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2017年12月31日日曜日

マンガ 『きのう何食べた?⑬』(よしながふみ、講談社、2017)-主人公たち二人はついに50歳代に突入!


よしながふみの『きのう何食べた?⑬』(小学館、2017)読了。

このマンガは、すでに日本を代表する料理マンガといっていいね。 しかし、このマンガも続くなあ。第1巻が2007年に発売されてから、もう13巻目だ。主人公二人の生活も13年目。

主人公の弁護士は早いもので53歳、パートナーの美容師は50歳。二人とも、なんな50歳代!普通の人より若く見える二人だが、そろそろ老いが近づいてくる年頃なのだろうか。この調子だと、このマンガはまだまだ続きそうだが・・・。

今回のレシピには、シンガポール料理の海南チキンライス(=タイのカオ・マン・ガイ)がある。そんなに簡単に作れるなら、作ってみるかな?  ゆで豚も旨そうだ。






<関連サイト>

きのう何食べた?"なにたべ"公式ブログ

きのう何食べた? / よしながふみ - モーニング公式サイト

祝!画業20周年記念サイト よしながふみの漫画世界 (白泉社)
・・立ち読みできます!


<ブログ内関連記事>

タイのあれこれ (12) カオ・マン・ガイ(タイ料理) vs. 海南鶏飯(シンガポール料理)・・・


マンガ 『きのう何食べた?⑫』(講談社、2016)-まだまだ続くよこのマンガ

2015年の年末に「異種ジャンル」のマンガをまとめ読み

マンガ 『きのう何食べた ⑩』(よしながふみ、講談社、2015)-50歳台になっても自分で料理してスタイルを維持しつづける主人公

マンガ 『きのう何食べた? ⑨』(よしなが ふみ、講談社、2014)-平凡な(?)人生にも小さなトラブルはつきもの

マンガ 『きのう何食べた?⑧』(よしなが ふみ、講談社、2013)-一年に一回の楽しみはまだまだ続く!?

『きのう何食べた?⑦』(よしなが ふみ、講談社、2012)-主人公以外がつくる料理が増えてきてちょっと違った展開になってきた

『きのう何食べた?⑥』(よしなが ふみ、講談社、2012)-レシピは読んだあとに利用できます

『きのう何食べた? ⑤ 』(よしなが ふみ、講談社、2010)

『きのう何食べた? ④ 』(よしなが ふみ、講談社、2010)

『きのう何食べた?』(よしなが ふみ、講談社、2007~)


『檀流クッキング』(檀一雄、中公文庫、1975 単行本初版 1970 現在は文庫が改版で 2002) もまた明確な思想のある料理本だ

『こんな料理で男はまいる。』(大竹 まこと、角川書店、2001)は、「聡明な男は料理がうまい」の典型だ





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2017年12月30日土曜日

書評『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)ー きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある


『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)というタイトルの本が5年前の2012年に出版されている。

いまからちょうど500年前の話であるから、2017年に出版したら、もっと売れただろうにと思いながら、こういう本は2017年内に読んでおきたいものだと思っていた。いやむしろ、2017年になるまで、5年間読むのを待っていたというのが正直なところだ。読むのを楽しみにしていた。

内容は、一言で要約してしまえば、「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」といっていいだろうか。

これではあまりにも抽象的すぎるので、もうすこし具体的に書籍内容について触れると、「きわめて大きな変化」とは、15世紀以降に西洋文明において一大潮流として発展し、ついには19世紀から20世紀にかけて猛威を振るった「唯物論」のことであり、「きわめて小さな偶然の出来事」とは、「唯物論」的な思考の萌芽が記された古代ローマの哲学書が「再発見」されたことを指している。

(15世紀ボッティチェッリの「春」 一冊の本がもたらした世界観の変化)

「再発見」ということは、15世紀まで約千年にわたって誰一人として知る人もなく埋もれていたということ。イタリア人の人文学者で古書マニアの男が、とある修道院の書庫のなかにその写本を見つけなければ、その後も知られることもなく埋もれ続けた可能性があった。つまり、千年にわたる「断絶」があり、歴史は「連続」していないということなのだ。

「再発見」したイタリアの人文学者の名は、ポッジョ・ブラッチョリーニ。といっても無名に近い存在だが、彼はローマ教皇ヨハンネス23世の下で、秘書官・書記として仕えていた。15世紀当時、文字が読めて筆記できるものは、きわめて少なかったことに注意しておきたい。

