が「現在」を規定していることを知れば、まずは「過去」に「逆回し」でさかのぼることが、「現在」をより深く、かつ正確に知ることにつながることが理解されるであろう。

「逆回し」の発想とは、ただ単に振り返るだけでなく、データをもとに事実をあぶりだし、それをイマジネーションで補うことを意味しているのである。

「逆回し」という発想の実践として製作された『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』は、この機会にぜひ呼んでみて欲しいと思う次第だ。

執筆中は、『「現在」がわかる「逆回し」世界史講座-』という「仮タイトル」だったが、最終的に出版社の判断で現在のタイトルに落ち着いたというエピソードをここに書き留めておくこととしよう。






<ブログ内関連記事>

2017年5月18日に5年ぶりに新著を出版します-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(佐藤けんいち、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

「ビジネス書か歴史書か、それが問題だ!」-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』を書店のどのコーナーに並べるか?

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・「私が知る歴史家の中に、過去が現在を照らすというよりも、現在が過去を照らすのだという事実を受け入れる者はいない。大半の歴史家は、目の前で起きていることに興味をしめさないのだ。」(ホッファー『自伝』より)




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2017年6月8日木曜日

「ビジネス書か歴史書か、それが問題だ!」-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』を書店のどのコーナーに並べるか?


新著 『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)が、2017年5月18日出版から2週間たってますが、まだまだ「平積み」状態が続いています。

とはいえ、この本は「ビジネス書」なのか、「歴史書」なのか、判断に迷われる方も少なくないと思います。わたし自身も、どの棚に並んでいるのかわからないので、両方を見て歩くことにしています。

「ビジネス書か歴史書か、それが問題だ」。シェイクスピアの『ハムレット』のセリフをもじって、こんなフレーズをつぶやいてみたくなりますね。

おそらく書店員さんも迷ってしまうのかもしれません。なんせ毎日のように新刊が出版されて、つぎからつぎへと取次店からダンボール箱が入荷してくる毎日、これをどうさばくかが午前中の仕事の多くの時間を占めているからです。

ですから、「えいやっ」で決めてしまわなくてはならないわけです。


東京駅前の八重洲ブックセンター本店では、答えは「ビジネス書」にあるようです。「歴史」を扱った本ではあるが、タイトルに「ビジネスパーソンのための」とあるので、基本はあくまでも「ビジネス書」であると判断されているのでしょう。もちろん、ビジネス街に近いという「客層」も考慮に入れていると思いますが。

冒頭に掲載した写真は、八重洲ブックセンター本店の1階の「ビジネス新刊書」コーナー。2枚目の写真は、2階の「ビジネス書」フロアの新刊コーナーです。いずれも「ビジネス書」として分類されてディスプレイされています。

著者としては、「ビジネスパーソンの、ビジネスパーソンによる、ビジネスパーソンのための近現代史」というコンセプトなので、「ビジネス書」として扱っていただけるのはうれしいです。

しかも、冒頭の写真にあるように、マッキンゼー社の「将来予測本」のすぐそばという並べ方も、じつにいいセンスですね! 未来を知るには、過去の歴史を知るべし、というメッセージでもあるような気がします。

拙著の特色は、「逆回し」という形で、「現在」からさかのぼって「過去」に向かうという、一般の歴史書とは真逆の方向で製作されていますので、なおさら「ビジネス書」として扱っていただけるのはうれしいことなのです。

ビジネスでは、「現在」から「未来」に向けて思考し行動します。そのベクトルの方向を「過去」に向ければ、「逆回し」の歴史となるわけです。方向は違うものの、あくまでも「現在」から出発するという点はおなじです。

一般的に「世界史」のコーナーで販売されているようですが、「いま、ここ」という「現在」から出発しない思考はビジネスパーソンには、あまり意味のないものだと考えております。

もちろん、ビジネスパーソン以外でも、それはおなじだといっていいと思います。

ぜひこの機会に、じっさいに手にとってみてほしいものと思います。



PS amazon の分類は「紙の書籍版」と「電子書籍版」で異なる

なぜだか理由は定かではありませんが、amazon の分類は「紙の書籍版」と「電子書籍版」で異なるようです。

「紙の書籍版」では「世界史」の分類「電子書籍版」では「ビジネス・経済」の分類。分類にしたがっているからでしょうか、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」に並んでいるタイトルが大きく異なっています。

ぜひ確認してみてください。  (2017年6月17日 記す)




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2017年5月18日に5年ぶりに新著を出版します-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(佐藤けんいち、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと




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2017年6月7日水曜日

都内の書店をフィールドワーク-「平積み」状態の新著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)


新著 『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)が、2017年5月18日出版から2週間たってますが、まだまだ「平積み」状態が続いています。