「再発見」した場所は、南ドイツの修道院の書庫(アーカイブ)だ。失職後のポッジョが自分の趣味の古写本探索のために数多くの修道院を訪問したが、なぜかその南ドイツの修道院にはキリスト教関係以外の羊皮紙写本も残されていたのだ。

(15世紀ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」 一冊の本がもたらした世界観の変化)

書庫のなかから探り出したのが、紀元前50年頃に書かれた詩人ルクレティウスによる『物の本質について』(De rerum natura)であった。ラテン語で記されたものだけに、「再発見」も可能だったのであろう。当時の西欧世界はラテン語が文字言語であった。

『物の本質について』は、ヘレニズム期のギリシア人哲学者エピクロスの原子論をベースにしたものだ。先にもみたように、19世紀の「唯物論」の先駆である。キリスト教の神中心ではなく、あくまでも人間中心の世界観を描いたもの。岩波文庫版の日本語散文訳で300ページ以上もある長編だ。

一人の古書マニアが「再発見」した本は、さらに写本が作成されて広まっていく。グーテンベルクによる印刷術発明以前のことであることにも注意しておきたい。その写本がさらに筆者されて多くの人びとを魅了し、ルネサンスへ、さらには近代科学へと影響を拡大していくことになる。

もしこの「再発見」がなかったなら、近代科学の発生はなかったかもしれない。じっさい、15世紀当時には高度文明であったイスラーム世界から近代科学は生まれなかったし、ユダヤ教からも生まれてこなかった。もちろんキリスト教からも生まれてこなかったであろう。仏教その他の宗教からも同様だ。


原著タイトルは、 The Swerve: How the World Became Modern, 2011 直訳すれば、『逸脱-いかにして世界は近代になったか-』となる。では、「逸脱」とは、何からの「逸脱」か?

それは西欧中世を支配してきたキリスト教からの「逸脱」であった。キリスト教から排除された原子論という唯物論、である。

古代ギリシアやローマの遺産は、地中海地域の南側を征服したイスラーム勢力によって、アラビア語に翻訳され貪欲に吸収されていった。アリストテレス哲学が、アラビア語からラテン語に再翻訳され西欧キリスト教思想に多大な影響を与えたことは教科書的知識として知られている。聖トマス・アクィナスの『神学大全』は、アヴィセンナ(=イブン・シーナー)やアヴェロエス(=イブン・ルシュド)のアリストテレス解釈がなければ成り立ち得ないものであった。

だが、おそらく後世の唯物論につながる原子論は、イスラーム側で選択的に排除されたのであろう。アラビア語に翻訳されることがなかったのである。だからこそ、埋もれたまま知られることなかったのだ。シェイクスピア研究が本職の著者は、この点についてはなんら言及していないが、西洋人ではない日本人読者にとっては重要なことだ。

本書でよくわからないのは、ルネサンス期に主流となったネオプラトニズムとの関係だが、思想史の本ではないので、そこまで求めるのは酷と言うべきかもしれない。また、「唯物論」の歴史については、別の本をひもといてみなければならないだろう

「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」ということは、あらためて強調しておいたほうがいいだろう。古代ローマの長編詩を写本のなかから「再発見」し、それを広めようとした本人も、まさか原子論が唯物論を生み出し、20世紀の世界史を激動のなかに投げ込もうとは予想だにしなかったであろうからだ。

「もしクレオパトラの鼻がもう少し低ければ、世界の歴史は変わっていたであろう」と書いたのは、17世紀フランスの科学者で哲学者のパスカルだが、その仮定が妥当であるかは別にして、そんなことはクレオパトラ自身のまったくあずかり知らぬことであったのは間違いない。

「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」とは、カオス理論でよく引き合いに出される「バタフライ効果」のようなものだが、後世にいかなる大変化がもたらされるかなど、現在に生きる人間にはまったくわからない。あくまでも後世から振り返ると、それが出発点であったとわかるだけだ。事後的な確認事項である。

だが、大変化を引き起こすことになった偶然の出来事について書かれた物語を読むのは面白い。著者のストーリーテリング能力もすばらしい。最初はやや退屈な感があったが、読み進めるに従って面白くなっていく。そんな本である。





目 次


第1章 ブックハンター
第2章 発見の瞬間
第3章 ルクレティウスを探して
第4章 時の試練
第5章 誕生と復活
第6章 嘘の工房にて
第7章 キツネを捕らえる落とし穴
第8章 物事のありよう
第9章 帰還
第10章 逸脱
第11章 死後の世界
訳者あとがき
解説 池上俊一

参考文献
索引





著者プロフィール

スティーヴン・グリーンブラット(Steven Greenblatt)
1943年アメリカ・マサチューセッツ州生まれ。ハーバード大学教授。『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』でピュリッツァー賞、全米図書賞受賞。著書にはこのほかに日本語訳されているものとして、『シェイクスピアの驚異の成功物語』、『ルネサンスの自己成型-モアからシェイクスピアまで』など多数ある。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。


日本語訳者プロフィール

河野純治(こうの・じゅんじ)

1962年生まれ。明治大学法学部卒業。翻訳家。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





<ブログ内関連記事>


「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行ってきた(2015年4月2日)-テーマ性のある企画展で「経済と文化」について考える

書評 『メディチ・マネー-ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス-』(ティム・パークス、北代美和子訳、白水社、2007)-「マネーとアート」の関係を中世から近代への移行期としての15世紀のルネサンス時代に探る

500年前のメリー・クリスマス!-ラファエロの『小椅子の聖母』(1514年)制作から500年

書評 『失われた歴史-イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった-』(マイケル・ハミルトン・モーガン、北沢方邦訳、平凡社、2010)-「文明の衝突」論とは一線を画す一般読者向けの歴史物語

書評 『そのとき、本が生まれた』(アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ、清水由貴子訳、柏書房、2013)-出版ビジネスを軸にしたヴェネツィア共和国の歴史

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する


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2017年12月28日木曜日

福澤諭吉の『文明論之概略』は、現代語訳でもいいから読むべき日本初の「文明論」だ



「文明論」と題した本は多数ある。そのなかでも、日本でよく言及されるのは、米国の政治学者ハンチントン教授による『文明の衝突』(集英社、1998)であろう。ことし2017年には単行本出版から19年もたって、ようやく文庫化もされている。つまり集英社にとっては、単行本としてよく売れてきたということだ。

中国文明とイスラーム文明が手を結ぶことになる(!)など荒唐無稽の説が書かれているのは、著者のハンチントン教授が「文明論」を専門にするわけではなく、あくまでも政治学者であることがその理由だろう。時の米国政権の委嘱によって執筆したという説もあることはアタマに入れておいていい。

とはいえ、「日本文明」を「中国文明」とは異なる別個の文明として扱った点は、日本でも好意的に評価されてきた。「日本文明」というテーマを打ち出したのは、「文明の生態史観」(1957年)で「文明論」の論客としても知られる梅棹忠夫氏の一連の業績であるが、梅棹忠夫氏自身もハンチントンの著書にかんしては、その点は評価していた。

だが、待って欲しい。何も20世紀の米国政治学者が書いた大冊をあがめ奉ることはない。本は長きがゆえに尊からず。日本には、すでに明治時代に「文明論」が登場している。それは、福澤諭吉の『文明論之概略』だ。「之」は「の」と読む。最近は中国人でも日本語のかな文字「の」を使いたがるくらいだから、このタイトルは古色蒼然(こしょくそうぜん)とした印象を受けるのも無理はない。

この本こそ、「日本文明」という概念を最初に打ち出し、啓蒙主義の立場から日本が進むべき道を指し示した古典的名著である。

ただいかんせん、『学問のすゝめ』と同様に全編が文語体で書かれており、岩波文庫版で本文が300ページもある。歯切れのいいリズミカルな文体でわたしは好きなのだが、現在の日本人の読解力からいったら、敬遠してしまうのも仕方ないだろう。


近代社会の枠組みはアングロサクソンが作った

ネット販売の amazon のサイトには「よく一緒に購入されている商品」 という項目がある。 拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)の 場合は、『文明論之概略』がでてくる。これは、最新の「現代語訳」だ。近代思想史の研究者・先崎彰容(せんざき・あきなか)氏によるものだ。


この書籍の画像をクリックすると、こんな情報が出てくる。拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』と『ユダヤ人の教養-グローバリズム教育の三千年-』(大澤武男、ちくま新書、2013)とあわせて3冊が「よく一緒に購入されている」ようだ。


拙著の「第5章 第2次グローバリゼーション時代とパックスブリタニカ-19世紀は植民地帝国イギリスが主導した」の「1 大英帝国が世界を一体化した」では、「文明」について考えるための手引きとして『文明論之概略』を使用したことを読み取った読者がいるのだろうか? そういう読み方をしてくれているのは、たいへんありがたいことだ。著者冥利に尽きる。
  