冒頭に掲載した写真は、新宿駅西口のブックファースト1階の「話題の本」のコーナー。まさに「盛り」状態ですね。

「平積み」といいうのは、見ていて気持ちがいいものですが、これだけ大量に「平積み」されているのは、著者ならずとも壮観という印象を受けるのではないでしょうか。もちろん、著者なら、これに勝る喜びはありません。



これは、JR恵比寿駅の駅ビルアトレ3階の「有隣堂書店」のもの。友人が撮影した画像を送ってくれました。こちらも「話題の本」のコーナーです。



こちらは、JR有楽町駅前の三省堂書店有楽町店のもの。ビルのテナントに入居しており、書店は2フロアを占有してますが、なんと1階の「話題の本」のコーナーに「平積み」、しかもだいぶ減っているようですね!

専門のコーナーではなく、「話題の本」のコーナーは、かならずしも目的買いのお客さんだけではないので、ふらりと入った書店で、ふと目に入った本を手にとって、しかも1,700円(税抜き)という価格にお得感を感じて購入していくのではないかな?

翻訳物ではないのに500ページ近い本というのは珍しいかもしれません。

本というものは、どう読んでも読者の自由ですから、好きなところから読み始めてもいっこうに構わないのです。もちろん、最初のページから最後まで通しで読んでいただければうれしいです。

ぜひこの機会に、じっさいに手にとってみてほしいものと思います。




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2017年5月18日に5年ぶりに新著を出版します-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(佐藤けんいち、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと




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2017年6月6日火曜日

本日よりネットメディアの「JBPress」で「連載」開始です(2017年6月6日)

(2017年6月6日付けの画面 真ん中の記事が筆者によるもの)


ウェブ上のネットメディアにはいろいろありますが、本日(2017年6月6日)より執筆陣の一人として、2008年11月に誕生したネットメディアの老舗的存在の JBPress(ジェービー・プレス)で「連載」することになりました。

JBPressの趣旨は以下のものです。

「日本をもっと元気にしたい」という理念の下に誕生したWebビジネスメディア。経営者層やマネジメント層などのビジネスパーソンをコアターゲットに、国際情勢、地方経済、最新ビジネス動向、イノベーションなどの各分野における深く本質的な論考、識者からの提言や問題提起などさまざまなコンテンツを提供しています。

連載初回のタイトルは、「英国のEU離脱の衝撃は何百年と語り継がれるだろう-「逆回し」で歴史をさかのぼると見えてくること」 です。2016年6月の「ブレクジット」からはや一年、その中長期的な歴史的意味について考えます。

あさって(2017年6月8日)には「総選挙」のある英国。ここ3ヶ月テロが連続しておりますが、もっと中長期のスパンでものを見ることが必要でしょう。 たとえ下院選挙でメイ首相率いる保守党が敗退して労働党が勝利しても、「離脱」方針に変更はありません。

サブタイトルにある「逆回し」は、新著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)で導入した新機軸であり基本コンセプトです。

記事のなかでは「逆走する近現代史」として紹介されておりますが、「現在」から「過去」に「リバース」(=逆走)することで、「現在」の本質をつかむ思考法です。

JBpressの連載は隔週の予定です。乞うご期待!





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2017年5月21日日曜日

「特別展 雪村-奇想の誕生-」(東京藝術大学大学美術館) にいってきた(2017年5月18日)-なるほど、ここから「奇想」が始まったのか!


「特別展 雪村-奇想の誕生-」(東京藝術大学大学美術館) にいってきた(2017年5月18日)。なるほど、ここから「奇想」が始まったのかという納得の得られる企画展だ。

企画展のチラシには「ゆきむら」ではなく、「せっそん」です。というコピーがある。雪村(せっそん)といっても、たしかになじみはない。水墨画といえば、雪舟(せっしゅう)というのは日本美術史を知らなくても、日本史レベルの常識だが、雪舟が亡くなった頃に生まれたのが雪村だ。

雪村は、雪村周継ともいう。「コトバンク」記載の情報によれば、以下のようにある。

室町後期・安土桃山時代の画僧。常陸生。周継は諱、別号に如圭・鶴船老人等。田村平蔵と称する。佐竹氏の一族で武家を継がず禅僧となる。周文・雪舟の画風を慕い、のち独自の特色を発揮して一家を成す。最も山水に長じ、花鳥・人物も能くした。生歿年不詳。

生没年は、wikipedia情報によれば、永正元年(1504年)? 生まれで、天正17年(1589年)頃没、とある。雪舟が、応永27年(1420年)年生まれで、永正3年8月8日(諸説あり)(1506年)なので、この両者には直接の接触はない。関東で生涯を送った雪村に対し、雪舟は西日本で活躍していた。