福澤諭吉は、「日本文明」を独自の存在として認めたうえで、当時は先進であった大英帝国を中心とした西欧にキャッチアップするためには、「西欧文明」を積極的に導入して「近代化」すべきことを説いた人だ。これは、「第2章 西洋の文明を目的とする事」の冒頭で論じられている。

「目次」を紹介しておこう。あくまでも日本人として日本の「自国の独立」を中心におき、「日本文明」の発達を実現するために「西洋文明」を学ぶのはそのためであるとする姿勢が感じられるであろう。じつに骨太の議論を展開しているのだ。


目 次  

緒言
巻之一
 第1章 議論の本位を定る事
 第2章 西洋の文明を目的とする事 
 第3章 文明の本旨を論ず
巻之二
 第4章 一国人民の智徳を論ず
 第5章 前論の続
巻之三
 第6章 智徳の弁
巻之四
 第7章 智徳の行わるべき時代と場所とを論ず
 第8章 西洋文明の由来
巻之五
 第9章 日本文明の由来
巻之六
 第10章 自国の独立を論ず


引用したい箇所は多いが、「条文解釈」は丸山真男の『「文明論之概略」を読む 上中下』(岩波新書、1986)があるので、そちらを参照するとよいだろう。ここでは、文章のリズムを感じてもらうために、岩波文庫版からいくつか引用しておきたい。現代語訳もいいが、できれば原文の雰囲気の一端でも感じてほしいからだ。

智恵は則ち然らず。一度び物理を発明してこれを人に告れば、忽ち一国の人心を動かし、あるいはその発明の大なるに至ては、一人の力、よく全世界の面(おもて)を一変することあり。ゼイムス・ワット蒸気機関を工夫して、世界中の工業これがためにその趣を一変し、アダム・スミス経済の定則を発明して、世界中の商売これがために面目を改めり。(第6章 智徳の弁)

宗教は文明進歩の度に従てその趣を変ずるものなり。(・・中略・・) 人智発生の力は大河の流れるが如く、これを塞がんとしてかえってこれに激し、宗旨の権力、一時にその声価を落すに至れり。則ち紀元千五百年代に始まりたる宗門の改革、これなり。(第6章 智徳の弁)

ここに我日本の殷鑑(いんかん)として印度の一例を示さん。英人が東印度の地方を支配するに、その処置の無情残酷なる、実にいうにしのびざるものあり。(第10章 自国の独立を論ず)


「よく一緒に購入されている3冊」について先に触れたが、拙著ではまた、英米アングロサクソンが作った枠組みの中で、日本人より半世紀先行して西欧世界に入ったユダヤ人についてページ数をかなり割いて取り上げている。なぜなら、現代社会、とくにビジネス界は、アングロサクソンの枠組みのなかでユダヤ人が併走するという枠組みのなかで動いてきたからだ。

ユダヤ人については、俗説にまどわされずに正確な事実を知るべきである。その意味では、拙著では直接使用しなかったが、『ユダヤ人の教養-グローバリズム教育の三千年』(大澤武夫、ちくま新書、2013)もあわせて読むことを推奨しておきたい。


「よく一緒に購入されている商品」として列挙されているこの3冊は、ぜひみなさんの読書計画の参考にしていただきたいと思う次第。






<ブログ内関連記事>

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ! (2012年の執筆時点で140年前)

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である
・・「中華文明と日本文明の2つの文明の差異について展開してきた議論が、ついに「アジア主義との永遠の訣別」の表明に至るのを読むとき、同じく東アジアの二国に深く関与したが故に「脱亜論」を説かねばならなかった福澤諭吉を想起するのは、私だけではないだろう」

『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?
・・「近代(化)」を主導した福澤諭吉についての言及がある。「明治維新に前後して、新しい日本国Bをつくろうとする機運が生じる。福澤諭吉や伊藤博文などは、その最大のイデオローグであった。日本国Bは、古い国家伝統である「脱亜」を「入欧」と読み変えてみせた。そのうえで、文明開化と富国強兵という、西欧化と近代化とを織り合わせた政策を展開するのである」

書評 『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治、講談社現代新書、2013)-「革命家」西郷隆盛の「実像」を求めて描いたオマージュ 
・・「(西郷隆盛は)福澤諭吉の『文明論之概略』を愛読し大いに評価していたこと。福澤諭吉が西南戦争に際して西郷隆盛を政府の横暴に対する抵抗であると弁護したことは、たとえ会ったことはなくても、両者が互いにリスペクトしあっていたことを物語るものだ。

書評 『もうひとつの「王様と私」』(石井米雄、飯島明子=解説、めこん、2015)-日本とほぼ同時期に「開国」したシャム(=タイ)はどう「西欧の衝撃」に対応したのか
・・「開国」後に、日本は「明治維新」という「革命」を断行し「近代化」=「西欧化」を全面的に遂行して「国民」形成の道を突き進んだのに対し、シャムは上層エリートは「近代化」=「西欧化」を受け入れたものの、「立憲革命」という「革命」は日本に遅れること64年、「国民」形成はそれ以降の課題となった。出発点が同じであったのにかかわらず、日本とタイで大きな差が生まれたのはこのためだ」

書評 『テヘランからきた男-西田厚聰と東芝壊滅-』(児玉博、小学館、2017)-研究者の道を断念してビジネス界に入った辣腕ビジネスマンの成功と失敗の軌跡
・・この本のP.125で、『「文明論之概略」を読む 下』(丸山真男、岩波新書、1986)の「結び」で言及されているイラン人女子留学生のエピソードの謎解きができた。このイラン人女子学生こそ、西田氏の妻となったファルディン・モタメディ氏である。

(2018年1月17日 情報追加)


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2017年12月26日火曜日

『生誕150年企画展 南方熊楠 100年早かった智の人』(国立科学博物館 東京・上野)に行ってきた(2017年12月22日)-「グローカル」で「智の巨人」であった南方熊楠の全体像を知る企画展


先週のことだが、『生誕150年企画展 南方熊楠 100年早かった智の人』(国立科学博物館 東京・上野)に行ってきた(2017年12月22日)。特別スペースをとっての展示。入場料620円を払えば一般展示も観覧可能だ。

南方熊楠といえば日本民俗学を築いた柳田國男、折口信夫と合わせて三大偉人という位置づけだろうが、さすが国立科学博物館だけあって展示内容は生物学を中心になっている。


しかも、熊楠が生涯をかけて取り組んて採集した粘菌(変形菌)のほか、一般の菌類、地衣類微細藻類、大型藻類の標本と一緒に展示されている。国立科学博物館所蔵のものだが、いずれも熊野を含めた紀州で採集したもの。地元にどっかりと腰を下ろしてフィールドワークに専念していたわけだ。

そして海外の研究者と活発に交流し、研究成果は英国の科学雑誌『ネイチャー』に投稿していた。現在のようにサイエンスが完全に確立していなかった19世紀の博物学(ナチュラル・ヒストリー)の時代ならではであるが、トータルで51編という投稿数は、現在に至るまで熊楠が個人レベルでは世界最多だという。


地元密着型で、しかも世界に向けての情報発信。まさにグローバルとローカルをかけあわせた「グローカル」の人だったわけだ。 国立科学博物館(東京・上野)は、開館から140年。ことし生誕150年の南方熊楠が10歳の時になる。そう考えると同時代性というものが感じられて面白い。


つまるところ南方熊楠は、狭い意味の民俗学者ではなく、生物学から民俗慣習まで幅広く、しかも東西文明をまたいで取り組んだ「博物学」時代の人であり、まさに近代日本が生んだ超弩級の「智の巨人」なのだ。

(南方熊楠の「智の技法」を解析 筆者撮影)

この企画展では、「知」ではなく、あえて「智」という漢字をつかっているのは、南方熊楠のバックグラウンドには、高野山を抱える紀州の知的風土に真言宗の影響が強いからでもあろう。自然界を曼荼羅で思考した熊楠の知的背景の一つに仏教がある。 「一切智」は仏教要語である。

わたし自身は大学時代からの熊楠ファンで、本来なら紀州田辺の南方熊楠顕彰館まで足を運びたいところだが、なかなかその機会がない。その意味ではこの企画展は大変ありがたい。企画展の目録「小冊子」としてなんと無料配布(!)しているので、熊楠ファンなら絶対にもらっておくこと!


天才・南方熊楠の「智」の全体像へのアプローチの企画展子どもから大人まで楽しめる「智のワンダーランド」が国立科学博物館。時間があれば、ついでに一般展示も観覧したい(・・今回はその時間がなかったのが残念だ)。


画像をクリック!