「奇想」といえば、ここ数年で日本でも再評価の著しい曽我蕭白(そが・しょうはく)が想起されるが、雪村はその先駆者ともいうべき存在なのだ。

雪村の全盛期の作品をみれば、それはすぐにでも納得できることだ。

まずは、「呂洞賓図」。龍のアタマの上に立って上空を見上げる仙人の容貌が、マンガ的としかいいようがない。長いひげが風になびき、ぎょろ目で上を見上げている。説明書きを読むと、壺のなかからでてきた子どもの龍を、上空から親(?)の龍が見ているのだそうだ。

「呂洞賓図」(16世紀)

つぎに、「琴高仙人・群仙図」。水中から巨大な鯉とおぼしき大魚の背中に乗って浮上してきた仙人を、左右から複数の仙人たちが眺めている構図。

「琴高仙人・群仙図」(16世紀)

いずれの仙人の表情も面白いのだが、鯉の背中にに乗っている仙人が、なんだか暴れ馬か大型バイクを乗りこなしているかのような印象を受ける。常識的にありえない構図だが、なんだかリアルな感じもして、その落差が妙に面白い。鯉の背中に乗る仙人の顔がやけに真剣なのだ(笑) 

「琴高仙人・群仙図」の中心部の拡大

つぎに、「鍾馗図」。鍾馗(しょうき)じたいは、現代の日本でも比較的知られているだろうが、虎退治をしているのではなく、虎をあやしながら、右前方の敵をにらみつけている構図なのだそうだ。日本にはいない虎を描いた絵師は多いが、この虎もなんだか大きなネコのようであるのがおかしい。

「鍾馗図」(16世紀)

「特別展」のサイトには、以下のような全体説明がある。

戦国時代、東国で活躍した画僧、雪村周継せっそんしゅうけい。武将の子として生まれながら出家して画業に専心した雪村は、故郷の茨城や福島、神奈川など東国各地を遍歴しました。その生涯は未だ謎に包まれていますが、ひときわ革新的で、また人間味あふれる温かな水墨画を描き続けた、ということだけは確かです。この展覧会は、雪村の主要作品約100件と関連作品約30件で構成される最大規模の回顧展です。伊藤若冲、歌川国芳など「奇想」と呼ばれる絵師たちの「先駆け=元祖」とも位置づけられる、今まさに注目すべき画家、雪村。雪村の「奇想」はどのようにして生まれたのか、その全貌に迫ります。

先に、18世紀の江戸時代中期の曽我蕭白(そが・しょうはく)の名を引き合いに出したが、「奇想」の系譜からいえば、さらにおなじく18世紀の伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)や19世紀の江戸時代後期に生きた歌川国芳(うたがわ・くによし)も名をあげるべきなのだ。

さらには、意外なことだが、尾形光琳なども雪村を意識していたのだという。

琳派の代表絵師である尾形光琳は、雪村を思慕し、模写や雪村を意識した作品を数多く残しました。近世には狩野派、近代では狩野芳崖、橋本雅邦らが雪村を研究します。本展は、雪村に影響を受けた後世の絵師の作品の数々もご覧いただきます。

雪村の作品は、16世紀の画家のものとしては例外的に現存しているものが多いのだという。

また、「電力王」「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門(1875-1971)や「マネジメントの父」ピーター・F・ドラッカー(1909-2005)も雪村に魅せられ作品を所蔵するなど、現代に至るまで多くの知識人たちを魅了してやみません。

『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画- 「マネジメントの父」が愛した日本の美-』(千葉市美術館) のポスターには、「ドラッカー・コレクション」から雪村の 「月夜独釣図」が使用されている。

なるほど、見る人は見ていたのだな、と思わされるのだ。

東京での展示はもう終わってしまうが、巡回展として滋賀県の MIHO MUSEUM で公開される。今回の東京での展示も、いくかいかないか迷ったすえに結局いくことにしたのだが、それはまったくもって正解だった。

日本がほこるマンガやアニメの原点として、平安時代の鳥羽僧正の「鳥獣戯画」が語られることが多いが、室町時代に中国の水墨画や禅画が日本流にローカライズされて発生してきた「奇想」というテーマ。

「奇想」の系譜は、日本人ならかならずフォローしておきたいものであると思うし、まあそういうむずかしい話は別にして、こんな奇妙きてれつで面白おかしい作品を見ないのはもったいないと思うのである。








<関連サイト>
「特別展 雪村-奇想の誕生-」(東京藝術大学大学美術館)

【巡回予定】
会場: MIHO MUSEUM (滋賀県)
会期: 2017年8月1日(火)~9月3日(日)





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・・ポスターには、雪村周継 「月夜独釣図」





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