<関連サイト>

『生誕150年企画展 南方熊楠 100年早かった智の人』(国立科学博物館 東京・上野) 公式サイト

南方熊楠顕彰館(和歌山県田辺市)



<ブログ内関連記事>

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-
・・わたし自身の熊楠との出会いについて語ってある

書評 『異端力のススメ-破天荒でセクシーな凄いこいつら-』(島地勝彦、光文社文庫、2012)-「常識に染まらず、己の道を行く」怪物たちの生き様 
・・南方熊楠と小室直樹が取り上げられている

「植物学者 牧野富太郎の足跡と今(日本の科学者技術者シリーズ第10回)」(国立科学博物館 東京・上野)にいってきた
・・日本の植物学を作り上げた巨人・牧野富太郎


■雑誌『ネイチャー』

「大英自然史博物館展」(上野・科学博物館)にいってきた(2017年4月19日)-子どもはもちろん、大人も知的興奮を隠せない絶対に見にいくべきイベントだ!

・・サイエンスがまだ確立してなかった博物学(ナチュラル・ヒストリー)の時代

「史上空前規模の論文捏造事件」(2002年)に科学社会の構造的問題をさぐった 『論文捏造』(村松 秀、中公新書ラクレ、2006)は、「STAP細胞事件」(2014年)について考える手助けになる


■フィールドワーカーの「知の技法」

企画展「ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-」(東京会場)にいってきた-日本科学未来館で 「地球時代の知の巨人」を身近に感じてみよう!
・・「なんにもしらないのは、よいことだ。」「あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。」「「発見」というものは、たいていまったく突然にやってくるのである。」・・至言!

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)



■「知」と「智」


「シャーリプトラよ!」という呼びかけ-『般若心経』(Heart Sutra)は英語で読むと新鮮だ
・・大乗仏教では「知」と「智」を区別してます。前者の「知」は「分析的知性」を意味するサンスクリット語の「ヴィジュニャーニャ」、後者の「智」は「総合的知性」あるいは「全体的知性」を意味する「プラジュナー」。『般若心経』(プラジュナー・パーラミター)の「般若」のことです。熊楠の智のあり方は、全体把握を志向した「智」というべきもの


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2017年12月24日日曜日

バーブラ・ストライサンドの A Christmas Album より Gounod's Ave Maria(グノーのアヴェ・マリア)


世界中の歌手が「クリスマス・アルバム」と題してCD(やLP)を発表してきたが、とくにわたしが好きなのは、米国のハリウッド女優でディーバ、バーブラ・ストライサンドの A Christmas Album だ。

このアルバムのお気に入りは、Gounod's Ave Maria(グノーのアヴェ・マリア)。ドイツの楽聖バッハの作曲を19世紀フランスの作曲家シャルル・グノーが編曲したものだ。聖母マリアへの祈りはラテン語(・・いわゆる「天使祝詞」)。

バーブラは、容貌からわかるように、いかにもといった感じのユダヤ系米国人のエンターテイナー。キリスト教の信者ではなくても、エンターテイナーだからクリスマスソングを歌ってアルバムまで出していても問題はないのでしょう。アメリカは圧倒的にキリスト教がマジョリティの国ですから、娯楽市場もそれに対応するということ。




アメリカでは、クリスマスは日本のお盆と正月を一緒にあわせたようなものです。family reunion ですね。一年に一回、家族が一緒に集まって無事と健康を確かめる機会。

クリスマスは、もともと「キリスト教以前」のケルトやゲルマンの「冬至祭」なわけであって、その上にキリスト教が乗っかって異教的な要素を払拭したもの。

ですから、キリスト教にこだわる必要はまったくありません。 日本人は、日本人の好きなように、クリスマスは楽しめばいいのですよ。





<参考>

Ave Maria  天使祝詞(アヴェ・マリア) 

Ave Maria
Gratia plena
Dominus tecum
Benedicta tu in mulieribus
Et benedictus
 fructos ventri tui Jesus

めでたし 聖寵充ち満てるマリア、
主御身とともにまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
 御胎内の御子イエズスも祝せられたまふ。

Santa Maria
Ora pro nobis
Nobis pecatoribus
Nunc et in hora,
In hora mortis nostrae

天主の御母聖マリア、
罪人なるわれらのために、
今も臨終のときも祈り給へ。

(「天使祝詞」は、訳詩集『海潮音』で有名な明治時代の英文学者・上田敏の訳になるもの)





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・・ハリウッド女優で歌手のバーブラ・ストライサンドが監督・製作・主演・歌唱のすべてを行った、1983年度のミュージカル映画作品『愛のイエントル』(Yentle)について紹介

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